2030年4月 新人研修と異動
大学を卒業した同年、春先に会社の入社式を行った俺は現在は大勢の社員と共に社内を研修を受けていた。
俺が入社した『パブリック・システムズ』(通称PS)という会社はITの中でもソフトウェアとインフラに力を注いでいる。IT業界の中でも大手に通用するほどの技術を持ち、信頼が厚く、数多の企業がお世話になっている。
中でも売り上げの三パーセントをほどの費用を用いて行っている新人講習は大手企業にとっても参考になるほどであり、大金をかけている分、指導者はIT業界の中でもエリートといえる人たちばかりだ。指導方法も内容も初心者にとっては理解しやすく育成環境としては高水準だろう。
とはいえ、学生時代にプログラムを組んでいた俺みたいな人間にとってこの新人研修は大学の復習といってもいいだろう。時折、指導者に回答困難な質問をしては周囲に白い眼を見られていたが、特に気にしなかった。俺にとっては知りたい技術であり、夢を叶えるためには必要なことだからである。そんな態度をし続けた結果、当然俺は他の研修生と壁ができてしまった。
「…なぜこうなった。いや、原因はわかっている。しかし、こうもあからさまだとな」
研修の宿題を人一倍早く終わらせた俺は指導者に名指しで呼ばれ、部長の前に立たされている。五十歳に近い部長の表情をまっすぐとみることができなかった。もう首を切られるのか?そう思っていた俺だったが、かけられた言葉は意外にも穏やかな言葉だった。
「君は一体何をしているのかね?」
「私はわからないことを聞いています。つまり質問です」
「それはわかっているんだ。質問の意図もわかる。
しかし、君が質問している内容は一部の人間にしか理解できない。初心者ならば猶更だろう。君にとってこの研修はあまりに退屈だろう。そのうえでもう一度問おう。
同期と話すどころかむしろ敵対し、その上貪欲に技術を学ぶその姿勢は一種の尊敬の念すら感じる。だが、それでは君にとってマイナスだ。交流せず一体何をしているのかね?」
「交流する時間があるなら知識を蓄えて、実力をつけたいからそうしているだけです。
…もしかしてもうクビですか?」
すると部長は大声で笑った。そこまで滑稽なのかと内心不満に思ったが、木野田部長は笑い終えると本題に入り始めた。
「そんなわけないだろう。少し難ありだが君みたいな才能を持っている人材をおいそれと手放すわけないだろう。先ほど人事部の知り合いに頼んで君の履歴書を拝見させてもらった。
確認だが、君のその知識は独学かい?それとも大学の授業で習ったことかい?」
目の前の部長に俺はその質問に対して嘘偽りなく答える。大学でもプログラミングは学んだが、ほとんどは独学であること。知識については試行錯誤を繰り返した経験によって身に着けたこと。そんな質疑応答を繰り返り、部長は一通りの質問が終えたのか次の話を始めた。
「弁田君。一つ提案があるのだが、このまま研修をしてもおそらく君のためにならないだろう。そこでだが、我が社では非凡な才能を見つけた場合、例外として研修過程を省略して、とある部署に派遣できる制度がある。
無論、君みたいな人間は稀だが。どうだろうか。その部署に行く気はないかい?」
その提案に俺は目を丸くする。現在受けている研修は指導者には悪いが、自身の身のためにもならない。なら、その部署に行って開発をするもの悪くない。むしろ断る理由もない。俺は前向きに検討するためにいくつか質問をする。
「部長、いくつか質問してもよろしいでしょうか?」
「何かね?」
「一つ目はその部署は何をしている部署でしょうか?」
「我が社の新たな商品を開発するための研究と言っていい。
次世代型のゲーム機の開発のほかに、人工知能、自動車、ナビゲーションシステム…と様々なものに手を伸ばしている。
基本的にこれといった指定はないが、近年では他社との協力をして自動車のシステム研究開発を行っている」
「なるほど。では二つ目の質問です。給与はどれくらい増えますか?」
「当然の質問だな。そうだな…あの部署に所属した社員は例外なく給与が上がっているからな。確か資料があるからこれを参照したまえ」
