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タイトル未定

作者: 藤沢


 『6月15日(土)明沙原市で一緒に死んでくれる人はいませんかー?』


 私がツイッターに投稿したDM。

 アプリを開き返信を確認する。

 するとそこには1通のDMが届いていた。


 『立候補します。集合場所どこですか?』


 集合場所の地図と時刻を返信して、当日を待つ。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 午前10時前の明沙原市パーキングエリア。

 明沙原市パーキングエリアを捉えるように広がる森林。

別名、自殺の森。

 風により運ばれてきた草木の匂いと木々のざわめく音が響き渡る、自然豊かなパーキングエリア。

 さざめく木々を横目にパーキングエリアの外ベンチに腰掛けパスタビームさんを待っていた。


 パスタビームさんは女性で、クリーム色の膝下まで伸びているコートを着ていて、目印として左手でエナジードリンクを持って待っているらしい。


 辺りを見渡したけど、該当する人物の姿は見えない。


 暫くスマホを眺めていると、駐車場に赤い車が入ってきた。

 赤い車は、ガラリとした駐車場の中央付近に駐車した。

 その車から出てきたのは、クリーム色のコートを着ていて、左手にエナジードリンクをもった女性。


 私は、その女性に声をかけるためにベンチから腰を持ち上げた。 


 「あ、あの、パ、パスタビームさんですか?」


 鳴り止まぬ鼓動を押し殺し、女性に声をかけた。


 「はいそうですけど、って夢野さん?」

 「え、え、あ、はい」


 えっ、なんで私の苗字知ってるのこの人こわい。

 私の個人情報が知らない間に抜き取られて、売られていた?

 いや、この人実は凄腕ハッカーなのでは?

 重要国家機密を盗み政府から狙われ、逃走中。

もし捕まれば、死よりもひどい拷問が待っていて、泣く泣く自死の道を選んだとか?


 「私だよ、中学の時同じクラスだった朝日だよ」


 思い出した確か彼女とは中学3年間同じクラスだっだ。


 「朝日さん?」

 「そうそう、酒豪博士って名前だからてっきり人生に絶望したおじさんが来ると思ってた!」


 可愛い顔して少しサイコな面を覗かせる朝日さん。

 確か中学の時からまっすぐストレートに発言するタイプだった気がする。


 「夢野さん、ここまで車?」

 「わ、私はタクシーで」

 「そう、この出会いも運命ってことで、少しお茶しない?」

 「ま、まあ、少しなら」


 私は朝日さんの車に乗せてもらい、朝日さんの提案で近くの喫茶店に向かった。

 着いたのは、昔ながらの雰囲気漂う昭和風の喫茶店。

 時が経ち黄ばんだ壁に掛けられた時計や額に入った色褪せた写真がノスタルジーを刺激する。


 朝日さんと私はマスターに案内され、向かい席に腰掛けた。

 私は朝日さんと同じミルクティーを注文し、程なくしてマスターがミルクティーを運んできた。


 「夢野さんはなんで死んじゃおうと思ったの?」


 言葉とは裏腹に明るく軽い口調で聞いてきた。

ぞう

 「わ、私は子供の頃から全然周りと馴染めなくて、まあ、今もなんだけど」


 私は続けた。


 「それで、趣味も無いし、友達もいないし、このまま生きてても楽しくないし、何より未来が怖い」


 「未来が怖い?」


 「うん、何となく生きて行く事もできる、でも未来を生きている私を想像すると凄く怖い」


 頭も良くないし運動が出来るわけでもない、友達が多いわけでもない。学校と言う小規模集団社会の中ですら隅っこにいた私が実社会で上手くやっていけると思えない。


 人生逆点出来ると言うが、私にはそのポテンシャルも無い。

 自分が受け入れるべき言葉を綺麗事だと必死に言い聞かせ、片っ端から否定して今まで生きてきた。

 一歩踏み出せば、何かが変わるかもしれない。

しかし私は、一歩を踏み出すことを拒み、挙句の果てには怖くて一人では死ねない。


 これまでの人生ずっと一人で生き抜いてきたのに。


 「夢野さん、中学の時ずっと一人だったもんね!」

 

