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殺戮機械の英雄譚  作者: 網田めい
“死体に埋もれた勇者の唾”
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渦巻く思考は、溝で消せ

  ふわり。


  視線ともいえる気配がどこかにあった。妖精と思い振り向くが、誰もいない。廊下に絨毯が一枚、暗闇に向かって伸びているだけであった。


  ふわり。


  妖精だと確信するが、誰もいない。


  ふわり。


 私を元気つけるために遊んでくれているのかと期待をするが、いない。

 心がべっこり凹み、恥ずかしい。些細な気配の正体は頭髪だった。ふわりと揺れて感じる触覚は、気配や視線に等しいと言っても過言ではない。肌に綿が触れて、くすぐったい。そういったものに類似している。“気のせい”という事象に振り回されたのは、ただ単純に孤独は嫌だと振舞って、誰もいないのに周囲に気を配ってしまっている不安定な精神であることに違い無く、切ない。過敏になるということは不安定な精神から成り立っているのだろうか。


 空気に水が染みていると、遠くでも分かる感覚が欲しい。視界ヴィジョンの湿度計が数字を増やして、安堵したと認めたくはないまま、ドアノブを握った。


 気圧の変化で、ふたたび頭髪は揺れる。「…………」誰もいない。私は浴場に入った。一枚のガラス窓から見える積雪は月光で明るく、紫色の夜を堪能できる十五帖ほどの部屋だった。早足になる。上品に湾曲した、鳥類の卵といえる空っぽの浴槽にしなだれ、がつんと渇いた音が反響した。栓の金具が煌びやかで憎らしい。月下美人が詰まった籠に気がついて、金貨を限界まで掴むよう、強欲に洗面台の鏡へとぶちまけた。


 立ち上がって、一歩。二歩。三歩。時間は巻き戻らないと、床の軋みが実感させる。顔面の皮が血に触れると、慈しみが生まれると知った。私は洗面台の鏡で顔を見て、ようやく口にすることが出来た。


「……ごめん、なさい……」


 顔面に張りついた血は醜く、鏡には無表情で謝り続ける私がいる。悔しくて、悲しくて。捻った蛇口の水音で、謝罪の言葉を消し続ける。だが、その水音が苛立たしくなり洗面台を叩き壊した。聴覚を突き刺す派手な音が鳴り響き、魔導水道の管が破裂した。胴体の噴水を思い出す。「…………」うつむいた。水は渦巻き、ぐるる、と排水溝へ流れた。愚かさが写る鏡を刺すように見た。白銀の指で頬を素早くこすった。ぽろぽろと黒い血が剥がれた。早く慈しみを洗い流したい。水でこすり、感情と冷静に向き合う努力をする。


「…………」


 何もない。何かが欲しい。都合の良いモノを欲している――飢えている。むず痒い感情は、何かに飢えている事に違いない。一体、何に飢えているのだ。殺戮衝動に蝕まれることは、私にとって飢えている事と同義だ。しかし、今は違う。誰も殺めたくはない。例えるならば、この身の全てを引きちぎった後に、汚物にまみれた勇者の素足で何度も何度も踏みつけられ、焼き尽される。そうして、埃よりも価値もない透明と化した自身の亡骸を、何かへ捧げたい。


「…………」


 飢える。捧げる。何かに飢え、何かを捧げる。何か。何か。飢え、捧げる。

 私は……ああ……ああ……私は貝のように閉じこもり、盲目になりたいのだ。

 意識の盲目……眼をただ破壊したとしても、脳裏に刻まれた過去の記憶に襲われる。盲目とは、全てを忘れるほどに何かに集中したいということ。没頭という言葉が近い。蛾人間のように、人肉を楽しみ食すように、私は何かに熱中したいのだ。すれば、先ほどの少女の死を今だけでも忘れるきっかけとな――……


「……あっ……」


 まるで、汚い枝が消え去った桜の木みたいだ。ぽかり、と、穴が開いた疑問の空白を風が吹きつけて、とろりと桃色に溶けた。――そうか。そうか。私は、一体何に飢えているのか知りたい(・・・・)のだ。私は、得体の知れない、何が何だかわからないものを理解したい気持ちを強く持っているのだ。


 辺りを見回し、何か手ごろで、知らないものを探した。


 この浴場の面積……湿度……色……ガラス窓から見える満月……違う……外の雪……ちらりと見える街灯の照度……違う……浴槽の体積……違う……床に散らばる洗面台……材質……違う……材質も利用意図も得ている……扉の面積……ドアノブの金属名……銅の原産地……打ち込んでいる釘の数……鉄の価値……違う……月下美人……花びら……咲いた時間の逆算……違う……違う……天井と床との高さ……水垢の成分……石鹸の溶解温度……違う……壁の厚み……強度……パスカル計算……くだらない……何か……何か……聖剣に宿る神……情報が少なく……真理に到達できない……鏡……違う……。


