また会えるから
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整理、する。というより、したい。
私は、不思議と格別な気持ちなのだ。熱線魔法の発射された位置を住宅区と推測し、私はぺちゃくちゃ喋る妖精を連れて走った。住宅区は、先ほどの上位魔族の騒ぎはすでに静まっている。寂れ、扉が閉まった武具屋の前で、私は……。《――何故、殺さないのですか》理系思考が、言う。私は、女魔法使いが子供たちに囲まれている姿を、棒のように立ち尽くし眺めていた。何故、彼女を殺さないのだろうか。黙ってそのまま、首筋を掻っ切れば、良いはずなのに、何故?
理系思考の言葉に、返答出来ない。
ふわり。妖精が肩へ乗り、「――ねえ、あの猫を被っている熱血魔法使いがどうかしたの」と、あたかも知っているように言うものだから、動けない自分の状況を明白に知りたくて「彼女は、勇者の仲間なのだ」と答えた。妖精の彼女は興味があったのか考えた後に、目を輝かせて「そんなの一方的に私は知っているけれど、なるほど。だから、うじうじしているのね。頑張りなさいよ」私の肩を叩く。
「私は、私の仲間のために彼女を殺さねばならない。しかし、彼女は高貴な人間だった」
妖精の彼女は「それだけなの?」と嫌らしい顔つきで何度も何度も指で頬を突いてきたが、すぐにがっくりとした。
「なんだ。別にそんなことはなかったのね。ええと、君の仲間の為なのでしょう。だったら、彼女を殺さないといけないね」
「本当に、それでいいのだろうか」
「人殺しは嫌いだから、やめて」
「君は、殺し以外の答えを知っているのだろうか。きっと私は、それ以外の答えを探しているからこそ、動けないのだ」
「ううん。そういう出会いも、あるかもしれないね。出会いは、特に大事だから、とりあえず挨拶してみたらどう?」
「なぜ」
「楽し……違う。いいから、私のいう事を聞いて。君を悩ませている理由が、見つかるかもしれないよ」
「たしかに、そうかもしれない。だが」
「うるさい。君は、私に相談したじゃない。私のいうことを聞きなさいよ」
妖精の彼女は、まるで民を導く王のように思えた。
「私は君のいうことを聞いて、身体が動かない理由が――勝手に身体が動いてしまう理由が、その答えがわかるのだろうか」
「ああ……うん。見つかる、見つかる。絶対に見つかるわ」
「そうか、感謝する」
「感謝は、見つけた時にでもいいわよ。まず『好きです』って、いきなり告白してみて。湖のほとりで告白するようなロマンティックな感じで。それだけで向こうからすれば、気になる存在になるわ」
「いや。私は、彼女の何が好きかわからない」
「いや。あの娘の高貴なところが、好きなのでしょう?」
「そう言われてみれば、たしかにそうだが、いきなり言ってしまっては、勘違いされるのではないだろうか」
「あのさ、好きって気持ちを舐めないで欲しいわ」
「どうも君は、短絡な気がする」
「いやいや、こんなものよ。感情が制する世界は、複雑が二割、単純が五割で出来ているからね」
「残りの三割はなんなのだ」
「女」
「男は、どこへ行ってしまったのだろうか」
「単純な五割の方に混じっているわ」
「なぜ、女は混じっていないのだ」
「子供ね」
「そうか」
魔法使いは子供達に手を振り、歩き出した。どこへ行くのだろうか。
「ねえ、聞いてる? 表情が無いから、全然わからない。足を止めている理由は、只の感情でしょう。止めてはならないわ」
「私は、その感情で足が止まっているのだ。その感情がわからないのだ」
「わからないのならば、私に聞けばいい。君は一人では何もできない人にしか見えないわ」
「では、何と彼女に言えばいい?」
「『前世から好きでした。愛しています。特に高貴なところが』これでばっちりね」
「了解した」
妖精の彼女は、本当に不思議だった。彼女の言う事を、素直に聞いている意味がわからない。妖精の事を考えながら、視界ヴィジョンに彼女の背中をマーキングして走る。彼女の肩を片手でつかんで――「きゃっ!?」ぐるん、と無理やり向かせる。
「前世から、好きだった。愛している。特に高貴なところがな」
「ええ、と。あなたは、誰?」
好都合だ。私は何も言えず彼女の両肩に、ぽん、と手を置いた。「え?」そう、つまり――妖精は私と勇者しか姿が見えないのだ。
