後
「せ、先生、違うんですよ!」
「別にやましいことじゃなくって!」
俺が、あたためています、と答える前に、春野と菊池がそう答えた。
俺に抱きついた南は「うぅん……好き……好きよ……」と幸せそうだ。
この幸せそうな南を見れば、あたたまったおかげで生理痛から解放されたと理解できるだろう。
「どう見てもやましいことでしょ! 早く離れなさい!」
しかし鈴木先生はそうは思わなかったようだ。
離れろと言われたが、まだ二分は経っていないので南をあたためるのを続ける。
「先生。俺たちを見てわかりませんか? あたためているんですよ」
「そのお尻を撫でている手を止めなさい!!」
「嫌です。南の生理痛が辛いのはケツが冷えているせいなんです。先生、わかりますよね?」
「わかるわけないでしょう!! 他の先生を呼んできます!!」
なんで理解してくれないんだ。
鈴木先生が立ち去ろうとするのを春野と菊池が「先生、待ってください!」と止めた。
「離しなさい!」
「離しません! 理由を聞いてください!」
「いいから離しなさい!」
鈴木先生が理解しないのは、きっと俺の力を知らないからだ。
ああ、そうだった。
最近、皆をあたためていたからか、つい自分があたため係だと周知されていると思ってしまっていた。
ここは先生にしっかりと理解してもらおう。
ちょうど二分が経過し、南をあたため終えたので、そっと離す。
南はまだぬくもりが欲しかったのか、名残惜しそうに手を伸ばすが、それを掴んで下ろしてやる。
今は鈴木先生にあたため係がどういうものかを理解してもらう時だ。
「先生。先生も女性なら生理痛の辛さがわかりますよね?」
「ふ、服を着なさい!」
敵意が無いと理解してもらう為に、ゆっくりと歩いて近づく。
「先生は確か今年で三十四歳と言っていましたよね。下半身の冷えがつらいと思ったことはありませんか?」
「ひぃっ、近づかないで!」
「冷えは血行のめぐりを悪くしてしまい、体に悪いんですよ」
「貴方たち! 離しなさい!」
「めまいがしたことは? 頭痛はありませんか? 夜眠れない時があったりしませんか?」
「なにわけのわからないことを! 来ないで!」
「大丈夫です。俺があたためれば、全て治ります」
「い、いや! いや! 来ないで! 変態! いやあああぁぁぁぁっん……なにこれぇぇ……」
暴れていた鈴木先生が、俺の腕の中で大人しくなる。
「やっぱり。先生、足がとっても冷えてます。むくみもあったんじゃないですか?」
「ふうぅん……なでなで……んんん……」
「ええ、俺が撫でてあげます。ちゃんとあたたためてあげますよ」
「ふあぁ……しあぁせえぇぇ……けっこん……ちゅきぃぃ……」
「そうですね。結婚相手にマッサージしてもらうのも良いかもしれませんね」
あたたまって幸せそうな鈴木先生は良い笑顔だった。
先ほどまでの鈴木先生は、きっと冷えのせいでイライラしていたのだろう。
「うわぁ、これはヤバい」
「え、うそ……。あたしもこんな顔してたの?」
「京香はもっとひどい顔だったよ……」
「マジで……? 山口の注意をちゃんと聞いておけばよかった……」
「なんて言ってたの?」
「絶対に一人で滝本に触るなって。大勢なら分散されるからって」
「それ、先に私にも教えてよ……」
「ごめん、由梨。まさか私より先に触るとは思わなくて」
「でもなんで京香はそれ知ってたのに一人で?」
「山口が一人の方が効果がよりいっそう高いし持続時間も長いって言ってたから」
「京香、二日目だもんね……。痛すぎたんだね」
いつの間にか服を着ていた南は、すっかり元気を取り戻した様子で二人と話していた。
生理痛も冷えの悪化に繋がるから、南には今後もあたたかくして過ごして欲しいものだ。
心の中で数えている秒数が八十秒を越えた頃。
「おいい!! なにしてんだ滝本おおお!!」
生活指導の原田先生が遠くから叫んでいる。
「うわ、原田だ」
「ちょ、どうする?」
「うーん、滝本に任せてみよう」
三人はそう言って空き教室の中に戻っていった。
遠くから原田先生が走ってやってきた。
「おい! 滝本! 鈴木先生から離れろ!」
「少し待ってください」
あと五秒。四、三、二、一.
