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ー8ー



ラーヴァナの町に入って二日目。ようやく、リリー様は冒険者ギルドの門を叩いた。


 受付に向かおうとしたそのとき、広間の隅にいた数人の冒険者が目を留め、ニヤついた顔でこちらへと歩み寄ってくる。


「おいおい、今日はえらく品のいい嬢ちゃんじゃねぇか。どうした、貴族様が冒険者ごっこか?」


「相方は……奴隷か? ご苦労なこったな。」


 リリー様が身を引こうとした瞬間、静かに一歩、前へ出た。


「……汚い手でリリー様に触れるな。」


 その声に、空気が一変した。


 刹那、肘が男の顎を打ち抜き、続けざまに振り抜いた掌底が別の冒険者の腹に突き刺さる。二人は呻き声も上げられぬまま床に転がった。


 ざわつく広間。だが、誰もそれ以上、近づこうとはしなかった。


 「……行きましょう、リリー様。」


 リリー様は小さく頷き、自分の後を追って受付へと向かう。

 

 「ええと、冒険者登録ですね。初めてのご利用でしょうか?」


「はい。」


 笑顔を崩さず、受付嬢は懇切に制度の説明を始めた。


 「冒険者にはFからSまで、計7つのランクがございます。初登録時は全員Fからのスタートとなり、実績や貢献度に応じて昇格試験を受けることができます。」


 「……なるほど。登録に必要なものは?」


リリー様が受付嬢との会話を進めていく。


 「登録料として銀貨3枚が必要となります。」


 自分は、腰の短剣をそっと取り出し、受付の台に置いた。


 「これを売って、登録料に充ててください。」


 「クロノ……!」


 「構いません。武器がなくても、自分は戦えます。」


 受付嬢は短剣の状態を確認し、受け取ると、紙を差し出した。


 「それでは、お名前の記入をお願いします。」

 リリー様は迷わずペンを取り、こう書き記した。

 ――リリー。

 姓は書かれなかった。マリオンの名を、この場に晒すつもりはなかったのだろう。


 「はい、リリーさん。登録完了です。冒険者カードになります。紛失にはお気をつけくださいね。」

 

 登録を終えたその足で、二人は最も簡単な依頼を受けることにした。


 《薬草の採取》――町の南、ラーヴァナ近郊の森に自生する薬草の収集。

 危険度は低く、報酬もわずかだが、今のふたりにとっては、旅路の資金を得る貴重な一歩だ。



ーーーー-ーーーーーーーー



 「……娘ひとり、捕らえられんとは……貴様、どこまで無能なのだッ!」


 ラヴァーナ領主、ヘンリー・ハートの怒声が木造の私室に響き渡る。


 ラルネイは膝をつき、頭を垂れてその怒気を浴びていた。靴が床を踏み鳴らす音が、やけに鋭く耳を打つ。


 「奴隷の小僧に守られて逃げおおせた小娘に、我らの命運を狂わされるなど……まったくもって話にならん!」


 唾を飛ばしながらの叱責。次いで振り下ろされるのは、金の装飾が施された指輪を嵌めた拳だった。頬に赤い痕が残る。だが、ラルネイは一言も言い返さなかった。


 (……生かして捕まえろと言ったのは、あなたではないか)


 喉元まで出かけた言葉を、歯を食いしばって飲み込む。


 ヘンリーは常にそうだ。矛盾と責任転嫁と自己保身。それが彼の“貴族としての美学”だった。


 「事が露見すれば、帝都の粛清が待っている! わかっているのかッ、ラルネイ!」


 (分かっている。誰よりも、な……)


 帝都の目を欺いて進めてきた“龍素材”の利権工作。ギルド支部長・ワン・ウィストンとの共謀。

 ロストーネ周辺で違法に採掘された龍の骨や鱗、心核は、記録上は“事故死”した冒険者の手柄として処理され、裏ルートへ流された。


 その帳簿には、ラルネイの名が複数刻まれている。公印を偽造し、捏造された依頼書に押印したのも、自分の手だった。


 (あの娘が……リリー・マリオンが、帝都へ辿り着けば、すべてが終わる)


 ヘンリーが怒鳴るのは恐怖の裏返しだ。だがそれは、ラルネイも同じだった。


 「見つけ出せ。なんとしても、口を封じろ。……いいな、ラルネイ?」


 「……御意。」


 しばらくして、ヘンリーは苛立ちのまま部屋を去った。扉が重たく閉じられる音が、ラルネイの胸に沈んだ重圧のように響く。


 室内に静寂が戻る。


 ひとり、ラルネイは深く息を吐いた。張り詰めていた背筋がわずかに緩むと同時に、額から汗がぽたぽたと床に落ちた。


 (……口を封じろ、か)


 帝都に届く前に始末しろという意味だ。それも、あの娘がまだ“生きているうちに”と。


 ──理不尽なことを……


 心の底からそう思った。あの時、自分が命じていれば、矢は致命の一点を貫いていた。それこそリリーの喉でも。

 それを止めさせたのは、ほかでもないヘンリーだった。


 「生かして捕らえろ。」と。


 オスカーの娘を人質に取り、龍素材の利権に揺れる帝都を牽制する。その目的ゆえ、あのときは“生かしておけ”が正解だった。だが今となっては──


 (……何もかも後手だ。)


 その時、部屋の扉が控えめにノックされた。


 「……入れ。」


 現れたのは、ギルド長ワン・ウィストンの私兵、連絡係だった。フードの影に隠れた顔を伏せ、無言で一枚の封書を差し出す。


 開封した瞬間、ラルネイの瞳が細まった。


 《報告》 ラーヴァナ近郊の南方森林へ。 Fランク依頼「薬草採取」受託。 監視継続中。


 「……愚かだな。だが、好都合だ。」


 ラルネイはゆっくりと立ち上がり、机の上に広げられていた地図を引き寄せた。


 ラーヴァナ近郊の南方の森。視界が悪く、遺体処理にも困らぬ“適所”がある。


 「ワンに伝えろ。使い捨ての傭兵を雇えるだけ手配しろ。……成功報酬は先払い。逃げ道は塞げ。娘を先に仕留めろ。」


 フードの男が頷くと、ラルネイは続けた。


 「どんな手を使っても構わん。確実に始末しろ。」


 金貨が詰まった小袋を渡しながら、ラルネイの声にはもう迷いはなかった。


 「娘の“口”が開く前に……沈めろ。」


 私兵が去ると、部屋には再び静寂が戻った。

 だがその沈黙の奥で、ラルネイの胸の奥に巣くう感情が、静かに燃えていた。


 恐怖。憎悪。そして、ひとかけらの──


 (……羨望)


 奴隷の身で、貴族の娘を連れて逃げ延びたあの少年。クロノ。 忌々しい卑しい存在が、すべてを壊している。


 (壊れる前に……壊してやる。)


 ラルネイの眼差しは、冷たく、深く、底なしの闇を湛えていた。




読んで下さりありがとうございます。


面白かった、続きを読みたいと思ってくださった方、是非フォロー、ブックマークをお願いします。


作者の決意の火に燃料が投下されます。


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