##10 暗殺者、持てる全てを失う
(あらすじ:ピリが『反転呪詛の』ユーデコスから襲撃を受けるも、メアたちの介抱で一命を取り留める。ここからは報復の時間だ。ヤツに休む時間など与えるものか!)
麗家の領域、高級宿。
『反転呪詛』のユーデコスは、影の馬に乗って滞在中の宿に戻る。
夜の帳の中、つい先程こなした暗殺任務が脳裏をよぎり、不服気な顔を浮かべた。
(確かに、致命傷を与えはした。顔も割れてない、はずだ)
だが、死体を確認する前に妨害が入った。
彼には珍しく、失敗した可能性があるわけだ。
馬を預け、雨でぬかるんだ地面を歩き、泥を落としてから宿に入る。
宿の主は、ユーデコスを気にもとめない。
事前に《ドミネーション》によって支配してある。
代金はしっかり払っているのだ、他は些細なことだろう。
この宿に滞在するのは三日目。
ここは麗家の大都市。いくらユーデコスが麗梅恭に雇われていると言っても、現地のものにバソディア家の者と知られれば、いくらか面倒なことになる。
一応、まだこの近辺の人間は、一部を除いてユーデコスの存在すら把握していないはずだ。
闇陰神ツェルイェソドの加護の深い身であるがゆえ、隠密は得意というわけだ。
自室に入る。
基礎的な火の魔法で蝋燭に明かりをつけ、フード付きマントを脱ぐ。
薄暗いが、彼の容姿はぼんやりと分かる。
暗い色の、雨に濡れてしっとりとした肌。
乳のような、艶めく髪。
その目は蝋燭の火を受け、赤褐色に輝いていた。
彼は、ダークエルフであった。
「ふぅ」
嘆息し、備え付けの椅子に腰掛ける。
椅子はユーデコスの軽い体を受け止め、キィと軋んだ。
そのまま彼は、自らの武装をチェックする。
「うへえ」
思ったより、損傷している。
短剣にべっとりと付着した、酸化して赤くなった血を洗い流し、薄れた呪いを吹き込む。
拳の一撃を受けて凹んだ革鎧を、《リペア》で直す。
今日の相手は、それなりに強かった。
フル武装であれば、負けはありえないだろう。
だが、もし互いに素手であったならば、体格差もあって勝利を掴めたか定かでない。
まあ、それは良い。
次は、確実に仕留める。
「これで、よしと」
たっぷり時間をかけて、装備を戦闘前の状態に戻す。
その後、先程の戦闘を反省し、イメージトレーニングで己の動きを修正する。
「今日の仕事は終わり、だな」
と言いつつも、次の襲撃の計画を立てる。
彼に命じられた暗殺の対象は、五人。
相手は今日のようなミトラ=ゲ=テーアの使者に限らない。そして、こういう依頼には慣れている。
(ピリニャスが生きていた場合、暫くの間警戒するだろうから、次は染家に手を出すべきだろうか)
思考を巡らせながら、時計を見る。
「夜更けまでは、まだ時間があるな」
言葉に出す。
彼は、夜間に活動する男だ。
特に日光が苦手なわけではないが、騒々しいのは嫌いだった。
「女でも呼ぶか」
椅子から立ち上がり、壁にかけてある魔道具を手に取る。
紫宸龍宮にも根を張る奴隷商会に通信を入れ、まるで雑貨を頼むかのように、ヒトを注文する。
「鬼人族。まだ若い。両方の角を削って丸くしてあるので、万一のときも安全。そして、壊しても構わない」
奴隷商会からの提案を反芻し、悪くないなと考える。
「代金は? ――16000シェルか。ああ、分かった。いつもの場所から適当に引き出してくれ。よろしく頼む」
二、三分の会話で注文を終えると、再度椅子に腰掛ける。
「『獣人狩り』が失踪してから、奴隷の値段は上がるばっかりだ」
蝋燭の火を見つめながら、彼はつぶやく。
