学校の勇者
平凡な日常と、猫とトラックと女神様
「あー、今日のバイトもだるいなぁ…」
松村優治、二十歳。どこにでもいる、ごく普通の大学生だ。講義が終わればコンビニバイトに明け暮れ、少ない仕送りだけでは心許ない財布を潤す日々。彼女いない歴イコール年齢、喧嘩なんて小学生以来した記憶もない。そんな彼のささやかな楽しみは、中古で買ったアコースティックギターを爪弾くことと、時折ハーモニカを吹いてみること、そして意外と得意な自炊で食費を浮かせることくらいだった。
その日も、退屈な講義を終え、コンビニへと向かう道すがら、いつもの交差点で信号待ちをしていた。ぼんやりと行き交う車を眺めていると、ふと視界の端に小さな影が入った。
「ん?猫かよ…」
道の真ん中、アスファルトの上にちょこんと座り込んでいる三毛猫。まだ子猫のようだ。クラクションの音にも驚かず、きょとんとしている。
「あぶねーな、道の真ん中に。シッシッ、あぶねーぞ!」
優治は思わず声を上げ、猫を歩道に戻そうと数歩踏み出した。動物は特別好きというわけでもないが、目の前で轢かれるのを見るのは気分が悪い。
その時だった。
けたたましいエンジン音と共に、大型トラックが猛スピードで交差点に突っ込んできたのだ。明らかに赤信号を無視している。そしてその進路の先には――小さな三毛猫。
「あぶねーっ!?」
考えるより先に、体が動いていた。優治は猫に向かって飛び出し、小さな体を抱きかかえるようにして歩道側へ突き飛ばした。猫が「ミャ!」と短い鳴き声を上げたのを最後に、彼の意識は強烈な衝撃と共にブラックアウトした。
次に目を開けた時、そこは見覚えのない、真っ白な空間だった。床も壁も天井も、どこまでも白が続いている。
「もしもし?もしもーし。聞こえてますかー?」
どこからか、女性の声がした。ふわりとした、それでいて妙に軽い響きの声だ。
優治は混乱した頭で声のした方へ視線を向ける。「え?ここは…?」
声の主は、きらびやかな、しかしどこか安っぽ…いや、簡素な白い布をまとった女性だった。長い水色の髪がさらさらと揺れ、大きな瞳は子供のように澄んでいる。
「あ、やっと起きましたか。こほん。ようこそ、松村優治さん。審判の場へ」
女性は芝居がかった咳払いを一つして、優雅にお辞儀をした…ように見えたが、少しよろけていた。
「え?え?あんた誰?審判って…何かのドッキリですか?」優治は状況が全く飲み込めない。
「ふむ…理解が遅い…。良いでしょう。私はアクア。貴方たち人間が言うところの『神』と呼ばれる者です。まぁ、厳密には違いますけどね?」アクアと名乗った女性は、胸を張った。
「神様…?ええーっ!?じゃあ、もしかして…死んだの!?俺!?」
アクアはあっけらかんとした表情で頷いた。
「はい、その通りです。トラックに轢かれまして。もう、それはそれは見るも無残な…あ、最後のお姿、ご覧になりますか?ハイライトシーンをリプレイしましょうか?」
「やめて下さいよ!あんた悪趣味だな!人が死んだってのに!」優治は思わず叫んだ。目の前の「神様」は、どうにもこうにもデリカシーというものが欠落しているようだ。
「こほん。失礼しました。では、松村優治さん。私は、貴方のその善行にいたく感激いたしました!そう、あの小さな猫を助けるという、その尊い自己犠牲の精神に!」アクアは目をキラキラさせながら力説する。
「は、はぁ…」優治はまだ状況についていけない。
「何を隠そう、私は猫が大好きなのです!あの肉球をぷにぷにするのが特に好きで、あの柔らかい毛並み、そして時折見せるツンとした態度からのデレ!ああ、あと尻尾が頬っぺたにスリスリしてくるのが堪らなく可愛くてですね…」
「あの…話を先に進めて貰っても良いですか?俺、どうなるんですか?」女神の猫談義が始まりそうな気配を察知し、優治は慌てて口を挟んだ。
「あ、ハイハイ、そうでした。で、ですね。貴方のその輝かしい善行にいたく感動しましたので、特別に貴方を異世界にご招待しようと思いまして!」
「え?異世界転生ってやつですか?ラノベとかでよく見る…」優治の心臓が、期待と不安でドクンと跳ねた。
「はい、その通りです!さぁ、どうしますか?このまま魂が輪廻の輪に戻るのを待ちますか?それとも、新たな世界で新たな人生をスタートさせますか?異世界に行きますか?行きませんか?」アクアは通販番組の司会者のように、テンポよく問いかける。
優治は一瞬ためらった。だが、すぐに首を横に振る。
(元の世界に未練がないわけじゃないけど…でも、彼女もいなかったし、平凡な毎日だった。このまま終わってたまるかよ!)
「い、行きます!行かせてください!異世界で、俺は…俺は何かを成し遂げたいんです!」
その言葉を聞いて、アクアは満面の笑みを浮かべた。
「はい、良いお返事です!では、異世界転生特典といたしまして、まずは『言語理解』。これで言葉の心配はいりません。そして…そうですね、貴方にはコレなんてどうでしょう?【超学校】!」
「ちょう…がっこう?」優治は聞き返した。何とも奇妙な響きのスキル名だ。
「はい!その名の通り、学校を出せるスキルです!便利でしょう?」アクアは自信満々に胸を張る。
「いや、何を言ってるんですか?学校を出すって…校舎を丸ごととか?そんなのどこに…」
優治がさらに質問しようとした瞬間、アクアがパチンと指を鳴らした。
「はい!では、良い異世界転生を!あ、ちなみに最初のスキルポイントはゼロなので、頑張ってレベルアップしてくださいね~!あと、着地点はルールシア大陸の森の中にしておきましたから!猫ちゃんによろしく!」
「え、ちょ、ちょっとおおおぉぉぉーーーっ!?」
優治の抗議の声も虚しく、彼の足元が眩い光に包まれ、意識は再び急速に遠のいていった。
最後に聞こえたのは、女神アクアの「あ、そうそう、初期装備は着の身着のままのジャージとスニーカーと、ポケットに入ってたコンビニのレシートですから!健闘を祈りま~す♪」という、どこまでも軽い声だけだった。