「……(なあ、どうすればいい)」
私の声は、妖精にしか聞こえないよう小声である。魔法使いと、顔が近い。吐息が妙にかかる。彼女の瞳は、頭髪と同じよう深紅であった。私の小声が届く顔の近さであるが大丈夫だろう。妖精は、私の耳元でわざわざ囁いた。
「(通りすがりの騎士です)」
私は、彼女の言う通りにする。
「通りすがりの騎士だ」
「……ええと」
魔法使いは、目を泳がせた。肩はひどく柔らかい。握り潰してしまわないように、力を微調節する――弱く――強く――弱く――強く――このくらいか。ああ、彼女をやさしく揉んでいるようだ。
「……(次は)」
「(素敵な服ですね。お似合いです)」
「素敵な服だ。とても似合う」
「寝巻き、だけど……」
よくよく見てみると、彼女は真っ白なネグリジェで寒そうだ。
辺りの雪と同化しているように思える。
ああ、これは木の実熊か。
胸部に張られていた可愛らしい動物のアップリケを凝視し続けた。まんまるで、ふくよかにデフォルメされている。目元をハの字にして歪んでいるのは胸が大きいからであり、それがどうにも残念だった。私は会話をしていたのだと我に返り、目線をきちんと彼女に合わせた。
「……(何故か、怒っているように思える)」
「(あっはっは! 寝巻きとは、前世から知っていたさ。私は全てを知っている!)」
「ふふふ。寝巻きとは、前世から知っているのだ。私は全てを知っているのだ」
「…………」
彼女は、泥沼に落ちたようだった。
薄い唇が震えていたが、えくぼを無理やり形成している。
「……(これは、困っているように思える)」
「(それは、君が微妙に言葉を変えているからでしょ? 私の言葉は、繊細なのに)」
「私の言葉は、繊細なのだ」
「そうですか」
肩が震えている。私の身体と連動し、私まで震えてしまいそうだ。
花車な肩から、左腕部を見た。長袖だったが手首から艶やかで色白の肌がちらりと瞬く。彼女は、ゆっくりと拳を作りはじめた。握りしめた音こそ聴こえないが、ゴブリンの内臓をえぐり出す擬音の凄みは白銀の肌からでも、まるで、伝わる。
「……(何故、拳を作っているのだろうか)」
「(あーもう! 知らない! 自分で何とかしなさいよ!)」
私は、彼女の肩から手を離した。
ゆっくりと空を見上げたが、当然ながら言葉は浮かばなかった。
「すまない。今日の空は、よくわからない色をしているな」
炎魔法使いの彼女は、すでに後ろを向いて歩き出そうとしていた。
「待ってくれ」
かつん。彼女の真っ赤な靴が、雪で濡れた黒い道から音を奏でた。私の言葉が、彼女の足を引き止めてくれたのだろうか。風が、彼女の深紅の髪を散らしたものだから、整えるためにしょうがなく足を止めたのか、定かでなかった。
「今の私は、子供と戯れる君を見て、何と言ったらいいのか分からなくなってしまった。だが、君は高貴であることに違いないのだ。ひとつ言わなければならないとすれば、私は――」
非礼は天に詫びた。
謝罪の言葉は、もういらないはずだ。
私たちは、敵同士なのだから。
「――君の事を尊敬している。悪くない」
彼女は振り向かず、そのまま走り去った。
私は、ひとりになった。
「…………」
「ねえ、君って天然なの?」
いいや、違う。私は、もうひとりではないのだ。
「感謝する」
「何が?」
「君といたら、ひどく清々しい気分になる」
「それは恋について、何かが、わかること?」
「それについてはわからない。しかし私の中の感情が何か、他のモノになっている気がするのだ。明らかに今までの私と違うと分かる。だから私は感謝する。こういう時は、なんと言ったか」
「……」
「ああ――ありがとう、だ。懐かしく感じるこれはきっと、私の奥底にある仲間意識に繋がっている。私は、君を友人と思っているのだ」
妖精は無表情で「どういたしまして」と言った後に、時間をかけて「――今、わかった。本当に、君は君を知らないのね。だから一生、答えは出ない。だからどうか、私の質問に答えてほしい」と、小さい身体を私の鼻先に移動させて、私と同じ背丈と思わせるくらいに、目線を力強く合わせた。
「君は人間では無いのよね。だとしたら、君は魔族? あの魔法使いは、魔族からすると残忍な人殺しよ。何故、そのことについて、一言も触れていないの?」
