8、リウーカ学園への帰還
「いよいよ地上世界へ帰る日が来たんだね……」
などと魔法陣の上でつぶやいたけど、実際はたいして感傷的な気分にはなっていなかった。
次元の狭間では食事も睡眠もとる必要がなく、ただひたすら魔族と闘い、気が向いたら休んで、また闘うというルーティンを繰り返した。
魔族との戦闘は刺激に満ちていたせいか、ここへ転移してきてからさほど時が経った感じはしない。
(せいぜい二カ月くらいかな?)
でも、地上世界では一年以上が経過しているらしい。
ちなみに時々、エルシーと話をしたりもした。
といっても、ほんの少しだけだ。
次元の狭間ではわずか数分、話しただけのつもりが、地上では一カ月が過ぎていたということになりかねないからだ。
「名残惜しいの?」
「そんなはずな……くはないかな」
「ホントに!?」
「うん。だって、エルシーと初めて会った場所だからね」
僕がそういうと、エルシーははじけるように笑った。
「アハハ! 真顔でそんなこといわれたら、ハハ、照れちゃうじゃないか!」
エルシーは本当に楽しそうに笑う。
その姿を見ていると、たったひとりで地獄という言葉ではいいあらわせないような、酷い闘いの日々を経験したとは信じられない。
僕はそんなエルシーを見て嬉しくなった。
もっと笑わせたい。
もっと喜ばせたい。
そう思った。
「エルシー、きみはもうすべてのちからを失ってしまったんだろう?」
「うん。今の私はもう勇者なんかじゃない。ごく普通の一七歳の女の子だよ」
「……そうなると思ってたんだよね?」
「うん。でも、まさかあんなことができるなんてねぇ」
エルシーは転写魔法で勇者としての能力を完全に失った。
けど、ふたりの魂の一部が融合したせいか、僕の魔力を彼女と共有できるようになっていた。
どれだけの魔力量を共有するかは、僕が自在に決めることができた。
「想定していたとおり勇者の能力を失っていたら、エルシーは地上世界でなにをするつもりだったの?」
「あっちに帰ってから考えるつもりだったよ。能力を失っても知識はそのままだから、なにかしら仕事はあるんじゃないかなって思ってたんだ」
さらっとこたえたエルシー。
実際、彼女なら能力の有無など関係なしに、世間を軽やかに渡り歩いていくだろうなと思う。
「やっぱり、無理に僕を手伝うことないよ。エルシーはもう充分に闘ったんだから、これからはゆっくり人生を楽しんでも……いぎゅっ」
エルシーが僕の頬を両手で押し包んだ。
僕にこれ以上喋らせまいとする時の、エルシーの癖だ。
「それについては散々話したじゃないか。私はユーリのサポートをするって決めたんだ。きみが嫌っていっても、絶対離れないよ」
「エルシー……」
こんな可愛い笑顔を浮かべられたら、ダメだなんていえなくなる。
僕は胸が温かくなるのを感じた。
「そろそろ行こうよ」
「うん」
僕は頷いて一言、
「『転移』」
すると、床に魔法陣が浮かび上がった。
『魔界の顎』で見たのと同じ紋様だ。
数秒後、周囲の景色がすべて消えた。
*
*
*
「…………………………着いた?」
「うん。これで今後、誰かがこの部屋に入っても、もう二度と転移魔法は発動しなくなった。今までありがとね、『魔界の顎』くん」
部屋の中は真っ暗だ。
「『灯火』」
小さな光球が宙にあらわれ、部屋中を明るく照らした。
ざらついた石壁に囲まれた、殺風景な部屋。
「次元の狭間でやるのと感覚的に変わらないなあ」
僕は地上世界と次元の狭間では、魔法を使ったり身体を動かしたりする時の感覚に、違いがあるんじゃないかと思っていた。
次元の狭間に転移した時は、気や魔力、瘴気なんかを感知する能力がほぼなかったので、違いがわからなかったのは当然だろう。
けど、勇者の能力を得た今ならわかるんじゃないかと思っていたのだ。
「人間は肉体が主ではなく霊体が主だからね。気や魔法を扱う能力に長けていればいるほど、差を感じなくなるんだ」
「そっか。じゃあそこそこに長けている程度だと、違和感をおぼえたりするのかな?」
「たぶんね。経験したことないからわからないけど。それより、さっさとここを出ようよ」
エルシーが早く外に出たくてうずうずしている。
「そうだね。でもどうやって出ようかなあ。転移魔法はあらかじめ魔法陣を描いた場所じゃないと使えないし……」
「石扉を壊せばいいじゃないか」
「え? いや、それは器物損壊になっちゃうからダメじゃない?」
「ここは器候補を私のところに連れてくるためだけに作られた部屋なんだよ? もう役目を終えたんだから壊していい。作った私がいうんだから間違いないよ」
「うーん……それもそっか」
ということで、僕は石扉に右掌を押し当てた。
「『衝撃』」
物体に衝撃を与え、破壊する魔法を使った。
ビキキッ!
石扉の部分のみに、いくつもの亀裂が走った。
そうなるよう衝撃力を調整したのだ。
(壊しすぎないよう魔力を抑えなきゃいけないなんて、昔の僕には考えられないことだよなあ)
今さらながら自分のあまりの変わりように、驚くより感心しながら、石扉をトン、と軽く押した。
石扉がガラガラと崩れ落ちた。
「エルシー、足下に気をつけてね」
「うん」
僕らは『魔界の顎』の外へ出た。
すると――――。
「ひいっ、せ、先生!」
「な、なんで『魔界の顎』から人型の魔族が!?」
「嫌っ、死にたくない!」
「皆、下がれ! 私の後ろに隠れるんだ!」
「「「「「はい!」」」」」
なにやら大変そうなことが起こっていた。
前の方で見知らぬ少年少女たち数人と大人の男ひとりが、恐怖に顔を引きつらせていた。
少年少女は僕が退学になった後に入学してきた生徒たちだろう。
そして、大人の男は………………。
「ディシャナ先生?」
「きみは……ユーリ・エルヴェディか?」
僕に退学をいいわたしたケイシー・ディシャナと、久方ぶりの再会を果たした。