いばらのみち
XXX
「隣、いいですか?」
掲げた右手の中のタバコの箱を見せて整った顔立ちで爽やかに微笑んだ美青年に、思わずタバコを持つ手が止まった。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
クシャッと奥の八重歯を見せて笑って、青年は横に座った。箱からタバコを取り出し、咥えて火を付けるスムーズな仕草は美青年の有害物質を受け付けなさそうな見た目とのギャップについ見入ってしまう。
(似合わない…いや、勿体無い、かな)
おそらく年下だが落ち着いた声も態度も紳士的で爽やかで、でもクシャッと笑って八重歯が見える笑顔は一気に幼く見える。
まるでタバコなんて無縁そうなこの美青年だが、目を伏せ、ふぅっと煙を吐き出す姿はかなり様になっていて、不思議と違和感が消えていくようだった。
鎖骨の見える黒のVネックのシャツに七分丈の白のカーディガン、タイトなダメージジーンズを履きこなす膝の上に置かれた腕のゴツめのデザインのG-SHOCKの腕時計は、血管の浮き出たセクシーな男の腕に似合っていた。
スラッと一見細身ながら鍛えてそうなのは腕だけじゃなく、肩幅や腹筋や太腿、細い腰周りも余計な脂肪が一切付いてなくしなやかな筋肉が付いた身体は、お兄系といわれるファッションが格好よく着こなされてる。
タバコを持つ青年の右手の複数のロックティストなシルバーリングは、白くきめ細やかな肌を纏う骨ばった指を際立たせてた。
目の引くサラサラとした銀髪は首筋に毛先がかかり、鎖骨に揺られるシルバーリングネックレスは、髪色と同じ鈍い銀色の映えるその白い肌に吸い付く様に似合っていた。
(髪もアクセサリーも銀色まみれで、それでも好青年に見えるのがすごいなこの子…)
奇抜な髪色も見ようによっちゃホストやV系の様な服装やアクセサリーも、彼は男らしいセクシーさを纏いながら爽やかに着こなしていて、派手な髪色だなと思った鈍い色の銀髪も白い首筋に映えて艶やかな色気を漂わせた。紳士な立ち振る舞いや優しく笑ったその笑顔は自然に爽やかな好青年だった。
横顔から見ても整ったその涼しい顔立ちについ見入ってると、風景を眺めていた切れ長の二重がこっちを見て、薄い唇を上げてニコッと爽やかに微笑んだ。
「…大学、何年?」
「あ、俺ですか?大学1年です」
「そうなんだ。俺よくここに来るんだけど初めて見たから。この時間ここあまり人来ないし、君みたいなイケメン来たら目立つし初めましてかな、て」
「ははっ、この銀髪結構目立つんですよね。今日はもう講義終わっちゃったんで初めてここに。いいですね、ここ」
「気に入ったならいつでもどうぞ。でも見つかったら君やばくないか?1年って事はまだ未成年じゃ…?」
「あー…じゃあそこは先輩との秘密って事でお願いします」
空いてた左手をぎゅっと握手の様に握られる。血管の浮く筋張った白い腕に動揺して不安定になったタバコを持つ右手に青年の掌が重ねられ、そのまま灰皿に誘導され落としそうになったタバコを灰皿に押し付ける。シルバーリングの金属独特のひんやりとした冷たさが青年の低めの体温でも人肌を感じ、包まれた掌の温もりがじんわりと余韻のように残った。
左手に握らされた開封済みのタバコの箱に、ワイロです、て無邪気に八重歯を見せて笑う彼の笑顔に、本当はダメなはずなのに、なんだか安心した気持ちになった。
「でもここ本当にいいですよね」
ベンチに腰がけたまま腕を伸ばし背伸びをする美青年に、腕時計を見て俺もベンチから立ち深呼吸をした。
「3年の教室から近いから先輩うらやましいなぁ」
「まぁね。あまり人も来ない…って、え?」
「ん?」
「…俺、キミに学年言ったっけ?」
ふと思った疑問に横にいる青年に振り向く。
横に並んで気付いた同じくらいの背丈。青年の目線が俺の目線と一直線にぶつかった。
「それにな先輩、タバコって未成年を標的に作られてんだ。成人したあんたには似合わないよ。なぁ、啓次先輩?」
青年の口元が薄く開いた。笑っているのに冷たいその目の奥にこの空間だけ時間が止まった気がした。
