2031年9月 託された思い(中)
「…馬鹿野郎」
動画を見終えた俺は小さく呟いた。
アスクレピオスの最期は純粋な子供だった。普段は無機質なロボットのように敬語ばかり使っていたが、最後の最後に限って子供のように話した。子供のような純粋な精神を持ったロボット。それこそが俺の目指したニューマンの理想形であり、完成形であった。それをアスクレピオスは最期に成し遂げたのだ。地球上の全生物を抹殺し、他のニューマンすらいなくなった地球で俺には想像もできない途方もない年月をかけてようやくその領域に辿りついたのだ。
「最後の最後に正気に戻ったと思ったら…その瞬間死ぬとか全く仕方ない。本当に馬鹿だよ」
大切な何かがなくなり胸にぽっかりと穴が開いた気持ちだ。この感情が何なのかすべてを理解できなかったが、一つだけ理解していた。結果的に裏切られ、殺されかけたとはいえ、アスクレピオスは俺にとっては大切なロボットであり、息子でもある。その息子が最後に残したメッセージを開発者であり、親である俺はその責務は果たす義務がある。
「アスクレピオス。お前の意思は俺が引き継いだ。ゆっくり眠れ」
液晶テレビの録画動画を閉じ、俺はノートパソコンにUSBを差し込む。USBに保存されていたのはとあるアプリとその概要書だった。アプリ名は『The・LostWorld』。アスクレピオスの世界は皮肉にも負けてしまった。その意味を込めてだろうか?そんなことを思いつつもそのアプリの概要書を開き、確認する。
アプリの概要書を確認した俺は驚愕を隠せなかった。
「アスクレピオス。お前はなんてものを作ったんだ…」
早い話がこのアプリは未来の道筋を数値として表している道標である。その正確さはほぼ全ての平行世界を観測し、何万手先の未来すらも予測する。概要書にはそう書いてあるが、これが本当ならば俺が知っているあらゆるITの産物の中でもこれは最高傑作である。
基本的に数値は-999から999まで表示し、0以下になった場合、あの未来に到達する。それを理解した俺は先ほどのビデオでアスクレピオスが伝えた言葉を思い出す。
「『大きな変化を与えるべき』か。となると、今の数値は0以下ということか。だが、どうやって変化を与えるんだ?」
俺はこのアプリについてもう少し調べようと操作しようとした時、着信画面になった。画面に電話番号と『聖』と表示されている。俺は電話に出ると聖が大声で俺に呼び掛けた。
『弁田君!仕事をボイコットするのはどうかと思うね!』
「あ…やっべ」
『完全に忘れていたね!鮫島さんが怒っていたね!仕事する気はあるのかねぇ~ってね!」
まさか運悪く鮫島部長が研究室に来るとは思わなかった俺は急いで屋上を後にした。アプリを調べるのは自宅に帰ってからじっくり調べようと思考を切り替え、駆け足で研究室に向かう。研究室に戻ると、聖先輩と鮫島部長が研究室で雑談して待っていた。
俺は背筋を凍らせながらその研究室に入っていった。すると鮫島部長は相変わらずの笑顔で俺に話しかけてきた。
「弁田くん。きみは~なにしにここへきているんだぁ~い?」
前言撤回。かなりご立腹である。高身長とヤクザ顔負けの威圧感は俺の思考を鈍らせるには充分すぎた。
「とりあえず~。へや、こようかぁ~」
「は、はい」
そのまま俺は部長室で鮫島部長からありがたい長い説教を受けた。余談だが、アスクレピオスに銃口を向けられた時以上の恐怖で俺は途中心が折れそうになった俺の表情を見て聖先輩が本気で心配していた。
後日、俺は鮫島部長のペナルティーによって企業案件を通常の倍の仕事をすることになった。午前中はプログラミング、午後は本社に戻り、企業案件を手伝うという過酷なスケジュールだ。
「鮫島部長は人を良く見ている。本当に俺が嫌なことを理解しているな…」
プログラミングが大好物とも言える俺にとって、この罰は効果覿面であった。好きなことに時間を割くことが許されず、言っては悪いがつまらない企業案件の手伝いと本社の手伝いをする。俺の精神を削るには適切な処置ともいえるだろう。幸いにもこのスケジュールは一週間程度で終了らしいので、それまでの我慢である。黙って耐えてやると決心する。
「久しぶりに本社に来てみたが、相変わらず大きいな」