 朝日さんの鋭い指摘が心に刺さる、あぁ死にたい。


 「あ、朝日さんは何で、私にDM送ってきたの?」


 今、私の目の前に朝日さんが居るのかが全くわからない。

 当たり前かも知れないけど、彼女の内に秘めている思いを全く想像する事が出来ない。


 「ほら、私って可愛いし、勉強も出来るし、運動だって出来る」


 「でも」


 朝日さんの今までの軽い声色が完全に変わった。

 瞳から光が消え、深い暗い闇が彼女の目を覆い尽くした。


 「私は今までの人生ずっと期待され続けてきた、勉強も部活も。

勉強も部活も初めはみんな凄いねって言ってくれた」


 「でも、いつしか結果は出して当たり前。

完璧な私は、この先もずっと完璧であり続けなければならない」


 彼女の瞳は完全に暗闇に隠れた。


「全部止めようと思った、完璧な自分を演じるのも、自分を自分で縛るのも。

でも、あの時、私は完璧を捨てるのが怖くなった」


 「あの時って?」


 「私今、大学でテニスサークルに入ってるの。

ある試合で、私は体調不良が重なり3回戦で負けた」


 「いつも準決勝ぐらいまでは余裕で行けた私が3回戦で負けた。

その時思った、やっと完璧な私を崩せるって」 


 「でも、それは叶わなかった。いや私にはできなかった」

 「私の結果を見て、堕ちただの、今までのはまぐれだの、サークルの奴らにボロクソに言われた」


 「先輩からも期待してたのに失望したってハッキリと。

たった1回のミスで私の全てが否定されたようだった」


 「勝手に期待して勝手に失望して。

私は、私をボロクソに言った奴らをぶっ殺してやりたい」


 私は淡々と言葉を並べ立てる彼女に恐怖すら感じた。


 「この出来事がトラウマになって私は、前よりも失敗を恐怖するようになった。

これから先の長い人生でこの気持ちと恐怖を抱えて生きて行く、それが途轍もなく怖い」


 「そんな気持ちに打ちひしがれていた夜、私は夢野さんのツイートを見たの」


 朝日さんの顔は今にも散ってしまいそうな紫陽花のように弱々しく儚げだった。


 「ただ、何となく死にたい夜にただ何となくツイッターを眺めていたら、夢野さんのツイートを見つけた。

ただ、それだけ」


 「世界では、自分以上の苦しみを抱え、それでも必死に生きてる人がいる。

だから自分も頑張る、なんて私には出来ない」


 「こんなことで、って思ったかも知れない。

でも人にはそれぞれ受け止められるキャパがある。

私はその容量が少なかかったのかも」


 私には想像もつかない努力をしてきた朝日さんのキャパが少ないなんて絶対にあるわけがない。

 天地かひっくり返ったとしても、これだけは絶対に。


 「朝日さんは、死んでいい人じゃ無いよ!!」


  朝日さんの話を聞いて、私の口から咄嗟に出た言葉。


 「ありがとう、夢野さん」


 朝日さんの言葉を聞いて、私は彼女を死なせたくなくなった。

 

 「あ、あの、朝日さん!死ぬのやめない?」


 怖い動画を見て条件反射するように気づいたら吐き出ていた言葉。


 「はぁ、今さら何言ってるの?

私の話を聞いて情でも湧いた?」


 虫がいいのは分かってる。

第一、朝日さんに死を一歩近づけたのは、誘った私だ。

 でも、だけど、死なせたくない。


 「私は、朝日さんを死なせたく無い!」


 こんな大声を出した記憶は私の覚えている限り多分ない。

 久しぶりに感じた喉の奥が痺れる感覚はどこか懐かしく、私が私じゃなくなったみたいだった。


 「ふざけないでっ!!私は、死ぬ為にここに来たの!」


 怒号が響く喫茶店中には幸い私たち以外に客は居ない。

 声を荒げた朝日さんは続けた。

 

 「アナタと一緒じゃなくても私は一!!」

 「い、行こう!!」


 私は朝日さんの口から続く言葉を強引に遮った。

 これ以上、朝日さんの口から自分を死へ追い込むような発言をさせたくない。

 自分の口から発する言葉は、真実でも、虚言でも、やがて自分を濁す媒体となると私は思う。

引き寄せの法則的な物を完全に信じ切ってるわけでは無いけど、時に自分の発言から逃れられなくなることもあると思う。

 いつまでも夢を周りに吹聴し、叶わぬ夢を追い続ける、そんな人間のように。

引くに引けなくなり、引き際を見失った人間のように。


 死にたい奴は勝手に死なせとけって考えもあるし、朝日さんは私にとって完全に他人だ。

でも、死なせたく無い、私の勝手なワガママ。


 なぜ、朝日さんを死なせたくなくなったのかよくわからない。

朝日さんの話を聞いて面目ないけど私はちょっとだけホッとした。 


 今までは、『何で私だけ』なんて思ってた。

でも、完璧だと思ってた朝日さんは私なんて比べ物にならない程の苦悩と葛藤の中で生きていた。


 完璧を貫いてきた朝日さんはいい意味でも、悪い意味でも完璧以外を知らないんじゃないのか?


 私はテーブルに財布から出した3000円を置いた。

 そして朝日さんの手を強引に引き、走り出す。


 「マスター釣りはいらないから!!」


 一度言ってみたかったセリフをまさかこんなとこで使うとは。

 女性を強引に連れ出す私、カッコいいかも。


 曇り空の下、私は行き当たりばったりに朝日さんを連れ走りだした。


 「ちょっと夢野さん?」


 突然の私の奇行に困惑している朝日さん。

 そんな朝日さんの手を引き、走り続けた。


 「夢野さん!ちょっと、ちょっと、どこ向かってるの?」


 行き当たりばったりに行動した私の頭は真っ白。

 向かう先を考えて行動してなどいない。


 「ちょっと、ちょっとてば!!」

 「だ、大学、大学へ行く、私の!!」


 酸素が少なくなってきた脳で咄嗟に弾き出した。


 「わ、私が通ってる大学が近くにある」


 「近くって?」


 「はぁはぁはぁ、うっ、もうダメっ」


 久しぶりの全力ダッシュをした私の体は限界に達していた。 

 久しぶりと言っても覚えてる限り記憶には無いけど。


 「何で私を連れ出した夢野さんが先に疲れてんのよ!」

 「はぁはぁ、久しぶりに走ったからっ」


 酸素が切れた私は、手を膝に突き立ち止まった。

 地面と見つめ合い、汗が頬をつたる。

 私とは対照的に、朝日さんは息一つ切れてない。

 

 「青春しよ!私と!」

 「夢野さん藪から棒に何言ってんの?」


 私の口のから青春と言う言葉が出てくるとは。

 今まで世界の隅っこでひっそりと生きていた私が、『青春』と言う言葉を口にするのはちょっと恥ずかしい。

 いや、かなり恥ずかしい。

 私の身の丈に合わない言葉を吐いた舌を殺したい。


 「私は、死ぬために来たの!!」

 「じゃあ、死ぬ前に私と青春して?ね、いいでしょ?

さ、先っちょだけだから!」


 「なにの先っちょよ!」


 朝日さんは『はあ』と息を湿った空気中に飛散させた。


 「まあ、少しだけなら付き合ってあげる」

 「ありがとう!朝日さんが朝日さんが死にたくなったら私も死ぬから!

