煙のなびき
何もかも、感じない魂がほしい。
心が芽生えた勇者は、はじめて泣いた。
俺と私は、まじって鳴いた。
ゆらぐ。硝煙は、消えたいようだ。
朽ちた秋がきた。乏しい冬は殺された。
死体が増えた。兵器は尽きた。
桜木を探しに、あの日の梟は飛び立った。
手紙なんて、存在しなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
……………
…………
……
…
返り血は浴びたままだ。彼女の頭髪が赤い。それが、全身を赤くしてみたいという明白な理由だった。空が青くなりかけているのは当たり前で、白銀の冷たさを模した外気が俺に触れている。売春区は日陰であるにも関わらず、雪は気持ちよさそうに溶けかけていた。已然、温度は感じないが、在るのは分かる。雪が水へ融ける様子を記憶へぶち込むと、足まで伝う血の触感に、自身も溶けそうになる。雪かき後の山の影から、黒染みまだらのネズミが横切った。
――ああ、大好きだ。
移動速度を限界まで引き上げて首を掴み、締め上げる。そのまま、片手で持っていた瓶の蓋を口で開ける。頭へ垂らすと白煙は上がる、が、反応はなし。すぐに捨てて、瓶で圧し潰した。楽しいが、これは不必要で楽しくは無いものなのだと理解すると、彼女の顔が浮かんだ。
眼球を親指で潰してみたい。
私の肩が揺れている。頬を指で触れると、ぽっこりと盛り上がっていた。あいつは女だ。この笑顔で騙して遊ぶのはどうだろうか。
「…………」
早朝ということもあり、街全体は静かなものだった。たまに人間とすれ違うと、悲鳴で返してくるのがうっとうしい。魔法使いは、いつ来るのだろうか。武具屋の前で座った自分。律儀に居座るのは、これがどうにもしおらしい。
カタカタカタカタカタカタカタ
カタカタカタカタカタカタカタ
カタカタカタカタカタカタカタ
カタカタカタカタカタカタカタ
磨き、澄んでいるスマートな思考速度だった。住宅区へ辿り着いたが、私のように足を止めて、流れる風景に見惚れることはしなかったし、何も感じることはなかった。俺の思考は物事の要点と変わらず、夜空に輝く星座と等しい。散らばった星がひとつひとつの理屈であり、昼夜とも停止している周極星は知性を持つ者を導く指針だ。壅塞空間によって植え付けられた思考、周極星は、俺そのもの。私の思考が、身を削り心魂の作品を作る芸術家ならば、俺は、的確に物事の答えを導く者であり、目標を遂行するための最高な思考に違いなかった。
寂れた武具屋。妖精が介入した事で、違う自分の可能性が生まれ、脚本無しで歩む人生をω√と名付けたが現在、俺が歩んでいるα√でも店は閉まっていた。
一羽の小鳥が囁き、空に消えた。壅塞空間が組んだ塔型サイロ住宅の屋根に何羽も小鳥は並ぶ。高い声で、俺を小馬鹿にしているようだった。顔面を陽がゆるりと照らして、向かいの住宅の影が伸びた。
「……」
わざわざ足を止めて、俺と目が合っても悲鳴ひとつも返さない厚かましい人間がいた。逆光で全身が真っ黒だったが、影は浅葱色にくるまれて煙っている。ヴィジョンで凝らしてステータスを開けば、奇妙な人間の影を認めるといわずとも、すぐ分かった。
「……」
聖剣は無い。立ち上がり、硫酸の瓶を雪上へ投げ置いた。すぐさま年老い男に飛びかかり蹴りを放つが、男はわざと転び、難を逃れた。
「――蛾人間より、化けるのが下手くそだな」
「…………」
爺に化けた上級魔族は、誰かが通報したのか駆け付けた伯爵の近衛兵を見ても、何食わぬ顔をする。
「離れてください、ご老体。貴様、その血はなんだ!」
「――見て分かるだろう。俺は人間だ。この爺は魔族だ。敵視する相手を間違えるな」
