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殺戮機械の英雄譚  作者: 網田めい
“死体に埋もれた勇者の唾”
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不十分な会食、憂戚の幕開け

 戸惑う。自分の存在に戸惑う。顔面の皮は表情を作ることができなくて、口があるのに、声しかでない。食べ物を味わったことはないが、頭脳は味を知っている。何でも知っている。


 味覚の想像はつかないが、味とは美味しい、不味いから派生し、甘い、苦い、酸っぱい等に細分化される。それらを事細かく、私は言語表現が出来る。それもすべて脳回路が知っているからだ。すべての言葉を知っているからだ。

 

 私は、何かを食べて生きているのだろうか。

 そもそも、私は生きているのだろうか。

  

 私はちくりと、胸が痛んでいる。

 私の、私の為の倫理思考は不毛かもしれない。

 自分で自分を(けな)して、胸がざわついている。

 “感情”が沸いているが、逆らえない。

 生理行動の必然性が脳回路に深く刻まれ、個性として。性格として。

 真っ当な道を進もうとしている私自身の、私の為の法はどうなっているのだ。

 

 ああ。ああ。ああ……私と人間は、どこが違うのだろうか。

 人間と限られた魔族にしか持ち合わせない“感情”を、機械である私が持ってしまっている。

 私は生きているのであろう?

 きっと、私を。仲間を虐殺した勇者の一撃、雷魔法(ルチリア)のせいなのだ……せいなのだ……セイナノダ。

 

「おい。どうした親友。食わないのか。口が出来たのだから食っちまえよ。うめえぞ」

 

 召喚された年月(誕生日)が同じであるはずなのに、ことある事に、キラーマシン達に先輩風を吹かせる。蛾人間(モスマン)はそういった親友であった。

 

「食道も、胃もないままなのだ。大変申し訳ないのだが、私の分も食してくれ」

 

 私は、ぴんと背筋を伸ばしたまま、向かいの親友へステーキ皿を押し出した。人間に化けている親友は自然に笑窪を作った。

 空気がよどんでいる。正しくは暖炉の火が強すぎて、CO2(、、、)の量が多い。赤い絨毯に、格調高いテーブルに椅子。ランチの時間なのだが、部屋の明かりは意図的に消している。太陽の光が窓から差し込んでいるが、一つしかないせいか、照度は低い。

 

 私は会食の時、窓と隣接している席が好きだと知った。街へ降りそそぐ雪を眺めながら、見上げると空に吸い込まれる気がして落ち着くし、今現在、この状況でいうと、雪だるまを庭で作っている人間の少女の姿が、可愛らしく思えるからだ。と言っても、胸が痛む事には変わりないが。膝に掛けている勇者の外套にそっと触れて、拳を作った金音で気まずくなった。


「……して、蛾人間(モスマン)。仕事は順調なのか」

 

 蛾人間(モスマン)はナイフとフォークを静かに置いて、ナプキンで口を拭いたが、咀嚼しながら答えた。

 

「それより、お前だよ。口を聞けるようになって、俺は嬉しいが。俺たちは、魔王様に仕える高位魔族だろう。何をやってんだよ」

 

 お節介な蛾人間(モスマン)らしい発言であった。私は大聖剣を扱い、派手にオークを殺してしまった。近隣の魔族が私の存在を知り、そうして聖剣を持つ者として襲いかかった。すなわち私を勇者と勘違いし、殺しにかかってきたのだ。勇者がいるだろう街には着いた。勇者を探す前に、親友と食事中というわけだが、私は食事が出来ない。

 

「何度も言うが、私は魔族を裏切ったわけではない」


「何度も言うが、お前の仕事は聖剣を守ることだ。持ち出すことじゃない。それは魔王様を裏切っている事と同じだ」


「何度も言うが、私は聖剣を肌身離さず持ち続ける。これは守っていると同義だ」


「何度も言うが、それは違う。早く祭壇へ戻れ」


「断る。聖剣を担いで、自分の足でここまで来てしまったのだ。私は勇者を殺す」


「何故だ。戻れば、勇者を待つだけでいいじゃねえか」


「私の同類が、勇者に一人残らず殺されたのだ。待ち続ける事などできない」

 

 蛾人間は溜め息をついて、ふと窓を見て微笑んだ。雪だるまが完成したようで、人間の少女は、はしゃいでいた。

 

「――規律を守る。王には従う。そこに美学がある。それが俺たち、高位魔族の生きがいだ。お前のやっていることは……まるで見境に人間を襲う、底辺の仕事だ。人間から“脅威”として魅せているだけの道化(ピエロ)であるスライムや、お前が殺めたオークと同じだ」

 

「違う。私は」

 

「いや、ごめんな。俺はお前を否定したくはない。人間で言う所の、革命思想の真似事なのか? 何か新しい事でも考えているのか? お前は今、何を思っているんだよ。俺はそれがわからないし、知りたいだけだ」