〝ね、啓次先輩〟
青年の言った単語に被さるように、頭の中に出てきた幻想の声が重なった。
幻想の少女は肩あたりでふんわりとカールした毛先が優しく微笑む口元に触れた。
少し早い春の風に桜の花びらがゆっくりと地面に落ちていく。少女は舞い落ちる桜の雨に手を伸ばすこともなく、紺のスカートをひるがえして音も立てず逆方向へ歩いていった。
ふわふわとした雰囲気をまとった、少し地味な、2つ下の、おとなしい、女の後輩。
「…なぁ、お前、まさか」
「あ、そろそろチャイムが鳴りますよ」
何もなかったかのように青年は腕時計を掲げた。
少し高めのハスキーボイスのトーンは、まるでさっきの会話だけを切り取って捨てたかのようだった。
腕時計の針を眺める青年のパチパチと瞬きをする目はさっきの冷たい目じゃなくなっていた。
よいしょ、と大股開きで座っていた膝に手をかけ腰を上げて青年は立ち上がる。
ではまたお会いできたら、と落ち着いた低い声は微笑んだ表情と同じで柔らかかった。
「待て!」
紳士的に挨拶をして立ち去ろうとした青年の背中を、大声で思わず呼び止める。
俺と彼しかいないこの場所。青年はゆっくり振り返った。
「和香子…だよな?お前…。雪積、和香子…」
じっとこっちを見たまま青年は無言でタバコを咥え火を点ける。
すぅ、と吸い込み、腕を組んで考えるように目線を斜めに地面に落とした。
「…の兄貴です、年子なんで」
「…っは、」
きょとん、と目を見開いた表情をした後、ゆっくり瞬きをして少し伏せた目でこっちを見る青年に、思わず言葉が喉に詰まった。
戸惑いを隠せない俺を見てる眉が少し下がってた青年の顔は、そよ風に揺れたサラサラの銀髪が頬撫で、くしゃあと眉をしかめ口角を上げた。
「…っくくっ、冗談ですよ。ははっ、兄の方がリアリティあんのに」
「…わ、か」
「ざっまぁねぇな、その顔」
青年の顔を、全身を、確認するようにじっくり見てしまう。青年の歪んだ口元から覗く八重歯がひどく印象に残る表情だった。
「そんなすぐ気づかないでくださいよ。俺結構苦労したんですよ?身体鍛えて背ぇ伸ばして、女らしい丸みを消すためにダイエットして余分な脂肪落として全身筋肉にして、髪バッサリ切って銀髪に染めて服も小物も仕草も口調も全部男物にして。あ、スキンケアは基本ですよ、好青年じゃなくただのズボラになるし。」
まぁ銀髪って時点で好青年じゃなくV系バンドに見られる率高いんですけどね、と煙を吐き出して笑うこの青年は誰もが見惚れるイケメンだが、さっきの爽やかな笑顔の持ち主と別人のように感じた。
じっと俺を見据えるような目に反するように、青年の、和香子の口調は無邪気だった。
「いやぁでもまさか、俺だってビックリしたんですよ?始業式にあんたの姿見たとき。マジかって思いましたね。
ん?・・・ははっ、勘違いしないでくださいね。別に先輩にいちゃもんつけにきた訳じゃないんで。だってあれから先輩たちの存在大学の入学式まで忘れてたし。」
タバコを深く吸い込んで、銀色の髪をシルバーリングだらけの灰色の手で掻き上げる。
俯いて煙を吐き出した表情は前髪が目を隠したが、口元は面白いものを見つけたように笑っていた。
「何も出来ない自分を変わりたいってのはあったんだけど、先輩たちに裏切られなきゃ多分俺は何かと理由をつけて変われなかった。」
「変わった気になったり、小さいことから、って一生かけても中途半端のままタイムミリットだった。孤独に突き落とされて刺さった槍を激痛に耐えながら抜いて、傷口がグジュグジュで止血もままならないのに周りから矢を投げつけられたり刺しに来たり、止まらない涙で見えない視界を地面這いつくばって手探りに進んで、土と血の区別のつかないくらい混じったドロドロの皮の剥がれた手を見た時、そう、そんな血傷だらけ中で方法が見つかったんですよ。弱い鎧を纏っても使い物にならなくて重荷の足枷になって自滅するより、投げつけられる矢に耐えられる鉄の身体になろうって。別人になってしまおうって」
「…それで、今の「雪積和香子」と」
