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ー6ー


クロノが倒れてから、私はまともに息をした覚えがない。


 縛られ、布を咥えさせられたまま、盗賊たちの馬にくくりつけられ、森の奥へと運ばれていく間――私はずっと、彼の名を心の中で呼び続けていた。


  父様に命じられて仕方なく――なんて、嘘だって思ってた。 だってクロノは、いつだって自分の意志で、私の隣に立ってくれていたから。

それなのに、私は。

 あのとき、クロノが毒に侵されて苦しんでいたのに、何もできなかった。 泣くだけで、叫ぶだけで、ただ見ていることしかできなかった。


(……弱い……私、本当に……弱い……)


 盗賊の塒に連れてこられた後も、私は一言も口をきかなかった。


 暗くて湿った洞窟。荷物と武器と、汚れた獣皮に囲まれた空間。 足枷を嵌められ、薄汚れた布を押し付けられた私に、男たちはいやらしい目を向けながらも、今のところ手は出してこなかった。

 “商品”として高値で売る、と誰かが言っていた。あの目は……野蛮で、獣と変わらなかった。

 でも一番酷かったのは、その会話の中に――ラルネイの名があったこと。


 「奴隷のガキと一緒に逃げる貴族の娘を渡すってのは、あのラルネイとかいう執事様のご命令だったよなぁ?」

 ……私の、家の人間が。 父様の信頼していた人間が、私を売った……?


 理解が追いつかなかった。頭が真っ白になって、しばらく何も聞こえなかった。 どうして? どうして……どうして?


(私、何も知らなかった……。何一つ、見抜けなかった……)


 それでも、じっとしてなんていられなかった。

 クロノが生きているかどうかもわからない。 でも、私がこのまま囚われていれば、彼の犠牲は無駄になる。

 ――逃げなければ。

 

「我が身は望む、罪深き影に聖なる光を――天よ聴け、地よ知れ、我が名は正しき意志の代弁者、穢れを祓い、道を開け――《ホーリーレイ》」


白光が弾け、鎖が焼き切れた。

 金属の熱で肌が焼けたが、私は構わず立ち上がった。

 呼吸を殺し、這うように洞窟の出口を目指して――


 「どこ行くんだ、お姫様?」


 背後で、乾いた声が響いた。

 振り返ると、一人の盗賊が私を見下ろしていた。

 足がすくむ。逃げなきゃ、逃げなきゃと頭が叫んでいるのに、足が動かない。


 「いい声で鳴いてくれよ……。売り物だってのは、後で考えるさ……」


 男の手が私の襟に伸びた。

 叫ぼうとした。でも、喉が凍ったみたいに声が出ない。


 怖い。怖い、怖い、怖い――

 

 そのとき。

 ――ズシュッ!

 血飛沫が上がった。男が呻き声をあげて倒れ込む。

 その向こうから、ひとりの影が現れた。


「……クロノ……?」


 信じられなかった。血に濡れ、服も破れ、顔色も悪くて、傷だらけで、それでも。

 その姿は――間違いなく、クロノだった。


 クロノが、私のために来てくれた。 その事実が、何よりも胸を打った。


 クロノは無言のまま、よろよろとこちらに近づいてくる。


「……リリー、様……無事……で……」


 私の目の前まで来て、私の名前を、かすれた声で呼ぼうとして――


 ばたり、と音を立てて、そのまま地面に崩れ落ちた。


「クロノッ!!」


 私はすぐに彼を抱き起こした。身体が熱い。息も荒い。 意識はない。 それでも――彼は、生きてる。


「ごめんなさい、ごめんなさい……! 私、また……守られただけ……!」


 私は涙をこぼしながら、彼の名前を何度も呼んだ。

 クロノの体はまだ熱かった。毒が巡った名残が、皮膚の奥で微かに脈打っている。


「大丈夫、大丈夫だから……私が癒すから……」


 手を重ね、額を寄せるようにして、そっと囁いた。温もりが、かすかに返ってくる。  ――もう、大丈夫。 その言葉に自信なんてなかった。でも、言わずにはいられなかった。


「我が身は望む…我が祈りは命の糧、聖なる息吹よ、彼に安らぎを……《ヒール・ライト》」


 微かな光がクロノの胸元を包む。骨の軋む音が消え、呼吸が穏やかになっていく。 その変化が確かに癒しの証だった。


 けれど、私の体からは力が抜けていった。魔力ではなく、“精神”が削られていくのを感じる。


(ダメ……こんなことで……)


 ふらり、と視界が揺れる。膝が笑い、手が震え、喉の奥から吐き気が込み上げる。


 ――でも、倒れるわけにはいかなかった。

 私は、クロノの体を抱きかかえるようにして、足を引きずりながら馬の元へ向かった。


「お願い……お願い、少しだけ、耐えて……」


 馬はまだ繋がれていた。盗賊に囚われていたのだろう。息は荒く、疲れていたはずなのに、私たちを見てわずかに鼻を鳴らした。


 馬に彼を預けるように乗せ、自分もその背にまたがる。体が痛む。視界が霞む。それでも、手綱を握る手を離さなかった。


(クロノを救ってくれた……その命を、今度は私が守る番よ)


 震える足に、ぎゅっと力を込める。馬は静かに動き出した。 だから、お願い。私に、貴方を救わせて。


 ラーヴァナの灯りが、遠くに揺れて見えていた。




読んで下さりありがとうございます。


面白かった、続きを読みたいと思ってくださった方、是非フォロー、ブックマークをお願いします。


作者の決意の火に燃料が投下されます。


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