だから、ちょっとだけ付き合って下さい!」 


 「じゃあ、今からし」

 「朝日さん決断早っ」

 「冗談よ、はぁちょっとだけ付き合ってあげる」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 私は朝日さんを連れて大学に来た。

 土曜日の大学は平日よりも一層静かで閑散としていた。

 サークルなどの課外活動に一切参加していない私が土曜の大学に来たことなんて数えられる程。

 曇り空も相俟ってか、人が少ない大学は少し不気味だ。


 「で、何で夢野さんの大学に来たの?」

 「青春する為だよ、朝日さん」

 「さっきも思ったけど、夢野さんから青春って言葉を聞くと、むず痒いかも」

 「朝日さん、ひどいっ!」


 言った私自身も、心臓を擽られているみたいにむず痒い。


 「夢野さんってこんな大きい声出せたんだ」

 「ま、まぁ、出そうと思えば」

 「何で、それは小声で言うのよ!」


 無意識に出てしまった大声に自分でもハッとした。

 恥ずかしい、猛省、猛省、猛省。

 自分の脳に焼き付ける様に言い聞かせた。


 「具体的に青春って何するの?」

 

 ごもっともな朝日さんの質問。

しかし、何をするのか私にもよく分からない言葉尻がいいから使っただけの言葉。

 今も昔も教室の隅が特等席の私に分かるはずも無い。

 

 完璧しか知らない朝日さんを思い付く限りの青春で。

私なりに考えた青春で何とかするしか無い。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 「ちょっと、何で図書館なの?」

 「マンガやアニメとかだと図書館は至って何かが起こる場所だから」

 「何かって何?」

 「気になる異性と偶然出会ったり、ナンパしたり」

 「夢野さんアニメの見過ぎじゃない?図書館で出会いましたなんて滅多に聞かないし。

図書館でナンパなんて初めて聞いたわ。

ナンパするならもっと別の場所があるでしょう?」


 「いいから、いいから、座ってれば何か起きるから」

 「だから、何かって何よ」


 ああだこうだ言いながらも朝日さんは私の言うことを聞いてくれた。

 私と朝日さんは、入口が見えるテーブル席に横並びで鎮座した。


 「黙って座ってれば、多分、絶対、何か起こるから」

 「夢野さん安直すぎ」

 「いいから、いいから」


 図書館中に漂う紙の匂いを鼻で味わいながら、しばらく私たちの間には沈黙の時が流れた。

 

 2次元では図書館は何かが必ず起こる場所。

 完璧な朝日さんが体験したことのない不規則な何かが起こるかも知れない。

 もちろん、確証など無い。


 「ちょっと、夢野さん、何も起きないじゃない」

 「私が、新しい世界見せてあげるから、もう少しで新世界見えてくるかもしれないから」

 「夢野さんなんかちょっとエロい」

 「え?」


 「何でもない!!」


 「うゎ、ビクッくりした」

 

 朝日さんの声に無意識に肩が反応した。

 朝日さんの声は図書館中に響き渡り、その声に反応した管理人さんがこちらに一瞥をくれた。


 「急に大声出さないっでよ、朝日さん」

 「夢野さんが変な事言うから」

 「変なこと?」

 「な、何でも無いって!!」

 「だから朝日さん、声、声、」

 

 再び管理人さんが私たちに一瞥をくれた。


 「図書館では静かにしないと」

 「分かってるって」

 「あ、誰か来た」

 「誰かって、ただの男子学生じゃない」


 歓談に花を咲かせた二人の男子学生が図書館に入ってきた。


 「朝日さん言ったでしょ、図書館は決まって何かが起こる場所だって」

 「だから何?ただの学生じゃない?」

 「観察するんだよ」

 「観察?」

 「そう観察。

観察すれば何かが起こるかも知れないし、起こらないかも知れない」

 「いや、夢野さんさっき、図書館は決まって何かが起こる場所って」

 「細かいことは気にしない」

 「夢野さん、思いっきり矛盾してるわよ」

 「だから細かいことは気にしないで。

ほら観察して、観察。


 再び私たち2人の間に沈黙が流れる。

 目を凝らし、観察に集中する。

 私の耳を撫でる様に、微かに男子学生の話し声が聞こえてくる。

 

 中高の昼休みは決まって机に突っ伏していた。

その盗み聞きスキルは相当の物だと私は自負している。

 私は1人で虚しく鍛え上げた耳を澄ます。

 

 「C棟の5階で幽霊が出たらしいぞ」

 「マジかよ、お前呪われてたりして」


 幽霊?マジかよ。

 でも間違ってはいなかった。

やはり図書館は何かが始まりそうな予感がする場所だ。


 「朝日さん何かが起こる予感だよ」

 「はぁ、何かって?」


 呆れた様子の朝日さんが疑問符を頭も上に浮かべた。

 

 「C棟の5階で幽霊が出たらしいよ」

 「幽霊?それ夢野さんの作り話でしょ」

 「そこの学生が言ってたの」


 私はさっき談笑に花を咲かせ図書館に入って来た男子学生を控えめに人差し指で指した。 


 「え?夢野さん、盗み聞きしたの?趣味ワル」

 「みんな盗み聞きくらいやってるから」


 「幽霊出たって夢野さんそれ本当?」

 「気になるなら本人たちに聞いてみれば?」


 「疑問文を疑問文で返さないで」


 やや不服な面持ちの朝日さんからの指摘。


 「怪しい、夢野さんの聞き間違いじゃない?」


 朝日さんが目を細め、懐疑的な視線を私に向けてきた。 


 「言ってた、絶対言ってた」

 「じゃあ、夢野さんが確認のために直接聞いてくれば?

