鳥毛立ち女屏風
古を詠う
天平の 樹下で微笑む、女ありて ふくよかにすぎ 色香覚えず
鳥毛立ち女屏風を見ていると、あくまでも、肉付きが良く。敢えて言えば、今風の美人ではない。あるいは、当時の食料事情が、今とは比べ物にならないほど、切迫していたのだろう。だから、人々は栄養状態が悪く、油断すると、やせ衰えて餓死してしまう状況にあったのだろう。だから、豊満で、衣食住に何の苦労もなく生きている女性に魅力を覚えたのであろうか。今の日本に日々餓死の恐怖に曝されている人は少ない。代わりに油断するとすぐに肥満するという危機を感じている。飽食の時代なのだ。こんな、ある意味、幸せな、今の状況がいつまでも続くのだろうか。考えてみると、半世紀前は、バナナやパイナップルは超高級な食べ物であった。今はスーパーの安売り野菜の棚に山積みになっている。そういえば、昔、欠食児童などという言葉があって、健康優良児のコンテストなどが行われていた。選ばれる児童はどれもふくよかで血色が良かった。今ならば多分糖尿病を疑われるであろう。
スリムな八頭身の美人が持てはやされる昨今であるが、いつまでもこの飽食の時代が続くのであろうか。世界の国々を見る限り、一千数百兆円の借金を有する国がいつまでも裕福であるはずがない。将来は見えている。
ならば、今の状況に対して不満を言わずに現在の生活を楽しんでおこう。あの天平の時代でも、優雅に見えるが、実は裕福に暮らせるのは一部の上級貴族であって、一般庶民は飢餓や病気に苦しみ、道端で死ぬか、光明皇后の造った悲田院や施薬院などに棄てられた。
明日にでもそんな時代が来るのかもしれない。そんな時、行基の様に社会事業を行う僧が現れるのだろうか。為政者はなす術がなく、聖武天皇が廬舎那仏を造営したように、神仏にすがるしか手立てがなくなるかもしれない。権力者は、全てを手に入れて、安穏に暮らすのか。いや、並びなき権力者、例えば、光明子を皇后の位に就けるため、策を用いて、反対する太政大臣長屋王を自害させた、藤原武智麻呂(南家)、房前(北家)、式家(宇合)、麻呂(京家)の四兄弟も、天然痘で全て死んだ。
天然痘は弱き者も強き者も分け隔てなく滅ぼした。
おっと、螺鈿琵琶や鳥毛立ち女屏風などの正倉院宝物を考えていたら、つい、考えてしまった。
とにかく、先のことは分からないが、今、飽食の時代を楽しんでおくことにしよう。