彼女は、そのまま無表情で言ったのだ。
「君の目標。もし、勇者をうまく殺めたら、どうするつもり?」
「…………」
「魔族に対して何も思っていないのならばそれでいい。だとすれば君は人間側なの? 勇者は一応、人間よ。君は人間のことを、どう思っているの?」
「――私は、ひとりで無くなったのだ。君と一緒に、その謎を解明すればいいではないか」
今の私は――。
「私は今、『楽しい』のだ。もちろん、それは君がいるからだ。ありがとう」
妖精は、魔法使いと全く同じ行動を取っていた。肩が震えて、そのまま掌を拳に変えていた。
「君はもっと真剣に自分の事を考えないの?」
「考えているではないか。今の私は、楽しいのだ」
「それは、考えているとは言えないよ。その日、その時、その場の会話で、安易に言葉を添わせて、捕まえて、なぞっているだけ」
「それはいけないこと、なのだろうか」
「今の君はコンピューターが、決められた数値を計算するために能動して、それをのうのうと眺めて、変化していると思いこんでいる画面越しの人みたい。とても人間らしくて、ダメなことではない。でも、魂は違うの。そんな曖昧な考えは、もはや魂じゃないよ」
「…………私は」
「君は私と一緒にいても、きっと駄目になる。私は、ゲームプレイヤーを導くナビゲーターNPC。私の理系思考を扱って、君を活かしてあげる。どうか、本当の自分を見つけることが出来る選択肢を選んで」
「……全く意味が、わからない。何を」
「すぐにわかるわ。この世界は、違う次元として、作られた世界。本当の、本物の、現実の時間の流れを複製して、一秒を一秒だと認識している。この世界の時間の概念は、つまり絶対ではない。他者の時間に合わせず、早く動くこともできれば、自分だけ時間を止めることのできる機能があるの」
「だから、何を」
「おねがい。最後まで聞いて。君の魂に、私の声をどうか届けて。現実の世界では、自分が過去に思ったことを口に出して、映像や音声、テキストファイルとして記録するか、紙に書いて残しておかないと駄目だけれど、嘘の記憶まで書けてしまう。輪廻機構の履歴の閲覧によって、崇高な魂を持っていると判断された者は、心理状況を記録し最善の未来を助言してくれる。これは不可能であった過去の心理状況を嘘では無く、まがいもない真実を、事細かに再生することが可能な代物。過去を既読済みとして、素早く振り返ることが出来る監視ツールなのよ。言ったかもしれないけれど、これを破る為には、自分を陥れて耐えるしかない。いずれ崇高な魂はこの世界と固着し、特別に装飾された人形、魔族からするとゲームの中ボスみたいになってしまう。人間からするとイベントフラグを持っている村人か、さっきの魔法使い。勇者の仲間NPCみたいに世界と馴染む」
「そもそも私には、本当に感情も、魂があるのかわからないのだ」
「ううん、私は信じる。君にはある。絶対にある。何もおかしいことはない。君は、寂しい私に話しかけてくれた。その時点で、感情はあるわ。ブリテンのアーサー王のような崇高な魂ではなくても、魂は魂。輪廻機構に魂は囚われているが、英雄は、はじめから英雄ではない。鶏が先か、卵が先か、と考えが止まってしまうのでは無く、コウノトリが赤子を届けてくれたファンタジーと同じと考えて。これは戦争で使われる重火器の一撃と変わらない力を持っているの。サンタを信じ続けなければ夢は続かず、ただの欲望が欲した報酬すら存在しなくなり破綻する。すなわち、誰にでも自分らしい誰かの英雄になれるの。自分にしか言語化出来ないファンタジーを、本当の嘘を、虚勢の鎧を身に着けてほしい」
「…………」
「きっと、君は私を狂っていると思うでしょうね。でも、私は私の夢を捨てないよ。君が、ただ黙っているのならば、とことん言わせてもらう。私はいつまでも黙っている善人じゃない。君は自分自身を賢者と、私を愚者と思っていい。私はね、勇者の為に時間属性の固有スキルを保有している事となっているの。制限はあるけれど、過去を知りながら戻す事が出来る。未来へのスキップ機能は過去の行動で分岐するから、不可能だけどね。この世界は、時間を止めることも、進めることも、過去の心理状況すら、目に見えぬ本心を言語化、更には脳にうつった視覚映像を、記憶媒体と直結して事細かに流れる時間に基づき、記録をしている。これだけで、三次元の時間概念を複製しているからこそ可能であり、この世界は擬似的な四次元空間を構築していることの証明となるでしょ? これはね――」