「はい。「私」から「俺」に。なんでもっと早く気づかなかったのかなぁ。周りって単純で、世界がガラッと変わったんですよ。イメチェン後は俺本当にモテたなぁー、痛みも知ってるから尚更。イケメンとか好青年とか、中性的なお兄さんってナンパもあったし女だってのはなかなか気づかれませんね。」
「現に俺が気付かなかったもんなぁ」
「ははっ」
無邪気な声なのに、やったぁ、なんて言葉が似合う表情じゃなかった。
俺に認めてもらいたいわけじゃない、単なる通過点にすぎない。見定めた様な、笑顔の目の奥の冷たさが物語っていた。見下して口元を歪めて笑うニヒルな笑顔は、ある意味今の和香子の心底無邪気な表情だった。
「変わろうとしたきっかけは少なからずとも先輩だったんで…
まぁ、ようするに」
くしゃり、と和香子は吸ってたタバコを灰皿に押し付ける。
吐いた煙は漂ってすぐに空気に馴染み、灰皿からの細い煙は青空へ吸い込まれる様に登っていった。
「きっかけくれてありがとーございます、っての言いたかっただけなんで」
ニッコリと微笑みながら俺を見る和香子は、改めてどこから見ても格好いいイケメンだった。銀髪にシルバーアクセサリーやお兄系の服を着こなすが好青年に見える美青年。
うなじにかかる銀髪を掻き上げる和香子の右手で各々主張するメンズデザインのシルバーリングがまるで威嚇の様だ。
「気弱で、優柔不断で、おとなしくって、オドオドしてる」
骨ばった男の指を折って数を数えるごとに、優しい笑顔になる和香子の表情を見せつけるように銀糸は後ろ風に靡いた。
「俺はもう誰かに守ってもらうような、誰かの庇護欲を満たす役割の女の子じゃないんで」
残った2本の指を折ってギュッと握り締めた拳を、一筋の赤い血が伝った。
鮮やかな赤色は、中指のシルバーリングのドクロが赤い涙を流しているようだった。
「もし先輩がね、どういたしましてなんていってたら」
握り締めたままの拳を眺める和香子は、血を拭おうとしなかった。
「俺はあんたをぶっ飛ばしてたよ」
腕に血が垂れていくのを気にも留めず、和香子は俺を見て口元を綻ばした。
血になんの躊躇も無い据わった目をした和香子に、ポタポタと血を吐くドクロが恐ろしく似合っていて、一瞬背筋が凍った。
「今の俺は、周りに馴染めるなんて低い場所にずっといないよ。自分に必要な事を見つける力を身につけたんだ」
もっとも周りに敵を作る面倒くさいことはしないけど、そう呟いて和香子は奥の八重歯を覗かしてニヒルに笑った。
先の丸く尖った八重歯は存在は控えめだが、噛み締めた時その薄い唇を突き裂いてしまいそうだ。
「和香子って、八重歯だったんだな、と…」
「あんたらの前じゃなくても俺口あけて笑わなかったからなぁ」
少し前まで、いや、今の美青年の姿でも、あんたなんて乱暴な言葉を使う和香子は想像つかなかった。
「そういやずっと口閉じて笑ってたっけ、口に手当てたり」
おどおどした立ち振る舞いで、気弱な表情で。そして一生懸命で。
口をぎゅっと閉じて優しい目で微笑んでたのが印象に残ってた。
「笑顔、コンプレックスだったんですよ。肌も汚くはないけどきれくもなかったし。俺、中学の時からおとなしいからって理由でイジメられてたから。先輩の周りにいた連中見ててこいつらもだろなぁって。実際一緒にいて楽しいことなかったし。見た目地味なくせに今時気取ってる勘違い集団なんて勝手なランキング正当化するから一番タチ悪ぃったらありゃしねーの」
はーぁ、と腕を組み八重歯を見せてため息を吐く和香子を思わず凝視してると、閉じてた目をパチッと開けて俺を見た和香子と目が合い、数秒見つめ合った後、あのな?とそのまま和香子の唇が動いた。
「血まみれとか比喩だけど、中学の体育の授業の時とか卓球とかバスケとか本当に傷だらけだったんです」
組んだ腕は震えてなかったが、笑顔を作る前に見えた一瞬の無表情に心が締め付けられた。
高校はいじめは暴力じゃなく作り話の噂や悪口っていう方法になるんですね、とあっけらかんと笑う和香子の本心の感情を読みたくて目の奥を覗こうとすると、すっと目を逸らされた。初めてその時、この青年に和香子の面影を感じた。
