ー36ー
酸泥獣を十数体ほど片付けたあとだった。
溶けた皮膚が再生する感覚にも、もはや心は揺れない。
体から垂れる酸を払い、《毒喰らい》が毒を喰らう。
しかし。
「……また、か。」
【point:964,136 → 964,182】
「あれだけ喰らって……これだけ、ですか。」
額を押さえる。
たった数十。最初は一体倒せば数千、数万近く入ったはずなのに。
同じ毒ほど、効果が薄くなる。
薄々気づいていた事実が、数字として突きつけられると胸の奥が冷たくなった。
酸泥獣の毒は、もはや自分にとって新しい毒ではない。
「……もう此処は限界なんですね。」
独り言が、汚水の反響で虚しく返った。
それでも、自分は数日間下水に潜り続けた。
時間を測る術はない。
酸泥獣を振り払えば、ただ崩れて落ちていく。
ただ一つ、気づきたくなかった変化がある。
自分は、痛みに慣れ始めている。
胸の奥で微かに残る熱と痺れを感じながら、自分は深く息を吐いた。
どれだけ変わったのか、確認する必要がある。
壁に手をつき、魔力を集める。
条件反射のようにスキルが起動した。
「……《鑑定》。」
淡い文字が視界に浮かぶ。
名前:クロノ 種族:人間 職業:奴隷 レベル:36
■ 基本能力値
HP:528
MP:356
ATK:60
DEF:112
INT:95
MGR:88
AGL:102
■ アクティブスキル
《瞬歩》Lv.3《隠密》Lv.3《鑑定》Lv.2《魔力感知》Lv.2《幻影魔法》Lv.2
■ パッシブスキル
《毒耐性》Lv.5★《睡眠耐性》Lv.2《麻痺耐性》Lv.2《痛覚耐性》Lv.2 ←★New!《体術》Lv.2
■ ユニークスキル
《毒喰らい》
■ 種族スキル
《吸収・生産・放出》《魔力操作》《物体操作》《液状操作》《気体操作》《スキップ》《再生》
■ point:1004532
「……随分、上がりましたね。」
自分の声が、変に乾いて聞こえた。
HPが増えている。
MPの伸びも悪くない。
耐性は確実に強化されている。
痛覚耐性――これは、嬉しいのか、悲しいのか、自分でも判断できない。
──【Potential release】
──【Body Modification】
──【point:1004532】
触れてこなかった文字に指を添わせる。
【Body Modification】
HP:1 ±100000
MP:1 ±100000
ATK:1 ±100000
DEF:1 ±100000
INT:1 ±100000
MGR:1 ±100000
AGL:1 ±100000
視界に表示されている数字が何を意味するのかが理解出来ない。
貯めた数字は無駄には出来ないが、ここで検証しなければ使う機会を失ってしまう気がする。
MPの欄をなぞるように押す。
数字が減る瞬間、体内の魔力が膨らみ、渦を巻いた。
「……っ、これは……。」
肌の下を魔力が奔り、血流ごと塗り替えていく。
「《鑑定》。」
名前:クロノ 種族:人間 職業:奴隷 レベル:36
■ 基本能力値
HP:528
MP:356*2 (712)
ATK:60
DEF:112
INT:95
MGR:88
AGL:102
魔力が、倍になっている。
「……これなら。」
選択肢が増える。
その事実に、思わず口元が緩んだ。
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〈蒼の王座〉内の一室。
静かな部屋だった。
外の喧騒から隔絶され、青と白で統一された空間。
けれど、その美しさに心が安らぐほど、私は平静ではいられなかった。
「リリー。そんなに気を張らない方がいいわ。どうしたところであの人は動かないもの。」
向かいでカップを口元に運ぶユーティスの手は、いつも通り落ち着いていた。
私は息を整えようと深呼吸するが、胸の緊張はほどけない。
「……そう思いたいけど、クロノが心配しているはずなの。私のことになると...。」
「それは彼の問題よ。あなたが気に病む必要はないわ。」
ユーティスは軽くため息をつく。
「それより、自分たちの身を案じるべきよ。こうして皇城の中に居られること自体、奇跡みたいなものだもの。」