本人たちが言ってるんじゃ私も信じるしかないし」


 朝日さんは幽霊とかそういう類のを信じるタイプじゃなさそうだ。


 私は幽霊に関しては半信半疑。

 私は見たことないけど、幽霊を見たって人も世の中にはいる。

動画や画像も真実か否かは置いといてあるにはある。

ほとんど人間の手が加わった物だろうが、全部がそうだとも思わない。

 この身を以って体験しないことには、私の中で存在は確定しない。


 「私は無理。初対面の人とコミュニケーション取れないから」

 「でも夢野さん、私と話せてるじゃない」

 「それは、、、」

 「それは?」

 「何でだろ?」

 「私に答えを求めないで」


 なんでかは分からないけど、朝日さんとは話しやすいかも。

お互いそれぞれの悩みを抱え、どんな形であれ一度は死という結論に辿り着いてしまった者同士だからこそ私は朝日さんと話しやすいのかも知れない。

 まあ、これは私の自分勝手な解釈だけど。


 「そうね、じゃあ、じゃんけんで負けた方が真実を聞きに行くって言うのはどう?」

 「朝日さん、私の話聞いてた?」


 「聞いてたわよ、夢野さんのコミュニケーションがうんぬんかんぬんあーだこーだ」

 「それ、ほとんど聞こえてるじゃん。なんで大事な所だけ流してんの?」

 

 「出さなかったら私の不戦勝ね、ジャンケン」


 朝日さんは、人の言うことを聞かないわがままな幽霊に取り憑かれているのかも。

 でも、その理屈で罷り通すと、朝日さんを無理矢理連れ出した私にも、わがままな幽霊が取り憑いている事になる。


 負けるわけにはいかない私は朝日さんの掛け声に合わせ、手を突き出した。


 「ポン!」

 「ポン!」


 私たちの間に突き出された手はパーのあいこ。

 パーはじゃんけんで最も勝率が高い手。

 これをどう見るべきか。

 朝日さんは性格からして、理屈派の人間。

 私も同様、理屈派の人間。

 あいこの場合『あいこで出した手に対して負ける手を出すと勝つ確率が上がる』。

 この理論に基づくと、朝日さんの次出す手はグー。私はもう一度同じ手を出せば勝てる。


 「あいこで」


 朝日さんの掛け声に合わせ再び手を突き出した。


 「ショ!」

 「ショ!」


 朝日さんが出した手はグー。

 再びあいこが続く。

 確信した朝日さんは完全に理屈派だ。

 ということは、朝日さんが次出す手はグーに対して負けるチョキ。

 私はチョキを出す、訳が無い。

 私は未来の未来を見る。

 朝日さんのチョキを予測し、再びグーで勝負する。


 「あいこで、ショ!」

 「あいこで、ショ!」


 私の出した手はグー。

 対して朝日さんの出した手はパー。

 白熱した勝負が私の負けで終了した。


 「やったあああ!」


 勝利を噛み締める朝日さんの横で頭を抱えこむ私。


 「朝日さん、理屈派のはずでは?」

 「それは夢野さんも同じでしょ。

私は、未来の未来の未来を読んだのよ」


 私は未来を読みきった満足していた。

 自分の考えを疑う事もせず未来のその先を想定してなかった。


 「ちょっとあなたたち、図書館では静かにしないと出禁にしますよ」


 自分達の世界に入り過ぎていた私たちは、管理人さんからの注意を受けた。


 「すみません」

 「すみません」


 私と朝日さんは管理人さんに頭を下げた。

 図書館で騒ぎ注意されていた学生たちを横目に見ていた私が、まさか注意される側にまわるとは。

 なんと末恐ろしい。

 

 「夢野さん、もう出ましょうか」

 「そうしましょうか」


 閑静を乱した私たちは図書館を後にした。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 図書館を後にした私たち。

 依然として、土曜日の大学は閑散としていて視力が上がったのかと錯覚する程、いつもと違った景色が私の瞳に映る。

 頭上の曇が校舎に灰色の影を落とす正午。

 私たちは、幽霊が出没したというC棟に歩を進めていた。


 「朝日さんって幽霊信じるタイプじゃないでしょ?」

 「なんで?」

 「なんでって、朝日さん、幽霊なんて信じてる人はすぐ人に洗脳されて、挙げ句の果てには変な宗教に毒されて多額の借金を、とか思ってそうだし」

 「夢野さん思想強すぎじゃない?」


 笑みを浮かべながら朝日さんは続けた。


 「でも、そうね。

私、幽霊見た事ないから信じて無いかも」


 何気に朝日さんの笑った顔をしっかり見たの初めてかも。

 荒きった曇天から溢れた光のような不意な笑みに私の目は釘付けになった。


 「なに?私の顔に何か付いてる?」

 「いや、何でも無いです」

 「夢野さん、何で急に敬語?」


 フリーズした私の脳が急に敬語を弾き出した。

 人見知り特有の敬語返しが発動してしまった。


 「ケイゴデハナシマスって幽霊に取り憑かれたかも」

 「夢野さん、絶望的にネーミングセンス無いわね」

 「じゃあ、ケイゴデハナシマスヨに取り憑かれたかも」


 私のネーミングセンスは皆無。いい案を絞り出そうとしても、私の岩のように硬い脳では、思考出来ない。

 ジョブズ並みの思考力とアイディアセンスが欲しい。


 「何で、妖怪の名前が確認口調なのよ」

 「じゃあ、朝日さんだったらなんて名前つけるの?」


 「わたし?私だったら、そうね」


 朝日さんは顎に手を添え考える素振りを見せる。


 「アナタノクチョウケイゴニシマスヨ、かな?」


 朝日さんは明後日の方向を向き呟いた。

 

 「それ、私とあんまり変わんなく無い?」

 「うっさい、私こういうの苦手なの」


 朝日さんも苦手らしい。こういう大喜利みたいなのって使う脳みそが違うのかな?


