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中綱湖妖奇譚

作者: 新川峰生

丸尾と須賀の凸凹コンビ。今回は信州中綱湖で怪異に出合う。



中綱湖妖奇譚


1


 紅葉は僅かに盛りを過ぎているかに見えた。

 蒼すぎる空。午後に入り、小さな積雲が流れてきては陽を遮る。

 その度に木々は色褪せ、僅かな時間に機嫌を取り戻す。


 丸尾満は少しがっかりしていた。

 アンノン族や、るるぶ族の若い女性が紅葉を求めてうろうろしていると思っていたのだ。


 あるいは、青木湖や、木崎湖に行けばとも思った。しかし、あずさ3号が松本を出て大糸線に入る頃には、既に中年以上のオヤジトレッカーばかりが、車両に点在していたのだ。


 中綱湖。

 仁科三湖の真ん中の湖。

 だが、あまりにも小さい。どう見ても池か沼だ。


 同行した須賀は三脚を立て、13:45くらいに通過するであろうあずさ55号を待っている。

 丸尾は湖の周りを歩きつくし、紅葉を中心とした風景を無駄にたくさん撮って、退屈している。

 須賀があずさ55号を撮影したら、とっとと松本に戻って一杯やりたいのだが、簗場に次に停車する上り列車は16:09までないのだ。


 足元に、道祖神がある。

 かなり古びた相体神である。

 ほかの道祖神には供え物が有ったり、春の祭りに着彩された痕跡が有ったりするのだが、この相体神には信仰された跡がない。


 しかし、可愛い顔をした男女の神が幸せそうに寄り添っている。

 丸尾は、中年の部類に入るまで、そういう幸せとは無縁だ。

 だのにキレイなねーちゃんを求めて今日も誰もいない信濃の外れの湖まで来ている。

 そして、外れた。


2



 悔しくて、幸せそうな道祖神に八つ当たりする。

 ボレーキックを見舞う。


 痛い。


 少し飛び跳ねてから、

 自業自得を逆恨みして、小便をふりかける。


 心身ともにすっきりするのは、丸尾の下品な本質だろう。

 

そうこうしている間に、あずさ55号が通過していった。

 すぐに須賀が撤収を開始したのは、うまく撮れたからだろう。


 駅前の民宿食堂は、店を閉めていた。

 だが、駅から電話をかけてタクシーを呼んででも、この地味すぎる湖から離れたかった。


 須賀と合流すると、須賀に他に撮りたいものがないことを確認して、駅に向かうことにした。

駅までせいぜい250m。丸尾は須賀の前に立ち、歩きはじめる。


雲行きが怪しくなる。

さっきまでの蒼い空が濃い灰色の雲に覆われ、夕立が来そうだ。

稲光が、すぐ近くの杉に当たった。血液が痺れを感じる。

バリバリバリと言う音なのだろうか、大音響とともに、高さ10mはありそうな杉が真っ二つに割れる。

同時に雹が降り出した。降るというよりも乱射だ。

落雷が怖いが、木の影も、道も、安全ではない。

もはや視界もさだかではない。

「おい、10月だぜ」

「異常気象とは聞いていたけどこれはないよな」

 表に当たった腕が、赤丸に腫れている。

 須賀の機材は重いが、丸尾は持ってやろうともせず、駅と思われる方向に走っていく。


3



 おかしい、いつまで走っても簗場駅も、国道148号線もない。その手前の登り坂にすらたどり着けない。

「まさかと思うが道に迷った」

「丸尾は秩父でも道に迷ったからな」

 苦笑しながら、須賀が携帯のナビを見ようとする。


 作動しない。

「電波が届かないほど田舎だったっけ?」

「………」

 雹は雪に変わり、激しい吹雪になった。

 何かに躓いて、丸尾が転ぶ。


「いでっ」

 転んだ手前を見ると、さっきの小便をかけた道祖神。


 つまり………

 これは、おれのせいか。


 須賀に知られてはまずいから、口には出さない。

「この道祖神があるということは、おれたちはさっき合流した場所から、12m山に近づいたことになる」

「そんなバカな!!」

 須賀は理知的な合理主義者である。

 海上自衛隊の護衛艦の機関長として、常に的確な仕事をしている。(と、思う)


「道祖神の向きからいうと道はこの方向で、少し左にカーブして、あとは真っ直ぐ120mほどで、国道にたどり着くはずだ」

「それは確かだろうが………」

 完全に辺りはホワイトアウトしている。

 どこか、屋根のある場所に移動しなければ、凍死する可能性が高い。


4



 だが、原因が自分の立小便であり、この道祖神だとしたら、この世のものではない存在によって、既に空間は歪められ、結界に取り込まれている可能性が強い。

 つまり、この道祖神に依っている存在をどうにかしないと、脱出はできない。


 積雪は既に腰まで来ている。

「雪穴を作るか」

 須賀がサバイバル訓練の経験を生かして、方策を出した。

 もしも丸尾の推測が当たっていれば有効とは限らないが、下手に動くよりはましかもしれない。

 少なくとも、作業によって体を動かして、凍死を防ぐことにはなるだろう。


 しかし、スコップなどがあるわけではない。手掘りだ。

 雪はサラサラの粉雪。圧力をかけてもなかなか固まらない。


 幸い、丸尾はタフネスで、須賀は異常にパワフルだ。

 少しづつだが周りに雪の壁を作り、形が出来ていく。

 だが、それ以上に気温は低下し、丸尾も眠気を催してきた。

 ドサッ!!