「離れろと言ってるのがわからんのか!!」
ちょうど二分経ったので鈴木先生を離すと、原田先生が掴みかかろうとしてきていた。
ここでもみくちゃになると鈴木先生に被害が及ぶので、ひょいと場所を離れる。
「逃げるな滝本! お前、こんなことして停学で済むか怪しいぞ! バカ野郎!」
「いや、俺はあたためただけですよ」
「良いから鈴木先生に謝れ!」
俺の首根っこを掴んだ原田先生の指は思いのほか冷たく、あたためてあげたいと思ってしまった。
「おっほおお!? んだこれええあああんおおんおんおんん!!!」
原田先生が俺の首から手を離そうとしたので、ガシリと掴む。
「先生、指冷たいですね。俺があたためてあげます」
「やめ、や、やめろおおおんんああああ! は、はなしええああああ!?」
「あたたまり始める最初は少しかゆく感じるんですよね。俺はなったことないですけど」
中年男性でも冷え性になるのだと、初めて知った。
女性や若い人に多いものかと思っていた。
うちの父親は冷え性じゃなかったから。
「ああ、これはひどいわ……」
「あ、先生、気付きました? どうでした?」
「ええ、貴方の言うとおり、これはやましいことじゃなかったわ。救いよ」
「す、救い?」
「ええ。あの天上にも昇る多幸感、世界が私を愛しているのだと思ったわ」
「あ、あれ? 先生まだトリップしてる?」
「トリップ……。そう、一種のトランスね。巫女と一緒よ。私は滝本君を通して神と交信していたの」
「ダメだ。先生の言っていることがあたしには理解できない」
先ほどまで怒っていた先生と南たちが仲良く話している。
あたたまって冷えがなくなるだけで、人は優しく穏やかになれるのだ。
そういえば原田先生はヘルニアを持っていると聞いたことがある。
先生の腰に手を回し、シャツをめくって直に肌を触る。
この方が効果が高いと、腰痛持ちの父親が言っていた。
「んあああああ!! き、くうううううう!!」
「そうでしょう、そうでしょう」
原田先生は嬉しそうだった。
その日から、俺の元には常に人があたためられに来るようになった。
登校途中は真や祐介などクラスメイトの男子全員が。
教室に着けばクラスメイトの女子全員が。
授業間の休憩には先生方が。
昼休憩には生理痛に苦しむ女子がやってきたので、空き教室でひとりずつあたためてやる。
以前、真が検証してくれた大人数同時あたためは、生理痛には効かなかったのだ。
おかげで昼休憩中は常にパンイチだ。
まあ俺のパンイチ程度で生理痛に苦しむ女子が減るのなら、安いものだろう。
放課後も先輩や後輩のあたため係をこなし、帰るのは部活が終わるのとほぼ変わらない時間だった。
クラスメイト以外の男子は、具合がよほど悪いやつくらいしか来なかった。
一部では俺がホモだとささやかれているらしいが、別に言わせておけば良いとほうって置いたが。
ある日、授業中に校長室に呼び出された。
「失礼します」
「おお、滝本君。良く来てくれた」
校長先生は、俺のあたため肩もみをとても喜んでくれて、それ以降ちょくちょく校長室に呼び出してくる。
今日も肩もみかと思ったが、なにやら見知らぬ女性がソファに座っていた。
校長もいつもの校長椅子ではなく、女性の対面のソファにいる。
「石井さん、こちらが滝本君です。さ、滝本君。ここに座って」
「はい、失礼します」
「滝本君、こちらの女性は医療研究センターの石井さんだ」
「初めまして。滝本雄大と申します」
よくわからないままに、校長の横に座り、女性へと挨拶をしていた。
「ええ、初めまして、石井です。会えて嬉しいわ」
見た目三十代の女性、石井さんはきれいな笑顔を作った。
「あの、すみません。僕は何故ここに呼び出されたのでしょうか?」
「ああ、そのことなんだがね」
