錆御納戸の解 その1
〈プ プ プ…プルルルルルル〉
呼び出し音が鳴る。きっかりワンコール鳴った後に雑音混じりの機械音声が流れた。
〈お掛けになった呪いは現在使用されていません〉
「はああ〜さいですか…」
そう言いながら歩幸は受話器を置く。
ガチャン!という古風な音を立てた黒電話から伸びるコードはどこへも繋がらず、ぶらぶらと束ねられたまま揺れている。
「なんだかなあ」
そう言いながら歩幸は畳の上をごろごろと転がる。
「最近この手の問い合わせ増えたよな」
そう言って文机に置かれた紙束をぺらぺらとめくっているのは同じ高校に通う神戸 弓唄だ。
「ほんとマジ勘弁してほしい」
歩幸は右手を大きく伸ばして文机の横に積み重なった書物をひとつ抜き取った。
書物には『新・呪術語辞典』と大書されている。
この世界…とりわけ、この国では未だに呪術なんてものが存在し、存在してるだけならまだいいが、呪術なるものが国民に広く浸透し、生活の一部となり、そして厄介なことにその呪術とやらが…
横行しているのだ。
最近では呪術を使った詐欺や嫌がらせ、果てには暴行事件なんかも起きており、呪解師の家系である如月家は、その波を真正面から食らう形になった。日々、警察が持ってきた事件調書などを基に呪術の特定と解術に追われている。
如月家長男である歩幸も漏れなく忙しい身となってしまったのだ。
「一番古い相談記録は…半年前か。」
そう言いながら紙束の一番下の便箋を見る弓唄。
彼は歩幸の通う高校で常に成績トップの超秀才である。
成績というのは、もちろん体育と選択科目の音楽も勘定に入っているので、勉強も運動も芸術もできる奴という事になる。
そんでもって、所属しているイラスト同好会では
「少女の絵を描かせたら右に出る者はいない」
と言われるほどの画力を持っている。
なぜ「少女」限定なのかというと。
「俺はいつか完璧な緋鞠ちゃんを描くんだ!そのための練習をしている。」
とかなんとか言って、その推しの緋鞠ちゃんと似たような子を描いてるうちに「少女の絵」が飛び抜けて上手くなってしまったらしい。
いつだったか、弓唄が妙に落ち込んでいた時に
「好きなことが特技になるって、いいことだと思うよ。」
と言ったら、弓唄は唇を真一文字に結んで無言で歩幸の手を握りしめてきたことがある。
あれは少し気持ち悪かったな。
前置きが長くなったが、まあいわゆる天才肌の変態で、歩幸にとっては幼稚園からの幼馴染で気の置けない友人。
そう覚えてもらえるとありがたい。
あと特筆すべきは、非常に腹立たしい事に、顔が良いのだ。端正、というか、とても綺麗なのだ。
そのため、女子にはすこぶるモテる。
変態のくせに、モテるのだ。
「自分は神社の後継者だから、彼女とかまだダメなんだよね〜」
とか言ってはぐらかしているが、歩幸にはこっそり。
「いや、俺には緋鞠ちゃんがいるから!」
などと謎の宣言をしてくる。
腹立たしい限りである。
話は戻って、件の呪術に関する問い合わせが一番最初に来たのはちょうど半年前、昨年の10月8日だった。
いつも通り学校帰りの歩幸が自宅の郵便受けをチェックしたところ、夕刊と封書が2通あり、そのうち1つの封書は母宛てだったためそのまま母に渡し、夕刊を祖父の部屋のちゃぶ台に置いて、残りの封書を自室にて開封した。
「白月の芙蓉。似紫の火を醒まし給う。」
念のため、呪術払いの言を唱えておく。
この「酔芙蓉の言」は、主に紙や布などの繊維質に掛けられた呪術を払う為の言である。繊維質に染み込んだ塗料やインクなどにも有効だ。
「白月の芙蓉」は朝方の酔芙蓉を表している。朝の咲き始めは白く、夕方には紅色になる事から酔って顔が赤くなる様に例えて酔芙蓉と名付けられたらしい。
続く「似紫」は江戸時代、高価な本紫が禁止された頃に藍で染めた上から紅や蘇芳を重ねたり、蘇芳を鉄媒染という方法で発色させて紫に似せたことから似紫と呼ばれ、盛んに染められるようになった色の名前だ。
「火」というのは何かの比喩らしい。一説によると、繊維質に掛けられた呪術が発動する際、火が出たり火花が散ることが多い為ではないか?とか。詳しくは語られていない。
「醒まし給う」は、酔芙蓉の「酔」という字に掛けて「醒」という字を使っている。
意訳すると
「この紙 (酔芙蓉)に掛けられた呪術 (似紫)を解いて(醒まして)、元の白い状態にお戻しください」
となる。なかなか面白いでしょ?
さて、特に何か呪術が掛けられている様子はなかったので早速開封してみる。なぜこんなに警戒しているかというと、アンチ、まあ所謂呪解師反対派からの嫌がらせお便りの可能性が無きにしも非ずだからだ。
そんな心配をよそに、件の手紙の書き出しには、こう書かれていた。
「友人からチェーンメールが届きました。」
なんと、まあ、懐かしい響きだろうか。
歩幸はゆっくりと玄米茶をすすった。