赤い(中編)
何で走っていたのか、自分でも分からない。
「はぁ‥‥‥はぁ‥‥‥‥」
気が付いたら、彼女の方に傘を傾けていた。
学校から歩いて30分の距離を、全速力で走った。
日頃から部活で走り込みをしているというのに、息が切れた。
気が付いたのか、彼女の足も止まっていた。
何を言えば良いのか少し迷った。
「おま、馬鹿か!?待ってれば一緒に、帰ったのに‥‥‥」
そうか。
心配だったのか。 俺は。
「青君‥‥‥‥」
振り返った彼女の顔を見た時、少し安心した。
予想通り傘は差していなかった。勿論、全身ずぶ濡れである。
全く。世話の焼ける幼馴染だ。
「はぁ‥‥‥‥‥」
溜息を吐いて、隣を歩く。
傘、持ってなかったのか。珍しい。
隣を歩く彼女を見ながら、そんな事を考えていると。
「‥‥‥雨だし」
と言われた。
別に服が濡れてる事に関してはあまり気にしない様にしていたのだが、
言われた途端気になって、ますます見られなくなった。
さっきから、藤田の顔ばっか見てる。
その後、服がどうとか傘はどうしたとか色々訊かれた。
「‥‥‥‥寒い」
そりゃそうだ。
この大雨の中、傘もささずにずぶ濡れで歩いていればなおさらだ。
今日は気温も低いしな。
何か持ってくれば良かった。
気を遣わなくてもいい、と言われたけど。
無理だろ。嫌でも気にする。
女子なんだから、少し位自覚して欲しい。
「‥‥‥‥使うよ。気ぐらい」
自分で言ったクセに、恥ずかしくなった。
いつも通り他愛も無い話をしていると、
雨の音に混じって、何かが近付いて来る音がした。
結構速い。多分自転車だろう。
こんな雨の日に、よくもまあそんなスピードで走れるもんだ。
というか、このままじゃぶつかる。
手を引くか肩を引くか、一瞬迷った。
「っ‥‥‥‥!!」
肩が当たる。
藤田のすぐ横を、自転車が猛スピードで走り抜けて行った。
危なかった。
ただでさえ、この道は狭い。
2人が並んで歩いていれば、自転車が通れる幅は無いに等しい。
車道を走れと言いたくなる。
「あ、ありがと‥‥‥‥」
思ったより、掴んだ肩が冷たくてびっくりした。
想像していたより、身体も小さくて。
何だか抱きしめたくなってくる。
そう言えば、この前ドラマで主人公がヒロインの男の子に抱きしめられるシーンがあったな。
丁度、こんな雨の日で。
主人公の女の子もずぶ濡れで。
俺が温めてやるよ、的な事を言っていた気がする。
いや、無理だろ。
明らかおかしいだろ。厨二病かよ。
出来ればやってみたいけど。
生憎、そんなイケメンな台詞を言う勇気も、抱きしめる勇気も無かった。
と言うか、あれは恋仲だからこその台詞なんじゃなかろうか。
第一、俺はイケメンじゃ無いしな。
「は、青君‥‥‥‥?」
彼女の声で、我に返る。
「え、あ‥‥‥ご、ごめん」
慌てて手を離す。
変な事を考えていたせいか、顔が熱い。
まぁ、抱きしめた所でぶん殴られるのがオチだろう。
前はもっと手繋いだりしてたけど、いつの間にかやらなくなった。
手の方が良かったかな。
でも、それはそれで無理そうだ。
多分、どっちにしろ恥ずかしくて俺の心臓がもたない。
変に意識してるせいで、目も合わせられなくなった。
会話が無い。
何を話せば良いのか分からなかった。
どんな顔してるのか見てみたくなったけど、結局恥ずかしくて見れなかった。
「はぁ‥‥‥‥‥」
降り続く雨音に混じって、彼女の溜息が聞こえた。
「やばい、死ぬ」
インターホンが押され、第一声がこれだ。
びっくりした。
「え、何?」
「鍵忘れた。家に入れて下さい」
だったら最初からそう言って欲しい。
まぁ、そんな事だろうと思ってたけど。
とりあえず家に入れ、2階からバスタオルを持って来る。
枚数は迷ったけど、多い方が良いだろう。
バスタオルとは別に、タオルを渡しておく。
こっちは、とりあえず拭くだけのものだ。
着替えを持って来た時玄関に置いてあったので、ついでに回収しておいた。
着替えの服は、すごく迷った。
初デートに何着て行くか迷う彼氏並みに迷った。
身長はあまり変わらないけど身長差があるから、少しサイズが合わないかもしれないけど。
とはいえ、女子が着ても許せるレベルのものを選んだつもりだ。
