解答会食、ハリケーンリリー
「規律を破ったお前に、味方はもういないんだよ。俺を含め、高位魔族に勇者抹殺の命令が正式に下された。それには大聖剣の奪還が含まれている」
私は考えて声を出そうとした。が、言葉は浮かばない。
「だが、俺以外の高位魔族達は、聖剣を手に入れたやつは勇者だと思っているだろうよ。現に俺もそうだった。だから、もう一度言う。今ならまだ間に合う。聖剣を祭壇へ返せ」
「断る。私は変わらない。勇者を殺す。それでいいではないか」
「――勇者を討つ為に、その聖剣が必ず必要なものなのか?」
「魔王が、私に下した命令は、この聖剣を守ることだ。他の者に手渡してたまるものか。たとえそれが、どんな魔族であっても」
彼は嬉しそうに笑った。まるで、待っていましたといわんばかりに。
「この俺が、聖剣を返せとお前の前に立ったらどうするよ、親友」
彼は私の大聖剣と同等の武具を担う槍兵だ。嫉妬の女神の心魂の魔槍を魔王から授かり、魔王城内部の魔族の統制をしている副指揮官。ただではすまない。
「その時は正々堂々受けて立とう。今、ここでも構わぬぞ」
「アホか。ここは民家だっつーの。それにその聖剣はまだ足りないモノがあるだろうが。本調子じゃねえやつと戦ってたまるかよ」
彼は、ことある事に先輩風を吹かせる。私の頭をくしゃくしゃと撫でたあとに、カールが効いた私の髪を指にくるりと絡ませて遊んでくれた。少し嬉しい。
「ああ、そうそう。お前と相性の悪い魔族にも奪還命令が下っているぞ。俺の前にやられんじゃねえぞお?」
相性が悪い高位魔族は、一種族しか考えられなかった。
「……弓兵。ダークエルフか」
「ああ。超遠距離狙撃に気をつけろ。お前の貧相な左腕の、その……変な弓と、その視力では、手も足も出ねえだろう? 今のうちに、何か考えておけ」
私の新しい弾丸の飛距離……オークを撃ち抜いた時は、この世界の単位で、二十メートル程だった。
「というか。お前も知っているだろう。あの一番口うるさい餓鬼が、魔弓の担い手に選ばれたんだぜ? 今じゃ、城ん中で、ぶいぶい言わせているぜ。うぜえからさ。お前が一喝してくれよ。高位魔族同志、さすがのお前でも本気で殺しにかからないだろ? 仲間なのだから」
「……」
我々、魔族側が所持する神々の武具は、私の聖剣。蛾人間が持つ魔槍。そして、魔弓である。勇者側が所持するものは、現在、杖のみ。これらの武具はこの世の神話が元になっているものらしいが、定かでない。
ダークエルフは、弓の扱いに長けた種族である。弓兵長は小柄で、幼児にしか見えないが。彼女達もまた、私と彼と変わらない。種族まるまま召喚され、魔王に仕える身となった仲間である。彼が“餓鬼”と言い、腹立たしい顔をしているが、暴言には聞こえず、信頼をしている夫婦のように思えた。
「射程はどのくらいかわかるか?」
彼は何故か呆気に取られていたが、そのまま答えた。
「――弓と言っても、神の武具だ。どれほどのものかわからねえし、射った所は見た事がねえ」
「……」
私自体、聖剣の力のすべてを把握しているわけではない。
「……城の屋上から全方位守っていたことは変わらねえ。弓兵長が、城を出たんだ。どこから矢が飛んでくるか分からねえぞ」
「すまない。常に気を張っておく。それに、何か策を考えておこう」
「……ダークエルフの餓鬼はな。お前ら、キラーマシンの事を心配していたぞ。勇者にみんな殺された、悲しいと」
心配してくれたのは、申し訳ないとしか言えない。しかし“ダークエルフの餓鬼”、というのは……。
「それより蛾人間。私たちに“名前”は、何故無いのだろうか?」
「……名前? 俺たち魔族に、必要ねえだろ」
「なぜだ?」
「なぜって……。元々そういうものじゃねえか。名前がなくても、顔と声が確認出来れば、性格も皆違うとわかる。現に“口うるさいダークエルフの餓鬼”と言ったら、お前も分かっただろう?」
