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03-08:もどかしく、それでも応援したくなるような

 (これまでのあらすじ:魔王討伐作戦は翌日に迫る。赤の従徒であるリコは、人知れず神殿を抜け出し……?)


 早朝。鶏すらも鳴かぬ薄闇の中。


 ライダースーツを着たリコは、神殿の三階。

 歩みは慎重に。物音を抑えながら、バルコニーへ。

 

 リコはつまるところ、神殿から脱走を企てていた。

 彼女には、極めてよくあることだった。


 朝を待てば、わざわざ脱走など企てずに自由に動けるのではないか? と思われる読者も居ることだろう。


 そうもいかない事情があった。

 彼女が行おうとしているのは、密会。


 端的に言えば、アドラムとのデートである。

 

 ここは神殿。信徒のルーティンは、厳格だ。

 赤の神子と言えど、規則に従えば九時まで自由行動は出来ない。

 

 だから、脱走するのだ。


 彼女は警備兵の巡回ルートを完全に暗記している。慣れたものだ。

 バルコニーから地面を見下ろせば、幾つもの拘束ブービートラップが仕掛けられていることが分かる。


 安全であるはずの城壁内。その神殿にある罠は全て、脱走が日常茶飯事と化したリコを捕らえるためのものである。


 リコはまず、バルコニー直下の床を確認。

 足元には罠なし。舐められたものだ。


 手すりに、持参していた鈎縄を引っ掛ける。

 巻き上げ機構、回収機構の付いた高性能アイテムだ。エンチャントの類はなし。

 少々揺らしても外れないことを確認。何度か試した限り、強度も問題ないので準備よし。


 短く息を吸い、鈎縄を頼りに身を乗り出す。

 悠長にしてはいられない。あまり一つのポイントに長居すると、衛兵がやってきてジ・エンドだ。


 縄を伝い、急いで降りる。

 この世界に来てからは体を動かす機会ばかりだ。体型も引き締まった。

 もし、元の世界に戻れるのならば、ボディメイク系配信者にもなれるだろうか。なる気は一切ないけれど。

 降りつつ、改めて罠の有無を目視で確認。問題なし。


 残り一メートルの時点で縄から手を離し、しなやかに着地。

 鈎縄のもう片端に付いた、簡素な仕掛けを起動して回収。拡張の魔法が掛けられた鞄に押し込む。


 とはいえ、ここまで来れば後は走るだけだ。

 姿勢を下げ、足音を消し、罠を避けながら闇に紛れて敷地の外に向かう。


 見るものが見れば、怪盗やスパイを彷彿とさせることだろう。


 脱出まで後五メートルというところで、正門に衛兵が立っていることに気づく。

 彼は律儀にも、周囲を見回している。この気合の入りようは、新人か。


 あえて走らず、歩くことにした。

 少し、からかっておこう。


 「やっほー、新人くん」

 気さくに声を掛け、肩を叩く。


 「はえっ!? 赤の従徒様ですか!?」

 彼は即座に敬礼。生真面目さが伺える。


 「いい敬礼だね。じゃあ、私はこれから街に行くから、これで」

 「はい! お気をつけて!」

 もう一度肩を叩き、さしたる衝突もなしに門を通り抜ける。

 同時に、道路の向こうから一機のバイク型機械種族(ディータ)が走ってきた。

 

 「ナイスタイミング、ツィークル」

 ニヤケ顔を隠しきれない。あまりに作戦が上手く行き過ぎたのだ。


 ヘルメットを被り、シートに座る。

 ツィークルと呼ばれた機械種族(ディータ)はブオンとエンジンを鳴らし、ひとりでに動き出した。


 神殿は、少しずつ遠ざかってゆく。

 間抜けにも手を振る新人衛兵に、手を振り返す。


 脱走、完了である。


 「あの子、多分日が昇ったら相当詰められるよ。私に《ポリモーフ》が掛かってたらどうすんのって」

 「貴女も脱走慣れし過ぎですよ」

 