 「閃いた、アナタノクチョウケイゴニシテモイイデスカ、はどう?」

 「夢野さん、それじゃ幽霊特有の恐怖感がないわ。

ケイゴヲツカワナカッタオマエラノハゼンブヌイテヤル、とかどう?」


 朝日さん怖っ、いきなり発想が飛躍し過ぎでしょ。

 あと朝日さんの方が何倍も思想強いと思う。


 くだらない話にうつつを抜かしていると、幽霊が目撃されたというC棟の前に到着した。

 C棟は理学部棟なので、文系の私は普段立ち入る事は無い。

 

 「本当に幽霊が出たのかしら、この建物結構新しくない?」

 「最近建てられたらしいよ、よく知らないんだけど」


 最近建てられた建物とは小耳に挟んだ事はあるが、盗み聞き程度の情報。

新しさの指標は知らないけど、少なくとも私が入学した2年前にはC棟は存在していた。


 「夢野さん、学生が出てきた、幽霊の事聞いてきて」


 1人の女子学生がC棟から出て来た。


 「わ、わたし?」

 「夢野さん、じゃんけんで負けたじゃない」


 まだそれ有効なの?図書館出たら無効かと思ってた。


 「早くしないと行っちゃうわよ、あの人」

 「あっ、急に動悸が」


 正直なとこ動悸がすごい。

 自分から話を吹っ掛けたことなんて記憶にない。

 自分から、話し掛けて拒絶されるのが怖い。


 「ほらほら夢野さんカンバって、ファイト、ファイト」


 朝日さんが私の肩を持ち、前にそっと突き出した。


 でもこれはチャンス。

 今までコミュニケーションを避けて生きて来た私が1歩踏み出すチャンス。

 正直怖いけど今、私の隣に朝日さんがいる様に、どんな形であれ踏み出せば世界を変えられるかも知れない。


 適当な言葉で自分を騙し、それに付随し無理矢理自身の背中を押した。


 「ガンバレー、夢野さん」


 朝日さんの声援が私の背中を前に押し出した。

 必然と握る拳に力が篭もる。


 私は恐る恐る対象の女学生に近づき、遂にその背中を捉えた。

 胸が張り裂けそうな動悸を押し殺し、その背中に声を掛けた。


 さよならコミュニケーションが苦手な私、こんにちは華のキャンパスライフ。


 「あ、あのっ!ゆ、ゆゆゆうれいって信じますか?」


 何言ってんだ私。いざ言葉を口すると緊張で気が動転してしまった。

 脳内の想像と目の前の現実が乖離する。


 『突然すみません。C棟で幽霊が出たって本当ですか?』


 長年のコミュニケーションの欠如により、たったの一文すらまともに言えないとは。

 私のバカ、クソ、ゴミ、一生家に引きこもってろ。


 「え?私に聞いてます?」


 私の声に振り返って、キョトンとした表情で首を傾げた女学生。


 「あ、えっと、は、はい」


 振り返った女子学生と合った目を瞬時に逸らし、地面に語りかけた。

 合った目に語彙力が吸い取られたのか、上手く言葉を紡げなかった。 

 

 「ゆ、ゆゆゆうれいって、信じると思いますか?あなたは」


 緊張を押し殺し、再び声に出すも墓穴を掘ってしまった。

 変な文法、変な日本語、側から見たら完全に頭イッちゃってるヤツだ。


 私にダル絡みされた女学生が不憫で仕方が無い。

 心中お察しします、本当に申し訳ありませんでした。


 「宗教の勧誘ですか?私そうゆうの興味ないんで。

では、失礼します。


 「あの、えっあっちょ、ちょっと」


 私の伸ばした手から遠ざかって行く背中。

その背中を見つめながら、私が目を背けてきた事の重大さを実感した。


 「夢野さん、幽霊いたの?いなかったの?」


 真実を知ろうと駆け寄ってきた朝日さん。

 でも、ごめんなさい。

情報一つも聞き出せない私は、無能営業、置物、ただのオブジェクト。

ただ存在し、スペースを奪うためだけに存在してる人間です。


 「ねえ夢野さん、聞いてる?おーい」


 朝日さんが私に向けている答えを求める視線が痛い。


 「しゅうきょう」

 「しゅうきょう?」

 「宗教の勧誘と勘違いされた」


 「えっ?話の筋が見えないんだけど、幽霊の話よね?幽霊の」


 予想外の答えに流石の朝日さんも戸惑いの色を隠せていない。


 「ごめんさい、ごめんなさい。私はノミ以下の人間です。

いっその事、私を蝋人形にして下さい!!」


 「夢野さん、意外と大胆な行動する癖して、打たれ弱いのね」


 朝日さんの言う通りだ。

問題を先延ばしにし続けた結果、今の私が出来上がった。

 あの時こうしてればなんて理屈はこの世界では通用しない。


 「もう、仕方ないわね、私が聞いてくる」


 このまま朝日さんに任せてしまえば問題はまた先送り。

 『死ぬのやめない』なんて偉そうに言って、心の中に引いた線の内側で停滞し続ける私、凄くカッコ悪い。

 他人に生きるのを強制した以上、私も前に進まなければ、やる気スイッチを押すのは今しか無い。


 「待って朝日さん。私、もう一回、聞いてくる」 

 「夢野さん、大丈夫?また宗教の勧誘に間違えられない?」


 「大丈夫」


 大丈夫、朝日さんとは人並みに喋れてると思う。

そうだ、相手を朝日さんだと思えばいい。

 

 「今から話しかけるのは朝日さん2号。

朝日さんのドッペルゲンガー。

朝日さんそっくりの一卵性双生児の妹もしくは姉。

あ、でもそれだと、別人になっちゃうのか」


 「夢野さん、本当に大丈夫?どこかで頭とか打ったんじゃない?」


 少し遠ざかった女子学生の背中を私は再び追いかけた。

 そしてその背中を捉えに声を投げ掛ける。


 「あの、ちょっといいですか」


 女子学生は私の声に反応し上半身を捻らせた。


 「あっ、さっきの宗教の人」

 

 運気が上がる聖水売ったり、変な石売ったり、幸せ共有したりしないですから安心して下さい。

 

