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殺戮機械の英雄譚  作者: 網田めい
“死体に埋もれた勇者の唾”
15/26

消去のゆらめき、余韻の糸屑

 街灯が無く、くたびれた階段を下った。氷が(まだら)に散らばり、身体がかさぶたを張っていた。指で弾いて飛ばす。ひびが入る間もなく、ぱらりとまとまって落ちた。幽かに、きん、と響いた音色は白色の氷にぴったりだ。洗い損ねた少女の返り血は水を浴びて流れたのだと、氷の模様で理解する。気温は、少女を殺めた時よりも寒いのだろうか。


 ざ。


 視界が吹雪いて、すぐ晴れた。眼球に針を刺され、するりと抜いた途端に、網膜が再生するくらいのホワイトインアウト――めまいがする、と言うべきか。理系思考(オート)に切り替えた影響で、六十()を一()とする通常の時流に乗れていない事に違和を覚えている。足音が聞こえるのに、誰もいない。隠れるための物陰もすらない。スポットライトを当てられている素舞台だ。第三者の視線で頭を撫でられて、息が詰まる。そういった、まるで飼われている鳥の心境に近い。窮屈な情の揺らめきを、初めて体感した。


 勇者に罪を転嫁するため、外套は置いてきた。それ以外の忘れ物なんてないはずなのに、私は振り向いた。丘のてっぺんは、闇に飲まれて見えない。少女が住んでいた家は、別荘だったのか。はたまた、少女を健全に育てたいがため、離れに建てただろうか。


「…………」


 道はくたびれた階段から、とぼしい歩道となる。砂漠色した石壁はすり減って、角が丸い。鉄格子の窓の宿屋がずらりと並んでいる。私は立ち止まらず歩いた。

 人間の魔力を充填させている街灯の足元は、彩度が強く毒々しい。積雪を淫らな桃色に変えていた。新雪の表面を風が削った。しんしんと降りてくる雪と混じる。風にも、街灯にも煽られて、白色と桃色を行き来する粉雪の姿は、うぶな少年の赤面そのものだ。いかにも売春区らしい雰囲気に虫唾が走る。私は、自然と早足になった。桃色に照らされている建物を視界に入れたくは無い。私は、私の為に、考えながら歩くことにした。


「…………ん」


 私は今、息が詰まっている。これは大聖剣の宿っている神を、雷の女神(ルチル)、と知ったからだろうか。

 濃縮し排除された、部分々々の記憶。知識ブロックの一部が更新されている。記憶、知識のゴミ箱の管理は理系思考(オート)のテリトリーだ。更新とは、真実を今の状況に合わせた最善へ塗り替えるということ。時には天地がひっくり返るほどの衝撃があるはずである。それで窮屈と感じているのだろう。


「…………」


 重要なことだけを抜き出して、短縮しまとめるのは理系思考(オート)が得意とすることだ。理系思考(オート)は、方程式の答えにフォーカスを当てた考え方をする。方程式の答えが色彩だったと、仮定する。理系思考は、答えが『赤』ならば、『赤』としか判断しない。しかし、文系思考(セルフ)の私は、『赤』という色合いの細分化を図れる。


 『赤』という文字は一文字で、これ以上に無いモノだが、私はその『赤』を、溶かし、性質を変化させて質量を増やせる。問い詰めた先の究極、一文字を十万文字に。たった一グラム(・・・)の情報量を十万倍の情報に膨張させることが出来る。結局は『赤』なのだが『赤』という語を使わず、『赤』なのだと証明できる。直接『赤』と言わず、赤い果物の名前をただ提示した時のように、情報の真実、印象から醸し出すイメージの多様性を。存在そのものの『呼吸』、『空気』といったものを引っ張り出せる。文豪の思考形態を取っている性質だ。


『私は浴場で自分自身を調べた。弓兵を迎撃するには、遠距離武器の開発を考えなければならないし、身体を更に調べたいと思った。突然現れた狂人と戦い、勝利した。聖剣に宿った者は雷の女神(ルチル)で、私は水魔法が効かない身体だった』


 これは理系思考(オート)が圧縮した記憶の断片である。この断片で重要なことは、ルチルが宿っていた事でも、水魔法が効かない身体ということではないし、ましては勝利したことでもない。文系思考(セルフ)が、没頭できる好きなこと――趣味、を発見したことが一番大きい。私は、私を知れた。これに勝るものはない。自身を知ることが一番の武器になるのだ。わからない事を、わかるまで徹底的に考えてみること。それが私の、幸せな姿だ。

 些細な幸せに身を埋めて、殺めた少女の姿を忘れることができる。足元を見るように、冷静にモノを考えたことで、予防線を張る事すら見出して、整理できた。私は私の、自身の未来の為に、安定して歩むことが出来たのだ。

 

