初恋を探す、友達
理系思考は、世界地図を視界にうつして、現在位置を教えてくれた。
それが勇者の位置を正確に把握するきっかけになると、曖昧に答えだけを言った。
かたかたかたかたかたかたかた
かたかたかたかたかたかたかた
かたかたかたかたかたかたかた
ただ、それだけ。
――此処は、陸地で一番、北の国だ。ただそれだけ。
――此処は、春を知らない白い街だ。ただそれだけ。
――此処は、王の墓標を死者が怨みつづける黒い街だ。ただそれだけ。
――此処は、魔導水道管が至るところに根強く蔓延るただの街。ただそれだけ。
私は娼婦が死に、自由に動けるという淡い解放感に溺れる。理系思考は、世界地図から街の見取り図を広げたが、今の私にとって、どうでもよいことだった。街は建築家の魂が宿っている。それを、愛、とでもいうのだろうか。
「…………」
私は、愛を――私は、恋を知りたいのだ。わかるか。今の私は、窮屈なのだ。考えなければならないのだ。わかるか。娼婦の痙攣が止まり、部屋は静かだった。呆然と、街の見取り図を眺めていると、ランプの火が、ゆっくり消えた。
「…………闇」
私は、苦笑した。
きっと娼婦の顔はうつぶせで、切ない顔は床にだけ魅せているはずだ。
きっと化粧台の鏡は、私を映しているが、私の顔は已然、消えているはずだ。
かたかたかたかたかたかたかた
かたかたかたかたかたかたかた
かたかたかたかたかたかたかた
かたかたかたかたかたかたかた
かたかたかたかたかたかたかた
かたかたかたかたかたかたかた
魂の削りかすみたいだ。私は、気化した娼婦を身体で斬るよう立ち上がった。
暗視装置など、作動させたく無かった。そのまま、宿屋を建てた者の魂――愛を、感じてみたいと、木製の壁に触れた。壁へ触れる前に、ふたつだけ踏んだモノがあった。ひとつは、毛布に隠れる死んだ蛾だ。蛾は、ぷちりと、気持ち良い音だった。もうひとつは、娼婦の掌。こちらは蛾のように気持ち良い音は鳴らなかった。雪とは違う、まるで食べ物だ。生きているモノの柔らかさが、足裏にこびりついた。娼婦を踏んだことを、平然と無視すると思ったが、違った。思考回路に「ごめんなさい」と呟く私が、いたのだ。私は私がわからなくて、肩が揺れた。「うう。うう。うう……」――声帯が、遊んでいる。感情に囚われ鳴いている。これはランプが消えて暗闇となった部屋そのものであり、今の私にとって自然な行動と思うしかなかった。
「…………」
ああ。ああ。ああ。相変わらず、温度はわからない。木製の壁の温度がわからない。
「恋なんて、私は知らない。わからないのだ」
恋とは、ただの生殖行動のはじまりの、汚らしい性欲に過ぎない。
しかし蛾人間が、性欲からか、私にキスをしようとした。
私にはわからない『何か』を与えようとしてくれた。
あの時『何か』を、私は得ることができたかもしれない。
「…………」
触れた壁から、楽しそうな喘ぎ声が聞こえてきた。
「…………」
――魔族が、神々に恋して、人間を産んだ。
――神々が、魔族を愛して、人間を産んだ。
「…………」
――魔族が、神々に近づくために、人間を利用した。
――神々が、魔族を守るために、人間を利用した。
「…………」
それが、人間が有する善人と悪人の違いだ。神々が産んだ人間は善人であり、魔族が産んだ人間は悪人である。神々が産んだ人間のみで交配され、純血として生きるものが、色鮮やかな頭髪を持った貴族や王族。それが教会の教えであり、人間の、善悪を決める概念である。人間は、悪人も善人も、貴族も王族も、性別すら関係なく、無作為に恋をする。そういった、きちんと善悪が決まっているのであれば、人間は皆、自分自身の、都合が良い者と恋に落ちたいと思うのではないか。私は、木製の壁を見つめて、愛でた。
「愛、恋、愛情とはきっと――美しいと惚れ込み、造り上げた物にも宿るはずだ。私は今、魂と触れているはずなのだ。血と汗で作り上げた人間の愛情の結晶なるものに」
魂は、歴史みたいなものだろう。魂は、建物や都市に濃く宿るはずなのだ。それは、人々が平凡な日々をたくさん刻みこめるよう頑丈に作るからだ。山のようにどっしり構えて――そのまま、傷や染みが、歴史として描かれる。すなわち、魂、と似たものとなる。たったひとつの、想い……たとえ、それが物だとしても、はたまた些細な事象だとしても、この世は輪を描き廻る。裏も表もある駒のゲームの、両面の行動はまるで一緒だと握手をしている。すなわち『全て』は必然として存在し、繋がっている。だからなおさら、建物を作った者の本心、愛情が深く感じられるのだと、私は思う。しかし、いくら愛でて考えても……私が求める答えと、毛色が違う気がしてならない。「…………」壁から手を離すと、ぴいん、ぴいん、と、羽音が聴こえてきた。青色の光が、寂しい私に言う。
また人間を殺したの。君は、馬鹿で悲しいね。
隣の部屋の男女の喘ぎ声が、下品な笑い声に変わった。「恋とは、なんだ」と、雪の妖精に質問する。彼女は、私もそれが知りたい、と答えた。部屋は、回路へ意識が流れ込んだよう、騒がしくなった。光の粉を振り撒きながら、私の頭のまわりを何周もし、私はね、恋なんてしたくないの。恋をしたら、身体は溶けて消えるように出来ているからね。恋を思いきり知らんぷりするために、恋には触れず、真実を知らなければならないの。だから一緒に、恋を探してくれないかな。――真正面から無垢な笑顔で、私に手を差し出して――小さい彼女は、ぼうっと、輝き続けた。
手に、触れた。私は妖精の小さい掌に吸い込まれたのだ。すう、と、無表情の顔が鏡にうつった。私の代わりにルチルが背後で笑む。娼婦は動かず、床を舐める――ああ。私の淡く青い影が飲み込んで、哀れな姿の赤い血が見えない。ああ。ああ。交尾をするだけの暗い部屋は、妖精の明かりで一番星を抱えた夜空だ。鏡の世界は、穏やかなのだ。わかるか。なあ、わかるか。