彼が人知れず姿を消し、奴隷商会は大きく力を失った。
結果、最大の拠点はミトラ=ゲ=テーアから紫宸龍宮に移され、主力商品も獣人から鬼人族に更新されたわけだ。
彼が、奴隷商会のパトロンである麗梅恭の依頼を受けるのも、その絡みである。
程なくして、コン、コンとドアをノックする音が聞こえる。
来たか。
従順にも、わざわざ壊されるために。
期待に口角が上がる。
「入れ」
感情を押し殺し、尊大な声で犠牲者を呼ぶ。
まずは角を根本から切り、その角をねじ込んでやろうか。
そう考えていた彼の前に現れたのは。
「ど、どうもー……」
青い目をした、エルフだった。
上品な、フローラルな香りがする。
それに比して、衣服はところどころ透けており、扇情的だ。
「うん?」
想像していたものとは全く別タイプの女性が現れ、一瞬混乱する。
混乱しつつも、椅子から立ち上がり、彼女の手を握って部屋に招き入れる。
彼女に触れた途端、少年の声で「《ギアス:お前はボクに気付けない》」と呪文が掛けられたことには、当然、気付けなかった。
一瞬、奴隷商会への殺意が湧いたが、その意思は雲散霧消した。
考えてみる。
むしろ、彼女は並大抵の奴隷より上物だ。
クレームは後で入れればいい。こいつで楽しめば、帳尻は合う。
抱き寄せ、キスをしようとする。
「えっ?」
ところが彼女は、張り付いた笑みで、後ずさる。
なんだこいつ。
ヤられるつもりで来たんじゃないのか。
後ずさるエルフを追っていると、不意に。
「《ギアス:動くな》」
二つ目の制限が、通る。
流石に、これは違和感に気づく。
なぜなら呪文の行使とともに、ユーデコスの体は指一本として動かなくなってしまったからだ。
(罠!)
油断していた。
まず、自分に対して呪いを通せる相手が居る事実に驚いた。
次に、恐らく自分は、戦闘能力という強みを活かすことすらできず、嬲られるであろうことを悔いた。
「《ギアス:抵抗するな》」
「《ギアス:他人を害するな》」
未だ姿を見せない術者は、次々とユーデコスの行動を縛ってゆく。
エルフはその様子をうかがい、目を合わせたまま、今度は逆にユーデコスの手を取り、ゆっくりとドアの方に向かってゆく。
矛盾した《ギアス》による制限は、術者によって自由に解釈される。
もはや、ユーデコスはされるがままだ。
「待て、何が望みだ……!」
縋る。
相手が何の目的でユーデコスを襲撃したのか、それすらわからずに散るのは、流石に許容できなかった。
「だってそりゃあ、ねえ? 《ギアス:助けを呼ぶな》」
五つめの制限。
本来刑罰に使われるこの魔法は、濫用すれば罪に問われる。
そのリスクを負ってでも、そいつはユーデコスを始末したいらしい。
「これでよし。入っていいよ」
少年の声を合図に、部屋に一人の女が入ってくる。
緑色の肌、筋肉質な体。
見間違えるはずもない。
それは、ピリニャスだった。
エルフは彼女の手の甲にキスをして、部屋から去ってゆく。
「さっきぶりだね、『反転呪詛』」
ピリニャスは、ユーデコスの体を、軽くトン、と押す。
彼はバランスを崩し、尻餅をつく。
「え? あ?」
言葉にならない喘ぎが漏れる。
予想外の行動だった。
殺すなら、既に殺しているはずだ。
となれば。
「拷問、するのか」
これしか、あり得ない。
ところが、ピリニャスは少し困った顔をして。
「拷問、といえばそうかもね。大変だけど、がんばろう」
(『がんばって』でなく『がんばろう』?)
またも、疑問が頭に浮かぶ。
ユーデコスにとって幸いだったのは、その疑問がすぐに氷解したことだ。
(え? え?)