「わ、私は人間だあー。魔族じゃないよお。ふええん……な、模様」
近衛兵を押しのけた。住宅区中央にそびえ建つ人間の伯爵邸へ向けて、爺を首から持ちあげた。
「人間ならば、その鬱陶しい口から内臓を吐き、死ねるよなあ」
「うあうあー……やばいっすー……じゃない。やーめーてーくーれー。ぜったいぜつめい、な……模様」
「近衛兵、聞け。俺の返り血は、すべて魔族の血だ。魔族も人間も血は流れる。同じものじゃないか」
近衛兵は勇気を振り絞り、叫び声と共に俺に斬りかかるが、爺の背を盾にした。傷口はまさしく稲妻で、滴る血の色は赤色だった。近衛兵の力は抜けて、スチールソードが転がった。近衛兵は俺が押しのけたこともあって、日陰に居る。鎧と剣の、煌びやかな輝きを飲みこんだ存在は、決して許さず、光らせはしない。
爺を投げ捨てた。わざとらしく痙攣する身体に呆然としたのか、群衆は静かになる。――群衆をかき分け、深紅の髪をなびかせた魔法使い。俺の私が気に入っているお前は、近衛兵の背に優しく触れた。
「気に病まないで。この人が言っていることは、本当。どんな魔族でも、人間とは影が違うの。まずは魔族の掃討を」
しわだらけの人間の皮膚は、いえば彫刻。血液すら模造している、ただの真っ赤な嘘っぱち。神が光、魔族が影に潜む闇、魔族は影に嘘はつけない。俺の影は、外見で光を遮り姿を黒く模しただけのものだった。爺の影の顔に穴が空き、広がる。そうして、そのまま笑った。俺は人間として行動できる事が楽しかった。
「魔法使い、お前はそこで寝てろ。お前のベッドは汚ねえ雪だろ。後で相手をしてやる」
と、寝巻き姿の魔法使いへ、この言葉を贈ろうと考えていたが止めた。
「――ああ。お前が、石像鬼だったか」
魔法使いの額に、これで二発目となる銀の弾丸を放った。左腕は反動で回転し、元に戻る。硝煙は揺れ、更に静まり返る群衆。過去へ戻り正解だったと、触覚が頬の笑みを刺激した。彼女は着弾の衝撃にびくともせず、首すら折れない。頭蓋をはじき飛ばすことをしなかった弾丸はへしゃげ、溶けかけた雪へかさりと落ちた。魔法使いはにたりと笑り、鼻筋が垂れて伸びる。犬面の身体は、人間の男の二倍ほどだった。背筋を冷たくさせるよう群衆に離れろと叫んで、裏でにやける。
「何故、わかった?」
「好きだからだろ」
魔法使いは、背の高い塔型サイロの日陰で影を馴染ませ、近衛兵に声をかけた。それよりも、魔法使いの服装がローブであり、ヴィジョンで凝らしてステータスを開かずとも、すぐ分かった。石像鬼は、俺が裏切っていると決めつけているのか、話を聞く耳を持っていないのか知らないが、痛めつけようと鋭い爪を乱暴に振るった。上半身、上腕の関節の動きをまるまま、獣でしかない下半身の体重移動から軌道を予測する。上体を逸らして難なく避けた。繰り出される爪を幾度か避けると、空を斬った音が馬鹿みたいで、大変気持ち良いものだった。
「ん」
ぱあ、と、日陰が紫の光で消えた。飛来した光の矢が、私の一歩先の地面へ突き刺さり、機械語の青文字と共に霞んで消えた。動きを止め、ヴィジョンに飛来射線を表示させて発射先を追った。
「ふええ、人間はただの真っ赤な水袋な模様。あたしは化けるのは苦手な模様。しかし、してやったりな模様。えっへんな模様!」
「お前か。射程距離を保つための移動は見事なものだな、弓兵長」
サイロの屋根から魔矢を放った先ほどの爺は、ダークエルフであった。巨人、瀑布の霧の如し。彼女は小柄で線が細い。しかし、淫靡な紫の魔力がちりじりと溢れて、もはや太くなっている。どこから引き出したのか、弦無しの魔弓は鹿の角よりも複雑で、宝石が散らばっている。彼女のえくぼと幼い唇、身体を包み込んでいる紫色が相まり、年齢を超えて艶っぽい。