思ったより時間が掛かった。
何やってんだろ。俺。
夕飯のリクエストを聞いたら、元気良くハンバーグと返答があった。
久々に作ってみようかと思っていたので、丁度良かった。
ハンバーグをこねていると、藤田が出て来た。
やはり、服は少し大きかったらしい。
俺よりも身長が低いせいか、小動物みたいに見える。
ちょっと可愛いと思ってしまったのは、不可抗力だと思いたい。
てっきりそのまま手伝いに来ると思ったのに、仏壇の前で手を合わせていた。
手伝うと言うので、ハンバーグを焼いてもらった。
「‥‥‥‥まだ、気にしてんの?」
「‥‥‥‥‥ちょっとだけ」
そう言った彼女の顔は、いつもより元気が無い気がした。
多分、結構気にしてるんだろう。
そんなに気にしなくて良い、と言えば「青君の方が辛いのに」とか言われそうだ。
彼女なりに、気を遣ってくれているんだろうけど。
正直、藤田の方が俺なんかよりずっと責任を感じてるんだと思う。
そんな必要、無いのに。
しばらく会話が無かった。
ハンバーグは結構好評で、俺としても作り甲斐があった。
食器を片付けた後、コップに麦茶を入れ、ソファーに寝っ転がってる藤田の所に持って行く。
「何か観る?」
そう言ってはみたものの、興味を引く様な番組は無かった。
録画番組のメニューに切り替えると、観たいものが見つかったらしい。
「このドラマ、青君も観てるの!?」
「まぁ、たまに。最終回だけど良いの?」
「うんっ!!実は、最終回だけ見逃しちゃって‥‥‥」
と言うか、主に観てるのは父さんだから、俺はあまり詳しくない。
時々一緒に観る位だ。
それも、部分的に観てるだけだから内容もそんなに知らない。
せいぜい学園恋愛ものなんだな、とかその程度の認識である。
漫画が原作らしく、クラスの女子がよく話題にしている。
この前観たのは7話だったか。
と言うかこれ、スペシャルなのか。
2時間もあるんですけど。良いのかな。
そんな事を思いながら適当に相槌を打って、決定ボタンを押した。
あり得ないんだけど。
あれから30分。
自分で観たいと言っていたのにも関わらず、本人は熟睡中である。
しかも変に頭を肩に乗せられているので、下手に動くとダメな気がする。
テレビを消そうか迷う。
別に消しても良いと思うけど、さっきから良い匂いするし。
何だか変な気分になってくる。
「ん〜‥‥‥‥」
あ。起き____、
「‥‥‥‥‥‥」
て無かった。
起き上がったと思ったら、また寝やがった。
「え!?ちょ、ま‥‥‥‥」
あろう事か、そのまま抱き付いて来た。
え。どうしよう、コレ。
とりあえず、頭を安定させる。
このままじゃ落ちそうだし。
今の所は、この位で良いだろう。
藤田に抱き付かれたまま、テレビを見る。
と言っても、半ば押し倒された様な体勢になっている。
髪が腕に掛かってくすぐったいし、胸とか当たってるし‥‥‥。
エロい事を全く考えてないと言えば嘘になるが、このままじゃマズい。
意識を飛ばす為、テレビをつけたままにしておいたのだが。
「‥‥‥‥‥」
逆効果だった。
内容が恋愛ものの為、当然の事ながら女子が好きそうな壁ドンやら何やらのシーンが嫌と言う程出てくるし、
キスシーンなんて腐る程ある。
男女でこの内容のものを観るのは、元から止めるべきだったんじゃないだろうか。
男の方が寝るなら分かるが、一緒に観ていた女の方に寝られた場合はどうすれば良いのだろう。
さっきからヒロインが主人公にクサい台詞ばっか吐いているが、ちっともドキドキしない。
実際に言ったら絶対引かれるとか、このシチュエーションは無しだろとか、ツッコミ所満載である。
そんな女子受けしそうなシーンを1人で観てる俺って‥‥‥‥‥‥‥。
イジメかよ。
居心地が悪い事この上ない。
内容も全く進む気配が無いので、結局消す事にした。
他に意識を飛ばす所が無くなってしまうが、そんなものは心を無にすれば何とかなる。
心を無に。
何も考えない様にしよう。
心を無に‥‥‥‥‥。
「はぁ‥‥‥‥‥」
そう思ったのだが。
これも逆効果だったらしい。
押すなと言われたら押したくなる様に、意識しない様にしようとすればする程、そっちに集中してしまう。