ふと思った。いや、思い出したのか。
高校の時の和香子と話してた時、じっと目を見て真面目に話を聞いてくれるけど、こっちがずっと目を合わすと目を逸らしていた。笑顔はぎこちなかった。でも、にこにこと微笑んでくれた。
太くはなく細すぎでもない健康的な女の子の体型で、ニキビや日焼けに悩んでいた。
どこにでもいる、目立たない大人しい地味な女の子だった。口数が少ない分、どんな馬鹿げた話も嘘くさい話も真面目な顔で聞いてくれる、騙されそうでほっとけない女の子だった。
今目の前にいる上手なニヒルな作り笑顔を浮かべ口を開けて達者に笑うスレンダーな美青年の白い肌に、面影は無かった。
「成長、したなぁ…」
「あーぁ、相変わらず人を腹立たせる所突きにくるの変わってないや。先輩」
伏せてた目を少し見開いて眉を歪めた和香子の口元は吊り上がってなかった。不思議とその表情に人間味を感じて、心を締め付けていたものが少し緩んだ。
他人事のように呟いたのはきっと衝撃が大きすぎて容量に収まりきれてないからだ。
全てを処理しきれずに溢れた言葉に、和香子の落ち着いた声のトーンは変わらず、ふーんと相槌を打つようにさらりと向けられた。
一つ聞いときたい事があるんだが、そう話しかけると、和香子が無言のまま顔をこっちに向け首を傾げた。上目遣いになった目は、すぐに瞼で半分隠れた。
「なんで俺に声を掛けようと思ったんだ?」
ふと投げた問いにあぁ、と身体ごと振り向いた和香子の答えは、この姿を見せて見返したかった、や変わった自分を見てほしかった、自分だと気づくか試したかったなどという予想をする間もなく、俺の姿を目に写してすぐに口を開いた。
「先輩だったら俺の高校時代言いふらさないだろうなぁ、って。まぁ言いふらしてもらっても俺的には全然構わないんですけど、関係無いし」
もう何も怖くないんです。そう呟く和香子の声はまるで空気に、地面に溶け込むようだった。
きっとその一言は俺に向けたものでもなく、己に語りかけた様に聞こえた。
俺に向けられたのは、シルバーリングだらけの右手の指先だった。人差し指の厳ついドクロが和香子の指先越しにこっちを睨んでる。
「あげます、キャスター。俺の最近の愛煙はキャスターとキャビンなんで、まぁなんかの縁の記念に」
指差された自分の左手を見る。ついさっきワイロと渡された開封済みのキャスターが力を入れてたからか握り潰して少し箱が変形していた。
というより、と言葉を放り投げながら寄って俺の手から和香子はキャスターを1本抜き出した。
グラグラながら言葉を落とさないよう受け取った早い心拍数の俺をよそ目に、和香子はカチッとライターを片手で点け、咥えて火を点けた。
「先輩のそれ、メビウスなんですね。俺メンソールダメなんで次からここで吸う時それにしてくださいよ」
「俺の愛煙です。バニラの香りだし結構うまいんで、まぁオッサンくさいけど」
吐き出された和香子の煙は少し甘ったるいバニラの香りで、確かにタクシーのおっさんや中年に愛煙が多いイメージが強い銘柄だ。キャビンも同等。
若者が好むセブンスターやメビウスよりキャスターやキャビンに手を出す渋さにそれすら格好よく似合う和香子に見惚れたと同時に、ニコチンやタールの度数に心配になった。中年が愛用するタバコの為、ニコチンやタールが強い銘柄で依存性はともかく、今からそれだと身体が危ない。
しかしその事よりも意外に思ったのは。
「…ってことは、またここで会ってくれると」
「先輩、本当にありがとね」
フワ、とその風が和香子の髪を持ち上げた。ゆっくりと舞うように重力で元の位置に戻る鈍い銀髪は光の加減で、キレイな灰色にも見えた。
「あの時、麻痺しちゃあ全てが終わってた。きっと、ううん、死んだ事にも気付かなかった。今の俺が生きてこれたのは、あんた達を哀れむためにと生まれた殺意からだったからさ」
「内蔵の中で、俺の指先は麻痺してた、足も麻痺してた。感覚は無かったんだ。血まみれで傷だらけで、痛みとエグさに感覚なんて邪魔にしかならないもの、手放しそうになってた。