校長の無駄に長い説明によると、俺のあたため肩もみのおかげで糖尿病が治ったため、担当医の石井さんがやってきたそうだ。
「あの、なぜ糖尿病が治ったからってお医者さんがわざわざここに?」
「そうね。滝本君、ひとつ教えてあげる。糖尿病ってね、不治の病なの」
「そうなんですか? でも校長先生は治ったんじゃ?」
「だから私が来たのよ。まずは詳しく糖尿病について教えてあげるわね」
石井さんが糖尿病について色々教えてくれたが、全てを理解はできなかった。
ただ、ずっと治療が必要だということはわかった。
「滝本君。君のおかげで私はようやくインシュリン注射から解放された。ありがとう。本当にありがとう」
「はあ、いえ、お気になさらず。でもそれ、本当に俺のおかげなんですか? 何か別の要因があったんじゃ?」
「いいえ、貴方よ。校長先生から聞いたのだけれど、ここの学校の教諭で持病を患っていたのが三人。ヘルニア、通風、バセドウ病。そのどれもが治っているの」
原田先生に宮本先生、五十嵐先生の病気と一緒だ。
三人とも治ったんだ。
いいことだ。
「あの、俺、あまり頭良くないのでよくわからないんですけど、石井さんは俺に何の用なんですか?」
「ええ、そうね。協力というか、お願いがあるの」
「はい」
「貴方のその力を、病気で困っている人たちに使って欲しい」
「あ、はい。良いですよ」
「え? そんなあっさり?」
「ええ、まあ。冷えは万病の元って言いますもんね。俺があたためて病気が治るのなら、それはいいことですし」
「貴方の力はあたためる力なんかじゃないと思うわ。もっと奇跡に近いもの。時代が違えば、いえ、この時代でも救世主として崇められるほどのものよ」
そんな大げさなものなのだろうか。
俺は、少し代謝の良い平熱が高めのあたため係男子だと思っていたが。
「できれば高校を辞めて、今すぐに病院で働いてもらいたいわ」
「石井さん、流石にそれは……」
「ええ、わかっています。でも彼の力はそれほどのものなの」
高校を辞めてまであたためたいかと言われたら正直疑問に思う。
まあ困っている人の力にはなりたいし、時間がとれる限り協力しよう。
その旨を石井さんに伝える。
「ありがとう。まずは貴方の力のメカニズムを解明したいわね。日曜日は一日潰れちゃうかもしれないけど良い? バイト代は出すわよ。一日十万」
「やらせていただきます!!」
石井さん! 俺頑張りますよ! 毎週行きます!
「あ、戻りました」
話を終えて教室に戻ると、日本史の鈴木先生とクラスメイト全員が心配そうにこちらを見ていた。
「どうしました? 家族に何かあったとか?」
「あ、いえ。そういうわけじゃなくて」
「まさか、何か悪いことをして停学になるとか!? なにをやってしまったのかを先生に言ってください! 全力で庇いますよ!」
鈴木先生がなにか勘違いしてしまっている。
さすがにバイト代のことは言えないけど、石井さんの話はして大丈夫だろう。
「あの、なんか病院のお医者さんが来てて、高校を辞めてうちであたため係をしないかって誘われて」
「えええええ!? 雄大、高校辞めちゃうの!?」
真が珍しく大声をあげた。
「いや、別に辞め」
「ダメよ!! 絶対にダメ!」
「そうだよ! やめないで!」
南や春野も大声を上げる。
「いや、だから辞め」
「雄大!! 俺を見捨てるのか!?」
「お前無しでどう冬をこせってんだ!!」
「俺をこんな体にしておいて! 責任取れ!!」
ちょっと落ち着け。
俺の話を聞いてくれ。
「いや、責任とか」
「お願い! 滝本君! 高校辞めるのなら私と恋人になって! ううん、私滝本君と住むから!」
「私も! 前から好きだったの! あたたかくて好きだった!」
「俺もだ! 雄大んちに住む!!」
「なら俺とも付き合ってくれ! 雄大!」
なんだ、ホモかよこいつら。
せっかく女子に告白されたってのに台無しだよ。
