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《主人公》ハルと機能不全の世界群  作者: 渡雀
第1章 雨と落下と主人公
6/6

6話 温泉と火の神様

 かがり火に照らされて影がゆらゆらと揺れている。

 水面に浮かぶような感じで置かれている水鳥や鹿の石像と、周りを囲む岩とかタイルには花や草の模様が丁寧に彫り込まれてて、これ手作業だとしたらどれくらいの手間をかけたんだろうって思う。

 だいぶ風化してるみたいだけどむしろそれがイイみたいな、遺跡に来たようなワクワク感になっていた。

 水際に駆けていったカサラギは恐る恐る指先を浸す。

 辺りに立ち上るのは森の沼のようなどこか冷たい白い靄ではなく、温かく包み込む湯気だった。

 ばっしゃばっしゃと飛沫を上げ始めたカサラギは喜色満面で振り返る。

 

「ハル、ハル!

 温かい水!」

「お湯だからね。

 カサラギ、とりあえずここに座ってくれるかな」

 

 今にも飛び込みそうなカサラギを呼び止めて私の前に座らせる。

 私の手には桶。

 建物の中から適当に使えそうなのを見繕ってきたんだ。

 ちょっと割れてるけど使えないほどじゃないし無いよりはいいからね。

 

「カサラギ、頭洗ったげるから目閉じて」

「う」

 

 大きく息を吸ってから両手で顔を覆って俯いたカサラギの頭の上にお湯をゆっくりとかけていく。

 そして長い赤髪を桶の中のお湯に浸した。

 馴染ませながら揉むように洗うとお湯はどんどん濁っていく。

 何度も汲み直して繰り返すけど、全然落ち切らない汚れに気が遠くなる。

 

「……シャンプー……石鹸でもあればなあ」

「いっそ湯の中で落とせばよかろ。

 その方が早い」


 いつの間にか首だけを出して温泉に浸かっていたエンジが言う。

 翼をビート板みたいにして浮いてるけど器用だね。

 

「今となっては誰も来ぬ湯場じゃ。

 次に湯が張られるのはいつになることやら分からんのじゃ。

 どうせまた砂にまみれるのなら存分に利用せい」

「そうは言ってもさ」

「ほれカサラギ、温いぞ~来い来い」

「ぷはっ!

 アマバメさまっ」

「あっ、カサラッ」

 

 ギ、と言うが早いか、すっくと立ち上がったカサラギは勢いよく飛び込んで派手に水飛沫を上げた。

 銭湯ならきっと出禁案件、常連さんに首根っこ掴まれてポイされるやつじゃん!

 でもここには咎める人はもちろんそんなルールもない。

 引き起こされた波に飲み込まれたエンジはからからと笑いながら温泉の奥へ流されていった。

 

「カサラギィ……」

「……?

 ハルどうした、温いぞ」

「…………まぁいっか」

 

 うん、と意味もなく頷いて、新しく桶に掬いなおしたお湯で自分の髪を洗うことにした。

 カサラギがすでに飛び込んだとはいえそれに続くのはちょっと……いや、絶対楽しいけどほら、ちょっと憚られない?

 

 時間をかけて汚れを洗い流し、気分もさっぱりしたところで私も温泉に浸かる。

 ……うん、いーい湯加減。

 広いし、露天だし。

 落ち着くなあー、と長く息を吐いた時、目の前を犬かきで泳いでいくカサラギが目に入って声をかけた。

 

「カサラギ、汚れ落ちた?」

「落ちた!」

 

 ザバァと立ち上がったカサラギが仁王立ちする。

 エンジはにやりと笑ってカサラギの近くまで浮かんでいった。

 