 他愛ない会話をしながら、目的地へ移動する。

 ツィークルの速さなら、十分もかからない。

 何よりこの時間帯は、他の車の量も知れていた。


 「ガーネット通り一丁目。ちょっと早く来すぎちゃったかな」

 未だ閑散とした、大通りの路肩にツィークルを止める。


 このあたりは、治安もいい。

 研究開発部(R&D)や、社会統計部を始めとした官公街。

 官邸城のような高貴な雰囲気はないが、この国のエキスパートが集うのだ。必然的に、澄んだ空気ともなろう。


 「変装、済ませちゃうか」


 物陰に隠れて、鞄から伊達眼鏡と狩猟(ハンチング)帽を取り出し、装着。

 ついでに、ライダースーツを隠すように薄手のコートを羽織る。


 これで十分か。

 もしかしたら、探偵のように見えるかも。


 表通りに再度戻る。

 ツィークルは、すでにどこかに走り去っていた。

 リコと一緒に居ないときは、個人タクシーのような仕事をやっているらしい。


 「待たせたか」


 遠くから、よく通る声。

 ボロのマントに身を包んだ背の高い彼は、砂色の髪。眼帯を装着している。

 熟練の冒険者と言われても、違和感はないだろう。


 暑いシュヴェルトハーゲンだというのに、膝丈のブーツと厚い革手袋をいつも着けている。皮膚には竜人族の血筋の証が秘められており、それゆえ彼は肌を隠す。


 「おはよ、アドラム。私も丁度来たところ」

 「そうか」


 差し出されたアドラムの手を取る。

 手袋の上からでも分かる、がっしりとした手を。


 「朝食は摂ったか?」

 「まだ。気づかれず神殿の厨房まで行くのは、流石に無理だよ」

 「そうだったな」


 自ずと、二人の足は冒険者ギルドに。

 食事が目当てだった。


 カラコロとドアベルを鳴らし、ギルドの門を開ける。


 「いらっしゃ……い……!?」

 受付の竜人族が二人の姿を見て、固まった。

 

 バレている。これでは、変装の意味がない。


 次の言葉が出る前にリコは己の唇に人差し指を当て、静かにするよう牽制した。

 

 「朝食を摂りたい。二人で二十シェル。足りるか」

 「そんな、畏れ多いですよ……! 王様から代金はいただけませんぜ!」


 突き返そうとするが、アドラムはあえて銅片を握らせた。


 「三点、意図を汲み取ってほしい。まず、俺は王ではない」

 「は、はぁ……」


 言葉を続ける。


 「その二。俺は、プライベートで来ている。そして、最後に。俺には、この国の経済を回す責務がある」

 受付が、乾いたつばを飲み込む音がした。


 「代金を、受け取ってくれるか?」

 「あ、ありがとうございます……!」


 リコの元に戻ってきたアドラムは、フッと息を吐いた。


 「ロイヤルガードが居ないと、代金を払うのにも一苦労だ」

 「でも、堂に入ってたよ」


 手頃なカウンター席を探し、座る。


 「何年経っても、王扱いには慣れん。ガタガタだった内政を立て直した結果、逆に王位の継承を望む声が増えてきた」

 「皮肉だよねえ」


 二人の前に、よく冷えた水グラスが置かれる。

 柑橘で香り付けがしてある。サービスで出す類のものではなかった。


 「慕われているのは分かるが、複雑な気分だよ」

 「経緯が経緯だしね」

 結局、アドラムは「ここでこういう話をするのも、野暮か」と、打ち切った。

 

 程なくして、朝食のセットが運ばれてくる。

 切れ目の入ったパン、白と赤のサラミ二種、半熟のゆで卵。

 パンには向日葵の種が散りばめられ、一緒に焼かれている。ジャムとバターも付いてきた。

 そしてこれらによく合いそうな、真っ黒なコーヒーだった。


 朝食を運んできた給仕は思い悩み、「召し上がれ」と少し上ずった声で伝えてから、また調理場に去っていった。


 「「いただきます」」

 