「あはっ」


 鏡の中の私と私は目が合って、かたかたと苦笑した。


「私の内臓はどうなっているのだ」


 私は私の身体に興味を持った。これが好奇心というもので心の高揚か。新たな感情を改めて理解し、能動した。


 私は人間ではない。機械だ。だが、人間の顔面を持っている。人間の解剖図や、元の身体の解剖図は知り得ているが、私は自分自身を知らないのだ。これは謎が詰まった宝箱ではないか。


 《kaiseki_jyunbi……ureshisa_wa-iwa-i……(解析の準備を致します……٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ ……)》


 すとんと血で沁みている外套を足元に落とした。下半身には血がべっとりとついていたが、上半身は飛沫だけであった。月光を反射し、その白さで飛沫を飲み込み輝く。まじまじと自分の顔を眺めた。


 頭部――金髪の長さは、(あご)先ほどで、くせが強い。頭髪の成分を視界ヴィジョンで解析する。結果はすぐに出た。ヴィジョンに枠が現れ、ケラチンタンパク質と教えてくれた。


 人間の頭髪と同じ成分であることを確認し、ぐいと、狭い額を鏡に近づけ、根元をヴィジョンで拡大をする。根元と上皮の隙間を眺める。が、細部が気になり、一本だけ抜いた。根元はぽっこり丸い、毛球が存在した。拡大、実行する。毛球は地面に棒を差し、抜けにくくするようなかえし(、、、)の役割だけではなかった。細胞とも言える楕円形のブロックが積み重なっている。更に拡大すると核があり、分裂しかけたブロックを発見した。


 細胞分裂をしているということは、毛髪の成長を促すメカニズムが存在するということだ。私は、髪が伸びる仕様、ということになる。


 ――何故?


 疑問は更に加速する。毛の抜かれた毛穴を拡大、解析をする。こちらも、抜かれても再び生えてくる仕様であった。人間と変わらない。


「……私は、人間の魔法を扱える?」


 元来、人間の魔法使いは頭髪を大事にする。髪は、感情を持つモノを魅了し、美貌を測るものであり、髪が美しければ、女神から力を授かると伝わっている。そうして授かった力を魔力と呼び、人間は魔法を繰り出す。


 魔法の属性に関していえば、赤髪なら、火の女神(ルビィ)から炎の力を授かる。勇者の連れである女魔法使いが、まさにそれだ。私は金髪である。……ということは、雷の女神(ルチル)が、雷の魔力を授けてくれるということになるが。


 しかし、私は魔族であり、人間が扱う魔法の発動条件は分からないし、詠唱方法も知らない。

 人間からすると、宝の持ち腐れとでもいうのだろうか。


 私は戦士である。美貌を宿し、魔法を扱うつもりは無い。つまり魔力を持たぬ人間の平民と差は無い。魔力の無い人間の象徴、雑種である証。色が濁り、漆黒と化した頭髪……濁髪(クラウディ)や、老いて頭髪が抜け落ちた魔法使い、無髪(ボールド)と同じだ。


「しかし……可能性はあると言った所か。勇者と同じ属性とは嫌なものだな」


 魔法を授けてくれる神の存在を、真剣に考えたことはなかった。

 数多の女神は人間の美しい髪を見ると子供のように喜び、超自然的な力を授けてくれる。

 術者は神に誓い、己の属性を司る血族の誇りと精神を同調し、龍の息吹のように体内から放出、具現化させる。


 人間の魔法はそういった思想から編み出された理屈無きブラックボックス。過剰な信仰技能である。

 それは万物を活かすための力なのだ、と、伝わっているが、魔法は魔族を討つ殺しの技法だ。“万物”の中に魔族は除外されているのだろうか。


 更にくだらないのが、その言葉だ。“魔法”と“魔族”。

 頭文字に“魔”を使っているというのは、“魔”の法で、“魔”の族を裁く。


 魔族が扱っている精神研磨技法も“魔法”なのだが、人間が扱っているにも関わらず、“魔法“と、言葉を作っているのは間違っていると思ってしまう。


 言葉を作るとすれば、人間が扱うのだから、“人法”ではないのか。

 ――そもそも、魔族と人間の言語が一緒であることが、腹立たしい。


 私は心底思う。神は我儘なのだと。

 私の姿は魔力で変貌した。神は、願いを叶える存在だと思っていた。だからこそ、すがってしまったのだ。しかし神は、私が願った死を与えてはくれなかった。私が魔族だからと、そっぽを向いたのだろうか。


 そういえば。人間は何故、魔王を滅ぼそうとしているのか、理由を知らない。

 これは今考えても推測に過ぎないし、人間の個々の思想情報が少なく、私は明白な自我を貫き、もの思う事ができない。まずは身体だ。私は、私の身体を知りたい。


 髪が成長をする事に重きを置いて、生気のない青白い肌を眺めた。頬を引っ張るが痛みはない。痛覚がないのだから当たり前だ。聖剣で、すうと頬を軽く切った。赤い血は出なかった。しかし白濁色の体液が少量垂れた。

