その5
「大人しく城の中で生きていればいいだろう」
「まあ、あんたにしてみれば、突然、ここに来た私は厄介者だろうけど」
「あのな、古今東西、お姫さまというものは、自分の城で魔族に攫われるものだぞ」
「は?」
「大人しく攫われるのを待っていればよかったと言っているんだ」
「どういうこと?」
その時、開け放たれた窓から一陣の風が吹き込み、セシルの髪を大きく乱した。
「やっときたか」
「待たせたな」
アルシュの声に、風が答えた。そして呆然としているセシルに微笑む。
「ようやくみつけたよ、姫。あなたを迎える準備が整ったので城に迎えに行った。なのに、あなたはどこかに逃げた後だった。どれほどお捜ししたことか」
「……あなたは」
よろよろとセシルが椅子から立ち上がると、風……虹色の羽を体に纏った美しい青年が、その足元に跪いた。
「我が名はアレクシ。私の命を救ってくれたあなたを、花嫁として攫いに参上した」
「花嫁……?」
セシルは助けを求めるようにアルシュに視線を移した。
「どういうこと?」
「見たままだが」
「見たままって……このお方は……まさか」
「そいつは極楽鳥。見た者、所有する者に幸福をもたらす魔力を持つ魔族の端くれだ。非力な生き物でな、その容姿の美しさ、幸福の魔力を持つせいで一時期、人間どもに乱獲され、今では少数の生き残りがひっそりとある森の中で暮らしている。
お前の話を聞いて、お前の逃がした鳥は極楽鳥に間違いないと思った。だから、シータを極楽鳥の住む森に使いに出した」
気が付くと、アルシュの足元にいつの間にか戻ってきていたシータが影の塊となってうずくまっていた。きゅると声を上げる。
「ああ、シータ……ありがとう!」
頬を桃色に染めて、セシルは今にも泣き出しそうだ。
「私、どうしたら……」
「自分の運命をここにゆだねに来たのだろう。なら、とっととゆだねやがれ」
アルシュはセシルを追い払うかのように手を振る。
「極楽鳥の住む森は穏やかな地にある。安心して行け」
「だけど……いいのかな」
目の前に跪くアレクシの瞳を、遠慮がちにみつめて彼女は言う。
「私、人間よ。あなたたちを苦しめた人間なのに」
「あなたのために、歌を歌いたい」
アレクシは優しく言った。
「あなたは毎日、私の歌を聴きに来てくれた。それが閉じ込められていた私の心をどれほど慰めてくれたか」
そっと請うように、アレクシはセシルに手を伸ばした。
「人間の姫君。どうか私に攫われて欲しい」
セシルは何も言わず、彼の手を取ると倒れ込むようにその胸に落ちた。それを愛おしそうに抱き込むと、アレクシはテーブルに頬杖をついて退屈そうにしているアルシュに向き直る。
「アルシュ、ありがとう。花嫁は貰っていく」
「早く行け。その姫にこのままここに住みつかれたら、島を乗っ取られかねん」
「ちょっと!」
セシルがするりとアレクシから離れると、アルシュの前に仁王立ちになる。
「最後なのよ、皮肉なしでお別れできないわけ?」
「やれやれ、まだ何か言いたいことでもあるのか?」
「……そうね」
少し考えてから、セシルは言った。
「あの時……あんたが光の勇者さまに討たれてのびている間に、彼が私に何を言ったか教えてあげてもいいわ」
ぴくりとアルシュの眉が上がった。けれど、鎮痛な面持ちで黙ってしまう。それを見て、セシルは好意的に笑った。
「本当に優しい魔族ね、あんたって。どこが最悪の悪鬼なんだか」
「俺は身に降りかかる火の粉は払う。だが、こちらから何もしていない者を攻撃したりはしない。噂が勝手に大きくなって広がっていっただけだ」
「そう。噂なんてそんなものよね」
ひとつ頷くと、セシルは言葉を続けた。
「私が鳥……アレクシを逃がしてから弟が病に倒れたのよ。それは私のせいだと父が憤慨してね。そんな父が何故、光の勇者さまに魔族に攫われた私を救い出し、国に連れて帰って欲しいと依頼したのかというと、私を殺すため、だったの。弟の病気平癒の呪術を行うために、私を生贄として捧げる予定だったらしいわ。勇者さまが教えてくれた」
「……まったく、人間はどこまでも残酷になれるのだな、感心する」
「だから、光の勇者さまは私に国に帰るなと言ったの。ここに残ればいいと」
「はあ? 残れだと?」
「ええ。あなたに剣を通して光を注入したそうよ。愛情とか慈悲とか、そんな光を。だから私を匿ってくれるだろうって」
「ああ、畜生。面倒なことを……!」
「だけど、私は光の勇者さまに言ったの、そんなことしなくても、アルシュの中は既に光は満ちているって。彼は突然押しかけてきた人間の小娘を、客としてこの城に置いてくれたんだもの。優しい魔族なのよって」
「お前、余計なことを」
「だから」
すっとアルシュの耳元に唇を寄せると、セシルは意味深長に囁いた。
「今のあんたの光の勇者さまへの気持ちは、剣に刺されて光を注入されたために出てきた感情ではないと思う。作られたものじゃないわ。きっと本物よ」
「……え」
ぐっと息を呑むアルシュに、可愛くウィンクをひとつ残すと、セシルはアレクシに抱かれて窓から空へと飛び立っていった。小さな竜巻が起きて、それはアルシュの髪と心を騒がせて消えた。
アルシュはセシルが残していった手帳を手に取ると、何気なくページを捲った。勿論、光の勇者のページは飛ばして、だ。
「ほう、これは面白いな」
アルシュが目を止めたのは、雪の勇者のことが書かれているページだ。
「唯一、勇者の剣を拒んでいる勇者、か」
神を否定していると非難されているらしい勇者に、アルシュはふと思いを馳せた。