「…………」
蛾人間は、私も分かっている者だと理解をしている上で、話をしている。知らない者の話となると、誰の事を差して、話をしているのかわからなくなる。当たり前だ。ダークエルフは個体の区別が付きやすい。それでなぜ、名前がないのだろうか。
(ダークエルフの個体の区別が付きやすいということは、殺戮機械の製作者、私の個体識別プログラムを組んだ者が人型知的生命体であることの証明となる。私は人型個体を細かに区別出来るが、エレメントモンスターの区別はできない。人間と外見の近い生物の区別がある程度出来てしまう仕様である。これは私を作成した者の価値観が、人型生物以外の区別は出来ないと繋がる。もし人型以外の知的生命体が個体識別プログラムを作成していれば、人型生命体には理解しがたく、発見しにくい個性を見出せるだろう)
ダークエルフたちは、皆、声質が違う。肌つやも身長もばらばらである。それは生物として“時間”を元に、生きているからだろうか。――いや、時間までもいかないか。単純に“寿命”があるからだろう。
寿命があるからこそ、遺伝の通りに身体は発育する。寿命があるからこそ、様々な何かを経験し、学び、知識として蓄えることができる。そうして自身の言葉を通じて、個を安易に主張できる“性格”が出来上がるのだから。
私は、ダークエルフ、そして目の前の蛾人間とは違う。
殺戮機械という種族は、武装、体重、身長、思考回路。皆、等しく作られている。
「…………」
酷い話だ。今の私は、私だけ特別なのだと、心の中で喜んでいる。勇者に殺されたキラーマシンの仲間達を、生産されているだけのただの人形だと思ってしまっている。海岸の砂粒のように区別がつかないことに、ざまあみろ、とまで。
「どうした、親友。名前が欲しいのか?」
私だけ、名前を名乗るなど出来るものか。蛾人間は人間と同じ知性を持ち合わせているはずだが、何故、名を名乗ろうとしないのだろうか。性格の問題なのだろうか。いや、ダークエルフもそうだ。自分の名を名乗らない。というよりも、それは空白に近く、そういったことに考えがつくまでも無いといった感じだ。これは魔族の歴史、と言うものが、当たり前としているのだろうか。
名を持つ利便性に気がついていない?
名を持った人間の歴史を知っているはずのに?
「おい、どうした?」
「……ああ、すまない。私は名前などいらない。今のままがいいのだ。なんというか、私は魔族の大事な何かに気がつきそうなのだ」
それは私が魔王のシンキングプログラムに逆らおうとした時と同じ、なんとなくだった。
機械である私がシンキングプロテクトを破ることが出来て、聖剣に触れることが出来たという矛盾点。
機械である私に芽生えてしまった感情の矛盾点。
それらの要因が重なって、運よく、今の私がある。そのままそれを無視し、目的を果たせばいいのだが、なんとなく、その“運”を疑ってしまって。
疑うことなく理解出来れば、死んでいった仲間の為に全身全霊で仇を討ち、後悔せず自害できるのでは無いか。仇討ちを、重大なものにしたいだけの……いえば戯言に近い、ただの予感かもしれない。
「なんだそりゃ?」
確証のつかぬものの話よりも、親友である彼には他の相談をしよう。無知でありたくはない。
「我々は、召喚された。そして、この世界で生きている。私もお前も生きている。この世で生きているということは、とても運が良かったということなのだろうか」
「…………」
「お前は生きている理由を知っているか? 私は今、それが知りたい。気になるのだ」
蛾人間は目を泳がせてから、グラスの水を飲み干した。
「――何も知らねえし、知りたくねえ。俺は召喚されて、魔王に従っているだけだ。……わけわかんねえ事を言ってんじゃねえよ。俺は城に帰るぜ?」