「おぬし、水に顔をつけられぬ質であろう」

「!」


 すー、っと視線が泳ぐカサラギ。

 おお……、これはもしや。


「そんなことない」

「誤魔化しても無駄じゃぞー、見ておったからな。

 一度も顔をつけておらぬ」

「カサラギ、だいじょうぶ、いらない」


 プルプルと首を振るカサラギの表情がやや硬い。

 ずっとお湯に浸かっていた髪は綺麗になっているのに、乾いた頭のあたりは赤茶色でくすんだままだ。

 すすっと逃げようとしたカサラギを捕まえて肩までお湯に浸からせ、少しずつお湯で濡らしながら手櫛で頭の上から梳いていく。

 じわじわと汚れが溶けていくと元の綺麗な色になってきて、赤い髪だなあとは思っていたけど思ってた以上に真っ赤だったんだなあと気付く。

 チューリップみたいな色で可愛い。

 顔も洗ってほしいけど、嫌がってるのを無理やりにするのもねえ……と私は思ったんだけど、思わなかったのがここにひとり。

 

「顔も洗わぬならわらわが手伝うてやろう、ほれ、ほれ」

 

 翼で浴びせかけるお湯を腕で防いだカサラギは渋々というように、濡れた手で猫みたいに顔を拭い始めた。

 えらいねぇ、私がカサラギくらいの年だったらエンジに仕返してたかもしんない。

 

「……まさかさ、こんなところで温泉に入れるなんて思って無かったよ」

「ふふん。

 水の神たるわらわと、火の神が居るのじゃ。

 この程度どうということはない」

 

 そう言ってエンジは離れたところに座っている神を見やり、得意げに鼻を鳴らした。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 話は遡る。

 エンジの道案内で森を抜けて、ほっと息をついて見上げた空には真上をやや傾いたところで太陽が輝いていた。

 私とカサラギは手を繋ぎ、カサラギの頭の上にエンジが乗っている。

 足元は裸足で、歩いていると時々思い出したように乾いた泥が剥がれ落ちていく。

 靴、置いてきちゃったんだよね……。

 リュックサックもあのままだし、せめて捨てられてないといいなあ……。

 泥があらかた落ちるくらい歩くと、あたりの景色には岩が目立つようになってきた。

 

「ねえ、結構歩いたけどさ、どこにいくの」

「確かこの辺りに……」

 

 飛び立ったエンジが眉間にしわを寄せて辺りを見回す。

 

「ううむ、岩のせいで記憶と景色がずいぶんと……」

「アマバメさま、あれなに?」

「おお、あれじゃ!」

 

 道というか獣道を塞ぐように転がっている大きな岩々の隙間から向こう側に村が見えた。

 石材を重ねて造られた小さな建物がいくつも並んでいる。

 けれど人の気配はなくて、ほとんどが岩に潰されて壊れていた。

 そのうち比較的綺麗な建物のひとつに入ってみると、木桶や古びた布の山、壷や箱が砂埃を被って置いてある。

 置いてある、と言うか放置されてるっていうか、物置みたいな雰囲気だ。

 興味津々で壷を覗き込んでいたカサラギが部屋の奥に扉を見つけて飛び出していく。

 

「ハル、なにこれー!」

「わぁ……」

 

 追いかけるとそこにあったのは、大きな岩の壁と崩れた木の柵で囲われた窪み。

 窪みはカサラギが駆け回れるほどの広さで、私の膝丈くらいの深さ。

 土砂が溜まっているから実際はもう少し深いかもしんない。

 ここにはあまり落石も無かったみたいで、比較的綺麗に残っていた。

 石のタイルが敷き詰められて、所々に水鳥や鹿の彫刻の像が置かれている。

 どっかで見た風景、っていうかこれってあれじゃん。

 

「エンジ、ここってもしかして温泉?」

「そうじゃな、湯場じゃ。

 わらわと火の神がきちんと祀られていた頃は湯治の場として栄えておったのじゃが、今は見ての通り」


 窪みの中から砂を蹴飛ばして駆けて来たカサラギが首を傾げる。

 

「ゆば?」

「ハナキの里の子には馴染みがないかもしれんのう。

 温かな湯を満たし、疲れや傷を癒やすために浸かるものじゃ。

 そなたらも身を清められるじゃろ」

「水浴びと違う?」

「似たようなもんじゃが、ちと異なるかの」

「長いこと使われてなさそうだよ、ここ」

「子らが来ぬようになってからだいぶ時が経っておる。

 しかし心配はいらぬぞ、わらわは水神じゃ。

 余計な砂利など流してしまえばよい」

 

