運命のフィニッシュホールド
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ぐあ〜っ、もう、捕まらねえ!
このハエども、ぷんぷん、ぷんぷん、うるせーんだよ!
もう限界だ! スプレーで一掃する! こーちゃん、退避しろ!
――殺虫スプレーの臭いって、慣れてくると、いい香りがしないか?
はいはい、毒ですよ。体調崩しますよ。変なことに足を突っ込まないでください!
こーちゃん、興味本位で色々なものを吸いそうだから、怖いよ。
ふっ、この殺虫剤でびしょびしょになった死体を、ティッシュでつまむ瞬間。これほど勝利の美酒に酔えるものはないねえ。ふっふっふ。
――お前も人のことを言えない?
ほいほい、スルドイご指摘、どうも。
今まで捉えどころがなかったものを、がっちりホールドするっていうのは、こう「してやったり」って感じがしない?
極めたら、箸でハエもつかめるんだってさ。すごいよね〜! 僕にはぜひとも欲しいスキルだよ。
でも、やたらめったらに、鋭すぎるというのも、問題なのだってさ。ちょっとその感覚が暴走しちゃった話、聞いてみないかい?
さっき箸でハエをつかめるのを、極めたとか話しちゃったけど、実際はそんなに難しくないし、つかんだという報告もいくつか存在しているとか。
僕の友達も、その一人だったらしい。
小さい頃に、部屋の中にいて、ハエとかカが、目の前を飛び回る夢を、よく見たんだってさ。夢でもプンプンうるさくって耐えられなかったとか。
手を振り回すけれど、もがくだけでは何も状況が変わらない。友達はやがて、じっと意識を集中するようになる。すると、少しずつ相手の動きが見えてきてね。夢の中でハエやカを叩けるようになったようなんだ。
そして、現実世界。
家族で食卓を囲んでいたら「ぷ〜ん」と、夢の中で何度も退治した、羽音の使者がやって来た。
父親、母親が「いやいや」をするように、顔の前で手を振りながら追い払うと、不潔の権化は友達の目前に。
遅いな。そう感じた友達は、箸を持ったまま、「ひょい」と手を出したんだ。夢で何回もやったイメージ通り、キャッチできてしまったみたいなんだよね。
父親は「すげーっ!」。母親は「やだあーっ!」。
両極端の反応だったみたい。男と女の違いなのかな? それとも育ち方? とにかく、大騒ぎだったらしい。
ハエと、ハエをつかんだ箸は、母親によって処分されてしまったけど、友達は現実でもハエに対応できたことで、一つ、自信が生まれたらしい。
俺、実はすごい奴なんじゃね? という、自信が。
ずば抜けた動体視力。どうせ生かすならスポーツだろ、と友達はソフトボールをやってみたんだ。
プロ野球しか知らない友達は、ピッチャーのウインドミル投法に、最初のうちはビビったけれども、ボールそのものは決して速くは感じなかったとか。
だが、肝心の友達に、当てるセンスはあっても、前に飛ばすセンスがなかったみたい。スイングしたバットが完全に球威に負けて、ファウルを連発。
ボールを見ることは得意でも、選球眼がある訳ではなかったから、ストライクではない球にも、かじりついて当てに行ってしまう。それでもバットにかすりはするから、ファウル。
全身全霊のスイングだから、わざととも思われない。
ガチンコでやったら、わずか1打席で、20球以上もピッチャーに投げさせることもザラだったことから、投げる人の肩を疲れさせる男という意味で、「ピッチャー殺し」と呼ばれるようになったみたい。
おかげで彼と勝負することで、消耗したくないピッチャーは、ファウルが5球も続くと、フォアボールで歩かせることも多かったのだとか。
バッティング練習は続けられたものの、結果的にはファウルと、修行を積んだ選球眼による四球をもらう達人で、戦略的に重宝される選手になったらしいんだ。
中学校に入ってからも、友達は軟式野球部に所属。役目も引き続き、ピッチャーを疲れさせて、出塁するというものだった。
この頃になると、いよいよ反応に磨きがかかって、箸を使ったハエキャッチは、もはや特技の一つとなりつつあったらしい。
素手ではなく、箸という、かなり限られた面積しかない道具を使っての捕獲だから、難易度の高さは推して知るべし。パフォーマンスとしてのレベルは、なかなかだったとか。
女子に騒がれるのが不快だから、男子の前でしかやらなかったみたいだけど。
部活の面子とは、よく一緒に帰ることになる。
その日も、グラウンド整備を担当した一年同士で、つるみながら帰ったんだとか。
友達の学校の周りには、まだまだ田んぼが多く、見通しがいい。
道路の右側を歩いていた友達一行。車道を挟んで向かい側の道路も、それなりに人通りがあったけど、今日、車はあまり通らない。
だべりながら、ダラダラと歩く一行は、耳慣れた羽音に鼓膜を揺らされることになる。
羽音の主も、予想通り。黒々と太ったハエが目の前に躍り出て、彼らは足を止めた。
友達に集まる視線。「ちょっといいとこ、見てみたい」のお約束のコールを受けて、友達も、ずいっと前へ出た。
ハエも友達と勝負しようとしているのか、逃げ出す気配はなく、不規則に視界を横切りながら、待ち受ける。
友達はそっと、ブレザーの内ポケットに入れている、割り箸をとった。このパフォーマンスをした時、すぐに捨てることができるようにだ。
パキリ、と手慣れた様子で、ど真ん中からきれいに割ると、肩にかけていたカバンを下ろして、やや中腰になる。周りのみんなも黙って見守っている。
今まで捕まえてきたハエの中でも、フェイントが多いハエだった。ストレートに飛ぶことはほとんどなく、丸く飛ぶかと思えば、奥へ逃げて行ったりして、方向だけでなく、距離感も掴みづらい。
――だが、相手が悪かったな。
友達は、割り箸を二回、音もなくかち合わせる。
「見切ったぞ」というサインであり、フィニッシュホールドの合図。何度もやっているうちに行うようになった、パフォーマンスだ。
縦横無尽に飛び回るハエに、友達の箸が突き出された瞬間。
ハエが消える。いや、それだけでなく、割り箸が横殴りに弾き飛ばされた。
何が起こったのか。周りはざわめいたけれど、間近にいた友達は見た。
自分の箸は確かにハエを掴んだ。けれども、右側から速く、小さいものが飛び込んで来たんだ。
それはハエを直撃したばかりか、割り箸の先を、爆破するかのようにもぎ取って、視界の左へ消えていった。
あれは何だったのか。友達が折れ飛んで、道路に転がった箸に手を伸ばそうとすると、車道を挟んで、向こう側から悲鳴があがった。
一同が見ると、道路脇に広がる田んぼのはずれ。視線の先30メートルほどのところにある、ずんぐりと腰を下ろした茂みが、炎に包まれていた。
悲鳴をあげたのは、自分たちと同じくらいの年の女の子。ちょうど友達がいる位置と燃え盛る茂みの、ほぼ直線上でしりもちをついていた。
「ずらかろうぜ。目撃証言とか話すの、かったるいだろ?」
仲間の一人がそう提案し、みんなは方々に散っていったんだそうだ。
友達の家近くの交差点。ここまで友達と一緒に来たのは3人。そこから3方に散っていくことになる。
だが、別れ際に友達は、ぼそりと3人の誰かがつぶやくのを聞いた。
「グッジョブ、あの子は助かった。ミッション成功だ。ざまあみろ」
え? と友達が振り返った時には、3人の背中はもう遠くなっていた。
そのことがあってから、友達はハエ掴みを2度と披露する気はない、とのことだよ。