勝利の痼
あたりまえだ。あたりまえだ。あたりまえだ。あたりまえだ。
あたりまえだ。あたりまえだ。あたりまえだ。あたりまえだ。
あたりまえだ。あたりまえだ。あたりまえだ。あたりまえだ。
わたしがかつにきまっている。
「…………」
雪混じりの夜風が、頬を触っていると気がついた時には、すでに遅い。勝手に髪をそよがせる。風呂場のガラス窓の破片が地面に突き刺さっていた。突兀とした破片でも雪は積もりやすく、すぐに隠れて見えなくなるだろうと決めつけた。父親の血だまりは、雪が親切に隠そうとしていても、しつこく滲みつづけて白くならないのだから。
内臓は顔を出していない。傷がひとつだけの簡単な死体だった。私は逃げるように夜空を見上げた。満月が民家の屋根に半分隠れて、怯えた子供と思えるくらいに、大嫌いと物陰から訴えている。
私はうつ伏せの父親をひっくり返して、フロックコートのポケットを探った。
「……」
私は父親の事が知りたかったのだ。何故、ああいった行動に至ったのか。
父親は、手紙とは言えない手紙を持っていた。手作りで繊維が不細工なざらざらのカードだが、月下美人の装飾は綺麗だ。
-----------------------------------------------
貴方へ。
誕生日おめでとうございます。
いつもお仕事、ご苦労様です。
ぱぱへ。
わたしもぷれぜんと!
-----------------------------------------------
書き綴るのに一分とかからない日常会話のようで、言葉が凝縮しているとでも言うのだろうか。
父親は手紙を、胸ポケットに閉まっていた。
持ち物はそれだけだ。肩書きは父親、と、証明するものしか持ち合わせていなかった。
メッセージカードを胸元の傷口に絆創膏を貼るよう乗せた。傷は隠せてもシャツに染みた血は隠せなかった。肺を刃が切り裂いたのだろう。父親の口元から血が垂らし目を瞑っていたが、満足げな顔だ。
「……」
果たし合いは、死刑の列に割り込むようなものだ。しかし、どちらが死刑執行人なのか定かではない。
正義を主張する意志が激突する。互いの緊張の糸が、縦横無尽に張りに張る。毛糸のセーターかと焦るくらいの技巧空間に稀な価値が生まれ、最高の決闘が出来上がる。斬り込んだ道が解へ導くのだと、己を剣に託す。しかし、相手の培ってきた経験……ましては人生、その全てを知らない限り、自身の経験も力量すら、冴えも曇りもする。これが人間のいう所の、影で勝利が見え隠れしているという、錯覚に近い状況へ陥っている不安、であるのだろうが。
私からすると、脳回路に毎秒三十万キロメートルで対峙状況が伝達し、その速度を維持しつつ身体行動に移される。つまり、相手の行動を完全に読み取ろうとして、勝利の道筋を演算しているのだ。答えは同じ、最善を導くだけの自由な計算式であるはずで、錯覚は起こさないのだが。
水魔法剣士との決闘は、印象が違った。オークの時とも、女魔法使いの時とも違う。ましてや、勇者が私の仲間を虐殺した時とは、断じて違う。味わい深いものだった。それは何故かと考えてみると、私が父親の家族の事を知ったからであろう。
対峙した時、父親は私をどう見ていたのだろうか。
父親は私を何者なのか、全く分からない状況であった。魔族でもキラーマシンでもなく、人間の殺人鬼。しかも聖騎士の外見であるから混乱したと思うのだが。しかし、これは勇者のことを殺人鬼として見ている今の私そのものだ。
大事な人を失った事で動いた感情が、父親の動機……そんなことは分かり切っている。私はそれが知りたいのではない。その感情の内面を支えている構成物質の真理が知りたいのだ。価値観と感情が混濁する理由とでもいうのだろうか?