ピリの手で、彼のシャツが瞬く間にたくし上げられる。
褐色の素肌があらわとなり、恐怖に荒れた呼吸がはっきりと分かってしまう。
「ここまでやれば、分かるよね?」
例の術者の声だ。
ピリニャスのそばから、聞こえてくる。
「そこにいるのか? 誰なんだ? 今、何と言った!?」
問う。
ユーデコスは今、彼を認識することができない。
「おっと、そうだった。術式を解除して、と」
言葉とともに、ピリニャスからユーデコスに繋がった魔力の線が見えるようになる。
正確には、ルゥの魔力だ。
ピリニャスは、ユーデコスに体を重ねる。
「《ギアス:快感を我慢するな》」
さらに、呪縛が強くなる。
《ギアス》は接触が条件となる呪文だ。
思い返せば、あのエルフの挙動も妙だった。
だが、全ては後の祭り。
ユーデコスは、もはやピリニャスによる調理を待つ身となっていた。
「楽しもうね、ユーデコスくん」
また、少年の声がした。
それからのことは、暫く思い出したくない。
◆◆
少し時を遡る。
ヤツの居所を特定したとフレヴァ・フィロから連絡が入ったときには、フォボスたちは麗家の領域に侵入していた。
ピリなりに“ヤマを張った”結果だ。そして、今回は見事に的中した。
襲撃の作戦は、ルゥが立てた。
メアによって油断させ、後はその隙にルゥが術を叩き込み、ピリによってあらゆる情報を吐かせる、というもの。
もっともその実態は、ルゥの趣味によるところが大きいようで。
「つーことで、俺様とフォボスはお留守番というわけだ」
ユーデコスが根城とする宿屋の、隣にある空き家。
地主に無断で、暗がりで息を潜めながら、フォボスとクロヴは記録の魔導具を見つめる。
魔導具の機能は、ターゲット一人の用いた術式をひたすら筆記する、というだけのものだ。
そして、今はルゥの術式を記録している。
「フォボス、寝たきゃ寝て良いんだぞ?」
眠い目をこする彼に対し、クロヴが提案する。
「でも、メアさんだけを危ない目にはあわせられないし」
気合で起きている。
奴隷であった頃と比較すると、随分とタフになったものである。
「じゃあ終わったら寝ろ。――お」
早速、術式が記録される。
《ヴェイル・オブ・ツェルイェソド》。隠密の魔法だ。
浮遊するペンのような形をした魔導具は、カリカリと共通語で記録していく。
「んー……」
ちなみに、本来ユーデコスに送られるはずだった鬼人族の奴隷は、縄で両手を縛られた上で、フォボスたちと一緒に魔導具を見ている。
抵抗するつもりであれば猿ぐつわも付けるつもりだったが、従順だったので手枷だけである。
「《ギアス》、《ギアス》……。おー、こわ。絶対アイツを敵に回したくねえわ」
ルゥはバレないうちに、行動制限を重ねていく。
ところで、術式の中には亜型を持つものもある。
《シールド》で言えば、《シールド:バッシュ》と宣言すれば、盾殴りが実現できるというわけだ。
魔導具には、呪文の亜型を記す効果もあった。
「かいかん? どゆこと?」
フォボスが、《ギアス:快感を我慢するな》に反応する。
「それはメアに聞け。ほら、帰ってきたぞ」
空き家のドアが開くと、いわゆるベビードールを着たメアがスタスタと入ってくる。
「おかえり、エルフのお姉ちゃん」
「うす」
奴隷とクロヴは、気さくにメアを出迎える。
フォボスは目をそらし、上ずった声で。
「はやくきがえて。それ、見ててへんになる」
と、前かがみになりながら、辛うじて告げた。
「ごめんごめん、寝間着に着替えるね。シャオファちゃん、服貸してくれてありがと!」
メアはフォボスの様子を見て、逃げるように別室へ。
「ふーん、獣人クンはエルフのお姉ちゃんのこと、えっちな目で見てるんだ」