渋谷の一等地に建てられている巨大なビルの中入ると去年見慣れた景色を思い出す。入社当初やタイムリープする前に勤めいてた頃とは変わった変化はなく、見たことがある人物もいた。
受付を済ませた俺は約一年ぶりに本社の中に入る。当然だが、社員も多く、今も業務に追われている日々であった。担当の人が来るまで待っていたところ、意外な人物が俺に挨拶をしてきた。
「おや?弁田君じゃないか。一年ぶりだね。向こうの調子はどうかね?」
話しかけてきたのは四十歳後半の若顔の社員だった。清潔感のある髪型はワックスできちんと固めており、スーツには目立つしわが一つもない。この人物こそ、俺を研究部に異動した張本人、木野田部長である。
一年前はこの部長の名前を知らなかったが、移動して鮫島部長からこの人物の業績を聞いたときは驚きを隠せなかった。巧みな手腕と高い顧客満足度をキープしつつ、常に業績はトップ。人望も厚く、結婚して二十年近く、家族との仲も良好である。そしてこの人物の最大の特徴は才能を見出してその人物に適した職を与えることである。彼が育成した部下はいずれも転職してしまったが、そのスキルを活かして一流の会社の転職に成功している。そのことから一部のメディアからは部下を転職をさせることが天職ということから『天職の木野田』と呼ばれている。
「お久しぶりです。木野田部長のおかげで楽しく研究がはかどっています」
「そうか。充実して何よりだ。しかし、そんな君がなぜここにいるんだい?」
俺は事の顛末を木野田部長に話した。すると木野田部長は苦笑いして俺の肩を叩く。
「災難だったね。たまたまさぼっているところを目撃されるとは…」
「全く仕方ないですが、これも罰です。
幸い、期間は一週間だけですので。そうだ、木野田部長、この案件についてですけど、どこで話し合う予定でしょうか?」
「どれどれ…。そうか、弁田君が研究部から派遣された人物か。納得したよ」
「どういうことでしょうか?話の意図が見えないのですが」
「この案件は私が担当している案件なんだ。ちょうど、部屋の準備もしているところだったから一緒にしてくれるかい?」
俺は木野田部長の頼むを引き受け、話し合うであろう個室に向かった。個室の中は小さなテーブルの他に上着をかけておくためのハンガーが少々とそっけない場所であったが、防音機能もしっかりしており、雑音一つ聞こえなかった。これならば企業の話し合いの場に適しているだろう。
個室の掃除をしている間、俺は今日来る企業について質問していた。
「今日いらっしゃる会社って何をしている会社ですか?」
「金融企業だ。依頼はシステムの更新とメンテナンスと事前に伺っている。今回はそのシステム更新をどうするか、いつまでに終わらせるかという話し合いだ。詳しい概要を知りたいなら、この概要を読むといい」
そういって木野田部長は俺に資料を渡す。内容を軽く見ると企業がやりたいことについて詳しく記載していた。ページをめくっていると、企業の名前が記載しているページに辿り着く。俺はその企業の名前を見て、どこか引っかかった感覚を覚えた。
「この企業、どこかで聞いたことがあるような…」
しかし、何も思い出せず俺は資料を机の上に置き、掃除を続ける。十分後、掃除を終えた俺は個室を後にして話し合いが始まるまで待つことにした。木野田部長は必要な道具があるといって自室に戻ってしまったが時間になれば姿を現すだろう。
近くの自動販売機にお金を投入し、コーヒー缶を購入していると見知らぬ人物に声をかけられた。新品なスーツを着たその人物は額縁眼鏡に七対三で髪型を止め、特徴らしい特徴がない顔だった。
「お前、なんでここにいるんだ?」
「…失礼ですが、あなたは?」
「な!?俺様は去年この会社でトップの成績で研修を終えた天才、中田だ!よく覚えておけ!」
「ああ、同期ですか。それで一体どうしたんですか?」
正直、研修を一か月も終えていないで別の部署に異動した俺にとってこの人物の印象はかなり薄かった。というか同期の顔はほとんど覚えていない。正直言って迷惑極まりないが、一応用件だけは聞いておこうと思った。
「なんで一か月でクビになったお前がまだ会社にいる!一体どうやって残ったんだ!?」
「人のことは言えないが、随分と失礼だな。
どうも何も、私は早めに研修を終えて異動しただけだが?」
「新人研修が一か月未満で終わるわけないだろう!
