第2話 ぶっ壊れちまった
「ようやく見つけましたよ…リニアリス様」
いつの間に…
それにこの声は…
唐突に響いたその声に反応し、水路からボートに目を戻すと…
そこにはまるで最初からその場に居たかのよう静かに佇んだ背の高い男が…リニスに向けて手を差し伸べていた。
「あ、貴方はエイベル…さん!?あの、わたし…」
「言い訳は私ではなく叔父上にすべきかと。さぁ、こちらへ…」
どこぞの王子様だと言われたらハイそうですか、としか言えないような金髪碧眼の美男子っぷりと……こちらの存在など見えていないかのような振る舞いが……
俺の繊細な自尊心を両サイドから潰しにかかってくる。
くそっ…野郎の背中に見覚えなんて…コイツは…いつも…いつだって俺の前に…
「エイベル!!!」
今のは俺の声か?
呼び止めて…それでどうする?
リニスは…リニアリスと呼ばれた少女は明らかに俺とは違う世界の住人
それにエイベルと争っても…争うなんて…
その男…エイベルはゆっくりと、静謐とも言える目をこちらに向けて口を開く。
「アロウズ…お前が今なぜこの方とこうしているのかは問わん。どうせ大した理由など無いんだろ?」
テメェ…やっぱ最初から俺の存在に気づいてたんだろうが…
感情の感じられない…しかし底冷えするような冷たい口調でエイベルは続ける。
「だが今から俺たちを邪魔するなら、たとえお前でも容赦はしない」
「邪魔って…それに俺たちってことは…」
俺の口から出た疑問は……妙に甲高い神経質そうな声で解消された。
「ぼくたちウィークエンドの依頼を邪魔しないでよってこと!万年Cランクのアロウズさん!それとも見た通り船頭に転職したのかな?ハハハ、似合ってるよ!」
エイベルを中央に俺たち3人を乗せたボートにほど近い岸辺。そこから冒険者と思しき目立った格好をした数人の男達がこちらを見下ろしていた。
声を掛けてきたのはその中でも若い、神官衣を纏った背の低い男だ。
最初に反応したのは俺ではなくリニス。
どうしてか声だけでも気遣いを感じさせる口調で彼女は俺に問いかける。
「アロウズさん、冒険者…だったの?」
「…だったじゃなくて……今現在進行形だけどね…」
苦虫を噛み潰したような表情で現れた男達を睨む。
Aランク冒険者パーティ「ウィークエンド」
天才と称される魔法剣士エイベルを筆頭に、メンバーの大半がAランク以上……そしてパーティ評価もAランクの…ウラカ冒険者ギルドでもトップクラスの実力と人気を誇るスター集団である。
「アロウズ、テメェの同期の…エイベルの邪魔するんじゃねーぞぉ?俺たちは…エイベルとお前の歩む速度はワイバーンとゴリラ以上に違うんだからよぉ」
何と何を比較してやがるんだ……あとゴリラ舐めんなよ
「…『剣舞』ムステイン…」
だがゴリラを擁護する台詞は…長剣を腰に吊るしたその男の迫力によってか、相手の名前を発しただけで俺の舌は機能しなくなる。
「ふむ…ちとボートを寄せるかの…」
ムステインの横にいた皺くちゃの老人…正確には老エルフが空気を読まずに突如として魔法を行使した。
「きゃっ…」
あまりに突然…ボートが岸辺に向かって動いたことでリニスが姿勢を崩す。
俺は咄嗟にその体を支えようと駆け寄るが、彼女が姿勢を崩すと同時に不意に…そして今さら…
彼女の顔を隠していた、つば広の帽子が床に落ちる。
思わず立ち止まった俺の視界は、ハラリと落ちる帽子と広がっていくプラチナブロンドの髪をまるで時間の流れが遅くなったかのように、ゆっくりと映しだす。
そして手摺に捕まりなんとか踏みとどまった少女の目…パッチリとしたアーモンド型の目に浮かぶ大きくて澄んだ碧眼と視線があった瞬間……視界の次は鼓動と聴覚がおかしくなる。
バクバク…バクバク…バクバクバクバク…バクバクバクバクバクバクバクバクバクバク、なんかうるせぇ!!
