その2
「だ、誰がだ!」
「だよねー」
笑いながら少年勇者はベッドからするりと降りた。見ると上下の白い肌着を身に着けているだけで、なんとも無防備な姿である。聖剣はベッドの脇に立てかけてあり、身を守る革の衣装や旅用の厚手のマントなどは無造作に床に脱ぎ捨ててあった。
アルシュは呆れて言う。
「お前、俺が怖くないのか」
「えー? 何で?」
「何でって、俺は魔族だぞ。しかも最悪の悪鬼と呼ばれている、この島を統べる長だ。なのにそんな無防備な格好で……俺に殺されるとは思わないのか?」
「殺すの?」
と、あどけなく聞き返されて、アルシュは慌てた。
「い、いや、殺すというか、それは……その時の状況によるというか……」
「今はその時ではないってことでいいよね?」
「そ、そうだな」
「良かった」
そしてまた、微笑む。
アルシュは思わず目を背けた。
「そ、それで、これからどこに行くんだ」
「うん、北の魔女のところ」
「北の魔女? それはアレルギアのことか?」
「ああ、そうそう。そんな名前だった。守秘義務があるから詳しいことは言えないけど、ある国の王子さまが退治に向かってそれきり帰ってこないんだって。それで王子さま救出に行くんだよね」
「……馬鹿な王子だな。もう殺されているだろう。あの魔女は人の生皮を剥ぐのが好きだからな、今頃は剥製にされているだろうよ」
「嫌なこと、言うなあ」
革の衣装を身に着けて、マントを羽織ると彼は最後に銀の鞘に収まった聖剣を、慣れた様子で腰のベルトに差しこんだ。剣の柄には琥珀色の宝石がはめ込まれている。これが勇者の力の源であるらしい。
もし、これを俺に壊されたら、などとこいつは思わないのだろうか。
アルシュがじっと聖剣をみつめていると、少年勇者が不意に振り返った。
「ねえ、アルシュ」
「な、何だ」
「僕が北の魔女の元から無事に帰って来ることが出来たら、また、ここに寄っていい?」
「……は?」
「だめ?」
「お前なあ」
溜息交じりにアルシュは言った。
「いいか、お前は勇者で、俺は魔族だ。相容れない存在なんだよ。なのになんでお前は俺に懐いてくるんだ? どうしてここに来たがる?」
「一目惚れ」
「……はあ?!」
「って言ったら納得してくれる?」
「お、お前なあ」
頭を抱えるアルシュに、少し真面目に少年勇者は言った。
「一目惚れは言い過ぎだとしても、でもね、君と初めて会った時、いいなあって思ったことは事実だよ。君の空色の瞳はとても美しいと思う」
「美しい?」
アルシュは呆れてぽかんと口を開けた。
醜い、汚らわしい、恐ろしいと言われたことはあっても、美しいなどという言葉は初めて聞いた。
「……お前、俺をからかっているのか」
恐ろしい低い声で言われても、少年勇者の笑顔は崩れない。
「からかってないよ。僕はいつも本気だから」
「なら、お前は稀代の馬鹿者だ」
「かもね」
軽く笑い飛ばす少年勇者を、アルシュはうっかり可愛いと思ってしまった。そしてそう思う自分にひどく戸惑った。
「お、お前、無事に戻れたのなら、俺のところではなく、さっさと故郷に戻ればいいだろ。家族や仲間のところに」
「ああ、そうだね……」
明るかった少年勇者の声のトーンが、不意に暗く落ちた。静かに目を伏せると彼は言う。
「家族や仲間に会いたいって気持ちはあるよ。でも」
「でも?」
「……アルシュは、この世界に勇者が七人いるってことは勿論、知っているよね?」
「ああ、知っている。厄介な存在だ」