シャオファと呼ばれた鬼人族の奴隷は、フォボスを茶化す。
彼女は今、メアが用意したローブの替えを着ている。
青い肌と白いローブのコントラストが、美しい。
「今のが、えっちってことなの?」
フォボスは俯きながら、上目遣いでシャオファを見る。
何も分かっていない顔だ。
「え? そこ? キミ、何歳? シャオは六歳くらいのときには一通り知ってたけど」
謎のマウントを取り始める。
同じ元奴隷でも、差は大きいようだった。
「そーゆーのはナシだ。俺様たちは今、真面目にルゥの挙動を見ているわけだからな。見ろ」
クロヴが魔導具を指すと、今度は《ラッティング・ガス》と記録される。
気まずい空気が流れる。
「ドワーフのお姉ちゃん、それ発情ガスの呪文だよ。全然『ナシ』じゃないじゃん」
容赦なく突っ込みを入れるシャオファ。
「え? え?」と、話についていけないフォボス。
クロヴの方はというと、当然頭を抱えていた。
「おーい、メア。至急フォボスを教育してやってくれない? やりづらいぞ」
お願いは「あと一分待って!」と、素気なく断られた。
「というかお姉さんたち、シャオを拉致ってやることがこれ? お仕事に行かなきゃなんだけど」
「いっけね」
事情を説明しそびれたことを詫び、クロヴが簡潔に情報を渡す。
それを聞くと、シャオファはケラケラと笑った。
「ウケる。わたしの飼い主、今襲われてるってこと? 助かったわ、ありがと」
ユーデコスの評判は、奴隷商会内でもかなり悪辣だったようだ。
「また呪文が記録されたみたい」
今度は、フォボスが気づく。
呪文の名は、《エナジードレイン》。
その次の行も、《エナジードレイン》だ。
この呪文は、相手の精気を奪い取る。いわば利己的な呪文である。
では、精気を奪いつくされた相手にこの呪文を掛け続けるとどうなるか?
これは、相手の技能や身体能力を、ほんの少しずつ吸い取る、という結果となる。
無論、並の術者であれば先に魔力が尽きるため、能力を奪えたとしてもごく僅かなものとなる。
並の術者であれば、だが。
「ただいまー。あれ?」
寝巻きに着替えたメアが一行のもとに戻ってくると、奇妙な空気に包まれていた。
まず、フォボス。
《エナジードレイン》はアンデッドの呪文であるという先入観から、戦慄している。
次に、クロヴ。
「とうとうやりやがった、あいつ」という表情で、背もたれに体を預け、脱力している。
最後に、シャオファ。
声を抑えながら、縛られた両手で腹を抱え、足をバタつかせ笑っている。
メアも魔導具の方に注意を向ける。
魔導具は、壊れたように《エナジードレイン》を次々と書きなぐっていた。
彼女は、一言だけ呟いた。
「これ、同人誌で見たやつだ」
その言葉を聞いて、シャオファはとうとう吹き出してしまった。
◆◆
《エナジードレイン》の連打は、夜明けまで続いた。
流石にシャオファも飽きたようで、今は拘束も解かれ、フォボスとトランプで遊んでいる。
魔道具による筆記が終わると、蝶番が軋む音とともに、ピリが戻ってくる。
「っふー……」
服は着ている。
やりきった、という表情だ。
彼女の背中には、腰が抜けて動けないユーデコスがおんぶされている。
彼は、しきりに尻を押さえていた。今もヒリヒリと疼くようだ。
「ウケる。ご主人様、樹妖族にヤられてやんの」
ひと目見て、シャオファが煽る。
樹妖族のうち、ベースの植物が雌雄同体の種は、両方の性を持つ。
ピリも、同様だった。
「クロヴ、報告入れる。テーブル空けて」
どこかぼんやりとした表情で、ピリが指示を出す。
「おう、大丈夫か? 疲れてるなら俺様がやるぞ?」
クロヴはピリを気遣いつつ、素直に従う。