その碧い眼で見つめらると頭の中が見透かされてしまうような、そんな気がするのにどうしても視線が外せない。
あまりにも透明感がありすぎる存在なので、視線を外した次の瞬間にはもう、幻であったかのように消えてしまいそうな、そんな非現実的な想像が俺を支配する。
「エ…いや…ハーフエルフ…?」
そして人間にしては尖り気味だがエルフにしては短い、形の良い神秘的な耳をみた瞬間…
俺はぶっ壊れちまったに違いない…
「大丈夫ですか?リニアリス様」
崩れ落ちるように手摺にしなだれたリニスの手を取り腰を支えながら、エイベルが彼女の姿勢を元の状態に正す。
絶世の美男美女が触れ合う姿はそれだけで絵になった。
王子と姫、勇者と聖女、ホリ姫とシコ星…そんな芸術的な絵画の題材にでもなりそうな光景。
灼熱の塊が喉奥から腹に流れるような感覚に襲われる。
「あっ…も、もう大丈夫です…申し訳ありません」
僅かに朱がさすリニスの頬が放つ効果は俺の手足の震え。
「ヒュ〜、絵になる2人だね!」
不本意にも俺と似たような感想を述べた若い神官男…セトの言葉が耳に届いたとき…ブチンッと何かが弾ける音が脳内で響く。
そして俺は無意識に震える手を伸ばし魔法を行使していた。
「むっ…なんじゃ?…アロウズ、お主か?」
水魔法でボートを手繰り寄せていた老エルフが俺の行動にすぐ気づいた。
それを聞いてボートが止まったことに気づいたエイベルがこちらを睨め付ける。
俺はなんでこんなことをしている?
だが…エイベル…お前には……
「アロウズ…お前は」
「エイベル!そのお嬢さんは俺の客だ!これから夕陽の沈む海岸線を2人でしっぽり眺める予定だ…テメェこそ邪魔すんじゃねぇ!」
「アロウズさん…あの…」
一気にピリピリとした緊張感が辺りを包む。
それまではどこか戯けた雰囲気だったウィークエンドの面々の目が緊迫感を帯びるが、俺は構わず喋り続ける。
「リニス…言い忘れてたけど金貨1枚だとこのコースじゃお釣りが出ちまうんだ」
「…は…い?」
「だから…夕陽を見たあとは晩飯も奢るよ…いや奢らせてくれ。何故だかどうしようも無くそんな気分なんだ」
「それって…」
意味が分からずポカンとした表情のウィークエンド。
奇しくも赤みを帯びてきた日の光のせいで…リニスの頬の正確な色は分からなかった。
「アロウズ…お前如きがリニアリス様と夕餉を共にだと?しかも金で釣るなど!?そんな馬鹿げた話しが……口を利いて貰えただけでも栄誉と思え!」
「テメェこそ何様のつもりだエイベル?俺と同じただの…爵位も騎士の称号すらない只の冒険者じゃねぇか!」
「なん…だと…アロウズ…いま貴様なんと……」
憤怒の表情を浮かべたエイベルが腰にさした剣に手をかける。
「かっかっか…2人とも若いのぉ」
あいも変わらず空気の読めない老エルフが笑いだす。
その気に当てられたのかエイベルが少しだけ冷静さを取り戻す。しかし仕返しとばかりにその老エルフに強い口調で語りかけた。
「ワイクリフ老!…笑ってないで強引にでもボートをそちらに引き寄せてください!まずはリニアリス様を岸に」
「そんな怒鳴らんでも…とはいえやっとるんじゃが……揺れを抑えてやるには…アロウズもなかなか捨てたもんじゃないわい」
こちとらコレしか魔法は磨いてないんでね…
豪華一点主義だ!!
「ワイクリフの爺さん…歳なんだから無理すんなよ…ここを引いてくれたら…秘伝の水魔法でその皺くちゃお肌ツルツルにしてやるからよ」
「なんと!?…この肌が…乙女の頃に戻れると…?」
…いまなんて?