あぁ〜、クソ。顔が熱い。
近いし。良い匂いするし。
こりゃアカンな。
「‥‥‥%#^*=#¥△*⋯。。。」
何か言っているけど、言葉になってない。
寝言って、こんな風になるのか。
「‥‥‥‥お姉ちゃん、行かないで‥‥‥‥」
昔の夢でも見ているのか。
彼女の腕が、背中の方まで回っている。
俺の服を掴む力が強くなった。
さっきよりも密着しているのが分かる。
「ふぇぇ‥‥‥‥‥」
寝ながら泣く奴なんて居るのかと思った。
仕方なく、涙を拭ってやる。
「‥‥‥‥‥」
俺はお姉ちゃんじゃないんだけどな。
少し迷ったが、頭を撫でる。
髪が柔らかい。思ったよりサラサラしていた。
しばらく撫でていると、少し落ち着いた様だ。
さっきよりも、力が弱くなった。
「ん〜‥‥‥‥はるくん‥‥‥」
「ん?」
思わず、寝言に反応してしまった。
「‥‥‥‥‥‥」
何か言ったと思ったら、また寝息をたて始めた。
何なんだコイツは。
こっちの気も知らないで。
人の呼び方は、昔から変えていない様だ。
お姉ちゃん‥‥‥‥‥か。
藤田の言う「お姉ちゃん」は、俺の母さんだ。
母さんが死んだのは、7年前。
事故だった。
死因は出血死。
俺が7歳か8歳の時だ。
その日、母さんは藤田と出掛けていた。
確か、日曜日だったか。
父さんは仕事で、俺は家で友達と遊んでいた。
昼を少し過ぎた頃だろうか。
時間は憶えていないが、まだ外が明るかった記憶がある。
昼に一度解散し、また集まってゲームを再開した頃。
仕事に行ったはずの父さんが、帰って来た。
珍しく早帰りなんだなと思った矢先、「病院行くぞ」と言われた。
何だかすごく切羽詰まった感じだった。
友達と別れ、そのまますぐ車に乗せられた。
連れて行かれたのは最寄りにあるいつもの病院ではなく、もっと遠い所だった。
多分、車で2〜3時間位だったと思う。
俺の知ってる範囲では、誰も入院していなかった。
何だか、嫌な予感がした。
目的地が近づくにつれ、背の高い建物が多くなっていった。
病院に着いた。見た事も無いくらい大きな所だったのを憶えている。
受付を済ませ、別棟に案内される。
今まで居た所とは、明らかに空気が違った。
寂れた様な、何とも言えない雰囲気だった。
廊下をしばらく歩くと、入院棟の様な場所に着いた。
唯一の明かりは、突き当たりにある蛍光灯のみ。
周りに窓は無く、昼間だと言うのに薄暗かった。
左側には重そうなドアが並び、右側には壁に沿って長椅子が幾つか置かれていた。
その椅子の一つに、藤田が座っていた。
「お姉ちゃんなら、この部屋の中だよ」
彼女は俺たちを見るなりそう言って、目の前の扉を指差した。
扉を開け、中に入る。
何も無かった。
ただ、部屋の中央に人が横になっているベッドが置いてあるだけだった。
顔は隠されていて見えない。
そこに居た人に、「ご家族の方ですか」と訊かれた。
その人は父さんと少し話した後、顔を覆っていた布を取った。
父さんは、俺の目を手で覆った。
多分、見るなという意味で。
布はすぐに被されたけど、指の隙間から少し見えた。
何が起きたのか、分からなかった。
ただ、母さんが死んだという事は判った。
その後、泣き腫らした顔の藤田と一緒に家に帰った。
父さんは、がっかりした様な、寂しそうな、よく分からない顔をしていた。
俺は、どんな顔をしていただろうか。
帰りの車内も、誰も喋らなかった。
父さんも藤田も、何も言わなかった。
後になって、母さんが事故死だった事を知った。
大事故だったそうだ。
ニュースに母さんの名前が出ていて、本当なんだなと思った。
葬式が終わった後も、受け止めきれなかった。
なんだか現実味が無かった。
俺が知ってるのは、ここまでだ。
多分、父さんもこの位しか知らないだろう。
藤田は何も言わなかったし、訊く気にもなれなかった。
結局、母さんの死に目に会えたのは藤田だけだ。
藤田は母さんと仲良しで、一緒に出かける事も多かった。本当の姉妹みたいに。
そんな人に、目の前で死なれたのだ。
その辛さは、考えなくても分かる。
あたしが殺した、みたいに思っていたりするのだろうか。
彼女の寝顔を見ながら、ぼんやり思う。
