ー21ー
火の手はすでに沈静化し、村の片隅で救助と治療が進んでいた。
リリー様は捕らわれていた村人たちを救い、傷を負った者には次々と治癒魔法を施しておられた。
――その慈愛に満ちた背を、自分は後ろから静かに見守っていた。
「クロノ、大丈夫? 怪我は……してない?」
リリー様が、ふいにこちらへ振り返る。
その表情には不安が滲んでいた。
「えぇ。問題ありません。」
迷わずそう答えたが――その言葉に、リリー様の眉が僅かにひそめられた。
視線が、自分の手元に落ちる。
「その手……隠してるつもりかしら?」
自分はふと、握ったままだった手を見下ろした。
毒を結晶化させ、槍を成した時に直接触れていた掌。
そこには、白く変色し、まだ微かに赤熱を帯びた火傷の痕が残っていた。
……女神の涙。毒の成分が結晶化する際、高熱が起きる副作用。
問題は無い。――そう説明しようとした時。
「手を出して。……これは命令です。」
リリー様の声が凛と響く。
拒絶を許さぬ声色に、自分は黙って手を差し出した。
リリー様は小さく息を吸い、差し出された両手をそっと包むように取った。
その指先は冷たく、けれど震えていた。
「どうして、黙ってるのよ……。」
その囁きに、自分は返す言葉を持たなかった。
「我が身は望む…我が祈りは命の糧、聖なる息吹よ、彼に安らぎをーー《ヒール・ライト》」
淡い光が両手に宿る。
痛みも、熱も、ゆっくりと薄らいでいく。
皮膚が再生し、焼け爛れていたはずの手のひらが、元の形を取り戻していく。
「もう、私にはクロノしか居ないんだから。」
自分は、ただ静かに頭を下げる。
「……お心遣い、感謝いたします。」
そう言うしかなかった。
リリー様が治癒を終え、自分の手から光がすっと消えた頃。
村の方から、重い足取りの男が一人、こちらへと近づいてくるのが見えた。
顔は日に焼け、髭をたくわえた壮年の男――武器こそ持たぬが、長年この土地に根を下ろしてきたことが容易に窺える。
男はリリー様の正面に立つと、深々と頭を下げた。
「このたびは、村を救っていただき……感謝の言葉もございません。村を代表して、礼を申し上げます。ハルツと申します。この村の村長を務めております。」
その言葉は、明確にリリー様一人に向けられたものだった。
自分の存在は、あたかもそこにいないかのように、無視された。
珍しいことではない。
奴隷に対する扱いなど、所詮こんなものだ。
だが。
「……彼は、私の奴隷です。」
リリー様が、静かに言った。
村長が顔を上げる。
「彼がいなければ、わたくし一人でここまで来ることも、村を助けることも叶いませんでした。貴方が私に礼を述べるのなら、同じだけの敬意を、彼にも向けるべきでありませんか。」
その声音には、微かに怒気すら混じっていた。
自分は思わずリリー様を見た。
「……勿論、ですとも。」
村長は笑った。
だがその口元に浮かぶのは、愛想笑いでしかない。
こちらへと向けられたその目は、はっきりとした軽蔑と侮蔑を帯びていた。
(……この男、奴隷への差別意識が根深いな。)
自分は、表情を変えずに村長を見返した。
丁寧に礼を返す必要もない。ただ、黙って一歩、リリー様の横へ立つ。
「……私のクロノに、今後失礼な態度はお控えください。」
リリー様の厳しい言葉に、村長ハルツは肩をすくめるようにして頭を下げ直した。
「……申し訳ありません。リリー様のご同行であるお方にも、深く感謝申し上げます。命を救っていただいたこと、村の者全員、決して忘れません。」
言葉こそ丁寧だったが、その声音に込められた感情は、まるで壁越しに伝わってくるように淡く、そして遠かった。
だが、自分はそれに何も返さなかった。口にする必要もない。
村長は、少し咳払いして顔を上げる。
「……こんな状態の村ではございますが、空き家がいくつかございます。急ごしらえにはなりますが、今夜はぜひ、そちらに泊まっていっていただけませんか?
せめてのお礼です、寝床と温かい食事をご用意いたします。」
「お気遣い、感謝いたします。私たちも、少し休ませていただけると助かります、クロノ。」
「……仰せのままに。」
自分は一礼しながら静かに応じた。
この三日間の移動と戦闘――疲労がないと言えば嘘になる。
村は未だ混乱の中にあるが、火の手は既に鎮まり、住人たちは互いに手を取り合い、生活を取り戻そうと必死だった。
一夜の休息が、明日への力になる。
自分とリリー様は、村人の案内で静かな空き家へと向かうこととなった。
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作者の決意の火に燃料が投下されます。