「喧嘩いくない模様。だから、びっくり優しい足止めな模様。二射目は、その汚い笑顔へ当てる模様。命令だから仕方ない模様。話、ある、ない……どっちな模様?」
「無い。魔王に言っておけ、俺の邪魔をするなと」
「ん。そうか。そうか。でも、悩む模様。何を考えている模様? ねえ、あたしの事が嫌いな石像鬼。大聖剣は何故か無い模様。あたしは首を絞められて地味に痛かった模様。でも好きだから我慢する模様。あたしを殺せと遠回しに言ったてめえには我慢できない模様。やはり神々の武器が欲しい模様? てめえの嫉妬は、浅くて汚い真似事無様な彫刻模様。蛾人間の嫉妬のが、きらきらな模様。もはや、てめえを的としたい模様、紋紋」
ガーゴイルは言う。
「なあ嬢ちゃん、赤裸々に言わないでくれ。頭が弱すぎて、もはや辛い。だから私ひとりで行くと言ったんだ」
「おまいう、な模様。あたしはてめえにプンスカピー継続状態な模様。親友を心配して何が悪い模様。やってられるか糞模様」
――親友、か。α√の道しるべは、親友を尊重することを記述されていない。
『人間も魔族も、邪魔な者をすべて殺した終末』
これが、理系思考の俺に刻まれたストーリーと呼べないストーリー。壅塞空間の開発者が描いた俺の使命であり、物語を計算式に置き替えた時の、唯一の回答文だった。視界ヴィジョンにルチルの姿が映った。彼女は首を横に振り、哀しそうにこちらを眺めて、何も言わなかった。褐色の肌の、幼いダークエルフは屋根の上で地団駄をして可愛らしく怒っていた。それは安易に懐へ近づくことの出来る、隙でしかない。俺は移動速度を限界まで固有スキルで引き上げて、駆けた。そうして、そのまま地団駄する足に終止符を打つため、下っ腹を殴った。彼女の顔は苦痛の表情では無く、疑問に満ちていた。「なぜ、親友であるあたしを本気で殴るのか。蛾人間と、交わした三人の約束を忘れたのか」などと、言葉になってはいなかった。軟な肌を貫き、内臓をこねくり回し、背骨を掴んで引き抜いた白銀の手甲からは、液化した苦渋の嗚咽であっても、その言葉は響いた。
「…………」
最後。親友だった彼女は更に、何か、を呟いたが、俺は目を逸らして聞かなかった。詠唱サークルが廻り、魔力を磨く金属音が聞こえた。「…………」本物の、ネグリジェ姿の魔法使いが石像鬼と対峙している。ダークエルフの血は屋根から道端へと流れ、俺の足まで濡らした。これは偶然か。先ほど吐いた嘘の通りに人間と同じ色合いだった。初めて眺めた親友の臓器すら、その彩に染まっていた。
カタカタカタカタカタカタカタ
カタカタカタカタカタカタカタ
カタカタカタカタカタカタカタ
カタカタカタカタカタカタカタ
魔法使いか、それとも石像鬼か、はたまたここで両方殺めるか。脚本通りに、最善に遂行するにはどちらが良いか考えた。魔法使いがω√で石像鬼をバラバラにしたように、この場の魔族は劣勢となるのだろうか。魔法使いの頭上の詠唱サークルをまじまじと見下した。深紅の輪を持つ天使、か。天使とは、大変曖昧な言葉であり、主観的で嫌気が刺した。
重力に引かれ、地面へずり落ちようとする臓器に気が付くと、こちらも深紅。俺は赤色にしか興味を示さないのかと、自然に苦笑するが――やさしく腸に包まれた魔弓が消えかけていた。矢は木でも鉄の矢でもなかった。これは魂と同化させ、具現化する魔法武具の類なのだろうか。「…………」石像鬼は、羽根を生やして予定通り上空へ飛ぶが、そのまま身体を熱線で裂かれた。「…………」弓を拾い、笑顔を作って屋根から飛び降りた。
「――なあ、俺を勇者の仲間に入れてくれよ」
俺の表情に眉一つも動かさず、彼女は静かに言った。
「――何故、私が勇者の仲間だと?」
