5、僕は勇者になることにした
「それじゃ、『魔界の顎』に入って消えた生徒が、記憶を失って戻ってきたっていうのは……」
「転写魔法に失敗したんだ。魔法を発動している時に、どうしてもかなり恐ろしい思いをすることになるんだけど、それに耐えられなかったんだよ。なので、神聖魔法で心に受けた傷を癒してから、ここに来ている時の記憶を消して、元の部屋に転移させてもらった」
「じゃあ、恐怖を覚えてるっていうのは?」
「恐怖が強すぎて、私の神聖魔法じゃ癒しきれなかったんだ。あの子たちには本当に申し訳ないことをしたと思うよ。けど、いずれ再び世界が対峙することになる魔王を倒すためには、どうしてもやらないといけなかったんだ」
エルシーは苦悩の表情を浮かべた。
「きみが伝説の勇者エルシー・リウーカだっていうんなら、転写魔法なんかやらずに自分で闘えばいいんじゃないの? 魔王が封印を破れるなら、互角のちからを持つきみだってできると思うんだけど」
「互角じゃダメなんだよ。また同じことの繰り返しになっちゃう。それに、もし私より先に魔王が封印を破ったら? 私が地上世界へ戻るまでの間に、どれだけの被害が出ると思う?」
そういわれると、なにもいい返せなかった。
「それに、転写魔法に成功すれば、私と器になったひとの魔力が合わさって、もっと強くなるはずなんだ」
「でも……なんで僕? 僕は魔法も武術もまるで駄目で、一年で退学になっちゃったんだよ? 今までに転写魔法を試したひとたちは、僕なんかよりずっと優秀だったんじゃないの?」
「きみは成人の儀でリウーカ学園への入学資格があると判断されたんだろう? だったら、充分に器の資格ありだよ」
「エルシーは僕がどんなに駄目か知らないんだよ。だって、僕は初歩の火炎魔法もろくにできないし、迷宮での魔物相手の実戦授業では、いつも皆の足を引っ張ってばかりで……それに武じゅっ!?……」
話の途中で、いきなりエルシーが僕の頬を両手で包み込んだ。
僕はその柔らかな感触に、胸がドキッと大きく高鳴るのを感じた。
「いいかい? ユーリは成人の儀で認められたんだ。大きな黄金の光があらわれたんだろう? だったら間違いなく、ユーリには魔法の才能がある。だから、転移魔法を発動したんだ」
「どういうこと?」
「転移魔法が発動する前、透明な壁に邪魔されて部屋から出れなかったよね? あれは私が、きみが器候補になり得るか調べるために、急遽作った魔法の壁だよ。もう失敗を繰り返したくなかったからね。私は気と魔力を使って入念に調べた。ユーリ、きみは間違いなく器の資格ありだよ」
「うーん、そういわれても、やっぱりなにかの間違いだと思うよ? だって、本当に僕は自分でも呆れるくらい駄目なんだから。じゃなきゃ学園史上最低の成績なんかとらないよ」
「それはユーリのせいじゃない。リウーカ学園には、きみの才能を引き出すことのできる教師がいなかっただけだよ」
「でも……」
「私は伝説の勇者なんだよ。その私の言葉が信じられない?」
「い、いや、そんなことはない、けど……」
「だったら、試してみよう。さっき、ユーリは初歩の火炎魔法もできないっていってたよね?」
「うん」
「きみができないのは、ここの気の流れが滞っているからだよ」
エルシーはそういって、いきなり僕の両方の上腕骨頭と肩甲骨の間のちょうど真ん中あたりを、人差し指の先でズンッと突いてきた。
「痛っ!」
僕はたまらず両手で胸を抱きしめるように、突かれた場所に手を当てた。
「ごめんね。けど、すぐできるようにするには、こうするしかなかったんだ。ユーリ、火球を作ってみて」
「火球を? うん……『火球』」
僕は右掌を上に向けていった。
すると、直径五〇センチくらいの火球が目の前にあらわれた。
「うわっ、熱っ!」
僕は慌てて手を振って、火球を消した。
「え? え? なんで?」
僕は酷くびっくりしていた。
なぜって、こんなに大きな火球を作れたことなんてなかったからだ。
今までは、できても拳くらいの大きさがせいぜいだった。
なのに……。
「そもそも、魔法を上手く使うには肉体の強化も大事なんだ。自分の持っている魔力を最大限に使いたければ、まず気と魔力が全身をスムーズに流れるようにしなきゃいけない。けど、その微細な感覚を感じ取れるひとは少ないんだよ。そんなに難しいことじゃないと思うんだけどね」
エルシーはなんでだろうと不思議がっている。
「すごい……」
一方、僕は感動していた。
身体をちょっと突かれただけで、これまでできなかったことができるようになった。
めちゃくちゃ嬉しい。
「でも……」
「なんだい?」
「たしかに僕に才能がないわけじゃないってことはわかったよ。けど、それと器にふさわしいかどうかは別の話だよ。でしょ?」
「うん。それに失敗したらここにいた時の記憶を消されて、一生続く恐怖心だけが残るわけだから、無理にとはいえない。私にできるのは、器になってくれとユーリに頼むことだけだよ」
エルシーは静かにいった。
彼女に焦りや懇願する様子はまったく見られない。
けど……。
僕にはわかった。
エルシーが心の奥底で、僕に断られるんじゃないかと不安を、恐怖を抱いていることを。
そして、引き受けてほしいと強く願っていることも……。
「一〇〇年間、ずっとここにひとりで暮らしていたの?」
「うん。といっても、さっきもいったようにここは次元の狭間の世界で、地上世界とは時間の進み具合が違うから、ユーリが思ってるほど長くは感じてないよ。それに、魔法の研究と魔力強化にも励んでいたから、いろいろと充実してたしね」
「封印されてたのに、研究と強化をしてたの?」
「もちろん。魔王は封印が破れた時、さらに強大になって戻ってくるはずだよ。だから、私ももっと強くなって器になってくれるひとに、私と魔王を越える勇者になってもらわなきゃいけないからね」
エルシーはそういって笑顔を見せた。
(強いなあ……)
僕は感心した。
たったひとりで魔王と闘い、その結果、次元の狭間に封印された。
それでもなお、世界を守ろうとしている。
わずか一七歳の女の子なのに………………。
エルシーはさっき、ひとと喋るのはひさしぶりだから嬉しくなった、といっていた。
それは彼女が孤独だった、寂しかったっていうことなのだと思う。
(当り前じゃないか! 一七歳の女の子がたったひとりでこんなとこにいて、孤独でないはずがない、寂しくないはずがない)
僕は自然と涙を流していた。
「ええっ!? ど、どうしたの!? なにか悲しませるようなこといっちゃった?」
「ううん、違うよ……」
僕は涙を拭った。
そして、顔をあげた。
「エルシー、僕は器になるよ。転写魔法を僕にやってくれ」