その1
セシル姫は、自分と外界を隔てる冷たい窓のガラスにそっと手を添えた。
ここに来てもうどのくらい月日が流れたのかしら。
小さく吐息をつくと、彼女は城を取り巻く灰色の空と黒い海を改めてみつめた。毎日変わることのない単調な景色だ。その暗さはこれからの彼女の行く末を暗示しているかのようで、セシル姫はその華奢な体を震わせた。
「私は囚われの身。この寒々とした島から、この陰鬱とした北の塔から一生、出られないのかしら……」
姫が祈るように胸元で手を重ね合わせた時、いきなり、背後から大きな手が伸びてきて、有無を言わさず窓を全開にした。
「うわ! いきなり何すんのよ! 危ないじゃない!」
先ほどの神妙な面持ちは吹き飛んで、セシルはきっとまなじりを上げると自分の後ろに憮然とした表情で佇んでいるアルシュに喰ってかかった。
「落ちたらどうすんのよ! この城の下は海なのよ! 判ってんの?!」
「ここから出て行きたいのだろう? 親切に開けてやったのだ。さあどうぞ、どこにでもお好きなように」
「……ちょっと」
「だいたい北の塔ってなんだ? この城にそんなものは無いぞ」
ふんとセシルは鼻を鳴らすと、つかつかとアルシュの前を素通りして、お茶の用意が整っているテーブルの前にどすんと座った。
「薄幸の美姫が魔族に攫われて閉じ込められるのは、北の塔って相場は決まってんのよ。ちょっとは協力しなさいよ」
「何の協力だ?」
「それは勿論」
こほんと咳払いして彼女は言った。
「私の妄想に、よ」
「……そんな忌まわしいものに俺を巻き込むな」
「もう! 面白くない男ね!」
「お前の暇つぶしに付き合ってられるか」
アルシュはうんざりしつつも椅子に腰を下ろし、向かいに座っているセシルをみつめた。
「このお茶の時間とやらもそうだ。なんだって魔族の俺がこんな人間の真似をしなきゃならんのだ」
「文句言わないの。お礼だと思えばいいじゃない。だって私のおかげでしょ、ここのお料理のレベルが上がったのは。最低だったテーブルマナーだって、私が指導して改善してあげたんだから」
「そんなこと、どうでもいい」
「どうでもよくない! 食べるという行為は生きる上での基本よ。それをいい加減にすることはいい加減に生きるということよ!」
「ご高説、痛み入るが、お前ごときが偉そうに言うなと俺は思う」
「うるさいわね」
セシルがふくれっ面のまま、手を上げると、後ろに控えていた少女の姿をした魔族が静かに近寄り、セシルとアルシュのティーカップに優雅な手つきでお茶を注いだ。一礼して下がると、少女はセシルがお茶を飲む様子を固唾をのんでみつめている。
「……なかなかいいわよ」
ティーカップをソーサーにもどすと、セシルはテーブルの上を見渡しながら言った。
「お茶の淹れ方も、フルーツケーキの焼き具合も、食器の配置も、すべてに合格点をあげてもいいわ。よく勉強したわね」
ぱっと少女の顔が喜びに輝いた。
深く頭を下げると弾むような足取りで部屋を出て行く。それを目で追いながらアルシュは皮肉を込めて言った。
「……よく仕込んだものだな、俺の部下を」
アルシュの皮肉が伝わっているのかいないのか、セシルはふふんと得意そうに笑う。
「任せなさい。私がこの退屈な島を素敵にプロデュースしてあげるから」
「やめてくれ」
アルシュは眉間に深刻なしわを寄せて言った。
「お前は一体に、何がしたいのだ? だいたい俺はお前を攫った覚えはないぞ。どこかの漁船の船長を買収して、自分の意思で海を渡ってこの島にのこのこやって来たのではないか」
「ああ、思い出した! あの船長! 最初は金貨三枚でいいって言ったくせに、この島の近くまで来たら、割に合わないからもう二枚よこせとかなんとか言って! 挙句、私の真珠の指輪までせしめたのよ! 許せないわ!」
「それで、島に着くなり船長を海に蹴り落としていたのか」
「あ。見てたの?」
「ああ、しっかりと。船長が気の毒で泣きそうになった」
「……うるさいわね。あいつは海の男だから、泳ぎも達者なのよ。でなきゃ落とさないわよ、さすがに」
「溺れかけていた船長を指さして笑っていたくせに」
「ああ、このフルーツケーキの美味しいこと」
セシルはケーキの一切れを口に運ぶと、白々しいほど優雅に笑った。
「アルシュさまもどうぞお召し上がりくださいな」
「このエセ姫君め」