白い部屋
引っ越しをした。君がこの世を去ってから
二人で揃えた物は何もかも処分したよ。
不要な物だったからね。これからの生活に邪魔になるから、
君の思い出が詰まった品物は君と共に荼毘にふしたよ。ひとつだけ手元に置いて、後は何も遺していない。
皆からは、薄情な人間と言われた。そうかも知れない。けれど必要無いんだ。僕にはね、
君に教えてあげる、どんな場所に引っ越したかを、部屋はね、一人暮らしだから広目のワンルームなんだ。
自由に使いたいから分譲で購入したよ。
室内は、ベッドと小さなテーブルに椅子が一つ。
収納はクローゼットで事足りる。
真っ白な空間にした。天井も、床も壁も、窓には白いスクリーンを下ろしたよ。
君は、気に入らないかも知れない。完全なる無機質な空間にしたから。
潤いが無いと声が聞こえてきそうだ、しかし君はもうこの世にはいない。好きにさせてもらう。
僕を置き去りにして、先に逝った君が悪いのだから。
―――僕はあれから、エンジニアの仕事を在宅でしている。便利な時代さ。
パソコンが有れば、仕事も、買い物も、支払いも、収入も事足りるよ
買い物も何もかも、やろうと思えば家から出ること無く出来るのだから
外が好きだった君に怒られるよね、でも僕はこの先、外にはなるべく出たくないのさ。
出なくてもいいのだよ、むしろ出たくない、この白い部屋から
君は怒るね。最後に遺した言葉に反するから、でも霊感等ない僕にはね、たとえ君が幽霊になって叱りに来てもわからない。
残念だったね。諦めて天国で眺めてておくれ。
病に倒れ、最後に君が遺した言葉は、
「私を忘れて、幸せになって」
そう微かに漏らすと、空へと逝ってしまった。愛しい僕の奥さん。
―――今の職業についていて、本当に感謝したよ。身に付いた技術と知識で何でも出来るのだから。
白い部屋の四隅には、ある仕掛けを造ったんだ。それと室内全体に、防音加工もね、それがなければ困るから。
新しい生活を、さあそろそろ始めよう、上手く起動出来るか、心配だけど………
出来ないと、僕はこの先生きていけない、この為に持てる知識を全て費やしたんだ。
―――僕は機械のメインスイッチをオンに入れた。
ヴ、ヴォン、ブ、ブーン、シヤァァァ……
四方に置かれた装置から、光が放たれ部屋を満たして行く。
成功したよ!ふうわりと柔らかく『君』が立体化されて行く。
今日は『あの時』の映像を元に造った。今日と言う日にふさわしいから………
『わぁー、今日からここで暮らすのぉ!嬉しい、引っ越しって結構大変やったわ、てか、何でこういう時にも、カメラを私に向けて、撮影してるねん!』
上手く起動した『高性能な立体映像装置』が、僕が造り上げた傑作だよ!
君がこの世に甦る。僕が録りためていた在りし日の愛しい者の映像。いくら君に怒られていても、録ってて良かったよ。
かつての部屋の記憶が甦る、壁も床も天井も、君の周りの背景として無機質な空間が、生活感溢れて満ちてくる。
『ファインダーから見るのは失礼やわ!』
前に住んでいた部屋に、初めて二人で暮らし始めた日の、君がここにいる。
ここにいる。この部屋に、何もない空間をかつての暖かい部屋に変えて、生き生きとした笑顔の君が話しかけてくる。
今日から『君』と暮らすよ。忘れたくない、記憶の彼方に送りたくない。
視界には手を触れる事が出来ぬ、愛する君の姿。
そして、歩く足音も、物を手に取り置いても、それはスピーカーから流れる音の君と。
幸せだから、共に暮らそう、かつて暮らした時の映像は、もうプログラミングを終えて準備は整っているよ。
食事をする君、家事をする君、僕に怒ってきたあの時の君。
泣いたり笑ったりしたかつての部屋の記憶。
『ねぇ、コーヒーでも入れて、私より美味しいのいれるやん』
溢れてくる涙をぬぐいながら『君』と僕、二人分のコーヒーを今一人の部屋でいれる……
そして『あの時』と同じタイミングで『君』へとカップを差し出す。
このカップだけを僕は遺したんだ、何時もコーヒーをいれるのは僕の役目だったから。
『ありがとう、やっぱり美味しいわぁ』
受けとる筈のないカップは僕の手にある。しかし『君』は受け取り、美味しそうに口に運んでくれている。
僕は笑顔で泣きながら『君』を見つめ、入れたコーヒーを口にすること無く、ただ立ち尽くす。
………始まりだよ。そう、今日から始まるね『君』との新しい生活が、それは永久に続くんだね。
『ねぇ、ずぅっと一緒にこれからは、おれるやんね』
そうだよと、僕はあの時と同じように呟く、それに幸せそうな笑顔を向けている『君』
そう、そうだよ、さぁ、白い部屋で、二人で暮らそう、何時までも、永久に、彼方に、時の果てまで、
何時までも。二人だけの白い静かな世界でね。