2032年3月 計画準備段階(中)
午前中の仕事を快調に終えた俺は今日も研究室に行き、今度はどんなシステムを研究しようかなと思案していた時、その人物は唐突に現れた。
「お前は!?なんでここにいるんだ!?」
「おお~弁田くん。ちょうどいいところにいたねぇ~」
俺は声をかけられ、反射的に振り返る。そこには相変わらず強面の鮫島部長と本社で会った中田がいた。俺は心の中で大きな溜息を零したが、あくまで表情は営業スマイルをしながら鮫島部長に話しかけた。
「こんにちわ鮫島部長。隣の彼が中田さんですか?」
「お~そうだよぉ~。
中田くん、めんしきはあるけどぉ~じこしょうかしておこうかぁ~」
すると中田は一度咳払いして、今までの俺に対する態度を一変して真面目そうな新人のように挨拶をした。
「こんにちは。この度この部署に勤めることとなりました中田です。よろしくお願いいたします」
「見事に猫被ったな。じゃあこちらも。
本社で一度会いましたが弁田です。しばらくは中田の教育係として指導するのでよろしく」
刹那、中田の眉がピクリと動いた。中田は内心どう思っているか全てはわからなかったが、きっと複雑な心情だろう。なにせ入社初期に辞職したと思った同期がまさか己の指導者の立場にいる人物だとは思ってもいなかったからだ。
そんな中田の複雑な事情を知らず、鮫島部長はふと思いついたのか俺に提案をする。
「そうだぁ~。せっかくだし、、もうきょういくをはじめるのはどうかねぇ~?」
「構いませんが、よろしいのですか。
本社から研究室に異動して色んな申請があるはずだと思いますが…」
「そのてつづきはほんしゃですませているからねぇ~。それじゃあよろしくたのむよぉ~」
そういって鮫島部長は部長室に向かっていった。残された俺と中田は気まずい空気の中、何を言えばいいのはわからなかった。しばらくして沈黙を破ったのは意外にも中田からだった。
「あの時は悪かったな。まさか本当だったとは。驚愕したよ」
「だからいいましたよね。研究室にいるって。
さっきも言いましたが私は中田さんの教育者です。何か知りたいことはありますか?」
「その中田さんってやめろ。俺様のことは普通に中田と呼べ。
あと同期に対して敬語を使うのも少し妙だ。素で話せ。
知りたいことは山ほどあるが、まずは人を観察したい」
「…こほん。あー人を観察するのか?まあ、いいけど」
中田の意図がよく理解できなかったが、多分面倒なことにはならないだろうと判断し俺は中田を連れて研究室に向かっていく。しばらくして研究室に到着した俺と中田は早速研究者のメンバーを紹介しようとしたが、この時間にいる研究者は俺が知る限りたった一人だけだ。
コンビニのおにぎりを頬張っていた聖先輩は俺の顔を見て何かを思い出したのか、突然むせ始めた。俺はそれをあえて無視して中田に聖先輩を紹介する。
「この先輩が私が知る限り一番実力がある変人の研究者、聖先輩です」
「変人って失礼ね!まあ、この研修室で一番の実力があるって言われて少し気分はいいけどね」
子供っぽい先輩を目の当たりにして流石の中田も怪しげな表情で聖先輩を観察していた。するとその目つきが若干怖かったのか聖先輩は「な、なんだね…」と呟いた。しばらくして中田は満足したのか大きく溜息を吐いた。
「79点。だな」
突然点数を言われた俺と聖先輩は唖然したが、そんな様子など関係なしに中田はぶつぶつと聖先輩の感想を述べ始めた。
「お前の言う通り、変人だな。特に口癖の『ね』は違和感を通り越してキャラを作っているようかの不快感を感じる。だが、画面のプログラムを見る限り、確かに実力は尊敬できる。むしろ、その性格が治れば90点にしてもいいな」
「ねえ弁田君。彼、初対面の人物に対して失礼じゃないかね?」
正直、俺も中田が点数で人を評価しあまつさえその評価を人前で言うという地雷を踏みぬく行為にドン引きしてしまいそうだった。だが、聖先輩の評価を聞く限りは実力は認めているといっていいだろう。
すると中田は聖先輩に手を伸ばし、改めて自己紹介した。
「初めまして。本社から研究所に異動してきた中田です。
本社の腰抜けどもじゃなくて、あんたのような実力がある人に会いたかった」
「え、ええ?ああうん。よろしく。聖です」
俺と聖先輩の対応の差を見て、俺は中田の人物像を再認識する必要があると考えた。初めて会ったときは傲慢であったが、それは己の自信の裏返し。非があれば先ほどのようにすぐに謝罪し、再認識する。逆に実力がある人物や仕事ができる人物に対しては捻くれてはいるものの、彼なりに評価し尊敬している。
「人が変わったかのように接してるな」
「当然だ。俺様は実力主義者だ。
仕事はできない。与えられた作業だけをこなす腰抜けどもを尊敬する理由があるのか?」
「まあ、一理あるな。
ちなみに、俺はどういう評価だ?」
「教えると思うか?馬鹿め。他人に言われて評価を気にするのか?
