契約
ぱしゃぱしゃ、とぷん。
___やっぱり居る。見間違いじゃ無かったんだ‥‥‥。
昨日の事が気になって、帰りのホームルームの後に来てしまった。
ここに来たのは、好奇心からかもしれない。
昨日の事が本当なのか確かめたかったっていうのが本音だけど、内心信じられなかった。
「人魚姫に会った」というその事実が。
というのも、「人魚姫の姿が見えるのは、恋愛中の人だけ」とかいう言い伝えがあるせいだ。
そのお陰で、気になって仕方がなかった。
だってあたし、好きな人なんて居ないのに。
ぱしゃぱしゃ、ざぶん。
「人魚姫に会うと声を掛けられる」とかいうけど、そんな事無い。
昨日会った時は何も言われなかったし、現に今、この距離で何も起きていない。
あたしはプールサイド近くのシャワーのある所に身を潜めている。
此処から見て斜め右の位置に、人魚姫が座っている。
彼女からは死角になっているから、見えないはず‥‥‥。
その時、ふと水の音が止んだ。
「貴女も、私に相談事?」
「ふぇっっ!?」
いきなり声を掛けられ、体が跳ね上がる。
叫びそうになって、必死に口を抑える。
「さっきからバレバレなのだけど。それでも隠れているおつもりかしら?」
「‥‥‥っ‼︎」
バレてたぁぁぁぁ‼︎
「大丈夫。何もしないわ」
いやいやいや。それで出てくる訳あるか‼︎
と叫びたい所だったけど、バレている以上出て行くしか無い。
おそるおそる彼女を見ると、こっちに向ってニコニコしていた。
やっぱり、何度見ても綺麗な笑顔。
このまま隠れている訳にもいかず、仕方なく彼女の側に腰を下ろす。
「貴女、昨日もお会いした気がするのだけど、気のせいかしら」
「いっいえ‼︎昨日もお目に掛かりまして、えっと‥‥‥」
緊張で、日本語が変になる。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ」
「は、はい‥‥‥‥」
でも、こんなに綺麗な人が目の前に居たら、誰だって緊張すると思う。
「藤田 望美さん‥‥‥で、よろしいかしら?」
「え?何であたしの名前‥‥‥‥‥」
「だって昨日、そう呼ぶ声が聞こえたものだから」
聞かれてた事を知って、一気に恥ずかしくなる。
「ふふっ‥‥‥‥可愛い」
赤面したあたしに彼女はそう言って、あたしの頭を軽く撫でた。
あれ?普通に触れられるんだ‥‥‥。てっきり幽霊みたいに突き抜けちゃうのかと思った。
「貴女、何か恋愛で悩んでいる事はある?」
「特にない‥‥‥と言うか、好きな人が居ないと言うか」
「あら、そうなの?珍しいわね、好きな人が居ないのに私の事が見えるなんて」
「やっぱり、恋愛中の人だけにしか見えないんですか?」
「ええ。私が会った人の大半は、ね。たまに居るの。恋愛未経験の人。__でも、本当は気付い ていないだけ。無自覚だから、ある意味で幸せなのかもしれないけれど」
え‥‥‥‥‥‥?
「‥‥じゃあ、私の話を聞いて頂けるかしら?『人魚姫』のお話はご存知?」
『人魚姫』かぁ‥‥‥‥。
最後に読んだのは、小学校2年の時だったかな‥‥‥‥。
「海の王国に住んでる人魚姫が、15歳の誕生日に海の上に出て、王子様に一目惚れするんだけど、結局結ばれずに海に身を投げたっていう‥‥‥」
「そうね。もう何100年も前の話だけれど‥‥‥‥」
そう言った彼女は、何だか寂しそうで。
深呼吸を1つしてから、静かに話を始めた。
「人魚は‥‥‥人の目に触れてはいけないから、彼の前に姿を見せる事はどうしても出来なかった。だから、魔女のおばば様に頼んでお薬を作って貰ったの。
現代の本には書かれていないそうだけれど、その時、2つ忠告を受けたの。
人間の姿になったら、もう2度と人魚には戻れない事。 王子が別の人と結婚したら、次の日の朝に、私の心臓が粉々に砕け散ってしまう事。
元々、人魚は300年生きて、亡くなると海の泡になると言われていたから、ちょっと死期が早まる位のものだと思っていたし、
その後も、歩く度にナイフの上を歩いている様な痛みが走ると言われたわ。
どうしても人間になりたいのなら、代償として声を貰うともね。
でも、そんな物はどうでも良かった。
足が痛くても、声が出せなくても、彼のそばに居られるならそれで良かったの。
私は全ての条件を呑んで、そのお薬を飲んだ後、気が付いたら海岸に倒れていて。
たまたま近くを通り掛かった彼に見つけられて、お城まで連れて行って貰って。
‥‥‥まともに彼に触れたのは、その時位かしら。マント越しだったけれど、人間って暖かいのね」
「え、ちょっと待って」
「‥‥‥‥?」
「マント越しって‥‥‥どういう‥‥‥‥?」
「何も着てなかったから、彼が被せてくれたのよ」
「それって‥‥‥‥‥‥はっ、ははははははは裸だったって事!!?」
「‥‥‥まぁ、そうなるわね」
無理だ。あたしだったら叫んでる‥‥‥‥。
想像したら、顔が熱くなってきた。
「ぇ、は‥‥‥恥ずかしく無いのっ?」
「何故?」
「だっ‥‥‥だってっ、裸見られたんだよ⁉︎」
「海の中ではお洋服なんて着られなかったし、そのまま生活している様なものだったから、特に疑問には思わなかったけれど‥‥‥考えてみれば、そうね」
成る程。常識からして違うのか。 それなら、当然かもしれない。
「彼は私の事を可愛がってくれたけれど、恋人としては見てくれなくて。
私が海に居た時と人間の世界とは、時間の流れが全く違ったの。
海では1週間でも、向こうでは2カ月。
2カ月なんて、お互い気持ちがあれば充分でしょう?