血を拭って冷水で洗い流して、麻痺した指を動かした時、感覚が電流になってもどってきた気がしたよ。」
その場から動かずスラスラと喋る和香子の言葉が一文字一文字打ち込まれるように響く。
和香子の右手のタバコのゆらゆらと細い煙と先を焦がす灰色に、瞬きに閉じた和香子の瞼が開かないような不安と、全てがスローモーションのように感じた。
「…お前にとっちゃあ心も精神状態も全部内蔵になるのな」
思わず口に出た俺の言葉に、和香子は目を見開いてハテナマークが浮かばせ、キョトン、と効果音が付くような表情で俺を見た。
「脳みそだって〝内蔵〟じゃないですか。心って心臓や脳みそにあるって答える人がいたり、手や首にあるって答える人もいるんですって。
…俺は心って毎日身体の中グルグル流れてる血とかじゃないかなぁなんて思ってんですけどね。だって心って動き回ってるでしょう?だから俺にとって脳みそは心じゃなく内蔵なんですよ」
あぁ、内蔵も止まっちゃあ死ぬから動いてるんだけど、と和香子は小さくタバコを吸い込んだ。
「ほら、臓器はその場所に固定されてるから逃げられない。サンドバックにもなりかれないじゃないですか。
その点血液はどこの臓器にも逃げられる。血液に見捨てられた臓器はそのまま石になって干からびて死んでしまうんですけどね」
「グリム童話みたいだねぇ、和香子の表現は」
「ホラーメルヘンとかですか?先輩でもそういうの読むんですね」
思わず昔の、高校の時に和香子と話してた時みたいな返事をした。おっとりしててまるで妹の様だった和香子には、小さい子どもを相手にするように、ゆっくり優しく話や返事や相槌をしていた。
内容と裏腹に無邪気に話す和香子に、ついその時の面影を重ねてしまった。
俺と和香子の間に入り込むタバコの細い煙が昔には戻れないと、灰色が俺を和香子から引き離そうとしてるのに。
「だから俺の脳みそが殺されかけた時も血が心を運んできてくれて麻痺して植物状態にならず今無事生還してるんですよ。」
まるで他人事のようにさらりと言いのける和香子の表情は横を向いたまま無表情だった。
その顔も声も憎しみとか恨みとか感じてこず、本当に他人事のようで。
(初めまして、俺は3年の櫻井啓次といいます。よろしく)
(1年の雪積和香子です。よろしくお願いします)
(和香子、ちゃん…)
(ちょっとそんなまじまじ見ないー、和香子ちゃん困ってるじゃない)
(あ、いや、俺の周りの友達と全然違うタイプだなぁ、と…)
(和香子ちゃん人見知りだからあまり困らせないでよー)
そういや俺は和香子と初対面の時から〝和香子〟だったなぁ。
和香子が死んで、生まれ変わった〝雪積和香子〟が今ここにいる。
死んだのは、俺と会ってた時の数年前の、数ヶ月だけの和香子。
今ここにいるのは、全てに対して復讐や殺意を通り越した軽蔑を心の底にひそましている好青年でイケメンで美青年な後輩。自分で道を拓いて、邪魔するものを全部、その身一つで戦ってきた孤独の戦士。
眉を下げて困ったようにはにかんで笑う、独りで泣いている女の子じゃない。
甘いバニラの匂いを纏うその掻きあげたサラサラの銀髪はまるで剣の色のようで、咥えたタバコの違う灰の色がコントラバスで似合っていた。
Holding you,and Swinging
(暗闇でも、一人きりで)
(奇跡だけを、夢見て生きていける)
W.side
腹が減って減って仕方が無い。
何をどれだけ食べても、苦しくなるだけでまだ満たされない。もう受け付けないんだ、私はまだ満たされてないのに。
そして時間を置いて来た何度目の飢えに、満たされたいという本能より虚空の感情が私の中をグルグルと埋め尽くした。
そうだな。結局、満たされた事は無かった。
「誰か私を見つけてほしかったのか、ってそこらの学生な思考回路だったら即解決なんだけどな」
そんな単純じゃないんだよ。
助けて欲しい訳じゃあない。
目の前の〝先輩〟という登場人物に投げかけたのは、答えがほしいという事じゃあ無かった。