「シャオは聞かない方がいい?」
トランプをシャッフルしながら、シャオファは直感的にシリアスな雰囲気を感じ、提案する。
答えは、ルゥによる「《デフネス》」であった。
ピリが、通信用魔導具を起動する。
今度は、フレヴァ・フィロがすぐに応答した。
「やったのか」
作戦については、彼女にも共有してある。
「……まあ」
羞恥心で答えあぐねるピリを見かね、ルゥが代わりに口を挟む。
「とっても気持ちよかったよ。ユーデコスくん、三百歳とは思えないくらい反応がいい。吸い取った力は、全部ピリにあげた。これで良いんだよね?」
つばを飲み込む音がした。
「……協力、感謝するぜ。ウチからの報酬が欲しいなら、『反転呪詛』は冒険者ギルドに突き出してくれ。ただ、まあ、なんというか――」
フレヴァ・フィロは、少し咳き込んで。
「紫宸龍宮のギルドが今の『反転呪詛』を見て、本人だって沙汰が下りる保証がねえな。ウチとしては、奴隷商会の力を削げればそれでいい。上手くそいつから蜜を吸えそうならそうしろ。以上だ」
通信は、一方的に切られた。
「議会は『あんまり関わりたくない』みたい」
ピリが要約する。
曰く、神子の力はヒトの身に余る。
当代の黒の神子に奴隷集落を襲撃させたとき、彼らの持つ力を軽々しく使うことのリスクを、事後処理の大変さで思い知った、とのことである。
「神子怖い。神子、気持ちいい……」
地面に横たえられたユーデコスの様子を見ても、その恐ろしさはよく伝わってくる。
まず、今の彼からは、ろくに魔力を感じない。
メアが見ても「一般人より弱くない?」との評価だ。
そして、身体能力も同様に減じている。
フォボスが、おもむろに彼の前に座る。
「なんだよ、殺せよ……!」
《ギアス》の効果で未だに動けない彼は、精一杯の挑発を行う。
「えいっ」
フォボスは手をシャツの中に潜らせ、人差し指で腹筋を触る。
ツルツルだった。
柔らかく、ぷにぷにしていた。
「うう……」
抵抗もできない。
ユーデコスはただうめき、フォボスのおもちゃとなっていた。
「かわいそうだから、最低限ヒトとして生きられるようにはしてあげるね」
ルゥが見かね、一部の《ギアス》を解く。
その瞬間、ユーデコスは立ち上がって、《ポケット・ディメンジョン》から予備の短剣を取り出し、フォボスに襲いかかろうとした。
だが、実際の行動は、腹筋で上体を起こすことに失敗し、柱に寄りかかって立ちはするものの、魔術の発動にも失敗。短剣を握るはずだったその手は虚空を掴み、荒い息を吐くという結果に終わった。
そこにいつの間にか、《デフネス》の効果が切れたシャオファが、すぐ側に立っていた。
「ひっ!」
彼女の周りに漂う、情欲を刺激する香りに、彼は怯えた。
先程の《エナジードレイン》を思い出してしまったのだ。
「ご主人様、かわいそ」
耳元で、ささやく。
奴隷にすら、同情されている。
その事実が、彼の敗北を一層惨めなものとした。
彼は柱に背を預け、ずるずると崩れ落ちる。
そして、泣きじゃくる。
赤子のように、声を上げながら。
「あらら、心が折れちゃったみたい」
彼女は、正面に回り込む。
取り乱すユーデコスの頬を、両手で支え。
おもむろに、接吻した。
「っ……」
ユーデコスは、逆らえない。
泣きながら、舌を受け入れる。
「いい子、いい子……」
甘やかす。
シャオファはキスをやめ、ローブ越しに胸で彼の頭を包み込む。
彼女は、ヒトの堕とし方を心得ていた。
契約ではなく、心による鎖の作り方を。
「はいはい、あなただけのシャオファですよ、ふふっ」
誰にも見えぬよう、シャオファは笑う。
声に出さぬ、魂の笑み。
口角を上げた、邪悪な笑みだ。