 バッと翼を広げて高く飛び上がったエンジは旋回しながら、


「む、風の神が起きたな。

 風の聞き分けがよい」


 瞬く間に晴れていた空を雲が覆い、辺りが薄暗くなるとカサラギが私の袖を引いて建物の中へ連れて行く。

 

「雨、降る」

 

 その言葉の後に降り出した大粒の雨。

 建物の陰から見上げると、エンジが踊るように動かす翼に合わせて水が螺旋を描いて宙を舞い、窪みの砂を洗い流していく。

 

「すご……」


 十数分くらい経ったかな。

 雨が止んで雲が去ると、何事もなかったかのように夕陽が差した。

 空からドヤ顔のエンジが降りて来る。


 水も土砂も残らず消えたけど、どこかに排水溝とかあったのかな。

 ってか、あれだけの土砂一気に流したら詰まるのでは?

 なぁんて思った私の考えはお見通しと言うようにエンジは言った。


「不純物は外へ弾き飛ばしたわ。

 流れたのは水のみよ」

「へえ……」

「終わった?」

 

 私の後ろにいたカサラギが顔を覗かせる。

 

「おお、浄めは終わったぞ。

 次はそうじゃの、そろそろ……」

 

 エンジが背後の山に視線を向けた。

 つられて私とカサラギも山を見ると、ちらちらと何かが降りてくるのが見えた。

 近付くにつれて姿がはっきりしてくる。

 カサラギよりも赤い髪……赤っていうか紅って表現の方が合いそうな髪を振り乱し、飛び跳ねながら駆けて来る彼女はあっという間に私達のいる建物の前に降り立った。

 地面から頭まで二メートルはありそうな姿を見上げているとエンジが口を開く。

 

「久しいの」

「何をしておるのだ水神。

 ここは我が治める火の地ぞ。

 求め失き今、汝に用はなかろう」

「用があるから来たのじゃ。

 湯場を使いたい」

「……浄める前に言うべき事であろうが、汝には今更か。

 して、その子らは……」

 

 猛獣のような鋭い眼がちらりをこちらを見る。

 カサラギが私の着物を握って囁いた。

 

「赤き獅子……火の神、ホノシノキミ」

「ホノシノキミ」

 

 火神が目を見張り、エンジは口角を上げて満足げに笑う。

 

「ふふん。

 ハル、おぬしにはどう見ゆる」

「……ええと、ケンタウロスの亜種みたいな……。

 獅子ってライオンのことだよね?

 真っ赤で上半身が女の人、髪も真っ赤」

「……なんと。

 このような子が最後に現れたのはいつだったか、水神よ」

「昔の話などどうでもよいわ。

 これはわらわが見つけた依代たる素質ある子らぞ。

 奇異なる運命(さだめ)の者らじゃ。

 見ての通りみすぼらしい身なりじゃからの、湯場を使わせよ。

 わらわが地下水を引きあげるゆえ」

「よかろう。

 我が力を必要とするならば応えるまで。

 汝の水に熱を与えよう。

 我が社の山よ、久方ぶりの目覚めぞ!」

 

 火神が吠えると背後の山が応えるように轟いた。

 ぐらぐらと地面が揺れて、エンジが笑い声を上げて羽ばたいた。

 

「湯場の復活じゃ!」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「職権乱用ならぬ神権乱用だと思うんだけど」

「そもそも、かつてはこれが普通であったのだ」

 

 火神、カサラギの言うところのホノシノキミはそう言って四肢を折ると、両腕を組んで背後の火山を見上げた。

 その横顔を紅い髪が隠す。

 火の神が司るのはその名の通り火、熱で世界を暖めているんだって。

 空の真ん中で月に照らされて静かな存在感を示しているこの火山を、カサラギはオガヤの山と呼んだ。

 

「里長言ってた。

 夏の来る方角にある火を噴く山、オガヤの麓、癒やしの湧き水ある

 でも、クラスミから来た鬼族言った。

 神居なくなった、水、枯れた。

 鍛冶できない、誰も近寄らない」

「居なくなったって、その神って火神のことでしょ」

「それとわらわのことじゃな。

 湯場と鍛冶場は水と火の恩恵を受けて存在する。

 火の神もわらわと同じように眠りについておったということじゃ」

「……水神よ、これは一体どういうことなのだ。

 知らぬ間に随分と時が経っておるではないか。

 我は眠っていたと?