ただ、何でもいい。グルグルと回る空洞に、きっと腹の底からカラカラに、飢えていた。
「気付いてる、先輩?〝私〟は誰の思い出にも残ってない。記憶の中を探って出てきても、嫌われてる。それが」
目を見開いた先輩の中には、セーラー服に身を包んだ緩やかなセミロングの気弱そうな表情で微笑む少女が映ってるのだろう。
私の開いた唇からは普段の落ち着いた低い男の声じゃなく、高い女の子の、〝和香子〟だった声で言葉をこぼすように語りかけたのだから。
昔話をしましょうか。昔話か、そうね。〝和香子〟の時の、高校の時の昔話。
登場人物の話をしましょうか。哀れな灰かぶりの少女、意地悪な数人の小人兼狩人。
違う童話の人物なのに同じ世界にいるなんて、多めに見て頂戴な。一人と複数人、狩られる側と狩る側。登場人物の立ち位置は2つしかないのだから。
まず和香子と、ある数人のグループ。人数的にとりあえず、小人兼狩人としましょうか。
和香子が殺されるまでの、昔話をしましょうか。
和香子。
雪積和香子が存在する前の、武器を持たない灰かぶり。この灰まみれの身体に雪が積もってそのまま浄化されたら天国に行けるのだろうか、そう見当違いなロマンスにすがるしかなかった哀れな少女。
和香子。
下の名前を聞かれて答えただけで、名字なんて誰も覚えてやしない。とはいえ自分自身も錆びた刃を何度も振りかざし焼き石を投げつけてきた人間の顔を脳内に焼きたくないのでBとファイル名を付けて記憶の抽斗にしまった。そして、雪積和香子が生まれた。
雪積和香子の周りは和香子を知らない人間で構築され、求めたはずの求めてない人の群がりの中心にいた。決してムードーメーカーという訳じゃない、むしろ騒がない方だが人の話を静かに聞く懐の深い微笑みの紳士の対応を気取ってると印象はいいのか人の群がりは常に耐えなかった。
和香子を殺して出来たのが雪積和香子だ、なんて負け惜しみが人の輪から少し離れた遠くで聞こえた気がした。
嗚呼、その通りだお見事。思わずそう優しく微笑んで返すと、言葉の主をはっきりと映した目で眺めると、その声と目の前にいた一人の二人の声を飲み込ませた。
優しく微笑んで振り返る前に、笑みが耐え切れず吊り上がった口角と探し出す歪んだ黒い目を見てひるんだ、たまたま目の前にいた人間。
ああそうだ、醜い人間のファイルにBがいるなら、Aだって存在した筈だ。
無表情で目の前のBとさっきのAの二人を交互に見比べると、二人共そそくさと逃げていった。
AもBも〝雪積和香子〟になった私を避けてきた。
何故かわざわざ私の目の前にいたBも、私になにか言いたかったのだろうか。
今は〝私〟なんて存在しない、〝俺〟の雪積和香子なのに。
飢えて飢えて仕方が無いこの腹に、投下された醜くて苦い物が喉を通り抜けた。
あまり咀嚼の必要が無かった物は腹に留まる時間も短く、ほんの一瞬も満たされなかった。
わざわざ近づいてきたと思えば錆だらけの切れ味の悪い刃で何度も突き刺し、遠くにいたら目に映した途端焼いた石を投げつけてきた。そんな攻撃を受け続けた〝和香子〟の皮膚はグチャグチャに化膿して、錆びた鉄に、血に、傷跡に、まみれ爛れていた。
罵声や噂話を凶器の単語に置き換えると随分残酷に聞こえるかもしれない。しかし灰かぶりの少女には肉体的に傷ついた表現が精神を繋げられる糸口だった。
単純に、その方が少しだが気が紛れた。浴びせられる罵声や広がる作られた噂話は、実際に刃や鈍器で体を抉られる方がマシだなんて思える程に。精神的な傷を肉体的に表現すると、その肉体的表現で身体を何度も何度も何度も、無限に繰り返される様だった。皮膚は焼きただれるなんてもんじゃない。皮膚と呼べる部分はほぼ無くなるぐらい火傷痕や傷口が化膿して、えぐるように裂かれ削られた肉体から骨がちらほら覗いているぐらい。
言ったでしょう、登場人物は狩られる側と狩る側と。AとBだけじゃなく、それこそZまでいたかもしれない。噂話に耳を傾けて後ろ指を指して笑ったり陰口を信じ一緒になって加担してた連中がガラリと手の平を変えたように雪積和香子の周りに集まってきたのは、ただ単に〝和香子〟と〝雪積和香子〟が別の人間だと認識してるからだ。和香子の存在を忘れて最初から雪積和香子だと思い込んで好意を向ける、そんな単純で純粋な目だった。
