あの日(後編)
「あたしね、あの日、本当はお姉ちゃんと約束してなかったんだ____」
そんな言葉で始まった藤田の話は、想像していたよりも凄まじいものだった。
ここまでの大事故は、テレビのニュースでたまに見る位のもので。
現実に起こった事が、信じられなかった。
いつもと違うのは、死亡者の欄に母さんの名前がある事だけ。
藤田の話を聞きながら、
人が撥ねられる瞬間というのは、こんなにも鮮明に残るものなのか。
とぼんやり考えていた。
講演会が始まり、ビデオが再生されて少し経った頃。
これまでよりも早く、藤田から呼び出しが掛かった。
クラスの真ん中を通って行くと、明らかに具合が悪いと解る位辛そうな顔をしていた。
そのまま保健室に行こうとして、先生が居ない事に気付く。
担任が来て、何があったのか訊かれた。
保健室で休ませたいと話すと、案の定断られた。
かと言って、このまま此処に居れば確実に悪化するだろう。
教室で休ませる事も考えたものの。
生徒が戻って来る事を考えると、静かな場所で休ませた方が良い。
保健室の鍵は開いているというので、
「だったら休ませる位は出来ますよね」
と言い残し、体育館を後にした。
足元がおぼつかない藤田を支え、廊下を歩く。
ペースを合わせているので、速度は割と遅めだ。
「ごめんね、青君。‥‥‥‥‥‥‥‥もう、大丈夫だから、戻って」
誰もいない廊下に、藤田の声が響く。
「いいよ別に。心配しなくて」
俺じゃなくて、自分を心配して欲しいんだけど。
青い顔でそんな事言われても、説得力ないし。
今でこそ危ういが、気絶していた最初の頃に比べればずいぶんマシになった。
程なくして、保健室に着く。
「何で青君が居るの‥‥‥‥‥‥?」
人を心配させておいて、ずいぶん酷い言い草だとは思ったけど。
いつもは連れて来るだけで、後の事は保険の先生に任せていたから、無理もないか。
「青君は、さ‥‥‥‥」
「知りたい?」
「あの日、何があったのか」
沈黙を破って、突然藤田がそんな事を言い出した。
「何で?」
なんて。
何を。訊いてるんだ。俺は。
わざわざ訊かなくても、話したくなったから以外に理由なんて無いのに。
本音を言えば、知りたい。
けど、
同時に、怖いとも思った。
その場にいた藤田でさえ、あんな状況だ。
真相を知って、彼女を傷付けるかもしれない。
俺の言った言葉で、傷付けるかもしれない。
そう考えたら、素直に「知りたい」とは言えなくなった。
______それを聞いて、自分がどうなってしまうのか。
怖かった。
そう考える事が。
心の中で、「藤田が傷付くなら」と。
もしかしたら。
ずっと、
そう思っていたのかもしれない。
彼女を盾にして。
今になっても、
俺は臆病なままで。
知らない間に、
ずっと、守られていたのかもしれない。
隣を歩く、彼女に。
だから。
俺は__________。
「あたしの、我が儘で、お姉ちゃんは‥‥‥‥‥っ‼︎」
「お姉ちゃんが死んだのは、、ぁ‥‥‥‥‥あたしのせいなの‥‥‥‥‥‥っっ」
彼女が泣いたのを見たのは、初めてだった。
いつもの元気さは何処にも無く。
どんな事があっても笑っていたはずの幼馴染は、
俺の目の前で泣きじゃくっていた。
泣きながら。
今はもう居ない「お姉ちゃん」と、ここに居る俺に向かって、
「ごめんね」
そう、何度も謝っていた。
「あたしのせい」
何度も、そう言って。
やっぱり思ってたのか。
そう思いながらも、
何も言わずに。
何も言えずに。
ただ、目の前で泣きじゃくる彼女を眺める事しか出来なくて。
唯一出来たのは、彼女の背中をさすってあげる事だけで。
「っぅ‥‥‥‥‥‥だから、‥‥‥ひっく‥‥‥‥だからぁっっ‥‥‥‥‥」
「あたしがっっ、、、お姉ちゃん、を‥‥‥‥‥‥」
その先は。
言われなくても、なんとなく分かっていた。
言わないで欲しかった。
それを言ったら。
きっと彼女は、もっと自分を責めてしまうから。
「望美」
何を言おうか、迷ったけど。
俺の口から飛び出したのは、彼女の名前だった。
何で名前呼んだんだろ。
内心戸惑いながらも、言葉を選んで口に出す。
「でも。母さんは、責任取って欲しいなんて思ってないと思う」
あの日から。
ずっと思っていた事。
ずっと思ってきた事を、初めて言葉にした。
「で、でもっっ‼︎」
彼女の気持ちは、凄く分かる。
話を聞くだけでも、充分に伝わって来た。
痛い程に。
もし俺があの場に居て、
同じ体験をしていたら。
どうなっていただろうか。
彼女の様には、なれなかったかもしれない。
多分、外を歩く事さえ出来なくて。
ずっと引き籠っていただろう。
あの事故の後。
藤田は2ヶ月程、学校に来なかった。
当たり前だ。
あんな悲惨な光景を目の当たりにしたら、誰だってトラウマになる。
あの日、速報として流れたニュース。
上からの映像でも、道路が所々赤く染まっているのが見えた。
あの場に居たら‥‥‥‥‥‥‥。
そう考えるだけでも怖くなった。
学校に来れる様になったと言っても、最初のうちは遅刻か早退がほとんどで。
ずっと保健室にいる事も、一度や二度ではなかった。
ようやく歩いて登校出来る様になった頃。
藤田の母さんに、藤田の事を見てくれるように頼まれた。
それをきっかけに、保健委員に入って。
それからずっと、彼女を見てきて。
「言いたい事は分かるよ。でも‥‥‥‥‥‥」
1つだけ、気付いた事がある。
「やっぱり、笑ってて欲しいんだよ」
あの日以来。
彼女は「本当の意味」で笑わなくなった。
「表情」では笑っているのに。
心からの笑顔が、見られなくなった。
まるで、笑顔の仮面が張り付いたかのようになって。
いつも笑顔で楽しそうにはしていたけれど。
他の人から見たら。
前と変わらない、明るい笑顔。
でも。
ずっと見てきたら、気づく程に。
それは不自然で。
俺を心配させないように。
暗い気持ちにならないように。
周りに迷惑が掛からないように。
そんな風に、無理をしているんじゃないか。
彼女の笑顔を見る度。
いつもそう思っていた。
「多分、母さんはそう思って、望美に笑ってって言ったんじゃないかな」
だから____________。
自分に向けられたその笑顔を見た時。
「本物の」笑顔が、見られた気がした。
太陽のような、明るい笑顔を________。