 私は一呼吸を置き続けた。


 「C棟で幽霊が出たって聞いたんですけどほ、本当ですか?」

 「幽霊?あっ聞いた事あるかも知れません」

 「本当ですか?」

 「うん、私のクラスの男子が言ってましたよ。

詳しくは知らないけど、C棟の5階で心霊写真が撮れたって」


 化学薬品を服毒して自殺したとか、実は秘密裏に人口ブラックホールの研究をしていて、その実験の犠牲者とかかも。

 何はともあれ悪霊で無い事を祈るばかり。


 でも、これはチャンス。

平凡平坦な人生を送るより、少々の刺激やトラブルがあった方が楽しいみたいなヤツ。

 つまり、刺激的で非現実的な体験に肝試しは打ってつけ。

 完璧な朝日さんに不足している刺激を補えるかもしれない。

 

 「あ、ありがとうございます」


 何とか情報を得ることが出来た。

 諦め、停滞していた昨日までの私とは違う私。

何かが劇的に変わった訳では無いけど、吐く息が心なしか軽くなったような気がする。


 人間万事塞翁が馬。

皮肉にも、死ぬ為の出会いが私を前進させた出会いに変わった。 

 

 単なる出会いが自分を変えてくれることがある。

 一歩踏み出すことで、ほんのちょっとだけど変わる世界がある。

 理不尽で不確定な未来をこの身で実感した。


 「何回生?私は3回生」

 「に、2回生です」


 「呪われないように気を付けなよ。じゃあね」


 縁起でも無い事を言い残して、足早に歩を進めて行った。

 私は消えてく彼女の背中が風景に滲むまで、その場に立ち尽くした。

 

 「夢野さん、ちゃんと聞けた?」


 立ち尽くしている私の背後で朝日さんの声が聞こえた。


 「あ、うん」

 「そう、幽霊いたの、いなかったの?」

 

 「C棟の5階で心霊が写ったって」

 「心霊写真?怪しい」


 朝日さんが疑問符を浮かべるのも分かる。

 心霊スポットでも簡単に心霊写真が撮れるとも思えないのに、ましてやここは大学。

比較するのは、見当違いだけど、もし本当の話なら何の幽霊なんだろう。


 「朝日さん、当たって砕けろだよ。何か起こるかも」

 「何にに当たるのよ、幽霊って実態あるの?当たるの不可能じゃない?」


 「朝日さん、いちいち細かい」

 「あと、こう言う場合は、当たって砕けろじゃなくて、案ずるより産むが易し、じゃない?」

 「だから、いちいち細かいって」

 

 朝日さんの真面目な性格が会話の所々で垣間見える。

 

 「心霊写真撮れるかも知れないし、行ってみない」

 「勘違いか何かだと思うけど、まあ、せっかくここまで来たし」


 私たちは根拠の曖昧な情報に釣られ、C棟へ足を踏み入れた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 「独特な設計してるわね、この建物」


 C棟は他とは一線を画し、円柱の形をした5階建の建造物。

 中心にある中庭を囲う様に円を描く廊下。

 円を描く廊下に沿って配置されている教室。

 

 「久しぶりに来た」


 C棟に足を踏み入れたのは入学当初以来。

 空きコマ時間、キャンパス内を適当に散歩していた時に入ったのが最後の記憶。


 「写真が撮れたのは5階だったよね、夢野さん」

 「うん、確かどこかにエレベーターがあったはず」

 「じゃあ、さっそく行きましょうか」


 早速、私たちはエレベーターに乗り込み5階を目指した。


 「朝日さんが素直に私について来てくれるなんてなんか意外」


 朝日さんの事だから、『幽霊を探したいんじゃなくて私は早く幽霊になりたいの』なんて言い始めると思った。


 「夢野さん、私をなんだと思ってるのよ」


 表面は輝く月の様に眩しく見えるけど、裏面は月の輪郭すら霞む程の努力と研鑽を積み重ね、皮肉にも積み上げて出来上がった自分に殺されかけた凄い人?


 「うーん、死に急ぎ野郎?いや、野郎じゃなくて娘」

 「誰が死に急ぎよ」

 「喫茶店で必死に死のうとしてたじゃん」

 「そうかもね」

 

 体の力が抜けるような感覚が消え、無機質な声が5階の到着を知らせてくれた。

 嗅いだことのある知らない匂い、澄み切らないガラス、踏み出し響く音は孤独と残響を孕んでいた。

 詰まった空気を吸い込むたびに、遠く流れた時間を、吐くたびに、持ち込んだ時間を交差させた。

 

 音響く先に向かい私たちは歩を進めた。


 「いたって普通じゃない?幽霊の気配なんて微塵もしないけど」


 放たれた朝日さんの声の存在を強く感じた。


 「幽霊も新築に住みたいんだよ」

 「幽霊って自由に動けるの?心霊スポットとかに集まるんじゃないの?」

 「一つの場所にずっと居るって飽きるでしょ?知らないけど」


 朝日さんの前のめりな質問姿勢に強めの好奇心を感じた。

その好奇心を粗末に返すのはなんか申し訳ない。


 「もしそうなら幽霊になってみたいかも」

 「もし、そうならね。電車とか乗り放題だし」


 不規則に定まらない世界で身を揺らし呆けて生きたい。

 妄想の中の私はいつだって淡く、弾き出された水みたいに輝きを孕んでいた。


 私たちは幽霊の気配など一切感じられない廊下を歩き進め、やがて一つの空き教室へ入室した。


 机と椅子が律儀に整列している小教室。

 教室の扉を開くと、籠った空気がしつこく肌に貼り付いた。

  

 「ジメジメして気持ち悪い、夢野さん窓開けない?」

 

