狂い貫く極彩感情:弐
「ling」
《shinri_jyokyo_nyan01……(集中により、無意識化した心理中枢部を翻訳いたします……(ฅ'ω'ฅ))》
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私は沸いた気持ちをどうしても聞いてほしくて。讃美歌を止めていた。
「――父親よ、聴こえているか。聴いているか。届いているか。私は私の声が聴こえず、貴殿の声と、耳鳴りしか聴こえない。私は嬉しすぎて。辛すぎて。苦しすぎて。きっと悶えているのだ。この歪み、混じり合った腐った感情に近い言葉は“ありがとう”と脳回路が伝えてくれている。私は、たった五文字でしか表現できなくて悔しいのだ。こんな単純な言葉で片づける事など、できるはずがない。分かるだろう。見えるだろう。今の私はまさしく籠の中の鳥だ。殺しやすい外道に過ぎないのだ。わかるか。寂しくうなだれた、私の感情が。わかるか。わかってくれるか」
「……感情を途方に迷わせ、表情が消えた外道の言葉など、一生わからないさ。“ありがとう”などと……人を殺めて、よく言えたものだな。糞餓鬼」
父親は言葉を吐き捨てた。外道とは、簡単に歩める道にしか思えなくて、しょうがない。
高潔とは。真っ当な道とは。こうまで歩む事が難しいモノなのだろうか。
感情のない機械のままでいれば、絶対に気が付く事はない。もし、安い仮面をかぶっていれば、幸福で在り続けたのだろうか。馬鹿みたいに。
「――父親よ、“ありがとう”。どうか私を殺してくれ」
私の言葉を無視し、彼は私に駆けた。上段に中段、何度も何度も振り下ろしてきた。剣と剣は、突風が浚って、きん、と、弾けた。ピアノみたいだ。私は自分の刀身で、彼の刀身にやさしく触れては、滑らせた。そうして、主の元へとさらりと返してあげた。何度も何度も何十回も。
声帯から讃美歌が鳴り響き、私たちは手を取り踊った。こう来ると、分かっているからこう返す。決められた動きに、私たちは優しく応え続けた。
だからきっと、“ありがとう”なのだ。何度も何度も、私は感謝した。何度も何度も想ってしまったから、“ありがとう”は安くなった。感謝の言葉は皮肉となり、汚くなった。それでも私は“最高”に違いなかった。
かたかたかたかたかたかたかた。
銀の弾丸を父親の眉間に喰らわせれば、決闘の幕は降りて、下劣、と、すぐ成れる。
使わぬ銃など飾りに過ぎない。もはや左腕は、装飾となっている糞まみれの兵器だ。
しかし、撃てない糞兵器は臆病な私をしっかりと支えている感情と、成っていた。
私は高潔で在り続けたい。父親の尊い気持ちに応え続けたい。
心が落ち着き、気高さを求めた。その瞬間。私は聖剣を下段から上段へ振り上げていた。臆病者の象徴と化している浴槽をぶち壊し、私は自分から鳥篭を破っていたのだ。
「……ッ!?」
きちんと挨拶を交わしつづける私たちにとって、これは卑劣な一撃に他ならない。父親は半身を捻らせ、難を逃れたが、聖剣の刀身は蒼髪にかすった。その二、三本がちりりと焦げて、水面へ浮いた。
今、この状況で浴槽を破壊した事は、私の偉大な美学なのだと噛み締めた。窓から差し込む月明かりは、部屋の全てを照らしはしない。自己主張の強い月は意地悪で、水面がきちんと写っている箇所だけ照らしてくれる脚光だ。頭髪は石のよう平然と沈み、闇はしぶしぶ飲み込んだ。
「……元より、私を浴槽ごと斬り殺すつもりだったか。反吐が出るぞ、卑怯者」
「勝手に、そう信じているといい。私は、その言葉で分かったぞ。貴殿は人を疑う、愚か者とな」
半壊した浴槽で、足は濡れた。
「――正直、興ざめだ。貴殿では物足りない。目を瞑っても受け流せる。貴殿からすると舐めていると思うだろうが、私はこれを貴殿の家族の為だと信じているのだ。これのどこが卑怯か」
