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いつか、わたし

作者: 雪野道化

「はぁー、たいくつぅ〜」

 そう言って私は背伸びをした。

「おいおい、勉強が嫌いなのはわかるけど、俺が来てる時ぐらいは真面目にやってくれないか?」

 やや小さめのちゃぶ台を挟んだ向かい側に声の主がいた。

 私の家庭教師だ。

「うるさいわねー。ちょっと休憩してるだけでしょ?」

「あのなー、さっきも休憩してたじゃないか…」

 そう言って『あの人』は苦笑を浮かべる。

 あ、その顔を見るとつい反抗したくなるんだ。

「さっきのは3時のおやつよ。休憩じゃないですー。」

 ほら、困ってる困ってる。

「…同じじゃないのか?」

「私の常識では違うのよ」

「どんな常識を持ってんだよ…」


    ***


 ことの始まりは半年前。

 いつの間にか私の親が家庭教師を斡旋業者に頼んでいた。

 自慢ではないが、私は頭が悪いわけではない。むしろ、テストも学年10番以内を常にキープしている優等生だ。

 宿題だって家に帰ってすぐに片付けて、余った時間で自分のやりたいことをやるし、予習だって…たまにする。

 しかし、親が両方ともエリート大学を卒業しているせいか、半端な大学では納得せず、今よりももっと成績を上げるために私に内緒で家庭教師を雇っていた。

 しかも、よりにもよって『男』の家庭教師を、だ。

 年頃の娘の事を考えると、普通は女の家庭教師を雇うものじゃないの?

 そういう疑問も『あの人』が来た初日に解決した。

 結論からいえば、『あの人』以外は誰も私の家庭教師を申し出なかったのだ。

 別に報酬が安いわけじゃない。

 でも、『あの人』しか…。

 初対面から『美冬ちゃん』ってなれなれしい呼び方をしてきたし、正直最初はあまり好感が持てなかった。

 学習内容も全然普通で本当に勉強に関する話題しかしなかったし。

 面白くない、これなら一人で勉強してた方がまだ気が楽だ…そう思ってた。

 あれは何回目の家庭教師に来た時だったか、私は『あの人』が来る日をうっかり間違えて覚えてて、私は部屋で好きな歌手の曲をボリュームほぼMAXで流してた。

 私の部屋は防音工事がされてるから、周りに音が漏れる心配はない。

 ステレオから流れる歌声に聴き入って、同時に口ずさんでいた時に『あの人』が私の部屋のドアを開けた。

 いや、私が部屋の鍵をかけてなかったのが悪いんだけど、ノックぐらいしない?

 でも、後から聞いた話だとちゃんとノックしたらしい。大音響のせいで私が聞こえてなかっただけのようだ。

 とにかく恥ずかしかった。口ずさんでいた…というよりは熱唱に近かったし、それに流れていた曲はかなりマニアックだったから。

 でも、『あの人』はこう言った。

「あ、これ知ってる。へぇ…いい曲聴いてるんだね」

 え? この曲知ってるの? しかもいい曲?

 私のクラスメイトの中では知っている人はいなかった。それに、聴いても誰も『いい曲』なんて言わなかった。

 その日の家庭教師の時間はいろんな事を話した。『あの人』は時々、勉強を促すような事を言ってたけど、ことごとく無視してやった。

 今更ながら、『家庭教師=勉強する』というのは形式だけで、実際には私が勉強してもしなくても、『あの人』にとってはどちらでも良かった事に気がついた。

『あの人』はここに来ればお金をもらえる。私の成績に関わらず。

ただそれだけの事だから。

 それならば、とことん召使いとして活用してあげよう…と、その時から思うようになった。


「はい、じゃあ今度ここね。数学は公式さえ覚えれば後は簡単だから、基本的な――」

「そんな事はどうでもいいわ。今度、例のグループのライブがあるんだけど一緒に行かない?」

 そう言った途端に頭をかきながら苦笑する。

 仕方ないなぁ…。

「はいはい、分かったわよ。やればいいんでしょ、やれば…」

 私がブツブツと呟きながらちゃぶ台の上のテキストに視線を移すと同時に、参考書をパラパラとめくる音が聞こえる。

 まったく…、何で私に気を遣わせるのよ。


「じゃあ、今度来る時までに、こことここを予習しておいてくれよ」

 学校の授業はからはだいぶ先のところを教えてもらっている。

 それぐらいペースを上げないと受験には間に合わないからだ。

 現役で合格する方が時間の無駄がなくていいかもしれないけど、今が青春の私は『もっと、楽しいことをさせなさい!』と言いたくなる。

「あ、そうだ。あなたの大学の学園祭っていつやるの?」

 そう聞いたら、『あの人』は瞬きを三回した。驚いてるの?

「…一応、美冬ちゃんの家庭教師なんだから『あなた』って言い方はやめないか? 学祭はちょうど今度の日曜日にあるけど」

 そっちの驚きかよ!!