 これは必然だろう。皮膚が頭髪を育てているのだ。血液に似通ったもの存在しないと育たない。つまり、顔面の皮は傷を修復できる、もとい細胞を生成し続けている仕様である。

  つまり、体液を精製する器官がある? 一体どこに? 魔族や人間のように栄養を補給しないとならない? しかし、空腹は感じた事がない。となると、体液を精製する必要が無い? ということになるが。……傷がいつの間にか塞がり、私の白い血は止まっていた。


 栄養を摂取する器官といえば、魔族も人間も同じ、口だ。さまざまな角度から唇を眺める。


 圧覚はどうか。


 鏡に口づけしてみる。桃色の唇は鏡面へ吸いついた。ん……。鏡の唇は固い。すこし離して、口を限界まで開いてみた。幼児の頭は確実に入らず、成熟した男性の握り拳すら入りそうにない。歯も歯茎もある。頭髪と同じで、細胞を確認できた。かちかちと、噛み合わせを確かめる。噛むものがないので、唇を甘噛みしてみる。体液が巡っていないと、再生できないかもしれない。赤ん坊がおいしそうに指をしゃぶるように、人差し指で唇を押し込んで、そっと噛んだ。唇は肌よりも柔らかく、ずぶりと、どこまでも沈んでいく気がした。指を抜くと、じんわりと上弦の月の形に戻る。私に唾液はないようで、指は湿らなかった。唇は尖らせることもできないようだ。表情筋がないのだから当たり前か。


 サーマルヴィジョンに切り替える。凍りつかない為か、顔全体は四十度を維持していた。脳回路は生体のものに替わっているかもしれないと思ったが、温度が均一でわからなかった。ヴィジョンを通常視覚に戻した。


「あ~~い~~う~~え~~お~~」


 声を出しながら、喉を覗く。食道はなく、息が出ない。鏡は吐息で曇らせることはできないが、鏡に口づけの後が白く残っていたので拭いた。指で唇を広げ、口内を観察する。歯を生やしている歯茎の壁だ。表面の色は、唇よりも濃い桃色でゴムのようにシルキーな光沢。人間でいうところの、口蓋垂の部分は円形のスピーカーユニットなっている。しかし、息がないということは、人間と比べて、音を前方に飛ばしにくい。小声ということになるが。


「アアアアアァァァァァ!!!!」


 こもっていても、大きく響かせることに意識を集中するか、気持ちが高揚すると音量は上がる。声色は、十代の女性の声でアルトの音域だ。きりりと冷たいが美人と思える声色だった。


「…………」


 脳回路の中の楽譜を漁った。ヴィジョンに多重横線の楽譜を写し、音符の粒に合わせて歌おうと準備をする。これは私の身体調査なのだ。礼拝音楽を歌えると、私は喜んではいない。浮ついてもいない。


 ワン、ツー、せえの。


 ららら~~ん~ら~~らら~~んらんらん~♪

 ら~~ららん~~ら~~らんら~~らん♫

 ら~ららら~~らん~~らら~~らんら~ん♬

 ん~らら~~ら~~らん~~ららんら~~んら~♪

 ら~~らら~ん~らら~らんら~んら~ん♫

 ん~~ん~~♪ ら……。


 あっ。


 歌ったことに後悔する。それは断じて音痴ということではなく、(音価、リズムも完璧であった)

 私の無意識の行動から得た話だ。礼拝音楽は全知全能の神(シディア)に捧げる歌である。私は、無意識に歌いたい楽曲を選んだ。無意識とは恐ろしい。自分の本性を明かしているようなものである。


 ……もう、神を信じないと決めたのに?


 私は魔法使いのように女神を当たり前のように信仰し、歌っていた。魔族であるはずなのに、人間の神を崇拝していると証明してしまったのだろうか。魔族は何者も崇拝しない。崇拝という意味に近いものを置き換えれば、服従を差し、“魔王”に仕えている。


 確証はない。しかし、人間の価値観に基づき、私の自我をなんらかの技術で組み上げられているようにしか思えない。


 指先の銃口に目を向ける。


 魔王は種族を召喚し、魔族として従わせる。私は元々、武装していた機械人形の一体だ。人間に作られた私は何のために武装をしている……?


 明白である。この世界(・・・・)で作られた存在ならば、魔王を倒すための武装に決まっている。


 ……この世界(・・・・)で、か?

 私が武装している銃を知らない、この世界(・・・・)で?

 ……だが私はこの世界(・・・・)で、古くから伝わる人間の拝礼音楽を歌った。


「私はこの世界の未来から召喚されたのか?」


 魔王が使った召喚魔法の事が分かれば、その謎も少しは分かるかもしれない。

 だが、今の状況でわかるはずはない。まずは足元の知らないことを知ること。自分の身体のすみずみまで調べ上げて、理解をすることが大事だ。世界の記録、召喚魔法探索はその後でもいい。


 鼻を調べる。鼻には二つの穴がある。一つの穴に人差し指を入れるが、第一関節で止まった。もっと入るかと思ったのだが。


「……」


 鏡の中の私が私をじっと見ていた。今、この状況を誰にも見られたくはない。


 羞恥心、か。本当に感情とは不思議なものだ。私は指を抜いて、かたかたと苦笑した。

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