 分霊もまともに機能しておらぬまま?

 社の山は制御を失い、火を噴き続けた末に沈黙した。

 結果がこれだ。

 信仰を失い、湯場は枯れ、鍛冶の場も閉ざされ、子らは姿を消した」

「わらわも分霊が機能しておらなんでな。

 大地は枯れかけ、生命は飢え、あと少し遅ければどうなっていたことか。

 いや、不在の期間を考えればよくもここまで持ちこたえたものよ。

 ……原因はわらわにもわからぬ」

「役に立たぬ」

「おぬしに言われとうないわ」

 

 カサラギの髪を漉きながら私は聞く。

 汚れが落ちた髪はさらさらとして触り心地がいい。

 

「ねえ、他にも眠ってる神っているの」

「……風の神は先程目を覚ました。

 雷の神は……ふむ、もともと起きておったようじゃな。

 とはいえ雨と風がおらねば雷は成り立たぬ。

 起きておったとしても意味はない」

「氷神は世界の向かいにおる。

 問題な無いようだが、あれがこちらに来る季節ではないからな」

 

 カサラギが指折り数えながら呟くのに私は耳を澄ませた。

 

「風の神アマハヤノキミ、雷の神アマトリノキミ、雨の神アマバメノキミ、天を司る、鼎の神。

 火の神ホノシノキミと氷の神コゴズミノキミは季節を司る対の神」

「おおう、また新単語来たよ。

 鼎とか対って?」

「神の権能のあり方だ。

 我は火神、火を司り、熱をもって世界を暖め、夏をもたらす。

 対は氷神、氷を司り、冷気をもって世界を冷まし、冬をもたらす」

「我らは鼎じゃの。

 天を司る我らは一神のみでは成らず、向き合う三神でなければ成らぬ」

「それだけ?

 他に神はいないの?」

「いや……いる。

 そうじゃ、いるではないか」

  

 ハッと、見えない何かを探るように空中を見つめ始めたふたりの表情に焦りが見えてくる。

 やばいことに気が付いた、そんな表情。

 

「見えぬ……」

「何ということじゃ」

「ねえ、対か鼎じゃないと他の神の様子は分からないとか、そういうことではないんだよね?」

「無論」

「それが分からなくなってる?」


 一瞬の空白のあと、ふたりは顔を真っ青にして顔を見合わせて苦しそうに言った。

 

「……火の、」

「水神よ」

「いつからじゃ」

「目覚めた時ではないか」

「しかし……」

「今まで気付かぬとは、何たる……」

「本来であれば……ありえぬ、ことよな?」

「……無論であろう?」

「何故じゃ?

 このようなこと、今までは……」

「あるはずがなかろう、我らは、神ぞ」

 

 ふたりともそれきり黙り込んでしまった。

 重くなった空気にカサラギは不安そうに振り向き、私と視線を合わせる。

 

 エンジはこの世界が妙なことになっていると言っていた。

 今聞いた感じでは神同士はお互いの様子がわかるのが当たり前。

 でも今は、対か鼎の関係の深い神同士しかわからなくなっているっぽい。

 言われるまで気付いてなかったみたいだけど。

 でもここで、今まで気付いていなかった……気付けなかった異変に気付いた。

 

 自意識過剰かもしんないけどさ、もしかして主人公の役割ってやつ関係してない?

 だって、ヘンな確信があるんだ。

 沼で目が覚めた時、一回死んだんだってあっさり納得しちゃった時と同じ感覚。

 主人公がここに居なければ、多分エンジもホノシノキミも他の神にコンタクト取ろうなんて思い付きもしなかった。

 エンジが湯場に行こうって言い出したのだって、私が泥まみれなんとかしたいって言ったからだし。

 

 背中がぞわぞわとする。

 やること、わかったかもしんない。

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