その3
舌打ちしたくなるのをこらえて、アルシュは続けた。
「神の啓示を受けた者が勇者になるのだったな。ひとりの勇者が死ねば、また新たに啓示を受けて勇者になる者が現れる」
「そう。この世界に勇者はきっかり七人だけ。多くても少なくてもだめなんだ。その時与えられる勇者の称号は、光、風、水、地、音……ええっと、後は、雪と金だっけか。もうその辺、どうでもいいや」
「どうでもいいって……お前、雪と金に謝れ」
「だって、交流ないし、どんな人なのかも知らない」
「そうなのか? 勇者にはネットワークってものはないのかよ。魔族にはあるぞ、横のつながりってやつ」
「へえ、仲良しなんだね」
「そういうことじゃねーよ」
苦い顔をするアルシュに笑いかけると少年勇者は言葉を続けた。
「前任の光の勇者が死んでしまって、僕が神の啓示を受けて光の勇者になったのは十五歳の時だった。なんで僕が選ばれたのか、今でも判らないよ。
僕が生まれ育ったのは小さな村で、村人はみんな、家族みたいに寄り添って、助け合って暮らしていた。僕は父親を知らなくて、母とふたりで静かに暮らしていたんだけど、僕が勇者になった途端、母は勇者の母親として急に崇められて、なんとかという偉そうな王族に広い土地と大きなお屋敷、たくさんの使用人を与えられて、なんだかおかしくなってきた」
「おかしく、か」
アルシュは微かに笑った。
小さな村や彼の母親に何が起こったか、察しがついたからだ。
「お前の小さな村は豊かになったか?」
「そうそう、なったよ」
相変わらずの笑顔で少年勇者は続けた。
「僕の生まれ育った村ということで、お金がいっぱい、入ってくるようになった。あんなに慎ましく誠実に暮らしていたみんなが、尊大で怠け者に変わってしまった。だからさ」
溜息と共に彼は言った。
「故郷はもう、僕の好きな場所ではなくなってしまったんだ」
「……それで、俺の寝室に忍び込むのか」
「そういうこと」
不意に身を翻すと、少年勇者はベッドに飛び乗り、アルシュに抱きついた。
「こらこらこらこら!」
大慌てでアルシュは身を捩って、少年勇者を追い払おうとしたが、しっかり抱きついて彼は離れない。
「お、おい、勇者! 体が痺れる! 聖剣が俺の魔力に反応しているから!」
「え? ああ、そう。ちょっと我慢して」
「出来るか! こら!」
腕を突っ張って、少年勇者をなんとか引き離すと、アルシュは低く唸って恫喝した。
「俺をなめていると後悔するぞ! 喰っちまうぞ、小僧め!」
「いいよ」
「……ああ?」
少年勇者の顔を見ると、彼は笑っていなかった。真剣な目でアルシュを見返してくる。
「僕が死んだらまた、すぐにどこかで新しい光の勇者が生まれるだけだ。世界は何も変わらない」
大きな溜息と共に、アルシュは一度、突き放した少年勇者の華奢な体を胸の中に押し込んだ。聖剣が鋭く反応して、腕がピリピリと痛んだがそれもどうでもいいと思えるくらい少年勇者のことが愛おしかった。
こんな小さな体で、望んでもいない勇者の称号を与えられ、その途端に家族も仲間もすべてが変わり、大切なものを失って、たったひとりで孤独に戦っているのか……。
「……生きて帰って来れたなら、またここに来るがいい。ベッドの隅っこを貸してやる。好きなだけ休んで行け」
絞り出すようにして必死に言葉を紡いだアルシュだったが、しかし少年勇者からの返事はない。
「おい、聞いているのか?」
憮然として少年勇者を見下ろしてみると、彼はアルシュの胸元の傷跡をじっとみつめていた。そしてその細い指でそっと傷をなぞりはじめる。
「こ、こら! 何をする!」
「痛かった?」
「ああ?」
「これ、初めて君と会った時、僕が聖剣で付けた傷だ。結構、深い傷だった。痛かったよね?」
「……そんな古い話し、今更」
アルシュは目を伏せた。あの時の状況が、昨日のことのようにはっきりと浮かぶ。
光の勇者は、城に囚われた姫君を救いにこの島に単身、乗り込んで来たのだった。
金色の髪をなびかせ、緑の瞳を輝かせて、正義は自分にあると信じて疑わない、そんな顔をして。