 須賀が倒れた。

「起きろ!!、眠ったら死ぬぞ!!」

 二枚目で長身でモテる須賀を、ここぞとばかりにひっぱたく。


 だが、須賀は通常でも寝落ちたら、1時間半は起きない。


「ふふふふふふ」

 どこからともなく笑い声が聞こえた。

「人間だ。ミーリン眠ったほうから食おう」

「兄さん、この人は巻き添えになっただけ。こっちの無礼者だけ食べましょ」


5



 うすぼんやりと霊体が見えてきた。

 物質化していくらしい。

 かなり古い人霊が、妖怪化したものだろう。

 人の魂を食物とするらしい。


 しかし、夫婦、恋人ではなく兄妹で双体神か。


「それはそうだが、まず、仲間を食べて、後悔と恐怖におののかせないと美味くないからなぁ」

「兄さん、ダメ。王家の血を引く私たちが、そんな下賤な心を持っては」


 かなり物質化が進んだ。

 どうやら、妹の方は美しい少女のようだ。

 兄は、勇猛な武人らしい。


「小便を引っかけたことも、蹴飛ばしたことも、謝るよ。命乞いはしないけど」


「こいつ、怖がってないぞ」

「下品な人間にしては変ね」


「まぁ、できたら須賀は見逃してやってほしいけどね。兄さんの方ほどではないかも知れないが、それなりの船乗りで勇者だ」


「船乗りか」

「ああ、現在のこの国の水軍の勇者だ」


「ふ、ではお前から食ってやろう」

「兄さん、おいしかったらわたしにも分けてね」


 腹は本当に減っているらしい。


6



 丸尾には霊感はある。

 だが、訓練はしていない。

 この怠け者に霊的な修行など不可能だ。

 ただ、何者かに護られている。

 その代わり、何かに使われている。

 どうやら中途半端な地縛霊や浮遊霊の黄泉に通じる穴として使われている可能性が高い。


 そう、ただの穴だ。

 だが、もし、まだその役目が残されているなら、丸尾は、ここでも死なないことになる。

 少なくとも、自分のような生活力のない、いい加減な生き物が、何十年も生きていること自体が不思議で、穴の役目としか思えないのだ。


 その、一点しか、丸尾には、食われても生き延びる論拠がない。


 更に、丸尾には、恐ろしく無駄な雑学がある。

 人様の役に立たない無駄な知識だけは大量に有り、それが、直感的な発想力とつながって、時々異常な分析力を発揮する。


「王子様にお姫様かい」

「そうだ下郎」


「この辺りも安曇の土地だったはずだが、魏とか漢の者とは思えないな」

「大伽耶の中の小さなクニだ。この奥のムラとそんなに変わらん。皇子と言うほどの者でもないさ。ただ、今は腹ペコの人食いだ」


「1800年も人の魂を食っていたのか」

「ふ、下郎。口が立つな………お前などが知る必要もないが、そのカラ度胸に免じて、少し話してやろう」


7



「伽耶の辺りの小さなクニでは、王家の次男とか次女は不幸でな。15歳までに跡継ぎの長男が死なない限り、クニの守り神として、国境に生き埋めにされるのだ。当たり前のことなので、ほとんどの次男は当たり前に、抵抗もせず埋められる。

 もちろん、守り神になんかなりはしないよ。ほとんど相続争いのもめごとを起こさないための間引きで、それをもっともらしくするこじつけなのさ。

 俺も自分が死ぬことには何の疑問も持っていなかった。ただ、妹は………かわいくてなぁ。意地の悪い姉に恨みもあったし、姉を刺殺したんだよ。

 結局、俺だけじゃなくて、怪しいという理由だけで、妹も巻き添えになって」

「どうせ、埋められるんだからおんなじだと思うけど………」

「守り神にはなれなかったけど、存念はあって、鬼になってしまった。幸せそうな長男、長女を片っ端から食べまくったよ」

「お姫様も食べたのかい」

「うん、兄さんがすることなら全部真似してきたし。………おいしかったし」


「ある年に、新羅と百済が同盟をして、攻め込んできたんだ。そうなると、急にクニの味方に変わるんだなぁ。敵軍を片っ端から、迷わせて皆殺しにしていったが、多勢に無勢、クニは滅んだ」