「待て。答えてくれ。動物は寝る。生きているからだ。だが私は寝ない。しかし、生きている。お前は寝る事が出来るのか」
「当たり前だ。俺はしっかり生きている。寝る時くらい、夢を見せろ。糞野郎」
私は睡眠を必要とせず、もちろん取る必要はない。蛾人間は明らか不機嫌になったが、私には不機嫌になる理由がわからなかった。彼は席を立ち、私も後に続いた。
ぺちゃ……ぺちゃ……ぺち。
私たちは、床に転がっている人間の血溜まりを踏みつけた。人間の腸に目を沿わしながら、私は言った。
「……改めて聞くが。お前は本当に、腹が減っていたのか?」
民家の一室の壁は血で垂れているが、暖炉の明かりはうす暗く、黒く見えた。床には折った骨と毟った内臓、そして蛾人間が食べられないと千切って置いた首。子供の親が四散している。
しわくちゃの服やしっとりした絨毯は、ぼろ雑巾と化した。家柄の良さを判断できるのは、窓際のテーブル周辺だけである。
「ああん? 腹が減ってねえと、食わねえよ」
私が殺めた下劣なオークの顔と、いらついた表情が重なる。
蛾人間は、街に着くなり、私の手を取った。そうして、腹が減ったからと、丘の上にぽつんと建っていた民家に忍び込んだ。人間を殺め、そのまま調理し、食べたのだ。これは生きるための生理行動である。すぐにでも人間を食べないと、餓死する所だったのかもしれない。
「……そう、だな……腹が減っていては、しょうがない、ものな……」
「後始末は、だりいからしねえぞ。外の子供が帰ってくる前に出るぞ」
「……」
私は指に血をつけて口に運んだが、味はしなかった。
背後から軽快な足音が響き、それは勢いよく扉を開けた。
「ママーーー! 雪だるま、……でき……た……、よ……」
惨状を知らぬ少女と目が合って、うつむいた。黙って立ち去ろうとしたが、蛾人間は鼻歌交じりで近づく。頭を撫でてから、背丈に合わせ、飛び散り転がる肉塊に唖然とした少女へ、言い放ったのだ。
「ごちそうさまでした。ありがとうな、嬢ちゃん。強く生きろよ」
蛾人間の肩に手をかけた。そのまま殴りたかったが、殴る理由が見当たらない。親友は、腹が減っていただけなのだ。しかし、親友と慕っていた彼がゴミ屑のようにしか思えない。私の右腕は、かたかたと鳴り続けた。
「――おい。その拳はなんだ?」
「…………」
私は離さず、見据えた。
「あー……、腹が立つ。てめえが俺を殴りたい気持ちが、俺にはよく分からねえ。なんか言えよ、おい」
「…………」
「……なあ、聞いていいか。満腹の俺が、ここで。今すぐに。この嬢ちゃんの頭を、快楽の為にぶっ潰したら――俺は、あのオークと同じく下劣扱いされるのか? それで、俺を殺そうとするのか? 何の為に? その理由は? 俺はお前の親友だよな? 簡単に親友を殺せるのか? 人間はな、飯なんだよ。親友にわけがわからねえ価値観を押し付けて、しかも殴るのかよ」
「…………」
「その汚ねえ手を離せ。ダークエルフの餓鬼が心配してたんだぜ? 何も思わねえのかよ」
ぼごり。胸の奥底から水泡がはじけ、全身へ熱量が浸透する。
知ったことか。今はダークエルフの事など関係ない。そんなことよりも、私は変わってなどいないのだ。姿が変わっただけに過ぎない。魔族を裏切る気持ちなどあるものか。私は、貴様と同じ日に魔王に召喚された時から、そのままなのだ。
「言いたいことはそれだけか。子供に詫びを入れろ。糞野郎」
「……そうかよ。お前が口を聞けるようになったからと、黙って聞いてりゃ。ふわふわと、くだらねえ事をべらべら話しやがって。せっかくの肉が冷えたんだぜ? ロマンチックな事が沢山あってよかったなあ。裏切り者」
「……ッ!」
私は聖剣を、無我に蛾人間へ振り下ろした。
「……けっ。何のために生きているだあ? 俺は、食欲と王の命令が生きる理由だ。それが俺の美学だ、阿呆」