部長からもらった資料に目を通し、その給与に俺は息を吞む。今の給料がざっと二十万ぐらいであり、俺の場合は応用情報技術者の資格も持っているため、会社の給与システムによってさらに給料が加算される。だがこの資料ではそれらを含めた金額が最低限の給与であり、そこから対象の資格の数によってさらに加算されている。はっきりって新入社員が手に入れる金額ではない。
一瞬、欲望に負け即座に頷きそうになったが、俺は一番大事なことを部長に聞いた。
「最後の質問です。
…その部署に所属した場合、転職できないとかはないですよね?」
「そんなことはない。我が社で得たスキルを他社のために使うことは少し抵抗があるが、我が社の方針は『未来を導く技術者を育て、世界を創る』だからね。その技術を生かして世界に貢献するが悪いわけがないだろう」
その言葉を聞き、俺は一安心する。万が一、一度所属したら終身雇用というスタンスであれば惜しいがこの提案を拒否する必要があったからだ。本当にこの会社に就職できてよかったと思い、俺は決断を言った。
「わかりました。部長の提案に乗ります。ぜひ、私の技術を生かさせてください」」
「では近日中に手配しよう。君にとって少々酷だが、それまでは研修には参加したまえ」
要件が終わった俺は一礼して部長と別れる。しばらくは研修に行き続ける必要はあるが、それも束の間である。時折誰かがすれ違う廊下の中、俺は心の中でガッツポーズをしていた。
「まさか研修を省略できるとは思いもよらなかったな。
にしても、そんな部署があったとは…」
タイムリープする前に入社した時と今の俺とでは比較にならない程実力が離れているだろう。初めてこの会社に来た時の実力はよくて中の上ぐらいの実力だった。しかし、今はこの会社に三年間仕事に尽くし、個人で研究を続けてきたからこそずば抜けた実力を持っている。正直、嬉しい誤算だった。新たな部署に配属され、技術を思う存分振るえると想像するだけで昂ってくる。
「昔と違った道を進んでいるが、これで未来が変わる可能性が出てきたな」
絶望しか待っていない未来を改変する。それが第一の目的である。故にこの選択が未来を大きく変える要因になってほしいと願い、俺は研修所へ戻るのであった。
部長との話し合いから一週間後、俺は本社から離れ、配属先に移動していた。本社は渋谷駅の近くにあったが俺が今行こうとしていた場所は渋谷から離れた大森駅だった。
満員電車から降りた俺は駅の外に出る。いわゆる通勤ラッシュという時間帯のためか人が多く、スーツを着たサラリーマンが町中を歩いている。中には学生も見かけるが、それは少数だ。少子化問題が発表されて数十年たつが未だに解決できていない問題だったがここ数年は何とか持ち直しているらしいが。
「さてと、俺も職場に向かうとするか」
職場は駅から歩いて十分弱とそう遠くない。到着した場所は中規模なビルだった。ここに来る前に部長から配布されて資料を読み二フロア借りているといわれていたが、ここまで予想より少し大きめなビルに多少驚きを隠せない。何よりこんなところに会社があるとは思いもよらなかった。
「すごいな。こんな場所に部署があるとは初耳だな。さてと、とりあえず入るとするか」
玄関から入った俺は自社のフロアを把握する。(この時初めて知ったがこのビルは8階建てらしい)どうやら俺の会社は6階と7階に部署がある。早速エレベーターに乗り、そのフロアに行こうとした時、ちょうど人が一人エレベーターに乗ろうとしていた。
俺は咄嗟に開けるボタンを押し、その人をエレベーターに乗せた。
「何階に行きますか?」
「それじゃあ、6階のボタンをお願いするね」
『ね』というちょっと馴れ馴れしいと感じる口癖を使う女性が選んだ階は奇遇なことに、俺の向かおうとしている階が同じだった。俺はもしやと思い、女性に話しかける。
「えっと、自分も6階に用があったのですが。あなたもPSの社員ですか?」
『PS』とは社内におけるこの会社の略語である。この言葉の意味を知っているということは同じ社員であるということを示している。俺の予想通り、女性は俺の言葉に驚き反応した。
「え!?あなたもPSの社員なの?にしては服装がスーツだけど…。
もしかして今日が初めての出社なんだね?」
「はい。本来なら研修を受けていたのですが、部長からこちらの部署に異動しないかと提案されて…」