あの日の事は、聞きたくないと言えば嘘になるけど。
正直、あの時の気持ちはあまり思い出したくない。
「‥‥‥‥‥‥」
だけど。
藤田が苦しむのを見るのは、もっと嫌だ。
彼女が話してくれるまで、俺からは何も言わないし訊かない事にしている。
案外けろっとしてそうで、裏で悩んでいるような奴だし。
俺が訊いたせいで、責める様な形になっても嫌だしな。
玄関の方で、扉が閉まる音がした。
足音がして、すぐにリビングの扉が開けられる。
「ただいm‥‥‥‥‥‥」
父さんがドアノブに手を掛けたまま、こっちを見て固まっている。
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」
無理もない。
ソファーに(ほぼ)仰向けの状態で寝転ぶ俺と、覆い被さる様に抱き付いて寝ている藤田。
因みに俺の手は、(落下防止の為)藤田の肩に回されている。
腰をガッシリ掴まれているので、身動き出来ない状態。
端から見たら明らかに誤解されるであろう、この体勢。
「お、おかえり‥‥‥‥」
俺を見る目が怖い。
「あ、いっいや、コレハ‥‥‥‥‥」
誤解です。何もやましい事はしてないよ。なんか抱き付かれちゃっただけで。
そう思っているのに、言葉が出ない。
「‥‥‥‥そんな所で寝てたら風邪引くよ?」
確かにエアコンが当たり易い位置ではあるけど。
風量弱めてるし、温度も高めに設定してるから大丈夫。だと思う。
椅子に掛けてあったパーカーを取ってもらい、藤田に掛ける。
半袖だったし、明日藤田が風邪引いてたら俺のせいだな。
サイズが合わないせいで肩出てたし、胸もちょっt‥‥‥とりあえず心臓に悪かったから助かった。
「彼女なんて居たのか」
「違うし。藤田だけど」
「あぁ!!望美ちゃんか!可愛いから誰かと思った。もしかして彼女だったr」
「幼馴染だし。ってか触んな。起きるから」
「え?貰ったチョコ、望美ちゃんからのしか食べないのに?」
「今その話関係無くね?‥‥‥‥あ、風呂入るなら藤田の制服取り込んだ後で」
「さっきから思ってたけど、呼び方のんちゃんじゃないんだ?」
「あ〜、うん。変えた」
「何で」
「いつまでもそのあだ名だと恥ずいし」
「いっつものんちゃんのんちゃんって後ろにくっ付いてたのに?家でもたまにのんちゃんって呼んでるからてっきり」
「っ‥‥‥!!の、のんちゃんの話はいいから‼︎制服取り込むから早く風呂入れば!!?」
そう言って、藤田の手を退かす。
案外すぐに抜け出せた。
落ちないように体勢を整えてやる。
「青空、顔赤いよ?」
「血流が良いんだよっ‼︎」
さっきからずっと顔が熱いのは自分でも分かる。
「まさか、手出したりとか‥‥‥‥‥‥」
「してないし!?そんな恥ずい事出来る訳ないじゃん」
風呂場に掛けてあったものを回収し、玄関にある藤田のリュックの隣に畳んで置いておく。
「一線超えんなよ?」
父さんはそれだけ言って、さっさと風呂に入ってしまった。
「何もしねーよ‥‥‥‥‥‥」
くっつくだけで緊張すんのに、それ以上行ったら恥ずか死ぬわ。
そう言えば、この間父さんのエロ本見つけた時興味本位で見てみたけど、内容が過激過ぎて中見た瞬間に閉じた記憶がある。
あれは本気で捨てようかと思った。
あーゆーのは大人になってからだな。
食器を洗っていると、藤田が起きてきた。悲鳴と共に。
「ひゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
起き上がったと思ったら、そのままうずくまってしまった。
何なんだ。
「な、ななななななななな‥‥‥‥‥‥」
「どうしたの?」
「は、青君‥‥‥‥あたしに、何かした?」
「何が?」
「その‥‥‥‥え、えっちな事とかっ‥‥‥‥‥‥」
「してないよ?」
「え、やっぱりしてたんじゃん」と、風呂場の方から父さんの声が聞こえた。
「何もしてないって」
「やっぱしたんだ!?えっちな事したんだ!!?」
何でそうなるんだよ。
「だから何も」
「青君嫌い‼」
そう言ったかと思うと、速攻でトイレに駆け込んでしまった。
「‥‥‥‥」
何が起きたのか全く分からない。俺が何をしたというのか。