 

 彼は、壁へしなだれた。薄い影が映って、その背中には大きな二枚の羽根がふわふわと寂しそうに動いた。

 

「――すまない。私は、そんな大それたことは思っていない。ただ、自分が許せないだけなのだ。だから心配はしてくれるな」

 

 蛾人間は唇をぺろりと舐めた後に、ゆっくり前屈みになり、私の顔に顔を近づけた。

 

「いいよ。別に……。しかし、その声に顔……お前、女だったんだな。てっきり男だけの種族かと……ああ……いい。すげえ、いい……かわいいぜ……?」

 

 彼の半開きの唇から艶やかな舌が見えた。吐息が私の鼻にかすった。温度を感じることは無いが、彼の火照った顔で、それはとてもとても熱いものなのだろうと思えた。そのまま彼は、私のあごを優しくつまんで、目を瞑った。私は目を開いたままで、彼の唇が私の唇にゆっくりと近づいてくるのがはっきり見えた。私も彼のように目を瞑った方が良いのだろうか。しかし私には、まぶたが無い。彼だけがしっかり目を閉じて、それが可哀想で胸が痛くなる。私は彼の鱗粉で心を操られたように、唇をゆっくりと近付けて、言った。

 

「私は女でないと思うし、そもそも性器は無い。だが親友の頼みならば、何度でもちゅっちゅしてやらんことはない。ほら、はやくしろ。待たせるとは最低な男だと思うぞ、私は」

 

 彼は私の首を思いきり真横に捻り、勢い良く回転させた。私は首を正面に戻しつつ、

 

「痛いのだ」


「うるせえ。……って、お前は痛みを感じるのか」


「いや、すまない。Y軸回転した首の事ではなく。心は痛く感じるものだろう? 兎が殺されたように」


「兎?」


「ああ、そうだ」

 

 もし私が彼とキスをしたあと、一体何を想うのか。それが気になって仕方ない。私は彼といるとクリームのようにゆるくなる。たくさんたくさん、話した。ここに来るまでに出会った動物たちのこと。陽が落ち始めると影が濃くなって寂しくなること。しかし、その後に出てくる月の色の方が、私よりも寂しそうだったこと。その寂しい月の明かりが強すぎて、見えなかった星を知れて嬉しかったこと。オーロラが雪の色を虹色に変えてしまうことに、動物はいつも唖然としていること。雷はもう怖くないこと。そして、勇者の恋人であろう女魔法使いの気高さ。

 それらのすべてが管弦楽団の演奏を聴くかのよう、音の粒をひとつも聴き漏らすことは無い出来事だったこと。私が声を出せるようになり、彼は本当に嬉しそうに、ずっと黙って、うんうん、と頷いてくれたのだ。


 話題がなくなり、何を話そうかと悩んでいる時に、彼は「声というものは、話したいときに勝手に出るものだ。無理に考えて話す必要はない」と、冷めてしまったステーキを口に運んだ。私は、窓から空を眺めたけれど、これはいつでも見られるからと、彼をじっと見つめていた。口元をソースでよごしていたので、ナプキンでそっと拭いてあげた。彼は顔を真っ赤にしながらもナイフとフォークを丁寧に扱っていた。喉を詰まらせたのか、一気に水を流し込む。すぐグラスへ水を注いであげた。たぷたぷのグラスから滲んだ汗が、生気の無い私の顔を増やしている。この空間は、はっとするほど静寂に満ちていた。


 私は背筋をぴんと立てたままで、彼の観察を続けた。人間に化けている彼の顔は、いたずら好きな子供のようにあどけない。

 

 あっ。

 

 肉汁が首筋に落ちて、ナプキンでそっと拭いてあげたら「ううん」と、真っ赤な顔ではたかれた。床に落ちたので拾おうとしたら、彼の手と私の手が触れた。彼の温度は感じなかった。


 温度とは、気持ちをどう感化させるものなのだろうか。温かい、冷たい。言葉では分かってはいるものの、視界ヴィジョンが物体の温度を測ってくれているので、数字表記では理解しているが。それはいわゆる、機体を損傷させる危険な温度として判断している。彼は優しい。これを言葉に変換すると、温かい。特に決まった理由はなく、私の想像上の認識からの言葉でしかない。温度を感じることが出来る者は、きっと的確に言葉として伝えるのだろう。気持ちを包み隠さず、勇敢に伸びた(ランス)のように貫いて。


 ナプキンはすぐ拾った。私の分のステーキを軽く平らげた彼は、私と目が合ったあとに、視線をすぐ逃がした。

 

「死ぬぞ、お前」

 

 言葉を二回、うざったく繰り返したように、彼は私を見据えた。聴覚は自動で整い、暖炉から跳ねた火の粉は、心にひびが入る音となった。

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