えぐい肉体表現に置き換えた方が随分と軽くなるなんて。
そんな精神攻撃に耐えられる様な、強いシンデレラじゃなかった。ガラスの靴は、ボロボロに砕けた。でも、歩くしかなかった。自分の周りを囲む様に地面に広がる、目の前の灰の中を。自分の足跡で、自分の進む道を作って。振り返った時、笑える様に。
(可哀相な私、サヨウナラ)
もしガラスの靴が目の前にあっても、きっと灰かぶりの少女は王子に会いに行く事は選ばない。
白馬に乗った王子に背を向け、灰色の髪をした王子様は裸足で歩きました。
wordかわいそうな、わたし さようなら
music椿屋四重奏
songいばらのみち
(疑うことでしか身を守れぬ、そんな時もあるの)
(教えて欲しい、矛盾した繰り返し) GARNET CROW
I` cant take…
「…」
「…」
腕時計の秒針が走る音の上を、二人の沈黙音が重なってる。
吐き出した煙が隣の彼の茶色い髪を横切った時、困った様に口元を引きつらせた彼の手が上がった。
少し離れた俺への合図に、背中を預けていた壁から彼の方に向かうため歩き出した。
「なに北山もういいの?」
「啓次なにこのイケメン!?格好良すぎて息詰まりそうだった、タバコの煙が爽やかな風に錯覚しそうになるくらい爽やかっ、じゃなくて!」
「お前が和香子と再会したいって言うから」
「和香っぺなの!?ねぇこれ本当にあの和香っぺ!?面影が全く無いんだけど」
「なぁ先輩方、鬱陶しいんでもう俺帰っていい?」
「ホラこんな事言ってる!?」
隣にいる本人に丸聞こえな北山の叫び声に、当のその本人の和香子がこの場を去ろうとしてるので取り敢えず引き止める。和香子の隣にいる叫んでいる混乱状態の北山をの肩を取り敢えず落ち着かせる様にポンポンと数回叩いた。
「雪積和香子ですよ。和香っぺです、本人です。高1からなんで三年ぶりですね、北山先輩」
新しい煙草を咥えて北山に向かって口を開く和香子。
俺と和香子と北山は同じ高校だった。俺と北山が当時3年、和香子が当時1年。俺達の卒業式の時に見たのが和香子の最後の姿だった。
北山とは同じこの大学だが学部が違い、昼休みをたまに一緒になるくらいで、たまたま和香子と再開してぼんやりしてた時に偶然昼休みに居合わせた北山にその話をした。
和香子とこの大学で再開した、しかもここの学生でかなりイケメンにイメチェンしてる。鳩が豆鉄砲を喰らった顔をした北山だが、彼は会いたいと目を輝かした。
北山は和香子を妹の様に可愛がっていた。和香っぺという呼び名も北山が付けた専用のアダ名だった。その北山も後に和香子を裏切って和香子を追い詰めた一人なのだが。和香子に会いたいこの感情はただの好奇心だろうが、もしかしたら和香子を追い詰めて一人にした罪悪感も含んでるかも知れない。今の和香子が無事に過ごしているのか、その考えもあったのだろう。
いきなり自分を孤独に追い詰めた加害者が先輩ヅラして会いたがってる、なんて和香子の神経を思いっきり逆撫でするのを前提に交渉を持ちかけた時、和香子はただ「あぁ、いいですよ」とタバコの煙を吐きながらあっけらかんと言った。
そして和香子を呼び出して北山と二人っきりにして今に至る。俺は少し離れた場所で見ていた。なんとなく北山の好奇心に満ちた顔にチリチリと胸の中を焦がす様な、気管支を生温い空気が吹き抜ける様な、もしくは苛立ちの一種の様な感情なのか、同席する事をやめて和香子に隠れる程度の遠くの場所で見るのを選んだ。サラサラの銀髪を靡かせたタバコの煙を吐き出す美青年の雰囲気に耐えきれずすぐにSOSを出してきたのであまり意味は無かったのだが。
「―――…本人、なんだよな…?」
さっきまでキョドって泳いでいた北山の目はまじまじと和香子の全体を焼き付けるように見渡している。
えぇ、なんて落ち着いた低い男の声で紳士的に微笑んだ和香子に、おおぅ、と驚きながら顔を赤くして北山は一歩後退った。