 ナイフでパンを水平に切り、ジャムを挟む。

 シュヴェルトハーゲンの朝食は、多少差異はあっても大体こんな感じだ。

 硬いパンに甘みを足して、コーヒーで流し込む。

 口直しにサラミあたりをつまんで、またパンへ。そういう具合。


 代わり映えしないが、好きな味ではあった。


 「リコ、質問があるんだが」

 唐突に、アドラムから声がかかる。


 「神殿では、どのようなものを食べている?」

 「んー、メニューとしては大体同じ。パンはあっちのほうがちょっと小さいかも」

 「そうか。安心した」


 安心? と突っ込むと、アドラムは苦笑した。


 「いや、なに。国中どこでも十シェルでこれが食えるのなら、暫くは刺されずに済みそうだと思っただけさ」

 「はー……」


 リコは大きくため息をつく。

 呆れたように。


 「アドラム。頭がまだ仕事モードなんじゃない?」

 「……だな。悪かった。今日はデートだ。君のことだけを考えるようにしよう」

 「もう」


 気づけば、朝食の皿は空。

 全て胃の中に収まっていた。


 「時間は有限だ。行くとしようか」

 「そうね」


 席を立つ。


 去り際に、リコは十シェル銅片をカウンターに置いていった。

 チップである。


 「あ、ありがとうございます~」

 卑屈にも縮こまる受付を背に、二人は冒険者ギルドを後にした。


 ◆◆


 「はぁっ、はぁっ!」

 「くそっ、おちおちデートもさせてくれんのか……!」

 

 日も上がった頃。

 お忍びで三時間の舞台を観た二人は、見事に身バレした。


 偽名、変装。

 冒険者ギルドを出てからも注意深く立ち回っていたはずだが、群衆はそれ以上に鋭かった。


 「何が『では、国家元首アドラム様にご感想を』だ! フロドマールの野郎……!」

 フロドマールは、『革命』以前のアドラムとは同僚の関係にあった。

 それとなくチケットを手配してくれたが、それすらも彼の仕込みだったと言える。


 ともかく、彼らは狂信者(こくみん)共をやり過ごすため、裏路地に入り込んだところである。


 「探せ!」

 「国王万歳!」

 「ばっか、『まだ』王様じゃねえよ!」

 「ロイヤルガードはこっちで抑えとく! お前らは国王を!」


 こういう具合の、頭が痛くなるような会話が聞こえてくる。

 

 「同じ場所にとどまるのはまずいな……」

 「今、ツィークルと通信してる。十秒後に来るって」

 「それは良い!」

 

 顔を見合わせ、表通りに走り出す。


 「居たぞ!」

 「サインを貰え!」


 愛すべき国民は、二人の姿を見た途端に叫び、こちらにダッシュ。


 「飛ぶぞ!」

 「分かった!」

 先行するアドラムに、飛びかかる。


 「《グリフォン・ウィング》!」

 「ヒューッ!」

 アドラムはリコを背負い、三メートルほど上に跳んだ。

 群衆がジャンプして掴みかかろうとするも、届かない!


 「くそっ!」

 「逃がした!」

 下を見れば、二人の足元で並走するようにツィークルが位置している。

 滑空するアドラムを広い座席で受け止め、そのまま二人乗りの態勢となった。


 「俺が前か」

 「成り行き上、ね。ヘルメットは着けといて」

 アドラムは大人しく指示に従う。

 カーチェイスでなければ、運転はツィークルが自動でしてくれるようだ。

 