 ――ありがとうございました。


 今の私に、殺人を犯したというストレスは軽減されている。

 私は、心から感謝した。これは、夢、をみたおかげなのだろうと。


「…………?」


 私は、何に、誰に対して感謝をしているのだろうか。


《……now_taiwa……nadenade_nadenade_nadenade_nadenade_nadenade_nadenade_nadenade……(……あなたは私。私は、私の親……(´ω`*)感謝は不要です(´ω`*)感謝は不要です(´ω`*)感謝は不要です(´ω`*)感謝は不要です(´ω`*)感謝は不要です(´ω`*)感謝は不要です(´ω`*)感謝は不要です……)》


 当たり前だった。私は、理系思考(オート)に感謝をしているのだ。

 しかし、何か引っかかる。――夢、とは。

 私に限っては、真実を空想をする、というのが正しいかもしれない。

 空想は夢みたいなものだ。しかし私は、空想を、夢、と、同じものにしたくはない。夢なんて叶わないし、願う価値すらなく、見るものではない。夢なんて無い方が幸せに決まっている。私に夢など無いのだから。


「…………」


 夢と、殺人……いいや、復讐……二つは、決して混じることはない。

 私は罪のない子供を殺めた。これに夢も希望も、無いのだから。


 文の私と、理の私。二つの思考を、私は合わせ持っている。

 これは私にとって、指が五本在ると知覚し、動かすことのできる――赤子の時から知っているような、当然とする事実である。


「…………」


 理系思考(オート)の、無駄だと思えば詮索しないという考えは、身体でいうところの骨。個性でいう所の、性格に当たる。理系思考(オート)は、自分に利益が無いと思えば、それ以上考えない。しかし私は、浴場から……浴場……が、目の前にある。すごい色だ。桃色である。


「…………」


 骨はまるで無い。軟体動物のような娼婦が手招きしている看板だった。大浴場を、私は通り過ぎた。

 ――そう。浴場からの、記憶の保存は出来ていた。私は浴場で、身体を調べた。弓兵に立ち向かうために、遠距離武器の開発を考えなければならないし、自身の身体も調べ尽くしたい。浴場に、現れた狂人を始末した時、水に染みない事を知った。当然だ、浴場は、水で溢れていたのだ。つまるところ、浴場の、おかげなのだ。私は、断じて、浴場など、気になっていない。欲情なんてしていない。性器など無いのだから。


「…………」


 ああ。ああ。ああ。何故、のうのうと歩いているのだろうか。全力で駆け抜ければ良いではないか。だが、身体が言うことを聞かない。走れない。ちらり、ちらり、と見てしまう。ああ。ああ。ああ。助けてくれ。頭と体がまるで離れている。蛇に睨まれた私……もとい、冬眠した蛙のようだ……なんだそれ! よくわからない!


 走りサル。サル。猿。

 ハシリ去る。ハシリ。シリ。おしり。

 真っ赤なおしりのお猿さん。


 いやいや、むしろ走り去るというのは、敵の前で背を向けて逃げる、ということになるではないか。

 駄目だ。逃げるわけにはいかない。むしろ、何食わぬ顔で歩いてやりたい。

 表情が無くて助かった、と、私は安堵した。


「あの……?」

「誰だ貴様。殺されたいか」

「なぜ、壁にぶつかったまま歩いているの?」


 心頭滅却。私はおもむろに石壁を殴ってなかったことにした。


「……痛くないの?」

「ふむ。今日は勘弁してやろう。ではな」

「いや……君?」

「肩に触るな、胸の大きい変態が。それ以上近づけば、首を飛ばす」

「またぶつかってる。きちんと前を向きなよ」

「……アアッーーーー!!」

「無表情で叫ぶなんて、器用な騎士さまだなあ」

「アアッーーーー!!」

「何歳かな、僕?」

「アアッーーーー!!」

「……少し落ち着いたらどう?」

「寄るな、殺すぞ。汚い娼婦が」


 今の私は、窮屈だった。思い通りに事が運ばなければ、もやもやする心理状況そのものだった。

 私は、いつまでも握り締めている鞘の無い――裸の聖剣の切っ先を娼婦の首に向けて威嚇した。


「――失礼ね。人を殺すよりも素晴らしい仕事だと思うわ」


 娼婦は、凛として言った。私が本気で首を落とすつもりだとは信じずに、そっと、柄の掌を触れた。これが私を倒す、弱点だといわんばかりの笑顔で、とてもやさしくほがらかに。

 娼婦の掌から、丸まった紙幣が落ちた。娼婦は金を拾わない。拾わなかったというよりも、気が付かなかったとでも言うのだろうか。ただ、手を握ることに真剣になっていた。私は手を払い、彼女の金を踏みつぶして、きちんと前を向いて歩いた。


「ねえ。どこに行くの?」

「…………」

「私は、子供の君と話がしたい。何故こんな時間に、こんな所にいるの? そんな物騒なものを握りしめて」


 彼女は、私に歩み寄った。瞳を合わせる視線が強くて、うつむいた。私が踏みつぶした紙幣を、彼女もまた、潰していた。踏み荒らしてできる黒い雪と紙幣は、丁寧に混ざり合ってはいない。二つは一緒に溶けず、いつまでも一つにならない。


 私は二つとも、汚い、と、ただ想った。



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