私が来た時にはもう、間に入る余地なんて殆ど無くて。
当たり前よね。‥‥‥だって、彼はその人が助けてくれたと思っているんだもの。
‥‥‥‥‥本当は、悔しくて堪らなかった。
彼に本当の事を伝えたかったし、もう少し早く人間になっていればって後悔もした。
同じ言葉を使っていたから、聴く分には理解出来たけれど。
私、文字が読めなくて。書く事も出来なかったから、気持ちを伝える方法が動作以外何も無くて。そうこうしているうちに、結婚の話が出てきて。
最初はただの噂だったし、信じられなかった。信じたくなかったって言った方が正しいかしら。
彼の口から聞いた時は、おかしくなってしまいそうで。
結婚式までにどうにかしようとしたけれど、私1人が動いたって何もならないし。
結局、船上で予定通り式が行われて。
その日の夜、お姉様達が私にナイフをくれたの。
これで王子の胸を突き刺せば、人魚に戻れると言われたわ。
私はそれを受け取って、彼の寝室まで行ったのだけど。
何度も試みたけれど、私には無理だった。
あと1歩で踏みとどまったまま、そこから先はどうしても出来なくて。
時間だけが過ぎて、空も明るくなって来て。
不思議と、焦りは感じなかった。
海にナイフを捨てて、私も海に身を投げたわ。
それから直ぐ、身体が泡になって消えて行くのが判って。
気が付いたら此処に居て、此処で恋人同士を見守るのが私の使命なんだなぁって、最近なんとなく分かって来た所かしら」
「最近‥‥?」
「ええ。そうは言っても、30年程経つけれど」
「全然最近じゃ無いじゃん‥‥‥」
「‥‥‥‥‥でも、私にとっては最近よ」
彼女はそう言って、何処か遠くを見ていた。
王子様の事、思い出してんのかな‥‥‥‥‥。
ぎゅぅっと胸が締め付けられる感じがした。
その横顔が、あまりにも寂しそうで。
気が付いたら、彼女を抱きしめていた。
いい匂いする。
「‥‥‥凄いね」
「ふえぇっ‥‥‥‥??」
「あたしだったら、絶対無理だよ」
「‥‥‥‥‥」
「‥‥‥あたしには、そんな事出来ない」
ゆっくりと体温が離れる。
「‥‥いずれ、分かる様になるわ」
そんなものなのかな。
「‥‥藤田望美さん」
「は、はいっ!!」
いきなり手を握られる。
何でしょうか。
「私と、契約してみない‥‥?」
「契約っ‥‥‥‥?」
魔法少女にはならないよ?
「ええ。私に、貴方のお手伝いをさせて欲しいの。‥‥‥と言っても、相談にのってあげる位しか出来ないけれど」
「アドバイス‥‥‥って、事ですか?」
「これをしたからと言って、結果が上手く行くとは限らないわ。貴女自身の力でやり遂げて欲しいの」
成る程。あくまでサポートのみって訳か。
告白したいからとかって頼んでも、別に何かしてくれる訳でも無さそう。
「でも、あたしにメリットってあるの?」
素朴な疑問を口にしてみる。
プラマイゼロって事もあり得るけど。
「例えば‥‥‥好きな人との距離を縮めたりとか、告白し易くするとか、そう言った所かしら。
ほんの数パーセントだけれどね。
でも、私の力で相手の気持ちや結果を動かす事は出来ないし‥‥‥」
「そっか‥‥‥‥」
正直、何もメリットが無かったら断るつもりでいた。
今も迷ってはいるけど、ある意味良いかもしれない。
「成功した人って、どの位居るの?」
「私が見て来たほとんどの人は、上手く行っているわね。
そのまま結婚までした人も中には居るし、告白まで行かなかった人は‥‥‥1年に2人位かしら。元々、カップルの数もそんなに多くは無いし‥‥‥‥。
私が力になれるのは、告白するまでだけれど」
「‥‥‥‥出来るの?あたしでも」
「ええ。貴女がそうしたいなら」
「‥‥‥じゃあ、やってみよっかなぁ」
「本当っ!?」
ぱしゃん、と水の跳ねる音がした。
ずっと思ってたけど、プールに脚浸かってて寒くなんないのかな。
「‥‥‥‥うん」
「少し、そのままで居て下さる?」
言われなくても、ずっとこの体勢ですけど。
そのまま待っていると、おでこに冷たい感触が。
「ひゃっ‥‥‥‼︎」
なっ、何‥‥‥‥‥!?