 「もう心配いらないとは思いますが、マスター。バズソーモードを起動しますか?」

 「ナシで。あれでもアドラムの支持者だし」

 「了解いたしました」


 物騒なやり取りをしながら、次のデートスポットを選定する。

 こうなってしまえば、計画などあってないようなものである。


 そんな二人に、空中からパタパタと近づいてくる者が居た。


 「つがいか?」


 横を見れば、竜人の少年。頭には、立派な王冠だ。

 今のツィークルは、時速で言えば六十キロメートルは出している。

 

 速度の割に、彼は余裕そうであった。


 そしてその顔に、リコは思い当たった。


 「どっかで見た気がするな。温泉旅行の帰り際だっけ……」

 「げっ! お主はまさか、あのわけわからん威力の銃を使ってきたヤツ!」

 

 ビンゴ。ダハリトであった。

 ダハリトは、図々しくもアドラムの前にちょこんと収まった。


 「色々突っ込みどころがあるんだが……一つ良いか?」

 「なんじゃ?」

 「その王冠、本物か?」


 ダハリトは振り返り、キョトンとした目でアドラムを見ている。

 よく分かっていないようなので、質問を重ねる。


 「そうだな……。例えば大軍と戦っているときに、一人だけを隔離したりする機能が付いてたりは――」

 「あるぞ?」

 「――!?」


 アドラムと、リコの空気が変わった。電流が走ったようだった。


 「……なんなんじゃ? さっきから」

 「よし、落ち着こう。よく聞いてくれ。君は……今、シュヴェルトハーゲンの国家存亡に関わるマジックアイテムを身につけている」

 リコは悪い意味で高鳴る鼓動を抑え、趨勢を見守る。


 無理もない。

 反乱軍が王を(たお)すにあたり、最も警戒していたのが、王の冠が持つ機能であった。


 一対多数であっても、己が得意とする環境を相手に押し付けたうえでのタイマンに持ち込める能力。

 必然的に、クーデターという状況での対抗装置として極めて危険なものとなる。


 ところが、その機能は一切発動しなかった。

 後で調べたところ、王冠には何のエンチャントも付与されていなかったという。


 話を戻そう。


 今、ダハリトが被っている王冠は、恐らく本物の王冠だ。

 そして、シュヴェルトハーゲン官邸に置いてある冠は、偽物の王冠。


 政権の正当性という意味で、これはよろしくない。

 最悪の状況と言ってもいい。

 もし、誰かがダハリトを正当な王家の血筋として担ぎ出せば、確実に面倒なことになる。


 「対価は払う。俺としては、その王冠をシュヴェルトハーゲンに納めてもらえると非常に助かるんだが……」

 言葉を選ぶ。

 対応を誤れば、即死。

 『革命』以来の、ヒリ付く緊張感があった。


 ダハリトの返答は、極めてシンプル。


 「いやじゃ!」


 そんな気はしてた、とリコはぼやく。 

 国境でのダハリトとの戦いでも、急にオドが消失し、再出現したときには勝負はついていた。

 偽物の方がだいぶ豪華に作られているだけに、目視では気付けなかったのだ。


 今思い返せば、というやつである。


 「ダメか……。どのような対価でも、か?」

 「余はこれがお気に入りなのじゃ!」


 ダハリトは、むす、と口を真一文字に結び、王冠を押さえる。

 他の宝物を置き去りにしてでも、ダハリトはこの王冠を選んだ。相当な思い入れがあるのだろう。

 ドラゴンの、モノへの執着ここに極まれり。


 そのセリフを聞いて、アドラムはこの場での対応を諦める。


 「そうか。なら、また後日、オドくんも交えて話をしよう!」

 「ツィークル! 振り切って!」

 

 ゴウ! バイクに仕込まれたブースターが火を吹いた。

 強烈なグラビティ。担ぎ上げられ、空に放り出されたダハリトは後方へ。


 「なんじゃあ!? 扱いが雑ではないか!?」

 「デート中だ! 悪く思うなよ!」

 「のじゃあ!? やっぱりつがいか!」


 だんだん小さくなる声を振り切って、改めてデートポイントを練る。


 「ツィークル居るなら、ちょっと遠出してもいいのかな?」

 「そうだな。少なくとも、ガーネット通りを離れたほうが良さそうだ」


 ああでもない、こうでもないと、二人で賑やかに議論をする。

 

