鈍る世界に、嫋やかな金を:弐
ラスト、加筆しました。4/30
「――僧侶は、蘇生魔法を?」
「ええ」
魔法使いの真剣な表情が、そのまま俺の顔面をくっつけてこびりついたのか。俺たちは双子の顔のように、どちらも変わらない真剣さをもって、表情は固まった。
「…………」
勇者は金髪の短髪で、さらに昔の俺のように声を出せず、明白な表情を失っていた。えらく笑えるのに、部屋にいるこの二人は、俺の表情を引き込んでいるままだ。俺の単一の表情は、目新しい変化の流動は無い。まわりと合わせるよう、道連れにされた俺の所有物である表情は自身で捉えられず、もやもやした。「…………」無言の勇者はまばたきをするたび、長いまつ毛から機械言語が弾けて金色に散った。不規則な落ち方は、せわしない。ぱらりぱらり、と鳴りそうで湿り気がなく、うんざりするほどの薄さは、大地に消える枯れ葉のカスと違いはない。魔法使いは、彼の異様なまばたきは見慣れているのかと思ったが、丈が長い寝巻きへ破片がひとつ貼りついていたし、床に落ちた言語を何食わぬ顔で踏みつけていた。俺の身体から剥がれた血液は、張りついたままだった。
俺と手を繋いでいた彼女はベッドに座り込んでいる勇者の手を取り、甲を愛でた。「…………」胸の鼓動がまた鳴った。やけに淀んだ下水の泡が裂ける音だった。
「これは大聖剣を守るガーディアン、殺戮機械にやられた傷。勇者様は、一度死んだの」
勇者は、服をめくられても無表情だった。上半身と下半身を分けている傷跡は元の肌よりも白っぽく、縫い合わせているように思える。斬り裂いた感触が脳回路から手元へ伝わり、清々しい気分がよみがえった。
「それは、大変だったな」
「…………。蘇生魔法は身体を完全に治してくれるはずなのに、傷跡が残ったの。それに」
「感情がない?」
表情が死んでいるせいか、何をするにも気力がないよう。昨日の俺の私よりも、こいつは死んでいると優越感に浸れた。「…………」虚ろな瞳で、壁の一点を見つめていた。何を考えているのか喋りもしない。両ひざが開いてしまわないように腕で閉じ続けている。――彼女は、静かにうつむいた。
「魂が、ないみたいだよね。私は、勇者様の事を……ううん、なんでもない。ガウェイン、人間は一度死んだら感情はどこへ行くのかな。魂は、天国から身体へ戻っているはずなのに……私のことを知ってくれているから記憶はあるの。感情だけが足りないの。魂と感情は、一緒じゃないのかな」
彼女は、勇者の甲から手を離さなかった。
「…………」
「ガウェイン?」
「魂は感情があるからこそ、存在するものだ。たとえ、どんな身体だとしても感情があれば、魂はある。こいつは生きている。つまり、魂はある。感情もある。魔法で生き返ったことは奇跡なのだから、こいつの女神……雷の女神に願うべきだ。感情が芽生える奇跡なんて祈っていれば、すぐ起きるさ。人間なのだから、馬鹿みたいに」
「……こいつ、と言うのは、やめてくれる?」
「……勇者、様。これでいいか?」
「…………」
ざまあみろ。感情は、地獄に落ちたのだ。ここは現実の世界ではない。死者の魂の行き先は天国だが、機械言語の作り物の世界に限り、HPがゼロになった身体から魂が抜けてサーバーに記憶される。蘇生魔法でHPを与えられ、身体は再構築し、魂が戻るだけ。そこには尊さなどはなく、無意味だ。勇者の傷の真新しい白い肌は、治った証だ。だからそれでいいじゃないか。治っているにも関わらず、敬うとは、幻覚に苛まわれているのと変わらない。――ああ、そうか。すると感情は、外見の印象であり、ただの幻覚だ。勇者は人間なのに、初対面の俺に人間らしい挨拶のような行動すら起こさない。おまえは息をしているだけの人形だ。「勇者様、何か食べたいものはある?」勇者は彼女が優しく声をかけているにも関わらず無視をした。俺は、失笑した。こいつが、別に何も食べなくても関係ないじゃないか。
生きていることを知らないと言い切っても問題はない人間だ。
生とは、形がなくて、一生分からない。生について、考えることはおかしくて、狂っている者がすることだ。まるで、馬鹿。勇者の古傷なんてものは、現実世界の映画娯楽だ。区切りの良い場面で歌手の楽曲を使うような、歌の力に任せ切った才能の無い演出の一環で、くだらないもの。趣を知らない愚者が、人間の心情を分かりやすく解釈するために使用される下手くそな演出だ。子供が神になりきり創造した商品で、大量生産の腐敗したプラスティック。その日の金を稼ぐために働くただの凡人で、そこに明日は見えないし、見出すことはできない。くだらないことを美学にするしかなく、逃げ場はない。
この世は、そういったくだらないものが集まって出来ている。幽閉され、囲われた社会環境でも――私の俺が殺した家族を俯瞰して眺めていたように、欲しいものは絶対に手に入らない。「…………」欲しいものを欲しいと願いつつ、一番大事な人間らしさを維持するのは大変難しく、欲に溺れてしまうと、誰ひとり自分を助けてくれない。守ってもくれない。
安心できる場所は、どこにも存在しなくて、運まかせなのだろう?
