その3
アルシュはにやにや笑っているセシルを見て、うんざりと頭を抱えた。
「まったく……どうして俺のまわりには変な人間ばかりが集まってくるんだ?」
「ねえ」
セシルはアルシュの方に身を乗り出して言った。
「いいこと教えてあげようか」
「はあ?」
「押しかけてきた私を追い返すことなく、殺すこともせず、こうしてここに置いてくれているあんたにご褒美をあげようと思って」
「ご褒美ってお前」
「いらない?」
じっとみつめられて、仕方なくアルシュは溜息交じりに言った。
「何だ。また何をやらかす気だ?」
「もうやらかしちゃった後だったりして」
セシルはまたドレスの胸元に手を入れると、すぽんと一冊の手帳を取り出した。それを得意顔で一ページづつめくっていく。
「一体、お前の胸はどうなっているんだ? さすが貧相な胸には余裕があってなんでも入るんだな」
「そんなこと言ってると、大切なこと教えてあげないわよ!」
「大切なこと? 何のことだ?」
不吉な予感に苛まれながらアルシュが尋ねると、セシルはふんと顎を上げて言った。
「この手帳にはね、光の勇者を含めた七人の勇者の情報がぎっしりと詰め込まれているのよ」
「情報、だと?」
「そうよ。これ、あんたのお役に立つのじゃなくて? 魔族のみなさんが欲しがっている情報だものね?」
「いつの間に……」
「ここに来てから集めたの。あんたの手下の、ほら、翼のある、影みたいにすっと動くあの子。なんていったっけ?」
「ああ? シータか?」
「そうそう、シータ。あの子に頼んだら快く働いてくれてね、あちらこちらに飛んで、私の欲しい情報を集めてくれたのよね。結構、きわどいこともしてくれたみたいで、まだどこにも漏れていないレアな情報も満載なのよ」
「お、お前、俺の部下を勝手に諜報活動に使ってんじゃねえよ! おい、シータ、いるならここに来い! お前、何か弱みでも握られているのか! 何言うことを聞いているんだ!」
するりと黒い影が部屋に入ってきたと思うと、申し訳なさそうにアルシュの足元にうずくまった。
「シータ、お前なあ!」
「はいはい、無駄に騒がない。シータに罪はないわよ。それより、あんたは知りたいでしょ、光の勇者さまの情報。と言っても、恋人のことだから大抵のことは知っているとは思うけど……ねえねえ、勇者さまの出身地ってすっごい田舎の村なのね? 全村民が百人にも満たないなんてすごいわね。それで彼のお名前は……」
「わあ! 言うな!」
「……って、何よ、大声出して。驚くじゃない」
「すまん。だが、言わないでくれ。それは次に会った時、自分で聞くから」
「……は?」
一瞬の沈黙の後、セシルは驚きの声を上げた。
「ちょっと、待ってよ! あんたってまさか、勇者さまの名前、知らないの?」
「……ああ」
「ばっかじゃない!」
心から呆れたという顔で、まじまじとアルシュを見る。
「好きな人が目の前にいて、それなのに、名前も聞いていないなんて……馬鹿としか言いようがないわ!」
「し、仕方ないだろ。そういう簡単な関係性ではないんだ」
「どうだかね」
ふんと鼻をならして彼女は言う。
「ヘタレなだけでしょ」
「ああ? 何だと?」
「相手が勇者だから、自分が魔族だからって悲恋ぶってるけど、結局のところ、びびっているだけなんでしょ。勇者さまを名前で呼ぶ勇気すらないんだわ」
「お、お前……」
言い返そうと口を開いたが、しかし、次の言葉が出てこない。おろおろしているうちに、斬りこむようにセシルに言われた。
「コクリなさいよ!」
「何?」
「ぬるいことやってないで、さっさと結ばれなさいって言ってんの。あんたが思っている以上に、人間の人生は短いのよ!」
「セシル……」
小さく息を吐くと、アルシュは言った。
「本当のところ、お前はどうしてここに来た?」
「何よ、急に」
深く椅子に座り直すと、セシルは呟く。
「ただの親子げんかってさっき、あんたが言ったじゃない……」
「違うだろ。ただの親子げんかなら、俺が光の勇者に倒された後、ここを出て行くはずだ。わざわざ父親が勇者を使ってお前を救い出しに来たんだものな。娘とすれば、機嫌も直るというものだ。だが、お前はそうしなかった。いつまでもここにいて、なんだかんだと俺の部下を使って暇つぶしをしている。お前、何がしたい? いや、あの後……俺が光の勇者の剣を受けてのびている間、あいつに……光の勇者に何を言われた?」
「大したことじゃないわ」
セシルは不意に微笑むと言った。
「私がここに来たのは、ただ死にたかっただけよ。それも派手にね。
誤算だったのは、あんたが魔族のくせに意外にいい奴だったってこと。それから、父親が自国の兵を上げずに、光の勇者さまに依頼したってことね。国王である父親は体裁のためにきっと私を助け出しにこの島に兵を送ると思っていたから」
「おい、セシル?」
「私は一羽の鳥を逃がしただけ。それだけで終わってしまったわ」