 「なら、ローズクォーツ街まで行こっか。研究開発部(R&D)で、サーモンの燻製が美味しいって噂になってる」

 「ローズクォーツ街……。大丈夫か? 花街だぞ」

 「だからアドラムを連れて行くんでしょ」

 「……」


 了承は取れたとばかりに、リコはツィークルに指示。

 一方のアドラムは、呆気にとられるばかりであった。


 ◆◆


 ローズクォーツ街。

 グローセシュミデ最大の花街にして、シーフギルドの拠点。


 かつての、王国の暗黒期。数年前のこの街では、街娼がそこかしこで客を待つ光景を見られただろう。

 だが、今は一掃されている。

 彼女らは現政府との協議の結果、花街の組合をシーフギルド下部組織として立ち上げた。

 こうした方が、個人で活動するよりも遥かに安全なのである。

 相変わらず街中で酒の臭いはするが、それでも治安はマシになった。


 「杞憂だったか」

 いい意味で変わり果てたこの街の空気を感じて、アドラムは己の得物から手を離す。

 むしろリコの方が彼を先導している、という様子と言えようか。


 「というか、昼もやってるのか?」

 「んー、昼と夜で別の人が営業してるって。昼は完全にただのごはん屋だってさ」


 明かりのついていない、オフの街をずいずい進み、五分後。

 大通りから少しだけ逸れた、小さな店舗が目的地だった。

 

 「いらっしゃい」

 店に入ると、魚人(ダグ)の濁った声が聞こえてきた。

 頭部には髪の代わりに鱗。手には水かきがついている。

 シュヴェルトハーゲンの、内陸部としては珍しい種族だ。

 