「えっ、乙女?ワイクリフさんって…」
「…爺さんじゃなくて婆さんだったのか?」
ウィークエンドの面々までもが初耳といった様子でワイクリフ婆さん?の方に顔を向ける。
俺も思わずこの老体のどこに女の要素があるのか確かめようとして…
「うぉ!しまった…!」
「かっかっか!水魔法はそれなりじゃが…駆け引きはまだまだじゃな」
乱れた集中力の隙を突かれて、ボート周辺の水のエレメンタルの制御をほとんど奪われてしまう。
「こんぬぉ〜〜、老いぼれ妖怪がぁ〜〜!」
「かっかっか!」
岸辺に向かって進みだしたボート。その制御を奪い返そうとした時、ヒヤリとした硬く冷たい感触が喉に伝わる。
「アロウズ…お前のお遊びに付き合っている暇は本当にないんだ……こんなくだらない事で命を落とすのは馬鹿らしいだろう?」
エイベルは剣先を俺の喉に突きつけたまま、冷たく言い放つ。
「それとも…お前が俺に勝てるとでも?」
ゾクリとした寒気が背中を駆け巡る。
「そりゃ無茶な話しだよ」神官セトが楽しそうに笑う。
「無謀な賭けだがぁ嫌いじゃあない」とは剣舞ムステイン。
「まぁ今の実力差では…無理じゃろうなぁ…」雌雄判別の結果発表がまだな老エルフが何か言っている。
随分な評価だこと…だが…
「けっ、身内贔屓が過ぎてキモいんだよ!それに無茶無理無謀は冒険者の華だろうが!…忘れたか!?エル!」
剣の切っ先はそのままだがエイベルの眉がピクリと動く。
「お前はまだ…そんな事を」
「それにココは俺のフィールドだぜ?」
エイベルの背後の水路から水の弾丸が飛び出す。
「っ!?」
視界の外側だったにも関わらずエイベルは俺に突きつけていた剣を翻して水弾を弾き飛ばす。
その隙に俺はエイベルの間合いから逃れる。
「おらぁ!まだまだイクぜ!」
そして今度は背後だけでなくエイベルの四方八方から水弾を狙い放つ。
「お〜!」
「ほぉほぉ、本当に思ったよりやるわい」
エイベルはその場に踏み止まって、水弾を端から弾き飛ばしていく。
水弾を放つ俺と、弾き飛ばすエイベル。
今はこちらが一方的に攻撃をしている、が…
ウィークエンドのメンバーがここに至っても加勢に入らないことが、エイベルの余裕を物語っているようだった。
そして均衡を崩したのは…この状況に置いてけぼりだったリニス。
「もうやめて!…アロウズさん!」
俺かよー!!
というマヌケな台詞が頭に浮かんで……戦闘の興奮で忘れていた魔力消費の影響が急激にのしかかってくる。
水弾を止め、フラついた俺はボートの縁に背中を預けて天を仰ぐ。
「はぁはぁ…」
「ふん、無茶無理無謀と言い訳して……追い込まれるまで動かないからそんなザマになるんだ」
もうなんかどうでもいいわ…
「アロウズさん…わたし…本当に巻き込んでしまってごめんなさい…」
「…揉め事は今さらって言ったろ?気にしてないぜ…それに…」
巻き込まれたのはリニスの方だったかも…
その言葉が出るより先にエイベルが怒りの声をあげる。
「お前はまだそんな態度を…」
ツカツカと俺の方に歩いてきたかと思うと、
「…なんだよ」
「…これは同期としての…元相棒としての情けだと思え、アル!」
俺の襟首を掴んで川に放り込んだ…
「ぶはっ!ゴボゴボ…エル…テメェ!」
「アロウズさん!!…エイベル!何てことを!」
着水の衝撃で編み込んでいた長髪が解けて顔にかかる。
くそッ、朝から気合い入れて編み込んだのに…時間かかるんだぞコレ…
「リニアリス様…家出の協力者は水路を泳いで逃げました」
「…そんな…協力なんて……」
「その言い分が通じるお相手でしょうか?こう騒いでは目撃者もいるでしょうし……それともアル…アロウズを連れて行きますか?」
「それは!…やめてください」
あぁ、そんな悲しそうな顔をするなよ…
「アロウズ!今日のことはコレで忘れろ」
エイベルがピンっと弾いた指からキラキラと光る軌跡を描きながら金貨が俺の手に収まった。
「分かってると思うが…今日のことは他言無用だ」
俺は何も言わず肩を竦めてから、水面で仰向けに転がる。
忘れた方がいいなら…もう何も見ない方がいい。
俺以外が地上に戻り、チラホラとこちらを見ていた見物人達をウィークエンドの連中が威嚇しながら歩きだす。
「アロウズさん…」
去り際に俺の名を呼んだリニスはどんな表情だったんだろうか?
最後に見た顔が…笑顔じゃなかった事が胸につかえて、そう簡単には忘れられなそうだった。