「なるほどね。それでここに来たと。フーン?」
その人物、否、彼女は俺の姿をまじまじと観察する。桜色の口紅に黄色人よりも澄む白い肌。ハーフなのかクォーターなのか不明だが、日本人らしからぬ美しい碧眼とサラサラと流れる美しい茶色のロングヘアーは彼女の愛くるしさが伝わってくる。白橋が美人であるならばこの女性は可憐であると表現すべきだろう。
そんなことしているといつの間にか6階に到着したらしく、知らせるベルがエレベーター内に響き渡る。そこで意識が現実に戻り、俺は咄嗟にエレベーターから出た。まずは受付にと思い俺は左右を見渡しているところで彼女が声をかけ俺をとどめた。
「受け付けはそこから左に進めば辿り着くね」
「教えていただきありがとうございます。ところでお名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
すると彼女は朗らかな笑顔で俺に名前を教えてくれた。
「わたしは七瀬聖。また会おうね弁田君」
会釈した後、聖先輩はどこかに行ってしまった。おそらく彼女の仕事場に向かったのだろう。俺は一礼して聖先輩がいなくなったことを確認した後、何かを見逃しているように思った。胸に引っかかる違和感をしばらく感じていたがその疑問は受付に到着してようやく気が付いた。
「なんで聖先輩は俺の名前を知っているんだ?」
だが疑問はあっさり解決した。受付に紹介状を渡した俺はしばらく待っていると受付から奥の部屋に向かってほしいと指示され、速やかに奥の部屋に進んでいく。すると受付の人たちや他の社員と比べて年齢層が著しく高い人物が待っていた。俺はその人物に礼をして挨拶をする。
「本日よりこの部署に配属された弁田聡です。よろしくお願いします」
「おお~。よろしくね~。ま、とりあえず、すわんなさいよぉ~」
声だけ聴くとのんびりとした口調でおっとりとした人物のように見えるが、反面外見ははかなり物騒だった。顔には大きな傷跡が残っており、左目には眼帯をつけている。加えて百九十センチある大柄な体と少し生え始めた無精ひげはその人物に荒々しさを感じた。
行く場所間違えたか!?と一瞬考えたが、目の前の人物はできるだけ愛想良く笑って話し始めた。
「わたしが~ここのぶしょをかんかつしている鮫島だよぉ~。いちおう、きみのじょうしということになるねぇ~」
「よ、よろしくお願いします」
「そうそう、まずきみにひとつきかなきゃいけないことがあるんだよねぇ~」
穏やかな口調と見た目のギャップについていけない。頭の整理がつかない状態で鮫島は話をつづけた。
曰く、この部署では研究室が三つあり、ソフトウェア開発チーム、AI開発チーム、インフラ開発チームの三種類に分けられているらしい。異動する前の部署にも似たような名前があったが、鮫島部長曰く、その部署がやっていることは商品開発であって研究ではないらしい。
その他、給料、休日、残業手当などの一通りの説明が終わった後、鮫島部長は俺を睨んだ(目つきが鋭いからそう見えるだけである)。
「さてと、たしかきみはAIのかいはつにしぼうしていたんだっけぇ~。そうなるとぉ~きみのたんとうはかのじょになるかねぇ~」
すると鮫島部長は部屋に据え置きされている電話を手に取り、連絡を始めた。しばらくすると、部長室の扉の前でノックする人物が現れた。鮫島部長はゆったりとした口調で返事するとその人物が部屋に入ってきた。
「弁田くん。かのじょがきみのじょうしだよぉ~。なかよくしてねぇ~」
その言葉に現れた人物、七瀬聖は俺の顔を見て若干驚いていた。俺も驚いたがまさか先ほどすれ違った彼女が俺の指導者人なるとは思いもしなかったからだ。
聖先輩は俺のほうに向き、手を差し出した。つまるところ、握手である。俺はその手を握り、彼女の好意に返答する。
「本日付でAI開発部に所属が決まった弁田聡です。よろしくお願いします」
「改めて自己紹介するわね。わたしは七瀬聖。AI開発部の所属している社員ね。よろしく弁田君」
差し出された手を俺は強く握り、歓迎を受け入れる。入社して一か月もしないうちに俺は新人研修を修了させ、未知の部署に異動した。のちにこの異動が未来に繋がる道筋に大きな変化を生み出すことになるとは未だ知る由はなかった。