ー18ー
「……ん……むにゃ……クロノ……それは……だめ……。」
まどろみの中、リリー様は寝言のように言葉を呟き、ほつれた金の髪を微かに揺らしながら、布団の中で身じろいだ。
その様子を、自分は窓際の椅子に腰掛けたまま、静かに見守っていた。
朝日がすでに昇り、薄いカーテン越しに金の光が差し込んでいる。部屋全体が、柔らかな輝きに包まれていた。
やがて、リリー様のまぶたがふるえ、ゆっくりと開かれる。
そして視線がこちらを捉えた瞬間、彼女は勢いよく上体を起こした。
「えっ……クロノ!? どうして……ここに……?」
寝起きの柔らかな表情が、一瞬で驚きと緊張に染まる。
自分は静かに立ち上がり、深く頭を下げる。
「お目覚めになられて、何よりです。無断で失礼しました。……ですが、どうしてもお伝えすべきことがございます。」
リリー様はまだ困惑したまま、布団をぎゅっと握りしめる。言葉を探すように口を開こうとしたが、自分の真剣な眼差しを見て、そっと黙って続きを促してくれた。
「昨夜、マリオン領へ偵察に行ってまいりました。ロストーネの町は……すでに壊滅しておりました。地形は変わり果て、住人の姿もほとんど見当たりませんでした。」
リリー様の表情が、そこで凍りついた。
「……そう。」
「……ですが、オスカー様とシエラ様のご遺体は確認できておりません。無事である可能性は、まだ残っております。」
あまりに凄惨だった現地の光景は、すべてを伝えるにはあまりに残酷だった。だから自分は、希望だけを残すように言葉を選んだ。
「……ありがとう、クロノ。行って……くれたんだね。」
「……暫く、こうしていてもいい?」
リリー様は小さくそう言うと、立ち上がった自分の胸元へそっと身を預けた。
まるで誰にも見られたくないかのように、肩を震わせながら。
自分はその体を、何も言わず静かに受け止める。
「仰せのままに。」
それだけで、十分だった。
しばらくの沈黙の後――
目元をほんのり赤らめながらも、気丈に微笑みを浮かべたリリー様は、いつもの気高く美しい姿に戻っていた。
身支度を整え、宿を出た頃には、太陽はすでに高く昇っており、ラーヴァナの街はすっかり活気を帯びていた。
「まずは街で装備や物資を揃えないとね。途中で野営になるでしょうし。」
「食糧と保存水、簡易テントと火打石、それに……薬草の補充も必要です。」
「うふふ。クロノ、あなた本当に頼りになるわね。」
「……当然の務めです。リリー様が万全でいられるよう、自分が支えます。」
出発は明朝。それまでに、装備と消耗品を整えなければならない。
二人は市場の喧騒の中、中央通りへと歩を進めた。
石畳の通りには、露店がずらりと並んでいる。
果物、薬草、布、簡易装備――旅人も多いため、品揃えは豊富だった。
「こういう市場、久しぶりだわ。……なんだか、楽しいわね。」
「お足元にお気をつけて。」
微笑むリリー様に、自分は軽く会釈しながら先導する。
まずは消耗品を揃える。保存食、水袋、火打石、毒消し薬、携帯用の調理器具、最低限の薬草。野営に必要な物を次々と精査しながら、質の良いものを選んでいく。
次に向かったのは、旅装備を扱う店。並ぶのは、布地のマントや厚手のシャツ、革の籠手、丈夫なズボンなど、実用重視の品ばかり。
「……旅慣れしてる感じの服ね」
リリー様が一枚の灰茶色の外套を手に取り、こちらに視線を向けてくる。
《鑑定》
――《練布の旅装》:軽量 / 防塵・防寒 質:良
「……質は良好です。見た目は控えめですが、実用性を考えれば最適かと」
「なら、これにするわ。可愛くは無いけれど。」
続いて選んだのは、三日分の着替え。速乾性と耐久性を兼ね備えた衣服を優先的に選び、必要な下着類はリリー様が自ら手に取っていった。
彼女はさらりとしたインナーを一枚持ち上げて、こちらをちらりと見やる。
「……クロノはどんなのが好みなの?」
「……。」
わざと反応を窺うような瞳に、小さく肩をすくめると、リリー様はくすりと笑って自分の肩を小突いた。
昼過ぎ。買い物を終えた二人は、少し満ち足りた気持ちで市場を後にした。
明日は帝都への出発の日。だが、今日のこの平穏な時間は、確かに心を満たしていた。
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作者の決意の火に燃料が投下されます。