彼女は、雲一つないからっぽの空に浮かんだ、孤独な太陽を指さした。
「――ナビゲーターとは違う、本来の自分を知って呪縛が解けたからなの。えへへ、すごいでしょう?」
そのまま私の顔に指を下す。彼女は、蜻蛉の羽根を羽ばたかせ光の粉を散らし続けた。希望に満ちた浅はかな少女と、深さを保つ穏やかな老婆が混じる、まるで天使、と形容しても良い。誰もが妬む笑顔で、不器用につづけたのだ。
「私は作られた舞台の中で、自分の人生を、最善、と、計算してしまう強制執行権には行使されない。私を止めることが出来るのは、私だけ。私はね、湖の騎士ランスロットと恋をして、二人とも無様に死んだと、世間に言われていたのが悔しかっただけ。わかる? 私も彼も、そんな安い人間じゃない。この世界で前世と似通った結末の運命を破りたかっただけ。もう、恋をしたくないだけ。理解し合える互いの気持ちの本心を知りたかっただけ。ただ単純に、もう後悔はしたくないと思っただけ。ただ、それだけ」
彼女の身体から、光がほとばしる。視界ヴィジョンにスキル発動、ターゲットにされたと、画面は赤く点滅しアラートが響いた。見惚れたのだろうか。私はただ、彼女が狂ったとしか思えなくて、どうすればいいかわからなかった。
「君が開発者に設定されている重要なNPCなら、君向けに作られた最適な理系思考が宿っているはず。此処は、偶然である運命を、物語として必然に作られた世界なのだから。私から見て、君はイレギュラー。君を送り込んだ誰かの、君にしか分からない理系思考の首根っこを掴んでいる者が、絶対にいる。私は、開発初期メンバーが当たり前に存在するからと作られた。せめて今は、苦しくてもたった一人だけで悩んでほしい。曖昧な君は、きっと世界を変える力を持つ英雄では無い。苦しみの先に、自分らしい答えがあるはずよ。自分らしい答えを出したことがあるのならば、悩んだことを、絶対に忘れないでほしい」
私の手が、消え始めていた。
「君の選択肢――運命の分岐点が見つかった。硫酸で自殺した娼婦NPC――生前の彼女は「テオドラ」という東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス一世の皇后。娼婦から皇后に成り上がった彼女は『帝衣は最高の死装束である』と信じ、国を救った。でも、輪廻している記憶を取り戻す一歩手前で、理系思考の強制執行権に逆らい、耐えられなくなった。そのまま死装束と見立てた服を捨てて、自死を選んだ。悩み苦しんでいた彼女に対して、抱きしめた君の行動が、私を引き寄せるきっかけとなった。この時間軸は、私にとって天国だ。私は人殺しの君でも、恋を知ろうしていたから、友達になれると信じた。無理だろうから言うよ。また、私に会いに来てほしい。祈るだけの、自分は無力なのだと背丈を分かってしまった私に、また不器用に話しかけてほしい。どうか勇者と魔王の争いを止めようと、動いてほしい。魂の無い勇者でも、魔王でもなく。私は友達になれそうな君といっしょに、知っている人達だけを、背一杯の愛で救いたい。だからどうか、勇者側のNPCとして祈らせて下さい。今はまだ、雪のように溶けやすく、視野が狭い君へ、壮大な心の花束を贈る。機械の自分を操ってください」
彼女は黙っている私に対して、たったひとりで叫んでいた。あどけない瞳に涙が溜まり、ようやく落ちた。ぽろぽろとこぼれる涙は霰と同じもので、地面へ達する前に凍っていた。大地に溶け、染みてはいない。涙はころころと転がるが、行き交う人々は誰一人として、彼女が見えない。私は、涙を受け止めるために指を動かしたのだとはっきりわかった。
「同情はいらないよ。私はひとりぼっちの狂人のままでいい。私は、単純じゃないの。繊細で、複雑以上に複雑なの。だから、ごめんね。自分の探求心のために、心が恋で溶けて消えないために、ひとりで探すよ。魂が無いのに動いている君以下の勇者へ、感情を伝えるために真実をみつけてみせる」
視界は、白く溶けた。私の白銀の身体と色は似ていた。どれほど心が痛んでいるのか分かるくらいの、恍惚感に包まれた。