 朝日さんが襟の口を開閉し籠った空気を流しながら言った。


 「私もそれ言おうと思ってた」


 澱んだようにぬるい金具に手をかけ、内と外を隔てるガラスをスライドさせる。

 水を打たれたアスファルトのみたいな匂いが、風をつたい乾ききらない教室を切り裂いた。


 「あー、涼しー」


 朝日さんも隣の窓を開け、風を自分に浴びせる。


 「気持ちーー」


 空気がこびり付いた体を光の速度で駆け抜ける風が剥がしてくれた。

 開けた窓の外から漂う生き物の声と宙に浮かぶ水無月の月が私たちに季節を教えてくれる。


 「意外といい景色してるわね」


 窓際に立つ朝日さんが言った。

 大学に私たちだけ取り残されたような景色。

 校舎の背面に見える深い緑が境界線を越え生い茂っている。

 ふと横を見ると、深海に沈んだみたいに朝日さんの髪がゆったりと波打っていた。


 「なんか、心霊スポットみたい」

 「心霊スポットっていうか廃墟じゃない?」

 「確かにそうかも」


 朝日さんの微笑みが6月の不安定な心情を和らげるように淀んだ景色に溶けていった。


 私は開けた窓の側の席に腰を下ろした。

 暫く風を仰いだ後、朝日さんも私が座っている席の一つ前に腰を下ろした。


 「なんか不思議」


 朝日さんの声が揺れる風の音と共に耳を掠めた。


 「確かに。昨日の今頃、こんな未来があるなんて想像できなかったし」


 「未来って不条理よね。

立てた計画なんてちょっとした縁因で一気に崩壊する。

自身の行動だけでは決まらず、されど他者の行動だけでも決まらない」


 右手で頬を突いた朝日さんは壊色濁る曇天を見つめながら続けた。


 「数多の事象が不調和に噛み合い形成される。

だから、想像なんて出来ないし、制御なんてもってのほか。

ロクでもない世界よね、ほんと」


 哀愁漂う朝日さんの横顔は、私たちが世界に魅せるべき顔なんだとそう思えた。


 「でも、それが面白いんじゃない?」

 「確かにそうね。初めから全部分かりきってるよりは全然マシ」


 天気予報を見ないで家を出る。

そんな適当な日に何か起こるかも知れない。


 「心霊写真撮りましょうか」


 振り返った朝日さんがポケットからスマホを取り出し私に向けた。

 

 「えっと、急に?」


 藪から棒に朝日さんが放った言葉に少し困惑した。


 「ほらほら、笑って」

 「えっちょっと、えっ」


 こちらの様子などお構い無しに続ける朝日さん。


 「1+1はー?」

 「・・・・・・」

 「そこは、にーでしょ」


 脳に白い絵具をぶっかけられたみたいに思考するよりも困惑が勝った。


 「もういっかい。えっと、√6÷√12×√8はー?」

 「に?」

 「夢野さん、自信持って」


 今までの朝日さんとは打って変わって積極的。

これが朝日さんの本来の姿なのか? 


 「4x−3=2x+7」


 晴れて完全体となった朝日さんの提案に乗ってやろう。

 私は、口角を吊り上げ答えた。

 

 「エックスはー?」

 「にー!」

 「残念エックスは、ごーでした」


 怖っ、この短時間で朝日さんに何があった?


 「朝日さん大丈夫?呪われてない?」

 「そうかもね」


 朝日さんは微笑みを浮かべて答えた。


 私は朝日さんに向かって塩でも打ち撒けばいいのか?

 大学の購買に塩ぐらいは売ってるはず。

ただの塩で大丈夫なのか、お祓い専用の塩とかあるの?


 「冗談だよ」

 「冗談と真実の境界線が分からないんだけど」


 何が冗談で何が冗談じゃないのかホントに分からない。

でも、ひとつだけ分かった事がある。

 それは朝日さんの笑みが増えた事。


 もし私の行動から生まれた笑みだったら嬉しい、そう思った。


 「今の私ならなんでもできる気がする」

 「夢野さん、急にどうしたの?」

 「理由はないけど、なんかそう思った」


 根拠なんて無いけど空すらも遠く、どこまでも私を風に乗せて飛ばせる気がする。


 「なんでもって例えば?」

 「無愛想な世界を振り向かせるとか?」

 「なにそれ」


 鳴りを響かせ席を立ち、窓の外に顔を突き出した。

 雲翳(うんえい)の下淀んだ空気を肺一杯に吸い込み、黒南風(くろはえ)に乗せ聲を青い世界に放つ。


 「うわああああああああああああ」


 「あと、働きたくないいいいいいいい」


 「それと、傘持ってきてないから雨降らないでえええええ」


 肩を揺らしながら切れた息を補充しながら、朝日さんの方に顔を向けた。


 「ス、スッキリするよ。はあ、朝日さんも、やってみなよ」

 「夢野さん、そんな度胸あるのになんで友達いなかったの?」

 「だ、大丈夫、人居ないから」


 朝日さんはゆっくりと立ち上がり、窓枠に両手を掛け全身を支えた。

 そして頬を撫でる風を吸い込み聲を放った。


 「うあああああああああああああ」

 

 「ちょっと可愛いからって調子なんて乗ってねえよっ。

仕方ないだろ、可愛く生まれたんだからあああああああああ」


 私たちは語らずとも内に多く物を秘めている。


「可愛くないお前らが悪いんだろうがあああああああああああ」


 窓枠に掛けていた両手に力を込め、上半身を


 知らず知らずの内に他人と比べられる不安感。

 才能ある他人を妬み嫉妬する劣等感。

 荒んだうちから無意識に湧き上がる感情や悪言が私たちを更なる奈落へと落としていった。


 「大した努力もしてねえヤツらが、外野からでしゃばって来んなっ。

何もしないで天才でいれるわけないだろうがああああああああああ」


 分かって貰える筈の無い自分を分かって貰えないもどかしさ。

 どこかに落としてきた自分を探す嗚咽混じりの夜

 外野から蔓延る無数の雑音が私たちの視界を汚し足取りを狂わせた。


 「少しは自分の頭で考えろおおおおおおおおお!!」


 粗末で醜く荒んで汚くてロクでもなくて、でもたまに眩しい程に光り輝く私たちの世界。


 「クソやろおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 決して振り向く事などない世界に向けて朝日さんは叫んだ。