「ただのファンだよ」
煙にまいた。彼女はただの低級魔族討伐の傭兵かもしれない。しかし、彼女の頭髪は鮮やかな色彩を持っている。すなわち貴族であり、勇者と共に伯爵に選ばれる。壅塞空間に点々と、オブジェクト配置している神々の武具を集めている彼女達は、NPCの有名人でしかない。
「勇者の仲間になることは、俺の夢なんだ。魔王討伐の戦力にはなるぜ?」
人間は、夢、と口に出すと節介する。しかし、必ずしも節操を守ることはしない。夢は叶わぬものだからこそ決めつけ悲観し、心の底では馬鹿にする。本当は冷たいが、ひどく温かい心を持っていると錯覚させたいからと他者を操作するものが人情だ。もはや、回路の底からくだらない。
「血まみれで笑顔の貴方は何かおかしいと、思うのが普通でしょう」
「召使いが洗濯板でね、勝手に動いてくれないんだ。では、これはいらないか」
先ほどまで、消えかけていた魔弓は不思議と姿形を整えていた。
「……これは」
「弓に覚えがある者へ、どうかな」
「私は騒ぎで駆けつけただけなの。私が決める事はできない。せめて、子爵様へ報告しないと」
「君から言ってはくれないか」
「言いはするわ、期待しないでね」
「ああ、それだけでもいい。よろしく頼む」
彼女は俺の鎧をじっと見て、目を細めた。
「――ねえ、大聖剣が無くなったのだけれど、貴方は何か知らない?」
「ほう。それはまた一大事だ」
「何か知っていれば、私でなくてもいい。子爵様に伝えを」
「ああ、わかったよ。他に力になれることはないか?」
「特にないわ。君から、何か言いたいことはある?」
「そうだな……」
「――お金、魔族討伐の報酬のことについて聞かないの?」
「報酬は、金、か……」
「何か、不満が?」
「別に」
「……では、何?」
金は、汚い。話を続けたくはなかった。
人間と同じ稼働角度で首を上げる。空の色は気にならなかった。
「今日は、よくわからない空の色をしているな」
「まともな心を持っていれば、どんな空でも綺麗よ」
彼女は少しだけ笑み、俺の髪を眺めた。
「すぐ戻るわ、またね。十年前に途絶えたはずの、雷の女神派の子供騎士」
「……君も、子供だろう。どうせ、戦争孤児で大人の為に死ぬだけの人形なのだろう?」
「…………」
彼女は俺の言葉を無視して去った。魔族が現れる十年前の戦争で途絶えた、俺の遺伝している頭髪。開発者の壅塞空間の世界設定として、戦争へ繰り出された各宗派の教会騎士に限り、貴族しかいない。俺の貴族の証は、魔法は使えないし、非通常が生んだ、ただの形に過ぎない。俺には家族などいなくて、ただの脚本の登場人物。もはや、どうでもよかった。
ふと、視線を感じて振り返ると近衛兵が呆然と俺を見ていた。ステータスを確認してみると《混乱》していた。首の骨が折れない程度に頬を殴り、目を覚まさせた。そうして、俺は血まみれの鎧を魅せつけるように見下した。
「か弱い者は、盾にされて死ぬ。そんなときもあるさ。わかるか」
強くなりたい、とぼそりと呟いた近衛兵へ「お前には無理だ」と返して武具屋の前に座りこんだ。
「…………」
頬が裂ける顔の動きが気持ち良い。これは仲間となった時の祝杯だ。硫酸の瓶を拾い上げて大事に抱いた。ようやく、野次馬の群衆はまばらになる。血塗れの俺と目が合っても下を向くばかりで、強く反応しなくなった。
カタカタカタカタカタカタカタ
カタカタカタカタカタカタカタ
カタカタカタカタカタカタカタ
カタカタカタカタカタカタカタ
亡くなったNPC。魔族のダークエルフの身体を、人間の清掃屋が拾う姿を眺めた。
透明に、ゆらぐ。空気に馴染んでいるのか、馴染んでいないのか分からない。消えない煙のようで、今の俺は無表情だとわかった。