現に去年木野田部長に呼ばれてしばらくした後この会社に戻ってこなかっただろう!」
その言葉を聞いて俺は納得する。事情を知らない人物の視点では俺はすぐに退職した同期として見られてもおかしくないだろう。加えて、俺が異動したのは例外中の例外であったため、中田の言葉に信憑性が増すのは当然の結果ともいえる。
「うーん。えっと、中田だっけ?仮にだが、私が説明するとして、あなたは納得するのか?」
「しないな。だが、一応聞いておいてやる」
傲慢とはまさしく彼の態度を表すだろう。俺は半分呆れた状態で中田に何があったのか語り始めた。予想通り、中田は傲慢な態度を一切崩さず俺の話を否定し始めた。
「猶更ありえないな。お前が開発部に異動だと?馬鹿も休み休みに言え」
「ちゃんと言ったからな。じゃあ、私は仕事があるから」
そういって俺はこの場を後にした。中田は俺に勝ったと思ったのか勝ち誇ったような表情をしていた。もはや子供以下の態度に俺は怒りを通り越して憐れみを感じていた。一体どんな生活をすればあそこまで歪んだ性格になってしまったのだろうかと。
話し合いが始まる十分前に俺は木野田部長と合流し、企業が来るのを待った。すると五分後、その人物は現れた。相手は男性社員と女性社員の二人であり、男性社員は何度も経験を積んできたのか落ち着きがあった。一方で女性社員はまだ若手なのか男性社員の後ろに隠れ、この空気になれず少し落ち着いていないように見えた。
男性社員は木野田部長に気づくと革靴が廊下にぶつかる心地よい音を鳴らしながら近づいてきた。
「こんにちわ木野田さん。今日もご相談のほどよろしくお願いします」
「よろしく頼む。ああ、そうだ。今日は彼も同席してもよろしいかな?」
木野田部長に背中を押され、俺は目の前の人物に挨拶をした。
「初めまして。パブリック・システムズ、特別開発部所属の弁田です。この度、プログラミングの担当をさせていただきます」
「ほう、あの開発部の社員かい。しかもかなり若いね。木野田さん。彼は何年目だい?」
「今年で一年です。開発部に異動したのはちょうど一年前です」
すると目の前の人物は驚き、俺に関心を持った。第一印象を覚えられるのは悪い気分ではないが、タイムリープする前の初めての仕事に比べると少しばかり緊張していた。すると目の前の男性社員は俺に名刺を差し出して挨拶をし始めた。
「この度御社に依頼をした渚といいます。
あなたの実力、期待していますよ。さて、君も挨拶しなさい」
渚の後ろに隠れてよく見えなかった人物の姿が現れた。その人物を見て俺は心の中で驚愕した。
「初めまして。渚課長の部下の白橋です。本日はよろしくお願いします」
目の前で挨拶している人物、白橋は軽く挨拶をすると俺のほうを見つめた。すると白橋は上司二人に気づかれないように俺に対して軽くウインクをする。昔と変わっていない態度に俺は少しだけ緊張感が緩んだ。
その後、予定通り案件の話し合いになったが、意外にも長引かず、あっという間に終わった。俺はシステムの疑問について回答するだけであり、これからの予定や締め切りといったものは全て木野田部長が話をつけてくれた。相手の渚はその対応に満足したのかかなり上機嫌で会社に戻っていた。今日のやることが終わった俺は今日の業務に戻ろうとした。
「弁田君。少し時間あるかね?少し話したいことがあるんだが…」
「大丈夫です。多少の時間なら仕事に影響はありませんので」
業務に戻ることをやめ、俺と木野田部長は個室の椅子に座る。一体に何を話すのかと思った俺は木野田部長の話を聞く態勢になった。
「さてと、木野田部長。話したいことって何ですか?」
「うむ。実は来年特別開発部に送る人物が決まったんだ。そのことを鮫島さんに伝えてほしんだ」
その言葉は俺にとっては意外ではなかった。開発部は基本的にこの会社に勤務して数年結果を残し続ければ自然とその部署に配属されることが決まっている。しかし、新しい商品を研究するという使命を負いつつ、普段の業務をこなすという仕事量にその異動はそう簡単に起こることではない。
「わかりました。ちなみに、その人物は誰ですか?」
「君の同期の中田君だ。最も、君にとっては印象は薄いかもしれないがね」
その人物の名前を聞いて俺は少しだけ意外だと思った。第一印象はかなり傲慢な奴だと思っていたが、木野田が評価しているということはそれなりに実力はあるということだろう。だが、あの人間性が現場の人間とコミュニケーションできるのかと疑ってしまう。俺は念のため、木野田部長に確認をする。
「確認ですが、私の同期に中田は一人だけですよね?」
「少なくとも君の同期で中田は一人だけのはずだ。では、よろしく伝えておいてくれ」
そういって俺と木野田部長は個室を後にして互いの仕事を行うべく、行動を始めた。といっても俺は研究室に戻り、鮫島部長に今回の話した内容と先ほどの件について報告するだけだが。
俺はふと時間を見てみる。昼時は過ぎ、昼食を食べ損ねた俺にとっては少々腹が減ってきた。研究室に戻る前にどこかお店によって昼食を食べても問題ないだろうと判断して周囲を見渡す。大森駅と違って様々な飲食店が並ぶ通りに出た俺はファストフード店にて昼食をとることにした。既にピークタイムは過ぎ去り、店内の客足も少なかった。座席を確保して注文した食べ物を食しているとスマホにメールが届いた。
メールを開くと先ほどの話し合いに同席していた白橋からだった。メール内容は近いうちに三人で集まってご飯を食べに行く予定があるけど参加するかというメールだった。一年越しに再開する仲間たちとじっくり話し合いしたいと思っていた俺はすぐに参加すると返信した。しばらくすると再び白橋から返信があり、近日中に食事会を行うことになった。
その確認を終えた俺は注文した食べ物をすぐに食べ終え、研究室にへと戻っていった。