まさしく匙を投げて、しょうがない事としているのが、生きることなのだろう?
「こいつは、何も食いたくないのだろう。放っておけよ」
「…………」
彼女は俺の言葉を無視しているのか聞いていないのか、わからなかった。人間は、生きているだけで嘘をついている。創造神……いや。人ならざる天才のような超越した知的生命体は、俺しかいない。世界というものの解釈は、自分の見える風景だけを差す。他者の本当の気持ちは死んでも知ることはなく、一緒になったとしても、いずれ孤独になる。死人は口無しだが、生者も口無し。世界は一人しかいなくて本当の神は、王は、天才は、自分だけ。仲間なんて、みな死んだ。誰もがいつか辛く死ぬ。これが、このゲーム世界ではなく、現実世界でも共通する真理。今もなお、銀河で戦争をし、死を歩む魂が残して続く事実。
「――勇者様。今夜の星祭りの前に、街を探索しない? たくさん美味しいものを食べたり、買わない武具を装備してお店の人を茶化したりしてさ。まるで、出会った頃みたいに、ね? もしかしたら、昔の笑顔を取り戻せるかも」
微笑んでくれる天使なんかいない。だから、俺は嘘をつく。かぎりなく真実に近い、正直な嘘をつく。モノを感じたあとに、こうであるのだと、幻想のように決めつけるのだ。大人のように、切実でない切実なモノの尺度を知っているように言葉を紡ぎ、他者へ様々な背景を想像させる。そこから、他人の本心を浮かせて舐めるように観察する。そういった事ができるから、自身は賢いと決めつけて逃げ道が無くなり、自分を信じるしかなくなる。俺は、その生き方がいい。それが、向いているはずだ。俺の真っ白な視野を邪魔する嘘つきの悪魔たちが、俺の、個、を彫り込む人間性だ。俺の個性が、歩むべき道を身勝手に創造しているのであれば――、結局世界は、すべてしょうがなく出来ている。現実でもゲームの中でも、存在している自然の中でのうのうと暮らして、しょうがなく生きるしかない。
これが、前世で築いた栄光を持つ魂だけが高級な道を歩める自然の摂理。輪廻転生機構に無理やり生かされて、リサイクルされる資源ゴミが、俺たちの魂だ。俺はこのゲーム世界で生きているのならば、台本に従うしかない。
「…………」
俺は勇者の傷跡を、すでに見ていなかった。彼女の柔らかそうな掌を眺めているのだと気がついたら、このゲーム世界を過度に支配したくなる。
「…………?」
――なぜ? なぜそこで、彼女の掌を眺めると、支配、と思考が繋がる?
自身の行動理念の薄さに矛盾を感じた。他に、もっともらしい理由はないのか。
ブリテンのアーサー王のようになりたいからではないのか、俺は。
「…………??」
勇者を殺す、と、行動を起こす前に、別の理由が俺に生まれている。
ふつふつと胸の内が煮えたぎり、何も考えられなくなる。
感情? いや、感情が芽生えているのはすでに知っている。
「…………????」
怒りに近いもので、哀しいものと比べても遠くはない。喜びの開放感はなく、宝石箱よりも狭い。諦めて逃げ出した時に似た楽しさが身に染みて気怠い。全ての喜怒哀楽が混じり、細かい。理性と感情が主導権を取り合って、どちらが勝ちかわからない。痛んだ肉とおなじ、臭い糸を引いていることが実感できるだけ。
「…………??????」
理性は無く、王になりたいと想うことは感情なのだろうか。
感情は無く、王になりたいと想うことは理性なのだろうか。
理性を包んでいるのが、感情なのだろうか。
感情を包んでいるのが、理性なのだろうか。
では、そのふたつが大事に守っている内面は、なんだ。
言葉も表情も備わっている生者の顔ともいえる外面とは、なんだ。
俺以外の誰かは、知っているのか。
人間ならば知っているのか。生者ならば知っているのか。
俺は勇者のように死んだ瞳をしているのか。それとも生きた瞳をしていないのか。
この違いがわからない。曖昧な生者が踏みしめた大地の凹みの尊さがわからない。
本物の、感情とはなんだ。
真実の、理性とはなんだ。
俺は、何のために生きている?