「それなりに守り神の役目はしたのよね」

「守り切れなきゃ神でも何でもないさ。ところが、その時の王がクニの人間を置き去りにしてヤマトへ逃げた。今の天皇家の先祖だが………。ずっと取りついて、ことあるごとに護ったり、食ったりしていたんだが、千百年ほど前に、安倍清明って奴がいて、都を追われたんだよ。流れ流れてこの谷に来た。この谷には力が漲っていた。住んでいるのも、海を渡ってきた人間の流れだから、肌も合ったし、美味かったし。まぁ、気に入った場所だったんで、悪さをする人間だけを食べていたんだが、結構悪い奴は多くて、ひもじいことは無かったなぁ」

「うんっ」

「ところが今度は播隆とかいう坊主がたまたま来て、あの道祖神に俺たちを封じ込めたってわけさ。それからずっと石の中にいた」

「よく寝たわ」

「先月、石仏なんかを専門に盗んで歩いている泥棒が、この道祖神を掘り出して、持って行こうとした。さすがに空腹だったんで、何も考えずに喰っちまった。それでこんなところに落ちてたのさ」


8



 同情できるようなできないような………。

 しかし、丸尾も心身ともに喰われた経験はない。

 痛そうだとは思う。


「さぁ!! いただくぞ!!」

 頭からばくっと、そう、いきなり人間の顔が蛇のように口を開けるんだもんな。

 びっくりするぜ。

「兄さん。あたしの分、ちゃんと残してよ」


 んぐんぐんぐ………、んぐんぐんぐ………。

 この人食い、やはり肉食だけあって、口が臭い。たまらん。


 しかし、もっとたまらないのは、この人食いの方だろう。

 丸尾は確かにデブだが、身長は165cm。90kg。

 肉体を食べるならそんなにデカ過ぎるわけではない。

 もともと、結界内で、霊体として囚われていたらしい。そうでなければ、会話すら出来なかったろう。いや、人食いも、会話できた時点で、丸尾を警戒するべきだったかも知れない。


 丸尾は、臭いから逃れるべく、更に自力で人食いの中に這いずりこんだ。

 ああ、あろうことか、まるで同じ魚を呑みこんだ深海魚のように、人食いの腹は膨れ、丸尾の形が更に膨らんでいく。


「た、助けてくれ!!」

「に、兄さん!!」


「な、何者だ!!」

「穴だ。そして、自分という穴の中に何者がいるのかは、ぼくも知らん」


「た、助けて、お願い………」


9



 まさに人食いが破裂して果てようとするその時、光があふれ出た。

「か、神様」

 おそらく神的な存在であろう。


 丸尾は、べとべとになって再び雪の中に吐き出された。

 人食いは、気絶しそうになり、

 その妹は、その上にかぶさり、守ろうとしてしがみついている。


「どうやら、凄いお方が居るらしい」


 意識を回復した人食いは、恐怖に震えている。

「怖がらなくてもいいさ。ぼくよりはやさしいお方らしい」

「赦して下さい。赦して下さい………」

 兄妹揃って手を合わせている。


「さて、とにかく、結界から出して、須賀を回復してくれないとなぁ。それから、君たちこれからどうするんだ」


 まさか、人食いを続けるわけにも行かないだろう。

「私は、行くところに行きます」

「ん?」

 丸尾は自分の腹を指さした。

 人食いはうなづいた。

 丸尾は、視線を妹の方に向けた。

 本当にかわいらしくて、美しい。

 だが、その視線は、気絶した須賀の横顔に釘づけだ。

 またか………

 二人で行動すると、女性のほとんどが、須賀に吸い寄せられる。

 丸尾も、おこぼれ狙いで付き合っているようなところもあり、仕方がないのだが、おこぼれは、丸尾を非存在にどこかに去っていく。


10



「あたし、このひとといたい」

 人食いの顔に恐怖が走り、丸尾の顔を伺った。

「いいんじゃない。とりつきなよ」

 丸尾は、ちょっと意地悪な笑顔を浮かべた。


「でも、いいのかい? 兄さんはこんなかわいい妹と別れて」

 ………

「仕方がありません。妹には、今の時代でいう初恋らしいです。どちらにしてもあちらに行けばもう、この世の記憶はないと聞いております。丸尾様、妹をよろしくお願いします」

 お願いされても、丸尾に自力の霊力などないし、指をくわえて見ているしかできないのだけれど。


「兄さん」

「シナラ………」


「それでは」

「その前に名前を聞かせてくれ」

「失礼いたしました。ヒルコと申します。では、丸尾殿、よしなに」

 括目すると、丸尾の胸に突進した。

 そのまま、丸尾の中に飛び込み、かき消えた。

「兄さん………」

 シナラはつむった眼から涙を溢れさせると、須賀の唇に口づけた。そのまま、やはり、かき消えていった。


 辺りは、美しい安曇野の晩秋に戻っている。

「うう………」

 須賀が目覚めた。

「さ、行こう」

 丸尾は何事もなかったように、須賀に声をかけた。


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