なら、お前はその程度ってことだ。だがあえて言うならば、認める程度の評価はあるとだけ言っておこうか」
淡々と辛口で俺に対する評価を述べ、中田は周囲を見渡す。流石にこの時間内に仕事が終わっているのは俺と聖の二人だけだったことに対してイラつきを感じたのか小さく舌打ちをする。
そんな中田の様子を見て、苦笑いしていた聖が小声で俺に話しかける。
「すごいね、中田君。
前に弁田くんが癖が強いって言っていたけど、ここまでとは思わなかったね」
「研究室に来る前に鮫島部長と一緒に行動していましたが、見事に猫を被っていましたからね。
まあ、部長のことだからすぐに見破っていたと思いますが…」
しばらくして中田が俺を呼んだ。どうやら研究室は満足したようで、他を案内しろとのことだ。やれやれと思いつつも俺はまた後でと聖先輩に言った後、手を焼く同期と共に研究室を後にした。
その後、中田に会社の全てを案内した頃には昼休みが始まり、一度昼食を食べてから中田と共に今日の研究をすることにした。
そう決心した数時間後、俺はその決断に後悔していた。
業務が終えた終日、俺の心の中は灰と化していた。原因は簡単だ。中田の主張と俺の主張が致命的に合わなかったからだ。
簡単な自己紹介は済ませていた為、すぐに中田と一緒に午後の業務、つまり研究をしようと試みた。当然、最初は何について研究し、開発するかということを考えていたが、この時中田の意見と俺の意見が偶然一致した。そこまではよかった。だが問題はプログラムを入力する際に、中田のプログラムはプログラマーでもごく一握りしか理解できない内容だったのだ。
流石にそれは見逃せないと俺は万人にわかるようにプログラムを改良するべきだと提案したが、中田にとってはこれが最も合理的かつ分かりやすいとのことだった。
結果、研究のほとんどは俺と中田の惨めな口論になってしまい、中田の研究はほとんど進まなかった。無論、俺の研究も。定時になった頃には中田は一人でぶつぶつと呟きながら帰宅した姿を見た後、俺は燃え尽きたように椅子に深く座った。その様子に聖も心配したのか好物のコーヒーを机に置いた。
「弁田君、相当論議していたけど…大丈夫かね?」
「そう見えるなら多分大丈夫です。
全く、今時の若者でもあそこまで面倒な性格はそうそういないぞ?」
「若者って。弁田君も若いと思うね。まあ、端から見ていたけどかなり面白い風景だったね」
今思えば中田はたらい回しでこの部署に来たのではないかと疑いたくなる。その教育を任された俺はとんでもない貧乏くじを引いたものだと思い、大きな溜息をつく。
「俺の考えを否定するなはよくわかる。誰だって自分の知識を使って研究したいと思うからな。俺だって研究している時に聖先輩から邪魔されることは嫌だったからな」
「ねえ?ちゃっかり悪口言ってないかね?」
「だが、合理性を求めた結果、誰にも理解されないなんてありえないぞ。まあ、全くわからないわけじゃないが…。それでも商売するなら万人にもわかるようにコードを入力するべきだろ。
少なくとも、嘉祥寺よりはまだましか。あいつの場合は奇人じみたことをやるからな」
俺は聖先輩の呟きを無視して黙っていた愚痴を一人勝手に吐き出していた。周囲の人間から見れば明らかに変人だろうが、それを理解できない程、俺のストレスは溜まっていた。
「弁田君。もしかしてかなり機嫌が悪い感じかね?」
「いいえ。ストレスこそ溜まっていますが、別に怒ってはいませんよ。
事実、中田が考えたプログラムそのものはかなり面白いです。だけど問題はそれを商品にする際、多分、俺と聖先輩、それから一部の先輩以外に保守管理が難しんじゃないかと考えてしまって…」
どうすればうまく伝えられるのか考える。だが、疲労が原因かうまく考えが纏まらない。俺は大きく溜息を吐き、首を鳴らした。
「仕方ない。今日はもう中田について考えることをやめよう。
それじゃあ、定時なので聖先輩お先失礼します」
脱力感を感じながら俺は研究室を後にした。今日は寄り道しないでそのまま自宅に帰る予定だ。仕事のことを考えるのは本日はこれで最後だが、自宅に帰ったらやらなければならないことがある。
俺はそのやるべきことの計画を考えながら街中を歩き、自宅に向かっていた。しばらくして自宅に到着した俺は着ていた衣類を洗濯籠に入れ、身軽な服装に着替えた後、外に干していた洗濯物を取り込み、タンスに衣類をしまった後、デスクパソコンに電源を入れる。その間に冷蔵庫にしまっていたアイスコーヒーを取り出し、グラスに注ぎ、そのグラスを持って再びデスクパソコンの前に座った。
「さて、やるか」
俺は嘉祥寺から託されたVelu言語を用いてとあるプログラムを開発していた。
あの飲み会の後、Velu言語を託された俺はPDFの取扱説明書を見ながら無事に導入をすることができた。当初はアスクレピオスから託されたあのアプリ並みにデータ量が多いのかと不安だったが、案外データ量は少なく、その心配は杞憂に終わった。