「ダメです! 滝本君は先生と結婚するんですから! ね、ねえ? あ、あ、あなた」
「いや、何言ってんですか先生」
「ゆ、雄大! あたしと結婚しようよ! 毎日一緒にいよ?」
「もう私愛人でもなんでも良いから一緒にいさせて!」
「雄大!」
「雄大君!」
「滝本君!!」
なんだかとんでもないことになってしまった。
騒ぎが収まるのはそれからしばらく後で、そこでようやく俺が高校を辞めないことを説明できた。
皆、安堵の表情だったけど、高校卒業したら離れるのはわかっているのだろうか。
騒ぎの後、クラスの半分の女子から改めて告白された。
でもそれは、俺があたため係をしているからであって、少し複雑な気持ちになった。
卒業の日までその気持ちが続いたら、改めて告白してくれと伝えて、ヘタレな俺は逃げるのであった。
月日が流れ、卒業式。
まあ俺じゃなくて先輩らの卒業式だけど。
その日も、俺のまわりは男女問わず人に溢れていた。
男の先輩は連絡先を交換するだけで済んだ。
けど、女の先輩の半分以上は、俺に告白してきた。
「あの多幸感が忘れられない」
「雄大以外の手じゃ気持ち良くない」
「心があたたまって幸せだった」
やっぱり俺というよりも、あたため係の俺を求めているようだった。
俺が卒業するまでその気持ちが続いたら改めて告白してくれと伝えて、やはりヘタレな俺は逃げるのであった。
卒業した先輩らは、どこから嗅ぎつけたのか俺のバイト先の病院にしょっちゅう仮病を使ってくるようになってしまったが。
俺の卒業式の日は大変だった。
先延ばしにしていた問題が、ここで爆発した。
卒業式が終わり、クラスで別れを惜しんでいると、先輩女子が全員来た。来たのだ。
さらには同級生や後輩も集まり、一つの教室じゃ納まりきらなくなり、体育館へ行くことに。
まだ椅子等は片付けられておらず、先輩や後輩、同級生は椅子に座り、俺は何故か壇上の上に。
壇上から良く見ると女性教諭の姿がちらほらと。あれ、あそこにいるのは石井先生?
なにやら司会が立ち俺の彼女を決める会が開会された。
「まずは雄大君、一言どうぞ」
「ええ? なにこれ」
戸惑うもなんとかしないと終わらないと思い「今は仕事の事しか考えられない。もうしばらくは仕事が恋人ということにしておきたい」と話す。
ついでに、俺の力で命を救えるとか、子供のガンも治るからとか、色々熱く話した。
正直、あがっていたのもありあまり覚えていない。
だが話し終えると何人かの女子が涙を流し、拍手喝采が起きたのでそこまでひどい事は言っていないだろう。
それから十年。
がむしゃらに命を救うことだけを続けてきた。
小児科で重い喘息の少女をあたためて治している時に、ふと卒業式の時の事を思い出して笑ってしまった。
あれが俺のモテ期最高潮だったのかな。
今は石井さんが研究してくれたおかげで、俺の力の過剰な多幸感や依存性は収まっている。
俺に背中を撫でられていた少女は、俺が突然笑ったからか不思議そうに首をかしげてこちらを見ていた。
「先生、突然笑ってどうしたの?」
「ん、いや、昔のちょっとした件を思い出していてね」
「それってなに?」
「ああ。俺があたため係を始めたらモテモテになった件についてだよ」
「あはは、先生がモテモテー?」
「これでも昔は先生のことを放っておく女性がいなくてなー」
「あははは! 絶対嘘だよー!」
嘘じゃないんだけどね。
まあ、あの力に頼らずにできた恋人は、本当に俺の事を愛してくれていると思えて幸せなんだけど。
南京香。今は滝本京香になった彼女は、俺のよき理解者となって支えてくれている。
京香とお腹の子供、そして病気で苦しんでいる人達のために、今日も俺はあたため係をするのだった。
実際は癒しの力を持っていたら、怖い人達に拉致されてしまうのでしょうか。