人間の根本を構成しているモノ。まさしく絶望に塗れた希望といった真理が知りたいのだ。
しかしこの決闘を起こした、単色四つくらいの喜怒哀楽で質素な感情へとプルバックしてしまい、奥底がわからない。一体何が知りたいのか、分からなくなるが知りたくなる。
「……」
この父親のように、勇者達にも家族がいるのだろうか。
ああ、そうだ。勇者の家族を先に殺すのはどうだろうか。
――勇者がした事と同じこと。自分を許せなくなってしまうだろうが。
私は今、混乱している。一から状況を整理する必要がある。
父親の花びら入りの水の剣は、見事なガラス細工だった。繊細であり鋭利な刃物。剣の印象を、まさしくそのまま灯影していた父親は、私に家族を返せと叫び、襲いかかった。
結論から言うと、父親は自害した。
私は、混乱しているのだ。私と同類ならば、勝利した後に自害するはずである。
彼は見事な剣士であったが、これは決闘だ。敗北した一流の剣士ならば、敬意と共に命を捧げるはずなのだ。それが無く、唐突に死を選んだ。それも満足そうに微笑んで。
父親は私と同じ復讐者だった。すなわち、仇が目の前にいる時点で、剣士のプライドが邪魔をして、自害などできないはずなのだ。それに自害する勇気など、仇を目の前に生まれるはずがない。現に私がそうだ。復讐を終えて、私には何も残されていないのだと無常観に襲われ死を選ぶ。そう決まっているはずなのだ。
私が理解している剣士の在り方と、彼が違うからこそ……分からないのだ。
感情とは、人間が等しくもっている価値観の肥やしであるはずだろう?
感情は他者と他者が手を取るきっかけとして機能しており……親しき家族のようだと、そっと隣に居ても良いと認識をする為、共感を味わい探すもの……。つまりは、一人ぼっちの寂しさを癒すために感情は存在している。違うのか? 間違っているのか? 感情が仲間意識となり秩序へと変貌する。そうして、規律や法律として成り立っているのでは無いのか? 感情とは、法や群れを作るきっかけのはずでは?
「……」
《……kakunin63……replay03……(……辺りが安全か確認してください……先ほどの戦闘を再生します……(´・ω・`))》
辺りは静寂に満ちていた。これから、瞳が景色を可視できなくなり、脳回路の知覚映像に切り替わる。聖剣を地面に刺して、座り込んだ。死体が気になった。動かないと知ってはいるが、はだけそうな胸元から鎖骨を、ちろりと舐めるように目を這わせた。それでも動かなかった。それでつい、全身をくまなく撫でまわすよう、見る。角張った身体の形に見惚れるが、下腹部辺りで恥ずかしくなった。逃げるように庭を見回す。家族の思い出は、雪で隠れてわからないし、雪だるまはのっぺらぼうだ。
とくん、かたかたかたかたかた。
私は、私のようだと苦笑した。丘の上で一人ぼっちの民家は、真っ黒なガラス窓で葉脈のような街路を見つめていた。星ほどの大きさの街灯が散らばり、騒がしい。青色の雪が落ちてきたかと思ったら、雪の妖精だった。聖剣の柄へ座り、長い足を組んで、ため息をついた。蜻蛉の羽をふわりと動かしながら満点の笑顔で、私に手を振った。嬉しくなって手を振り返したら「人殺し」と笑顔で呟き、街へ降りた。大粒の雪が瞳に張りついて、すう、と、四十度の肌に溶けて流れた。視界はぼやけたが、関係ない。録画した映像が、視界をすぐ変える。
『……家族を……返してくれ』
浴場で反響した父親の声が聴こえてきた。
これは相手がこう想っていたから、こう動いたという、行動の理屈を知る為の……人間でいうところの復習なのだろう。
「…………」
何もわからないかもしれない。それでも私は、剣を交えた時には見えなかった何かを知りたいのだ。
ただ勝利し、思いふけるだけとしたくはない。父親が大事にしていたプライドを、心から。
身体を強く動かした感情を。その真理を。素晴らしい剣士のすべてを知りたいのだ。
これは感情が分からない臆病な私を、勇敢にするための勉強なのだ。