「呼び方なんてどうだっていいじゃない。あなただって勝手に美冬ちゃんって呼んでるんだし」

 そう言うと、眉を寄せて顔を顰めた。

「わかったわよ。新宮貴明(しんみやたかあき)せんせっ!! これでいいんでしょ? で、大学の学園祭ってどんなことするの?」

「…なんか途端に目の輝きが変わったな。あと、別にフルネームじゃなくても――」

「どうなの? 面白いの?」

 私は『あの人』の話などお構いなしに遮ってやった。

「面白いよ。今年は四年に一度の大きいイベントになる予定だし…」

 ここまで言って、『あの人』はしまった!という表情になった。

 なによ、失礼ね。

「じゃあ、私も連れて行きなさい! これ、メーレーだから。召使いなんだからそれぐらいしてくれてもいいでしょ?」

「俺はいつからキミの召使いになったんだよ…」

「細かいことはどうだっていいのよ。男でしょ?」

 いや、どうだってよくないだろ…などとブツブツ呟いている。

「じゃ、当日ここに迎えに来てね? あ、来る前にちゃんと電話入れてよね。いきなりドタキャンなんてなしよ?」

「まだオーケーしてないんだけど…」

 ちぇっ、やっぱりダメか…とそう思った瞬間、

「仕方ないな。じゃあ、ちゃんと支度しておいてくれよ」

 思わぬ一言に私のほうが驚いた。

「えっ!? ホントに連れて行ってくれるの?」

「なんだ、行きたくないのか?」

「行く!絶対行く!!」


 そして学園祭当日。

『あの人』はちゃんと朝から電話してきてくれた。電話する時間帯もちゃんと礼儀をわきまえているのか、九時ちょっと前だった。

「じゃあ、今から三十分ぐらい後に行くから。それまでに頼むよ」

「分かってる!」

 電話口を覆いながら「ふふふっ」と笑みが漏れる。

 でも、その途端に…下腹部に嫌な兆候。それと同時にめまいがした。

 な、なんでこんな時に。予定では来週からのはず…。

 ふらついた頭で何を言ったのかよく覚えてないけど、そのまま電話を切り、重い足取りでトイレに駆け込んだ。

 周期が乱れるなんて初めてだった。もしかして、『あの人』にいい所を見せようと頑張って夜遅くまで勉強してたのが原因だったのかもしれない。

 私は初日が重い。今日、学園祭に行くのは無理だ。

 苦労して自分の部屋に戻り、ベッドに倒れこみながら貧血に苦しんでいた時に、部屋をノックする音。

 どうせ、親だろう。部屋のドアを開けるのも面倒だった私はそのまま「どうぞ…」とだけ呟いた。

「大丈夫か?」

 その声とともに部屋に入ってきたのは『あの人』だった。

 一瞬、なんでこんなに早く来れるの?と思ったけど、どうやらうちの近くの喫茶店で時間をつぶしていたようだ。後から聞いた話だけど。

「具合…悪いのか?」

「ん、そういうわけじゃないけど…ちょっと…」

 女の体のメカニズムを説明しても理解してはもらえないだろう。この辛さが男に分かるわけがない。何より説明するのが面倒だった。

「さっきはビックリした。いきなり不機嫌になって『ごめん、今日はいけない』って言われて、しかも、その後すぐ電話切られたし。俺が何かしたのかと思った」

「…怒った?」

「…少しな。でもこのままだとちょっと納得いかなかったし」

「そう…」

 それっきり沈黙が訪れた。

 いつまでいる気だろうか?という気持ちと裏腹に、私の方から話しかけていた。

 話をしていた方が気が紛れるかもしれない。

「…いつか、わたし、先生みたいな人と結婚して幸せな家庭を持ちたいな」

 普段はこんなことは口にはしないけれど、気弱になると何を口走るか分からないものだ。

 しかも、話が繋がってないからきっと『あの人』はポカンとしているに違いない。

「でも、その前にアイドル歌手になりたい」

「そっか、でもアイドル歌手の前に大学受かってくれよ? 俺が来てる意味がなくなるからな」

 私は目を閉じた。

「じゃあ、これで俺は帰る。明日も学祭あるけど、平日だし美冬ちゃんは学校に行った方がいい。…お大事にね」

 パタンとドアが閉まる音。私はそのまま眠りに落ちた。

 結局、体調が良くなったのは夕方近くだった。


 それからしばらくして、さんざん親とケンカしながらも、なんとか説き伏せて行ったオーディションの合格通知が来た。

 親は同意する代わりに、『あの人』の家庭教師を受け続けることを交換条件として出してきたが、私に異存が有るわけはない。

『あの人』と会う時間は私にとっても楽しみだったからだ。それに付随して成績も上がっている。


    ***


「よし、じゃあ今日はここまでにしよう」

 そう言うと『あの人』は立ち上がり帰る支度を始めた。

 もう帰っちゃうのか…それを敏感に感じ取ったのか分からなかったけれど、私の方を振り向いた。

「あ、よかったら今度一緒にどこか行かないか? ちょっとした気分転換になるかもしれないし、前に学園祭連れていく約束破っちゃったし」

「な、なによ。デートの誘い? ふ、ふん! どうしてもって言うなら行ってあげてもいいわよ」

 学園祭の時の事なんてすっかり忘れていたこともあったが、『あの人』から誘われたことに対して私はかなり動揺していた。

「どこに行きたい?」

 私の動揺を見透かしたように薄ら笑いを浮かべながら聞いてきた。

 経験の差というべきか、とにかく悔しい…。

「え、えっと…あ、そういえば雑誌で水族館の特集やってたんだ。今、人気があるらしいしそこに行ってみたい」

 正直に言うと、変な所じゃなかったらどこでもよかったけど、昨日見た雑誌がふと思い出されたので口にしてみた。

「分かった。じゃあ、また連絡する」

 そう言って、部屋から出て行った。

「…やったぁ〜!!」

 防音工事されてるから少しぐらい大声をあげても聞こえない。

 私は今度のデートで、『あの人』にオーディションに合格したことを話し、『家庭教師と教え子』という関係を終わらせようと決意した。そして、告白と少しの間のお別れを…。


 ねえ、いつだったかあなたに話した内容、覚えてる?

 いつか、わたし…。

                                 (fin)


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