反射的に目を瞑ってたから、何が起こったのか全く分からない。
目を開けると、目の前に彼女の顔が。
「っ‥‥‥‥‼︎」
「‥‥‥あら、ごめんなさい。ビックリさせてしまったかしら?」
っていうか今‥‥‥キスされたっ‼?
「するよ!?‥‥‥ぅあぁぁぁぁもー‼︎」
「ふふっ、こんな事で真っ赤になるなんて‥‥‥。先が思いやられるわ」
「うっさい‼︎いーでしょ別に‼︎」
下校途中。
あたしはスマホ‥‥‥ではなく、ポケットから取り出した鏡でおでこを確認してみた。
さっきのキスで契約成立したと言われたけど、いまいち実感がない。
ひょっとしたら、おでこに変なマークとか魔法陣とか付いてるかな、と思ったんだけど。
「‥‥‥‥」
何も無かった。
時間差で出てくる‥‥‥とか?
「さっきからどうしたの?真剣におでこなんか見て」
まじまじとおでこを凝視していると、隣を歩く夢乃に心配されてしまった。
「ニキビ?」
「えっ!?ま、まぁ‥‥‥そんなとこ」
適当に誤魔化しておく。
本当の事を言ったら、頭オカシイ人だと思われるだろう。
それに‥‥‥‥‥。
『__でも、本当は気付いていないだけ。無自覚だから、ある意味で幸せなのかもしれないけれど』
あたしが質問した時、彼女はそう言っていた。
無自覚、か‥‥‥‥‥‥‥‥。
そもそも恋愛って、無自覚で出来るものなのかな。
という疑問が、微かに脳裏をかすめる。
生暖かい風が、あたしのポニーテールを揺らす。
夢乃と別れ、まだ長い帰路を歩く。
恋なんて、あたしにはまだ早くて。
漫画とかドラマで見た事ある程度の知識しか無い。
頭の中に思い浮かぶのは、どれも架空の世界。
もし、そんな恋が現実に起きたとしたら。
素敵な出逢いをして。
その人が居ないと生きていけない位好きになって。
失恋したとしても、後悔しない様な恋。
そんなの、あたしには無理。
出来たとしても、そんなに上手くは行かないだろう。
「恋、かぁ‥‥‥」
あの子の話を聞いたせいで、いつまでも頭から離れない。
「た‥‥‥藤田っ‼︎」
「わぁぁぁああああぁぁっ!?」
いきなり近くで声がして、思わず叫んだ。
「オイ、頼むから耳元で叫ぶな‼︎」
「あっ、あんた、いつから!?」
いつの間にか、幼馴染みの一ノ瀬青空が隣を歩いていた。
因みに、「青空」と書いて「はるか」と読む。
家が向かい同士で、お腹の中からの付き合いである。
「ついさっき。なんか悩み事?ずっと下向いて歩いてる」
「え?‥‥‥あ〜、なんでも無い」
流石幼馴染み。よく見てる。
彼の言う通り、あたしは考えたり悩み事があると下を向く癖がある。
だけど正直に言った所で、茶化されるのがオチだろう。
「青君は、部活?」
「そうだけど。‥‥っつーか、その呼び方やめろって」
「だって、いきなり変えられる訳無いじゃん」
彼は嫌がるけど、小さい頃からずっとこの呼び方。
中学に上がる時に変えようと思った事もあったけど、結局出来なかった。
「一ノ瀬、君‥‥‥」
「‥‥‥キモイ」
「何それ〜!じゃあ、イッチー?」
「ん〜、なんかやだ」
「せっかく考えたのにヒドイ‥‥。やっぱ青君しかないじゃん!」
うん。この呼び方が1番あってる気がする。
「‥‥‥‥」
「はーるくんっ!!」
「‥‥‥‥なんだよ」
軽く溜息を吐きながら私を見たその顔は、なんだか少し赤い気がした。
「何?照れてんのっ?可愛いなぁもー!!」
そう言って、彼の背中を叩く。
「痛って!!‥‥‥‥‥だからやめろって!別に照れてないし!」
あたしとの距離が、数歩分離れた。
「‥‥‥‥やっぱ照れてんじゃん」
追いかけるように、その距離を埋める。
彼と話していると、家までの距離がやけに短く感じる。
あたしはまだ知らない。
この温かい気持ちが、何なのか____。
姫ちゃんの過去話は、アンデルセン童話『人魚姫』より引用です。