決まっている。欲望の為だ。
俺は俺で、俺の為に、私の為にも生きている。
――本当にそうなのだろうか。
行き先だけは、知っている。俺は、死に向かって最短の道を進んでいる。
今はどうだ。そのまま向かえばいいものを回り道のような、言い訳のようなものを欲している。
俺は、彼女へ言葉を発した。
「……なあ、感情とは、なんだ」
ようやく彼女は、勇者の掌から手を離した。
「まずはガウェイン。貴方は、どう思う?」
「俺は」
「わからない?」
「以前、一人で考えていた時期があった」
「本当に、一人?」
「一人だ。一人だから、答えは出た。しかし今、わからなくなってしまった」
「そう……」
――私が思うに、と、彼女は勇者の頭髪に櫛を優しく通した。それを見て、俺は偽物の歯をかみ合わせてしまった。顔面はひどく表情を魅せていて人間みたいな気もしたが、内心の喜怒哀楽は、厳密には分からなかった。表情を構成する頬などの顔面は、地面を這う虫けらのよりも、動いてはいない。
「ガウェインは、女神の神話は知っている?」
「…………」
「ん。どうしたの、泣きそうな顔をして」
「泣いていない。でも、息をしているみたいに苦しい。わけのわからない音が胸を鳴らしている。いつもひとりぼっちの、まるで雪の妖精の羽音みたいに」
「ガウェインに雪の妖精を紹介したかったな。でも、彼女は勇者様を治す方法を探しに、旅に出たの。――ねえ、ガウェイン。泣いてもいいんだよ?」
頭を撫でようとする腕を払った。表情は変わっていないはずなのに、俺の顔をまた決めつけて、彼女は微笑んだ。今の俺は、理解不能で、全く分からないものに苛まれている。それなのに、彼女に対して嫌な感じはこれっぽっちもしなくて、もどかしくて、自分が嫌になる。虐められているようなのに、そうじゃない。自分のことが嫌なのに、彼女に対して嫌と思われていないのか心配してしまう。自分自身が空気と変わらないくらいに見えなくなっていて、もはや彼女の身体に溶け込んでいる。脳回路は微笑む彼女を記憶していた。なんともいえない美しい家族の絵画よりも見惚れてしまい、その画像に吸い込まれた。彼女が勇者と手を繋いだら、金目当てで心が汚い人間としか思えなくなってしまったのに、自分の思い通りに物事が進んでいないのに、ただ静かに口を紡いで彼女の言葉を聞くことしかできなかった。
《私は知っている。言葉にできないそれは恋なのだ。どうか、わかってほしい。愛すべき人を絶対に殺さないでくれ》俺の私は、分かり切ったように言った。俺は騙されるものかと、返答した。
「ほら。隣に座って? うん。いい子だから、ね?」
俺は立ち尽くしていた。魔法使いは、樫の板を張っている温かい空間で。雪が溶けない路地裏の先、子爵の持ち家で――。ドアを開けると埃をかぶったピアノが反射して、なんとも寂しい。勇者が勇者に思えなくて――窓の風景は住宅の壁しかなく、陽が照らすというよりも影がさして明るいとは言えない。彼女は俺の手を取り、隣に座らせた。ベッドが軋み、ひどく似ていることに気がついた。
既読済みの時間を逆行したことではない。彼女の性格も顔も、似ても似つかない。人間の女であるだけだった。俺は何度も手を引かれていた。ベッドに座った自分自身が、娼婦を殺した時の俺の私の心境にそっくりそのままだった。
デジャヴの逆の心裏現象、ジャメヴ。初めてでは無いのに、初めての体験として身体がこわばる。気持ちの起伏が、殺人衝動を思い返す。「――なあ」行動理念の疑問は、すでに溶けている。胸はぽっかりと空いて、ゼラチン質の透明な冷たさが柔らかみを残す。手持ち無沙汰で何もなく、空虚と感じてしまうのに、かけがいのないほどの分からないものがぎゅうぎゅうに詰まる。
「うん?」
「――すまない。俺に教えてくれ。どうか聞かせてくれ、神話を」
彼女は、いるだけで音の立つ邪魔さが染みた勇者と俺に、笑顔をのせて物語る。「むかしむかし、あるところに――」蛾人間の姿が浮かんだ。彼は、自分の身を守るために生者を盾にした。俺も生者を盾にして、近衛兵の攻撃を防いだ。真っ赤な血は同じく、滴っていた。
どうか、教えてくれ。お前の口から、教えてくれ。
感情と家族は同じ場所に、宿るものだろうか。
俺は、一人でみつけてみせるから。
現在、お金編。