聖剣から血が伝い滴る音が、頬を打たれたように愕然とした息使いで聞き取ることができなかった。
「あ。あ。あ。……マ……マ……」
少女の傷口はまさしく稲妻だった。鎖骨から骨盤にかけて鋭く口を開き、中身がこぼれた。私の瞳に血がへばりつき、視界ヴィジョンを赤く染めている。柄から伝わった圧覚の余韻が、憤怒を後悔に塗り替え始めた。
「ごめんなあ、嬢ちゃん。馬鹿が暴れちゃってなあ。でも大丈夫だ。すぐ楽にしてやるからな」
少女を盾にした蛾人間は、片手を少女の肩に置き……蟹の腕をへし折る要領で首を折った。成熟した果実といわんばかりに引きちぎる。髄の神経が泣き声のように、ぎぎぎと伸びたがすぐ切れた。そうして、ぽいと投げ捨てた。首断面の背骨は異様に長く、果物のへた、そのものだった。胴体の首元から心臓の律動に合わせて、血が溢れる。花瓶へ差すには茎が短い彼岸花だ。私は花と形容することを、最大の賛美だとする不細工な意識に飲み込まれた。
少女の胴体は膝から崩れ落ちた。痙攣する胴体を見たくもないのに見てしまう。母の血に少女の血が混ざりはじめた。二人は人間だ。しかし、明らかに違う温度差のズレが目に焼きつく。少女の血は、体幹部を無作為に軋ませる儚さが親とは比べ物にならない。聖剣を落とした音が、がらんと鳴り響いた。こぼれた中身を大事に拾い上げ、すぐ抱きしめた。私には痛覚も温度覚も存在しないが、血は顔面に沁みた。痛みと寒さが、全身に広がり伝わったのだ。
これが感情なのか。他者の血が。湿った地肌が。虚空を見つめる子の首が。醜い三つが競うよう被り合い、成っていた。私は少女一人が死んだくらいで、屈してしまうのか。かたかたと凍えている。ありえないだろう。しかし、真ん前の下衆は、悲しみに浸らしてはくれない。陳腐な笑い声を響かせているのは、面白がっている証拠だ。
「はっ。子供を殺めた悲しみに悶えているようだが、俺を一撃で殺せなかったと悔しいだけだろ。お前には喉がねえ。味がわからねえ。食欲に溺れねえ。つーことは、人間を味の無い、ただの人形としか見えていない。人間が好きでも嫌いでもない、ゴミ以下として見ているんじゃねえか? 俺はお前と違う。飯である人間が大好きだ。人間は、自分と同じ人形なのだと思い続けろや、糞野郎」
「違う、違う……! 私は……、私は……!」
「賢くもがけ。それが自由の代償なのだろう? 幼稚な自我で規律を破った、当然の報いだ。路頭に迷えばいいさ。……ああ、勇者の餓鬼どもを殺ったら、新鮮な内にくれよ。じゃあな、クズ鉄」
彼は首のない少女を大事に抱えて、去った。
残された子の首は動かない。私も首を切り取れば、同じように死ぬのだろうか。それとも、生き続けるのだろうか。せめて私の首を、その隣に置きたかった。
私には、自分の首を引きちぎる勇気は無かった。現実から目を背けるよう、寂しい仮面を張りつけて、少女の首を母親のとなりに寝かせてしまった。何も出来ず、嚙みしめる事しかできない。血の水面が無様な叫び声でさざなみを作る。暖炉も壁も床も窓もテーブルも。大聖剣すら叫びに答える事はなく、正義といわんばかりの装飾が夕闇で見えなくなりそうだ。
助けてくれ。
神に祈る事をやめた私は、顔面の皮を剥ぎ取った真っ赤な頭蓋骨だ。脳がきちんと動いているのか知りたいが、血と骨がそれを邪魔して見せてくれない。心が。魂がかじかんでいることしか、感じない。どうか。どうか。温かい皮膚を頭蓋に被せてほしい。私よ。わかっているか。きっとこれが感情なのだ。みえるか。腐っている。わかるか。
窓から差し込む陽の角度は変わる。親子の頭髪は蒼色で、真水のように澄み切って、聖剣のかわりに光った。時間を戻したいと頑張りすぎて間違えて。停止しつづけた思い出を閉じている太古の宝石としか思えない。
言語を構築する思考が蒸発し、風景を統べている血の色が、言葉と共に化けている気がした。
辛すぎて。