 答えの無い答えを誰かに求めて。


 聲を乗せた六月風が野を翔け山を越え国境すら越えて、どっかの誰かに届くことを願って。


 「はぁ、スッキリした」


 朝日さんが乱れた呼吸を整えながら言った。


 「でしょ、意外とスッキ」


 コンッ、コンッ

 

 堅い何かを打つような音が風含む教室に響いた。 


 「なに今の音、幽霊?」


 その時、教室後ろの扉がガラッと音を響かせながら開いた。

 音の方に目を向けると、大学の職員であろう中年の男性が教室に半身を踏み入れ立っていた。


 「大事な会議があるから5階には立ち入るなって教授から伝わってるはずですが」


 そういえばそんな話を昨日教授から聞いたような、聞いてないような。


 「す、すみません」

 

 薄く吹く風に乗せ言葉を飛ばした。


 「君達学年、学科、名前を言いなさい。追って処」

 

 「夢野さん、逃げましょうか」


 掻き消えそうな小声で朝日さんが唐突に言った。


 「う、うん」


 後のことは未来の私に任せ精一杯の力で床を蹴った。

 速度を上げた私たちは教室前側の入り口から廊下へと繰り出した。

 

 「コラ!待ちなさい!」


 ピッチを上げた男性の声が身体を抜き私たちの行く先へといち早く響き渡った。

 曇り空で色褪せた廊下に風を咲かせるみたいに駆け抜ける。

 床を蹴った音が過去を駆けて先の音と共鳴した。


 「階段ってあったわよね?」

 「はぁはぁ、この先にあったはず」


 私は限界を超えた足で床を踏み込んだ。

 頬を撫でる風を仰いだ。

 心だけが先走り、体が追いつかない。

 切れた息に重くなる足、私はジワジワと速度を落としていた。


 「朝日さん、はぁ私に構わずはぁはぁ先に、行って」


 切れた息を殺し朝日さんの背中に吐き捨てた。

 肺の隅から滲んだ血の味が舌を包み殺した。


 風を失いかけの私は心臓の律動に脳を侵される。

 突如、私の前に差し出された手のひら。

 腕をつたい上がると朝日さんと私の視線が合致した。 


 「青春するんでしょ!」


 差し出された朝日さんの細くて長い指先。

 その指の指先を包むように握った。

 

 「うん!」


 朝日さんに乗せられ私はどこまででも、行ける気がした。

 頭に残る心臓の鼓動すら味方に付けどこまでも。

 

 弾むように階段を駆け下り2階で足を止めた。

 

 「はぁはぁ、ここまで来れば大丈夫でしょ」


 息を切らした朝日さんの汗が頬を撫でていた。


 「はぁ久しぶりに、はぁ心臓が痛い」


 舌に染みる血の味に生の実感を感じた。

 暫くこの場に止まり失った息を取り戻す。

 

 「本当に逃げて良かったのかしら?」

 「朝日さんがそれ言う?」

 

 1階へ降りる階段を降りながら笑み混じりの言葉を交わす。


 「それを今言ってもねぇ?」

 「確かにそうね。今言っても後の祭りだし」

 「まさか、朝日さんからあんな言」


 視界に光がさしたみたいに急に目の前が真っ白く染まった。

 夢の中で底が見えない空に沈んでいるような感覚。

 

 「夢野さん!」


 落ちていく空に朝日さんの声が滲んで消えた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 目を開くと視界を覆い尽くす白い天井が広がっていた。


 「夢野さん、大丈夫?」

 「ここは?」

 「医務室よ」


 軋む音と共に上半身を起こした。

 意識を取り戻すとベットの上に横たわっていた。


 「夢野さん急に倒れたからビックリしたわよ」

 「そうだ急に目の前が真っ暗になって、階段からお」

 「落ち掛けたのを私が支えて、ここまで引きずってきたの」

 「ひ、ひきずって?」


 確か医務室はC棟の中にあったはずだけど、そこまで私を引きずってくれたのか。


 「ありがとう」

 「冗談よ、近くにあった担架に乗せて引きずったの」

 「大丈夫?朝日さん死体運ぶ人に間違われなかった?」

 「それはこっちのセリフ、夢野さんこそ大丈夫?急に倒れたから何事かと思ったわ」


 朝日さんのおかげで身体の痛みも無い。

強いて言うなら少し喉の奥が渇くぐらい。


 「大丈夫だと思う」

 「そう」


 突如として朝日さんが手の平の顔に向けて迫ってきた。

 私は反射的に瞼を瞑った。


 額に感じる慣れない感触。

 恐る恐る瞑った瞼を緩ませ目に光を宿す。


 「こんな長い前髪してるから、階段から落ちるのよ」

 

 「え?えっと」

 

 「夢野さん髪上げたら可愛いのに。

今度私が通ってる美容院紹介してあげる」


 「えっあ、ありがとう」


 朝日さんの予想外の行動に困惑した私。

 ふと、朝日さんの顔を見ると目と目がバッチリ合い、そして合った同時に逸らされた。

 

 「今の忘れて、夢野さん」

 

 淡く色づいた朝日さんの頬。

 虫がなくような小声を漏らした朝日さん。 


 「え、えーどうしようかな」

 「なんでもするから!」


 まさか朝日さんを好きにする権利が労せずとも手に入るとは。


 「うーん、そうだなー」


 私は考え抜いた末に一つの答えを出した。


 「じゃあ、私今日タクシーで来たから家まで送って」

 「了解、わかったわ」

 

 複雑に見えていた私の世界は、たった1人の存在で変わってしまう程単純だった。


 体験したことがなかった経験や刺激。

 人生で一番輝いていた私の青春。

 

 眠る前に何度も思い出す、一生色褪せることない記憶。

そして思い出すたびに元気が出る。


 そんな私の私たちの思い出が今日できた。


 『朝日さんのそう思ってたらいいな』

 


 「そうだ夢野さん、来週の土曜日テニスの大会があるから見に来ない?」

 「確か、土曜の午前中は授業が入ってたはず」


 「大丈夫、決勝は午後からの予定だから」


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