ユーデコスが、彼女の背中に手を回したことで、確信する。
(――やった、堕ちた♪)
今、シャオファは、ユーデコスという奴隷を獲得したのであった。
◆◆
「女ってこっわー。俺様にはあのムーブは無理だわ」
「クロヴも女性でしょ……」
「そこ! 聞こえてるからね!」
◆◆
上記の惨劇が、ようやく過去の出来事となった頃の話。
光臨節。
一年で最も明るい日と、その前後の三日間、計七日の期間を指す。
白日教にて“最も光に祝福された日”として祝日に指定されており、多くの国でも休日と定められている。
そういう日であっても、当然夜は来る。
提灯で照らされた街全体に、醤油の塗られたとうもろこしやイカ、あるいは鉄板で焼いた麺、綿飴の香りが漂う。
光臨節最後のイベントを前にした書き入れ時だ。もはや半分枯れかけた声で、店主たちは参加者の食欲に訴えかけている。
「んーっ! お祭り、楽しかった!」
「だね!」
屋台街から抜け、街外れの丘へと向かうフォボスとメア。
彼らは、紫宸龍宮伝統の衣装に身を包んでいる。
いわゆる、浴衣である。
フォボスに至っては木彫りのお面まで付けている。
狐の面だ。角に引っ掛けるようにして装備していた。
「いーなー。ボクも体があったら、いっぱい食べたのになー!」
ルゥはわざとらしく訴えかける。
味覚はフォボスと共有なのに、だ。
二人は人混みの流れに逆らわず、ゆっくりと歩みを進める。
「クロヴさんとピリさんが来れないのは残念だけど」
別行動だ。
ピリの方は付き添いだが、クロヴに関しては、これからの催しで大きな役割を任されていた。
普段、この丘は子どもたちの遊び場となっている。
ちょうどいい広さ、開けた視界。
球技をやるのにうってつけというわけだ。
その環境は、空を見るのに好都合だった。
「押さないでねー! 結構高くまで上がるから焦らないで! ちっちゃい子は肩車とかしてもらってね!」
法被を着た若者が、群衆を制御する。
「《レビテイト》」
ルゥが呪文を唱え、フォボスの目線をメアのそれに合わせる。
周りと比べて高くなりすぎないよう、奥ゆかしい具合だ。
「ありがと、ルゥ」
「ボクも見たいもん」
やり取りを聞いて、メアはクスッと笑った。
麗家の都市、不折梅都の外には、急流の川が流れている。
その方角から、「あ、あー。聞こえるか? 聞こえてそうだな。よし」と、クロヴの声が聞こえてきた。
声は、魔導具によって音量を引き上げられている。
「待ってました!」
「よっ! 錫鉱脈の新鋭!」
「やっちまえ!」
といった声援が飛ぶ。
皆が皆、期待に胸を弾ませていた。
「会場はまだまだ元気みてェだな! よっしゃ、俺様に任せな! 時間も押してるから、さっさと行くぜ!」
パフォーマンスは程々に、彼女は魔力を滾らせる。
「まずは一発! 《イグニッション》!」
点火。
導火線を辿り、赤い軌跡が大砲へと向かう。
順調に、引火。
ドム、という音を鳴らし、砲弾が上空に飛び立つ。
その砲弾は、上空で爆発し、体に響く衝撃波とともに、暗がりを照らす花を咲かせた。
打ち上げ花火だった。
「へへっ、上手く行ったみてェだ。まあ? 俺様に失敗はあり得ねえけどな? 続けていくぜ! 《マス・イグニッション》!」
続けて、二発、三発と、スケジュール通りに花火を打ち上げていく。
花火はドム、ドムと続けて発射され、期待通りに弾け、その度に観客は湧いた。
「きれい」
フォボスは、目に映る花火を見つめ、心からそうつぶやく。
ルゥに生かされ、メアに出会って。
クロヴに導かれ、ピリに学んで。
旅を通して、多くのものが変わった。
多くのものを、得た。
気づけば遠い異国の地で、現地のヒトたちに囲まれ、楽しくやっている。
