その2
笑っているセシルを睨むように見てアルシュは言った。
「お前にせいだぞ。お前がこの島に押しかけてきたせいで、あいつ……光の勇者がお前を助けるためにここにやって来てしまったんだ」
あいつに会わなければ良かった。
そうすれば、こんなに胸が苦しくなることはなかったのに。
「そうね」
アルシュの想いなどお構いなしにセシルはさらりと言う。
「そこは私も意外だったわ。あの父親が私のために勇者さまに依頼するなんてね」
「……何を言っている? 父親が娘のために助けをよこすことは意外ではないだろう? しかもお前は曲がりなりにも一国の姫君だ。当然だと思うが?」
「私の場合は意外なの!」
ふんと鼻を鳴らすと、セシルはケーキの最後の一切れを口に入れた。盛大に咀嚼してごくりと呑みこむ。
「……私のことなんか、あの人はどうでもいいのよ」
「は? もしかして、お前がここに来たのは親子げんかの末の家出なのか?」
「そんなに軽く言わないで欲しいわね。こっちは人生がかかってんのよ」
「軽い人生だな」
「何ですって!」
いきり立つセシルをなだめるように片手を上げると、アルシュは静かに言った。
「お前の家出にまつわることで、ひとつ疑問があるんだが」
「……何よ?」
「どうして俺がお前を攫って、ありもしない北の塔とやらに閉じ込めているという噂が広まっているんだ?」
「ああ、それね」
ふっと微笑むと、セシルは得意げに言った。
「当然、私がここに来る途中で散々言いふらしたからよ。それが瞬く間に風に乗って広がったみたいね」
「……やっぱり、そういうことか」
「どうせならドラマチックにいきたいじゃない? ただの家出じゃつまらないわ」
「まったく、お前のせいで俺がどれほど辛い思いをしていると思っているんだ」
「辛い思いって……?」
セシルの声が少し、真面目になった。じっとこちらをみつめる目が真剣だったため、仕方なくアルシュは答えた。
「会いたくない奴に会ってしまったということだ」
「それはもしかして……光の勇者さまのこと?」
その名前を聞いただけでぐっと喉が詰まった。無言でいると、セシルはうるさくたたみかけてくる。
「どうして? ねえ、どうしてよ? あんたたちふたりは恋人同士なんでしょ? 出会いを喜ぶのが普通よね? それをなんだって辛いなんて言うのよ?」
「こ、こ、恋人同士だとお!」
顔を真っ赤にしてアルシュは喚いた。
「なわけあるか! 魔族と勇者が恋人同士になれるわけ……!」
「だって、これ」
セシルは自分のドレスの胸元から、すぽんと一冊の本を抜き取った。
「どう見ても恋人への想いを綴った日記よね」
「お、お、お前、またそれを……」
真っ赤だったアルシュの顔が、今度は蒼白に変わった。
「触るなとあれほど……!」
「そう言う割には、机の引き出しに無造作に入れているじゃない。誰でも触れるし、見ることが出来るわよ」
「よくもそんなことが言えるな……」
アルシュは怒りで肩をふるふると震わせた。
「お前が盗み読みしていることは判っていた。だから、屋根裏部屋とか、隠し戸棚とか、挙句、魔力がないものが決して開けられない扉の中とかにその本を隠したが、お前は俺の部下を使ってあの手この手で、その本を探し出していただろうが。だから、もう諦めて普通に引き出しにしまっておいたんだ」
「そう。諦めたのなら仕方ないじゃない」
「見られるのは仕方なしとしても、持ち出してくるな! ほら、返せ! こっちによこせ!」
「だめ」
にやりと笑って、セシルは本を背中に隠した。
「勇者の日常と魔族の事情 あるいはねじれた恋愛関係の考察、なんて変な名前を日記に付けたものね? それともこれは論文で、いつか書き上げた暁には学会にでも発表する気?」
「んなわけあるか! 返せ!」
「だめだったら。退屈な日々にこのラブラブな日記帳は笑いを提供してくれる貴重な存在なんだもの」
「わ、笑い、だと」
「あら、怒った?」
「お前、本当に人間の姫君なのか? この悪魔め」
「お褒めいただき光栄だわ」
「褒めてないわ!」