罪悪感
白い壁にクリーム色のカーテン。白いベッドに白い布団、ベッド柵までもが白。白の中に包まれている彼女だけが、この中で唯一色彩を放っている。無機質な機械に繋がれて。
彼女の名前は柴崎晴香。俺の恋人だ。
晴香が眠る部屋に、開いている窓から秋の涼し気な風が吹いてくる。晴香はこの風を感じているのだろうか。それすらも確認出来ない。名前を呼んでも返事が返ってくる事もなく、手を握っても握り返してくれない。ただ、そこにいて眠っているだけだ。
晴香は、交通事故に遭い病院に運ばれたが意識不明になってしまった。先生からは「遷延性意識障害」と診断された。このまま目覚める可能性は少ないだろうと言われた。晴香の家族は嘆き悲しみ、俺は呆然としていた。今は家族以外面会は許されていないが、俺は恋人だった事を理由に特別に許可されている。俺には会う資格も無いのに、家族の厚意で面会させてもらっている。
事故の原因は俺にあるのに。
事故は半年前だった。俺達は付き合って6年になるのに、最近はすれ違ってばかりだった。晴香は結婚したがっていたが、俺の仕事が落ち着かなかった。事業拡大で人員が大幅に増え、新規の取引先も増えた。その対応に追われており、なかなか晴香との時間が取れなかった。だが、最近やっと仕事も落ち着き時間に余裕が取れるようになった。これ以上すれ違うのは嫌だったので、俺は晴香にプロポーズしようとしていた。
付き合った記念日にプロポーズしようと、指輪も用意していた。記念日にデートに誘うと晴香はとても喜んでくれた。前から晴香が行きたいって言っていたレストランに行こうと約束し、晴香はその日を心待ちにしていた。俺は、プロポーズが成功するようにと会う前から緊張していた。デート当日、ディナーの時に渡そうと思っていたが、行こうとしていた店が急遽休みだった。
「………ごめん、休みになったの知らなかったわ」
俺はすぐ謝った。来る前にサイト等で確認しておけば良かったのだが、それをしなかった。怒ってるかなと思い、隣に立つ晴香を見るとやはり不機嫌になっていた。
「……最悪。予約とかしてなかったの??」
「してなかったわ。混む時期じゃないから予約しなくても平気だって思って」
「予約しておけば『休みになります』って連絡来たかもしれないじゃない。………楽しみにしてたのに」
唇を尖らせながら残念がる晴香に、申し訳なさが溢れ、他の店にしようと近くの店を探す。
「晴香、近くに良さげな店あるからそこに行かない??」
「何のお店??」
「スペイン料理の店なんだけど……」
そう言うと、晴香は盛大に溜息を吐いた。
「……気分じゃないけど、まぁしょうがないわね。そこにしましょ」
渋々俺の提案に乗った晴香だったが、正直俺は少しイラついていた。俺が悪いのは承知だが、せっかく代替案を出したのに文句を言わないでほしかった。
そんな気持ちは出さず、目的の店まで向かおうと晴香の手を取り歩き出す。移動中も晴香は口もきかず俯いて歩いていた。
「なぁ、悪かったって。機嫌直してくれよ」
「…怒ってないもん」
「いや、明らか怒ってるじゃん。休みなのはしょうがないだろ」
「だから予約しとけば良かったじゃん」
「過ぎた話をされても謝罪しか出来ないよ。店が無くなった訳じゃないんだから、また次に行けばいいだろ」
「今日はあの店の気分だったの!!」
そう言うと、繋いでいた俺の手を振り払った。そして、その場に立ち止まって話し始める。
「裕也がちゃんとしてくれれば、こんな気分にならなかったのに」
「だから悪かったって言ってるだろ」
晴香の言葉に俺もついムキになってしまう。落ち着けと頭では思っても口は止まらない。
「謝ったし、代替案も出した。それなのにまだ文句言われる筋合いはないな」
「文句じゃないでしょ??ちゃんとしてって言っただけじゃん」
「それだよ、ちゃんとってなんだよ。代替案出した以上の事は現状では出来ないし、次行こうって言ったじゃん」
「次も休みだったら??」
「次は予約取るし、今日と同じ結果にはしない。それは約束するから。それでもまだ不満??」
何を言っても晴香は納得しないようで、俺も思わず溜息を吐いてしまった。
せっかくの記念日なのにこんな事で喧嘩したくないのに。晴香はこれ以上機嫌が良くなりそうにないので、今日はやめようと提案しようとしたその時。
「………だよ」
「え??」
晴香が何か言ったが、俺には聞き取れず聞き返す。
「そんな感じだから仕事も余裕無くなるんだよ!!」
「………は??」
「先の事とか、『もしかしたら』とかそういう事を考えないから、余裕無くなって私と会う時間も取れないんでしょ!?」
「なんでそこで仕事の話になるんだよ。時間取れない理由は説明したし、晴香と少しでも会えるように頑張ったのに。そんな俺の気持ちは考えないのかよ」
思わず口調が強くなってしまうが、仕事の事まで今口論する事では無いのに、言われて腹が立ってしまった。
「……晴香お嬢様のお気に召さないなら、今日は解散にしますか??」