 「珍しいですかい。ワシには南東の戦場は合わんけえ。その分、ここで美味い飯を出しとる」

 テーブルに着席した二人のもとに歩み、メニューを差し出す。

 達筆だ。墨で書かれた文字を見て、リコは目を見開く。


 「白米だ。白米がある」

 「白米って……アレか? 炊くとねばっとする主食。紫宸龍宮の」

 「うん。元の世界ではよく食べてた」

 案内されたテーブル席には、箸の箱が置いてあった。

 読み進め、主菜を選ぶ。


 「メインはこれかな? サーモンの……粉焼き。これを一つ」

 「定食でいいかの? 連れの方は」

 「同じものを。だが、箸には慣れていない」

 「フォークとスプーン付き。相わかった」


 のんびりと、店主はカウンターの奥に戻る。

 程なくして、お冷ときゅうりの漬物が提供された。


 「ちなみにこの店では、夜はなにをやっている?」

 「龍宮風バー。日本酒……は伝わらないか。コメのお酒を出すとは聞いてる。色々事故って、メンタルやった子たちが逃げ込んでくるんだって」

 「コメの酒か……」


 リコは、思い出す。

 彼女自身、あまり社交性のある人物ではなかった。

 だから酒を飲むとしても、大抵は機械やゲームに囲まれて、度数の低い酒を少し入れるくらいのものであった。


 日本酒も飲んだことはあるが、その味はもはや曖昧。

 意識的に日常を反復しないと、人はあっけなく忘れてしまうものである。


 「お酒も、色々あったなあ。酔うためだけの安酒。度数強めのロング缶とか」

 「……ろくでもなさそうだな、それは。味はいいのか?」

 「合成甘味料の味。決して美味しくはないよ、売れてたけど」

 「理解しかねるな……」


 酒なしに、トークが弾む。


 「それにしても、色々奇跡みたいだよね」

 「唐突に、なんだ」


 ふっ、と笑い、リコは続ける。


 「だってさ、私。元の世界(あっち)じゃただの一般市民だったのにさぁ……」

 「今は、どこに出しても恥ずかしくない英雄だと思うが」

 「誰のせいだと思ってんのよ」


 責めつつも、穏やかに笑う。


 「……脱走した私を捕まえたのがアドラムじゃなかったら、どうなってたんだろうね」

 「こうはなってない、だろうな」

 「だよね」


 じゅわあ、と、サーモンが火にかけられる音がした。

 オリーブオイルの香りが漂ってくる。


 「後悔は、してないか?」

 「するわけないじゃん」


 リコは即答し、漬物をつまんだ。


 「だって、全部私が選んだことだし――あ、いや待った。一つだけ選んでないことがあるな」

 「え」

 逆にアドラムの方が意表を突かれたようだ。


 「こっちに転生したことだけは、選ばせてくれなかったかな。後悔してないってのは、それも含めてだけど」

 「……あっちには無かったのか? 蘇生手段は」

 「あー」


 目をそらす。

 

 「魔法が無いのは知ってると思うけど、技術(テック)もない。傷を治すにも、消毒と自然治癒に頼ってる部分が大きい。当然、死んだら終わりだね」

 「想像したくないな」

 「外科手術と製薬は、圧倒的にあっちが進んでるくらいかな」


 おまちどう、と、サーモンムニエルの定食が到来。

 サーモンはほかほかと湯気を立て、燻製であることも相まって香り高い。

 サイドの枝豆ソテーを含めて、実に白米に合いそうなこと請け合いだ。

 スープはオニオンコンソメ。和洋折衷であった。


 「これ絶対美味しいやつ」

 「同感だ」


 いただきます。

 各々の手段でサーモンを切り分け、口に運ぶ。


 「……大分塩辛いか?」

 「ごはんと一緒に食べるとちょうど良くなるよ」

 「そういうものか」


 燻製サーモンは骨が取り除かれており、噛む度に塩気と旨味が溢れてくる。

 なるほど、この店の名物になるわけだ。


 「ああ、確かに。こういう龍宮食も、たまには良いな」

 「うん」

 恐らく本場の龍宮食なら、スープは味噌だしサーモンも鮮魚なんだろうな。

 そう思いつつ、目の前にある食事を楽しんだ。


 ◆◆


 「またのお越しを」

 

 完食し、会計を済ませ、帰路。


 「ついぞ、俺が今の国家元首だということは突っ込まれなかったな」

 「分かってて普段通りに接客した、って感じだねえ」


 昼下がり。時刻は午後二時。

 ローズクォーツ街は、ツィークルに乗っても官邸からの時間で三十分は掛かる。

 

 「行くか、いつもの場所へ」

 「そうね」


 来たときと同じ道を通って、再びガーネット通り。

 その通りの更に向こう、目的地は官邸城。


 アドラムはオフだが、他の政府メンバーの一部は仕事をしていることだろう。

 冷やかされるのも、それはそれで良くない。バイクは正門ではなく、裏で下りることにした。


 「一時間後に、また来ますので」

 到着後、ツィークルは空気を読んで去ってゆく。


 グローセシュミデで最も高い建造物は、未だにこの官邸城であった。


 「じゃあ、よろしく」

 「分かった」


 アドラムは《フライ》のスクロールを広げて、リコをお姫様のように抱え。

 官邸城の、最も高い鋸壁(きょへき)に向かって飛ぶ。


 地面が遠ざかる感覚を楽しむ。

 それも一分と経たずに終わり、再び重力を掴む。


 「着いたぞ」

 アドラムは丁重にリコを下ろし、彼自身は凹凸のある円筒状の壁にもたれかかった。


 ここに人が来ることは、滅多にない。

 そもそも見張りは街を囲む城壁に立つのだ。城本体の鋸壁(きょへき)に、さしたる意味はない。

 街を囲む城壁でなく、城自身にも若干の防衛機構が残っているのは、単に美観目的という話であった。

 