今俺と北山の前にいるのは目立たないおとなしい地味な女の子じゃなく、男の色気と爽やかさを放つ銀髪の美青年。地声にしてるのだろうその低音ボイスは男の艶やかさも含まれていて、女性は勿論、同性さえ見とれてしまう雰囲気が今目の前にいる雪積和香子には溢れていた。
「…背とか、伸びたな、俺と同じくらいだ。てか見た目とか雰囲気とか、中身とか…いや、もう面影無いくらい全体的に変わりすぎてて…。正直まだ半分信じられないっていうか…」
「まぁ肉体改造とかそれなりに苦労しましたから。その先輩のリアクションが最高の俺へのご褒美です」
流し目で口角を上げてさらりと言い放った和香子は、ひょいと右手のタバコを掲げるキザな仕草が様になっていた。そうだ当時と違って今の和香子は自称するくらいかなり性格がひねくれてるんだった。北山との再開に快く即答したのも、このリアクションが心底見てみたくて見下したかったんだろう。
「北山先輩もいかがです。俺の愛煙のキャスター、オススメです」
「愛煙…和香っぺとタバコなんて無縁すぎたわ…」
「あ、すみません、もしかしてメンソール入ってないとダメな人ですか?」
「あ、いや、そうじゃなくて、あの、俺そもそもタバコ吸わないから…」
「え?」
ぽかんと開けっ放しだった北山の様に、和香子の口も大きく開いた。
アーモンド型の切れ長の二重が大きく見開いて、同じ驚いた表情の北山をじっと映した。
「え、北山先輩タバコ吸わないの?え、マジか…」
「あ、あぁ、うん…まぁ」
「先輩いつも有害物質の塊みたいなブスつれてたから意外だなぁ…あぁ、だからもう身体が毒素受け付けないのか、あっはははははっはははっ」
「なぁ本当にこれ和香っぺ!?」
「和香ちゃんなんか学生証か何か証明出来る物見せたげてー」
「お前はなんでそんな冷静に受け入れられんの!?」
「まぁ2回目だし」
きゃんきゃん叫ぶ様に混乱してる北山の肩を叩いて落ち着かせる。
この大学で再会するのは2回目だが最初の再会の時の衝撃が強すぎて、すっかり毒を吐きまくるこの和香子の方がしっくり来ていた。慣れって怖い。
無邪気に嘲笑う和香子と、さっきみたいにぽかんと口を開けて本気で驚く和香子の表情に、懐かしいあどけなさはなかったものの、完璧な美青年の中からにじみ出た人間味に、すーっと心に優しく被さって溶ける様な温もりを感じた。
(なぁ、和香子)
ん?と振り向く緩やかな内巻きの髪と桜の海を潜ったセーラー服。
(お前、ちゃんと、笑えたんだな)
振り向いた少女は奥歯をちらりと覗かせて胸元で小さなピースサインを作った。
きっと彼女は俺ともう関わらなくなる。こうして今日みたいに話す日は無くなって疎遠になって、いつしか俺は周りに愛される様に人に囲まれる彼女の傍観者になるだろう。
そして数日して最初の雪積和香子と出会う前に戻る。傍観者でもなくなり、いつものお気に入りの喫煙場所でベンチに背中を預け、青空と雲の比率を眺めるただの大学生に戻るだろう。
「俺を探し出してくれて、見つけてくれて、俺こそありがとな、和香子」
この大学で俺の存在を思い出して俺に声を掛けてくれた和香子に、本人には届いてない小さな声でさよならを告げた。
もう「和香子」はいないんだろう?灰にまみれた傷だらけのシンデレラは砕けたガラスの靴の上を怪我する事も躊躇い無く裸足で踏み超えて王子様になる道を進んだ。
「雪積和香子」を邪魔する者が出てきても、銀色の剣が無くても戦える。
眠れ、「和香子」よ。辛い辛い過去を背負うのはもういいんだ。
自分の傷だらけの身体を抱きしめる必要の無くなった空いた両手は、欲しい物を掴んでゆけく。指をくわえて眺めて落ち込むシンデレラの頭に降り積もっていた灰は、裸足のまま進む王子は振り払って銀色の美しい髪を靡かせて歩いた。
加害者の癖して偽善者な自分の考えに、古城の中で己を映す鏡に価値観を押し付け問いかける、醜い姿を隠す黒い布を纏った姿でしか人目に出れない白雪姫の魔女の姿を重ねた。
(罪悪感を消すように舞台から逃げた俺は、悪役どころか観客にもなれない)
でも続くよー