「えっ……」
俺の皮肉を込めたお嬢様呼びと、解散の言葉に晴香はその目に驚愕の色を浮かべる。
「せっかくの記念日なのに、そんな事言われたら俺だって気分じゃ無くなる。デートは仕切り直しにして、ご希望の店がやってる日に改めてデートしよう」
そう言って、俺は晴香に背を向けて帰ろうとする。
「ま、待ってよ!!……え、ほんとに帰るの??」
晴香は慌てて俺の後を追って来るが、俺は歩みを止めない。
「気分じゃないんだろ??だったら、違う店でご飯食べても意味無いじゃん」
「………っ!!そんなの店に行ってみないと分かんないじゃん!!」
「分かるよ、晴香はそうだもん。目的通りじゃないと他に行っても機嫌良くなる事はほぼほぼない」
これまでもそうだったから、経験から伝えると晴香は唇をワナワナと震わせながら怒る。
「そんな事勝手に決めつけないでよ!!今回は違うかもしれないじゃん!!」
そう言いながら、俺の腕を掴む。そこで足を止めれば良かったんだが、俺も機嫌が悪かったので思わず腕を振り払ってしまった。
「悪いな、今日はお開きだ」
俺に拒否されたのが余程ショックだったのか、そのまま晴香は固まってしまった。
「晴香の気持ちが落ち着いてからでいいから連絡してよ。その方がいいだろ??」
「……そこは裕也から連絡してくるべきなんじゃないの!?」
俺に近付き、詰め寄りながら言うが俺は「それは違う」と言う。
「晴香の気分が乗らないから、今日はお開きって事になったんだ。そしたら晴香の気分が乗る日じゃないと、また同じ事になるだろ」
「そこは彼女の機嫌を取る彼氏の役目でしょ!?」
「あのなぁ、いい大人なんだから自分の機嫌くらい自分で取ってくれ」
そう言うと、俺は晴香から距離を取ろうとまた歩き出すが、晴香に「待って!!」と再度腕を両手で捕まれた。だが、俺も思わず先程より強く晴香の腕を振り払ってしまった。場所も悪く、路地と歩道の境目だったので晴香はそのまま道路に出てしまった。勢いが良すぎたのか、ガードレールも無かったので晴香は車道に倒れ込む。
「晴香!!」
慌てて晴香に駆け寄るが、タイミング悪く猛スピードで車がやって来た。俺が手を差し伸ばすよりも先に、晴香は車の下敷きになり轢かれてしまった。そして倒れた晴香の姿が見えなかったのか、その後立て続けに2台後続してきた車にも轢かれてしまった。真っ赤な血を流し、ピクリとも動かなくなった晴香に駆け寄るが晴香の息はどんどん小さくなる。
「晴香、しっかりしろ!!」
晴香を轢いた3台の車の運転手は、逃げようとしていたが、周囲にいた通行人達に止められており、近くにいた人が救急車を呼んでくれていた。10分もせずに救急車と警察がやって来た。晴香はすぐに搬送してもらい、俺は事情聴取された。
1時間もせずに警察から解放され、晴香が搬送された病院に向かう。そこには晴香の両親も既に来ていて、治療が終えるのを待っていた。さっきまで晴香と一緒にいた俺は頭を下げて謝罪した。両親は俺に「顔を上げてくれ」と言うが、俺は上げれなかった。俺が腕を振り払わなければ晴香は轢かれなかったかもしれないから……。
事故から半年経っても晴香は目覚めない。このまま回復の見込みはないから、晴香の両親からは諦めて他に良い人を探して幸せになってくれとも言われた。
でも俺は、晴香に謝罪もしてないのに。まだプロポーズもしていないのに。俺だけ幸せになる訳にはいかない。
晴香が目覚めるのを待ち続けているが、このまま目覚めないでほしい思いもある。
事故の原因は晴香が転んで轢かれた事になっている。だが、晴香が目覚めたら俺が腕を振り払ったからだと言うだろう。
俺はそれを恐れている。
恐れるくらいなら、晴香の前から姿を消すべきだ。だが、俺には逃げる勇気も無ければ真実を話す度胸もない。
俺はいつからこんな臆病になったのだろう。
週に3回、仕事の休憩時間や帰りに面会に来るが目覚めてない晴香に安堵している最低な俺がいる。晴香の見舞いに来て、最低な考えしか出来ない俺がどんどん嫌いになる。
いっそ晴香がいなければいいのに。
そんな事さえ考えてしまい、俺は頭が可笑しくなったんじゃないかとも思った。実際、この半年で痩せ衰えた。周囲の人からも心配されているが、どうにもならなかった。晴香への罪悪感なのか、それすらも分からなかった。だから、俺は確かめようと晴香の眠る病室へ今夜も足を運んだ。
面会時間ギリギリだったが、なんとか滑り込んで晴香と会う。静かな病室には晴香に繋がれた機械の電子音と外から聞こえてくる車の音が響く。何度も「晴香」と呼んでも返事が返ってくる様子はない。晴香を見ていると胸が締め付けられるように苦しい。俺の不調はやはり、晴香への罪悪感なんだろう。つまり、晴香がいなければ俺は平穏になる。
俺は、俺の平穏を取り戻そうとしているだけだ。
そう自分に言い聞かせる。
そして、晴香に繋がっている人工呼吸器に手を伸ばした。
目を瞑り、静かにスイッチを切った────