「あ! 見て! ネコだ!」
メアが指差す先には、猫の顔を模した、白い花火。
それも、少し経てば暗闇に散り、儚く姿を消してしまう。
この日常を、もうしばらく味わっていたい。
いま見えている花火よりは、もっと長く。
もっと。
ぎゅっと、メアの手を握る。
「どしたの? 急に」
彼女は、花火を見ながらフォボスに注意を向ける。
空に輝く炎の花は、より大きく、より多層的になってゆく。
「ここからは五号玉解禁だ! 見上げすぎて首を痛めんなよ! 《イグニッション》!」
クロヴのテンションも上がってゆく。
時間が、どんどん過ぎてゆく。
「さっさと言いなよ。別に、どういうリアクションでも、フォボスくんが死ぬわけじゃないんだからさ」
ルゥが、後押しする。
フォボスは、勇気を振り絞る。
「あのね、メアさん」
浮いたまま、隣に身を寄せる。
彼女の手を、自分の胸に重ねる。
痛いほど跳ねる心臓の、確かな鼓動が、彼女に伝わる。
「……聞かせて」
メアは、察した。
次に来る言葉を予想し、準備を整える。
「これまで、色んなところを旅して、いろんなことがあったよね」
商会に監禁されたり、魔物にこっぴどく負けたりもした。
でも、楽しいことのほうが、多かった。
「うん」
メアは言葉少なに、フォボスの次を促す。
「もう、ぼくたちが出会ってから、半年過ぎちゃったんだよね。それで、この間、『メアさんをえっちな目で見てるよね』って言われて、考えてみたんだけど」
「ふふ、続けて」
笑い、なおも促す。
これはフォボスが言わなければ、意味がない。
彼が恐怖を乗り越え、勇気を持たねば、先がない。
「やっぱり、ぼくはメアさんのことが好きだ」
告白が終わるのを待っていたかのように、彼らの眼前で、六号玉の大輪が咲く。
情熱的な赤い炎が、彼らを儚く照らす。
やがてその炎も小さく薄れ、消え、静寂があたりを支配する。
花火の時間が終わり、周囲の観客が、去り始める。
彼らは二人には気づかず、二人だけを、置いてけぼりにして。
皆が帰って、ようやくメアが口を開く。
「知ってるよ、ほら」
そう言って、今度はフォボスの手を彼女の胸に導く。
汗ばんだ彼女の肌を通して、分かる。
フォボスと同じように、高鳴っていた。
「嬉しいよ、フォーくん」
メアは笑いながら、目を見て答える。
そして、抱き寄せる。
「わわっ」
フォボスは急に抱き寄せられ、頬を赤く染める。
汗とフローラルが混ざった香りを目一杯吸い込み、一瞬息が止まる。
「実は、いつ言ってくれるのかなって待ってた。ほら、年の差があるから、私から言い出すのはアレかなって」
「あうう……」
何もかも、メアのほうが上手だった。
群衆に遅れて、フォボスたちも宿屋の方へと歩み始める。
「『この日常が、いつまでも続いてほしい』って思うこと、あるよね」
奇しくも、二人は同じことを考えていたようだ。
「私は、それよりも『今の一瞬を全力で味わう』ほうが好きかな。だって、そもそも寿命に差があるし」
「それは、そうかも」
永遠は、ない。
かつて永遠を探求した者は、確かに居た。
けれど永劫の時を過ごせば、ヒトの精神はいくらか変わってしまう。
だから、永遠はない。そういう結論だった。
「なら、もっと思い出を作ろうよ。どんな形でも、忘れられないくらいの思い出を」
今度はフォボスが手を引き、メアの前に立つ。
「うん、そうしよう!」
メアも応じ、踊るように進み出る。
二人の関係が、また一つ進む。
彼らを祝福するかのように、撃ち忘れの花火が一房、上空で輝いた。
【続く】
感想はtwitterタグ「#業深少年旅行」にて行われますと拾えます。当タグでは、随時AIによる挿絵も公開されてゆきます。