分かっている。
頭では理解しているつもりだった。
それでも、クロノが今どこで何をしているのか。
彼の身に危険がないのか。
考えないようにするほど、胸の奥が痛んだ。
「……ユーティスを巻き込んでしまって、本当にごめんなさい。」
俯いた私を見て、ユーティスは形の良い眉を柔らかく下げた。
「気にしないで、リリー。私たちの仲でしょう? 何があろうと、私はあなたの味方よ。」
「……ありがとう。」
その時だった。
控えめなノックが響き、扉が静かに開かれた。
青と白のドレスをまとい、女性が入ってくる。
私は慌てて席を立ち、深く頭を下げた。
この国の第一皇女シェーラ・キャルト・ユディーナ皇女。
「お待たせしてしまって申し訳ないわ。少し公務が押してしまってね。」
皇女殿下は優しく微笑む。
「さあ、今日も楽しいお茶会を始めましょう。どうぞ、お座りになって。」
「ありがとうございます、ユディーナ皇女殿下。」
「こうしてお話を聞いてくださる人がいて……私も、とても気が楽になりますわ。」
「えぇ。」
微笑むユディーナ皇女殿下ーユディ。
けれど私は、まだその呼び名を口にする勇気がなかった。
私は今、ユーティスと共に、帝城で軟禁された身だ。
形式上は「保護」。
だが、外へ出られないという事実は、胸を締めつける鎖のようでもあった。
「元老院の人たちって、本当に頭の固い方ばかりですのよ。可愛いあなたを処刑しろだなんて……もう、耳にタコができるくらいうるさいの。」
「ラーヴァナの当主に全面の非があると……お父様が認めてくださったのに……。」
「私があの時、場を取り仕切らなければ、どうなっていたことやら。」
「あ、あの……その件については、深く感謝しております、ユディーナ皇女殿下。」
頭を下げると、皇女殿下はふんわりと肩を落とした。
「まだそんな堅苦しい言い方をするの? 気軽にユディって呼んでちょうだい。」
「そ、それは……滅相もありません。わ、私なんかが恐れ多いです。」
皇女殿下の顔が、しゅんと曇る。
「どうしても呼んでくれないの?」
でも、今はそれよりも──どうしても伝えねばならないことがあった。
「……失礼だとは思いますが、お願いしたいことがあるのです。」
「私に?」
皇女殿下が首を傾げ、星のように瞬く瞳がこちらを捉える。
「宿で待っている従者に……連絡を取りたいのです。
せめて……無事だけでも……」
「──駄目よ。」
皇女殿下の声は、先ほどまでの柔らかさと違い、きっぱりと鋭かった。
「それだけは駄目。ここでゆっくり過ごす分には、私は最大限あなたを助けるわ。けれど、その願いだけは叶えられないの。星の流れが変わってしまうから。」
背筋が凍る。
皇女殿下の瞳。星の目には未来の断片を読み取る、神授の力が宿っている。
「ユ、ユディ……様……。」
「あら、ちょっと呼びかけ方が良くなった気もするけど……ごめんなさいね、リリー。でもこれは本当に駄目なの。」
その瞬間、紅茶を飲んでいたユーティスがため息を付く。
「そこまでにしておきましょうリリー。」
皇女殿下は気を取り直すように笑顔を作り、ぱんっと手を軽く叩く。
「ところで、ユーちゃん。何か必要なものはあるかしら?」
「私の事務室に置いてある魔導書を数冊、この部屋に運んで欲しいわ。時間が取れそうだから、この際に読み進めておきたいの。」
「わかったわ。後で運ばせておくわね。」
ユディ様は時計台の方向に視線をやり、小さく息をついた。
「そろそろ次の公務の時間だわ。楽しい時間って、本当にあっという間ね。それでは、ご機嫌よう。」
裾を揺らすように、ユディ様は静かに部屋を後にする。
扉が閉じた瞬間。
「……だから無駄だって言ったのよ。」
ユーティスが紅茶をかき混ぜながら呟いた。
私は握った手を見つめた。
どうしても、どうしてもクロノの顔が浮かぶ。
……無事でいて。
心の中で祈ることしかできない自分が、あまりに無力で悔しかった。
読んで下さりありがとうございます。
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作者の決意の火に燃料が投下されます。