Velu言語の扱いは前の世界で当然のように扱っていた為、操作する分には問題はなかったが、一つ大きな問題があった。それは入力したプログラムを試運転できるプログラムがこの世に存在しないことだ。
そのため、俺は最初に試運転できるプログラムを作成する必要があった。その問題を嘉祥寺に相談しようと電話を手に取ったがすぐにやめた。
現在彼は日々デスク画面とにらめっこしてFXや株の変動を観察している身である。特に今の時期は決算処理などでその変動がかなり大きい。過去に一度だけ嘉祥寺に連絡した時に、その余計な連絡のせいで口には言えない巨額を逃したと怒鳴られたことがあった。それ以降、俺と白橋はこの時期は決して嘉祥寺に連絡をしないことを約束していた。
そのため、最初は手探りの状態で何とかVelu言語専用試運転アプリを作成しようと色々試みた。当然、失敗も多く既存のプログラミング言語で作成しようとするならば完成するまでに数年かかるだろう。だが今回用いた言語はVelu言語。何回か失敗することはあったにせよ、一か月未満でそのプログラムを完成することができた。
そして現在、俺は自作の試運転アプリを用いて新たにアプリを作成していた。程々なペースで入力し、アイスコーヒーを口にしながら俺は地道に新たなアプリ『ニューマンプログラム』を開発していた。
その作業もそろそろ半年近くなるだろう。一からプログラミングする上、たった一人で作業しつつ、日常生活の業務に支障が出ないように進行するには少々過酷すぎるスケジュールであった。
「この時代にVelu言語を扱えるのは俺一人だけっていうのも悩みだな。せめてもう一人いれば作業がはかど…らないか。俺はともかく、他の技術者はそもそもVelu言語を理解することから始めないといけないか。それ以前に、プログラミングできるのは俺だけだからこの作業も一人でやらなきゃいけないわけだ」
全く仕方ないと愚痴をこぼし俺は画面を見つめる。普段の生活上、プログラミングにかけられる時間はわずかだったが、毎日地道に作業し続けた成果は出てきた。アプリの基盤は既に完成し、後はバグやエラーの問題を解決すれば試作品として十分な性能となる。目指す目標としてはこのプログラムを導入した状態を嘉祥寺や白橋に見せること。次回の会議がいつになるかは決まってはいないが、それまでには完成させたいと思っている。
しかし、プログラムを完成させても大きな問題が二つある。一つ目はニューマンプログラムそのもののデータ量が非常に重く、デスクパソコンでやっと起動できる代物であるということ。現に現在進行形でプログラミングをしているが、非常に重く最近はストレスを感じている。
だがこの点に関しては大型のサーバーを一台購入すれば解消する問題のため、嘉祥寺の繁忙期が終わったら交渉することにしている。しかし問題なのは二つ目だ。
二つ目の問題。それはVelu言語に対応しているハードウェアがまだこの世にが存在しないということである。
既存のハードウェアでも搭載することは可能だと思うが膨大なデータ量によっておそらくすぐに容量を超えてしまう。加えて、ニューマンの人工知能の他にロボットとしてのセンサー機能や視界情報、動作プログラムも必須となる以上、既存のハードウェアを使うことはできない。実際に前の世界ではそれが問題で既存のハードウェアを使うことはなかった。
それを解決するために前の世界で俺と嘉祥寺で完成させた手作りのVelu言語対応のハードウェアをコアとしてプログラムを搭載していた。その設計図は今でも俺の頭の中に入っている。材料さえあれば作成することはできるが、ここで新たな問題が発生する。
それはコアを作成するためのパーツがまだこの世に存在していない。正確に言えばまだ一般販売していないのだ。詳しい概要は覚えていないが、アメリカで作られた特殊なパーツだった。それがなければニューマンロボットを開発することは不可能に等しい。以上の理由から俺の理想としているニューマンロボットの完成までは程遠かった。
「問題は山積みだな…。ロボットは不可能だとしても、サーバーから俺のスマホに対応してニューマンをビデオ電話形式で繋ぐ方法も検討する必要があるな。全く、道のりは険しいな」
ゴールまでの道のりは彼方の向こうであるが、悪い気分にはならなかった。それどころか逆に俺の闘争心に火が付く。現代では不可能といわれた技術に到達しようとしているこの瞬間こそ、俺が最も楽しいと感じる瞬間であったからだ。
「さてと、今日はどこまで進展できるかな」
せめて十二時になったら寝ようと心の中で決めた俺は続きの作業に没頭する。無数のプログラムが並ぶVelu言語を見て、俺は見慣れてきたなと感じながらも、黙々と進める。その体感時間は一秒が十秒のように感じた幸せな時間であった。