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すみません。短めです。
静けさの戻った応接室で、ユーティスは再び視線をリリー様へ向けた。
その目には、再会の喜びではなく、審問官としての冷静な観察が宿っていた。
「リリー。率直に聞くけれど――いま、陛下にお会いするのに相応しい衣は持っているの?」
一瞬、空気が止まったように感じた。
リリー様は、少しだけ瞼を伏せ、口元に微かな笑みを浮かべながら言った。
「……ええ、残念ながら全部置いてきたわ。逃げるときに、そんな余裕なかったもの。」
ユーティスは、悲しみでも同情でもなく――厳粛な表情で首を横に振った。
「やはり、そう……ごめんなさい。でも、それでは駄目よ。今のあなたの姿じゃ、陛下に会うには相応しくない。」
リリー様は、一瞬だけわずかに肩を震わせたが、すぐにそれを押しとどめた。
「……そうね。私も、そう思ってた。」
ユーティスは椅子から立ち上がると、執務机の引き出しから黒地に銀の紋をあしらった封筒を取り出した。
「これ、《フィラ・アトリエ》の招待状。私の行きつけの仕立て屋よ。帝都でも最上級の腕を持ってるわ。」
リリー様は戸惑いながらも、封筒を両手で受け取る。
「ユーティス……でも、それは……。」
「いいの。これは友人としてじゃなく、帝都審問官としての私の“推薦”よ。礼節に応えてちょうだい。」
静かで、それでいて強い言葉だった。
あの場で誰よりも帝都の機構を知る彼女だからこそ、言える言葉だった。
リリー様は、一呼吸だけ時間を置いてから、静かにうなずいた。
「わかったわ。ありがとうユーティス。」
ユーティス様と別れたあと、自分たちは第二層へと足を向けた。
彼女が教えてくれたのは、《フィラ・アトリエ》という仕立て屋。上級貴族も通うという、帝都でも指折りの店らしい。
重厚な扉を押して中に入ると、空気が変わった。外のざわめきとは無縁の、落ち着いた香と柔らかな灯り。
奥から現れたのは、恰幅の良い中高年の男――低くよく響く声で、深々と礼を取った。
「初めましてお客様。わたくし、バリトン・ティラーと申します。招待状をご拝見しても?」
リリー様が封筒を差し出すと、バリトンは目を通し、口元に微笑を浮かべた。
「お連れのお客様もどうぞ、どうかお気を楽に。ここでは無粋な思想を持ち出す者はおりませんので。」
自分は軽く会釈だけ返す。こういう場所には、あまり場違いな声は似合わない。
「ティア様からのご紹介ですね。二日後までに、皇帝陛下に会うためのドレスを――とのことですか。」
リリー様は、申し訳なさそうに肩をすくめた。
「……そんな無茶を言ってしまって、ごめんなさい。やはり難しいかしら。」
「いえいえ。」
バリトンは片手を胸に当てて笑った。
「いつものご依頼より、むしろ時間に余裕がありますので。ご心配には及びません。」
そう言いながら、彼は少し身を乗り出す。
「わたくし、スキルを用いて服を仕立てます。そのために――お客様のお手をお借りしたいのです。」
「お手……?」と、リリー様が小首を傾げる。
「そのままの意味でございます。レディ、お手を拝借しても?」
リリー様がそっと手を差し出すと、バリトンはそれを紳士的に包み込み、ほんの一瞬だけ閉じられた瞳が光を帯びた。
その刹那、空気が微かに震え、彼のスキルが発動したのだと自分は悟った。
「ありがとうございます。これで採寸は終わりました。明後日の夕刻までにお渡しできるかと存じますので、再びこちらへお越しくださいませ。」
拍子抜けするほど短い時間だった。
けれど、その確かな手際と職人の眼差しに、服を通じて人の格を引き上げるという自信があった。
読んで下さりありがとうございます。
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作者の決意の火に燃料が投下されます。




