その4
「ねえ」
湯気の立つボウルをトレイに乗せて戻って来た青年に、グラントは言った。
「あれって、もしかして聖剣?」
指さす方を青年は肩越しに振り返ると、興味なさそうな顔で頷いた。
「ああ。そんなことより、早く喰え。冷める」
「そんなことって……あの扱いはさすがに……」
白銀の鞘に収まった細身の剣は、無造作に厨房の隅の壁に立てかけてあった。よく見るとうっすらと蜘蛛の巣がかかっている。
「聖剣だよ? もっと大切にした方がいいんじゃないの?」
「あんなもの」
ふんと青年は鼻で笑う。
「大根一本、切れやしねえ」
「聖剣で大根は普通、切らないよ」
「何回捨てても、戻ってきやがる。面倒な剣だ」
「捨てたの? 聖剣を?」
「ああ」
すっと真っ直ぐにグラントを見て、青年は言い切った。
「俺にとって、あんな剣は不要だからな」
「……不要? 神から賜った聖剣が不要? そんなこと言う人、初めて見た」
「あのな、小僧。ものの価値ってのは自分で決めるんだ。他の誰かのことなんざ、知ったことじゃねえ。人が馬鹿にしても、いるものはいる。いらねえものはいらねえ」
青年は手を伸ばすと、不意にグラントの頭に手を乗せた。
「選択するんだよ。人生は残念ながら、その繰り返しだ」
「選択……」
自分が聖剣を振りあげた時の、家族の驚愕の表情をグラントは思い出した。大きく目を見開き、自分の名前を呼ぶ最愛の家族の声。
聞きたくなかったあの声。あの音。
「僕は家族を斬ることを選択した……はずだった。でも」
「皆殺しにしたんじゃなかったか?」
「できなかった」
両手で顔を覆うとグラントは言った。
「聖剣は悪を斬れと僕に語りかけてきた。でも、家族だよ? 悪い人たちだったけど、家族なんだ。聖剣は振るったけど……とどめなんて刺せなくて」
「そうか」
「家族は僕のことを恩知らずだと罵りながら、町を去っていった。僕はひとり取り残された。望んでいない聖剣と聴きたくない音を手に入れて、その代わりに大切なものすべてを失った。僕は、多分、自分で選択しなかった。できなかった。だから、こんなに後悔していて、こんなに悲しい。何も聴こえない方が幸せだったのに」
「俺も勇者になんかなりたくなかった。今もただの料理人のつもりだ。だが、勇者の力を得てひとつだけいいことがあった」
そっと顔を上げたグラントに、青年は小さく笑いかける。
「雪はしんしんと降り積もり、すべてを覆い隠す」
その途端、グラントの心に柔らかな白い雪が音もなく降りはじめた。それは瞬く間に彼の悲しみを優しく包み込んでいった。
「……癒しの力。それが、雪の勇者の能力だね」
ほうっと安堵の息をつくと、グラントはぎこちなく笑った。
「少し楽になったよ、雪の勇者」
「そんな名前で俺を呼ぶな」
「……じゃあ、何て呼ぶの?」
青年はグラントの頭の上から手を引くと、ぶっきらぼうに一言、言った。
「リツ」
「……リツ」
しばらく口の中で何度かその名前を唱えた後、グラントは微笑んだ。
「あなたらしい響きのある名前だね」
「……手が止まってる。さっさと喰え」
「あ、うん。食べたらすぐに出て行くよ」
「……うちは宿屋も兼ねている。喰ったら奥の部屋が空いているからそこで休め」
「え? いいの? ここにいて」
「泣いている子供を追い出せるか」
グラントは驚いて指で頬を触ってみた。濡れている感触に慌てて涙を拭う。自分が泣いていることにも気が付かなかった。
「あ、あのさ、リツ……」
「黙って喰え」
優しくみつめられて、グラントは涙がこみ上げてきたが、この涙はさっきまでのものとはまるで違っていた。
グラントは泣き笑いの顔で頷くと、温かいスープを匙で掬った。