 革命以来、アドラムとリコは毎月ここに登って、城下の発展を眺めている。

 当初は、単に都市計画の一環であった。

 

 五年も経てば、都市に著しい変化はなくなってくる。

 二人の関係性も、あのときとは大分異なっていた。


 「魔王討伐、頑張んなきゃね」

 「ああ」


 ずるずると、けじめを付けずに五年。

 なあなあの関係性が、革命終わってからずっと続いて、五年。


 「ねえ、アドラム。こんな時に言うのもなんだけどさ」

 

 彼の横に立って、青い空を眺める。


 「恋みたいな、燃え上がる気持ちがなくても、愛って成立するのかな」

 「ふむ……」


 アドラムは、ともに考える。


 「成立、するだろうな」

 「その心は?」


 そうだな、と一拍置いて、続けた。

 

 「親子愛。老夫婦の間での愛。色々あるだろう」

 「それはそうなんだけど、そうじゃなくて……その……」


 自分でも何を言っているのか。

 柄にもなく慌て始めるリコの様子を、アドラムは訝しむ。


 しおらしくアドラムの手袋を握り、葛藤に苦しむ彼女の振る舞いは、今までに見せたことがない側面だった。


 「もしかして、告白か?」

 「……そう、かも」


 彼女の、今できる精一杯の肯定を受けて、アドラムは穏やかに。


 「ようやく、か」

 「……うん」

 

 ここには、二人しか居ない。

 祝福するものも、呪うものも存在しない、プライベートな空間。


 「俺の気持ちは、変わっていない。『一緒に来てほしい、俺にはリコが必要だ』と言ったその日から、ずっと」

 「そうだったね」


 リコは、ここに来てようやく。

 アドラムとの関係が一線を越えていたと自覚する。


 関係を進めるには、ほんの少し。

 ほんの些細なうっかり一つでよかったのだ。


 もしかしたら、五年前に告白を受け入れていても、結果は同じだったかも知れない。


 握られた手はそのままに、アドラムは正面に向き直る。


 「奪うぞ」

 

 アドラムは顔を寄せる。


 互いの吐息が重なるほどの距離で、リコは目を瞑る。


 そして、何者にも触れさせなかった、触れられなかった唇に、アドラムの唇が重なり――。


 ◆◆◆


 ◆◆


 ◆


 「キスまで済ませたなら、いっそ今日は帰ってこなくてもよかったのに」


 夕飯時。


 喜んでいいのか、もどかしく思うべきか。複雑な表情を浮かべるナナは、二人がけのテーブルでリコと相対する。


 「だってさあ。明日は魔王討伐だよ? 私達ももう若くはないんだし。オールはまずいでしょ」

 「そのセリフは、三十を超えてから言おうね」


 良く言えば、ラインを弁えた大人ということでもあり。

 悪く言えば、一歩先に踏み出せないヘタレということでもあった。


 いずれも、リコを形容する、リコらしくない言葉である。


 「まあでも、なすびちゃんにしてはよくやったと思うよ。カップル成立、おめでとう」

 「そんなんじゃ――」


 リコは反論しようとして「やっぱ『そんなん』だわ」と引き下がる。


 「なすびちゃんは、アドラムさんとどこまで行くつもり?」

 「どこまでって?」


 ナナは呆れたように息を吐く。

 (周りを見るのは得意だけど、自分自身のことになるとてんでポンコツだ)などと思いながら。


 「結婚したとして、その後の家族計画とか。ちゃんと考えてる?」

 「うっ」

 「……今後の宿題になりそうかな」

 「うん……」


 食事の手が止まったリコを、ナナはあえて急かす。

 最後の休日も終わりゆく。


 魔王討伐まで、後一日。


 晴れていたシュヴェルトハーゲンに、大きな雲が差し掛かった。


 【続】


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