私は、少女の父親は強かったと、この心に焼き付けなければならない。
私は、あの奮い立っている親心を、すくいとってやりたい。
――すべて、私のせいなのだから。
「私を舐めるな。馬鹿にするな。どこが、私の為だ。家族の為だ。貴様は人を殺したという自覚は無いのか!?」
私は、かたかたと苦笑した。
「貴殿よ。今の言葉は、暴言のように情けないものとしか思えん。私は早く殺してくれと言っている。貴殿の辛さを、私にすべて出し切れと言っているのだ。寒いのだろう。凍え死にそうなのだろう。だから私は、抱きしめてやると言っているのだ。わかるか。温めてやると言っているのだ。わかるか。それが嫌だからと、高貴なプライドを剣として、私を敵と認識したのだろう。私は絶望を知っている。わかるか」
「偽善にも程遠い、傲慢……騙されるものか。ふざけるな……ふざけるな……」
「知ったことか。私は私が、心からそう思っているからこそ、言えるのだ。高貴な水魔法剣士である父親よ。わかるか。きちんと聴こえているか。きちんと聴いているか。愛が枯渇したのならば、私を仲間とし、使ってもいいのだ。いつまでも抱きしめてやる。頭も優しく撫でてやる。笑わせるよう努力する。私が貴殿の欲を全て満たしてやる。愛とは、そういうものなのだろう。貴殿の子を殺めた事は、一生背負なければならない罪だとは知っている」
「ふざけるな……では貴様は……何故、罪を罪と認めず、剣を私に向けている。真っ向から罰を受けている者に見えない。あがき、もがき、無様に生きようとしているではないか」
「死にたいさ。殺されたいさ。だが、私には……ああ。きっと、夢、と言えるものがあるからだろう。だからきっと、生きたいのだ」
「貴様は、ただの人殺しだろうが……! まるで、子供のように夢を語ろうとするな!」
剣は水に変わり、ぼたぼたと床に落ちる。父親は足元にすがるように膝から倒れて、すすり泣いた。
「望みを叶える神はいない。何にすがっている?」
「……わかるものか……だが、神はいる。そうでなければ、悲しすぎるだろう……子供が、胸に秘めた夢を祈れないではないか」
「夢なんて幻だ。教えてやる。貴殿がすがっているのは亡くなった家族だ」
「……やめろ……やめてくれ……」
「貴殿よ。私に教えてくれ。なぜ、人間は涙を流すのだ」
「わかるものか……。生きているから流れるのだ。そういうものだろう……」
「生きるとは、なんだ」
「知るものか……」
「残念だ。では、私に答えてくれ。父とはなんだ」
「…………」
「知っているのだろう。貴殿の魂が宿った太刀筋は、本物だ。剣に誓い、心から言え」
「…………」
私は聖剣を父親の顎に向けた。涙が刃紋に落ちて、光った。
「答えなければ、首を飛ばす。父とはなんだ」
「……家族のために生きるものだ……」
「剣士とはなんだ」
「……誰かのために戦うものだ……」
「涙を拭け。立て。前を向け。大事な者達の為に、私を殺すと誓え。叶わなくともいいのだ。だが、叶えようと現実に尽くせ。高貴な人間よ」
「…………」
「情けないと思わないか。自分が嫌いにならないか。私は絶対に嫌だ」
「…………」
「がっかりだ。それでも男か。私よりも貴殿の方がよっぽど糞ではないか。わかるか」
かたかたかたかたかたかたかた。
父親は震えをかみ殺して立ち上がった。軟弱としか言えぬ、不器用な身体の扱い方だった。それでも、私を睨み付ける。涙からすぐ折れてしまいそうな細い水の短剣を二刀、引き出して構えた。
かたかたかたかたかたかたかた。
涙は止まったようだ。目は赤く、弱々しいが勇敢そのもの。復讐に塗れた顔つきではなく、家族を想う父親の……まるで子供を守ろうとする威厳のある大人の顔つきであった。
蒼髪が最後の光、と、研ぎ澄ませた輝きを放つ。父親は、積み重なった特大の詠唱サークルを全身に展開した。
「それでいい。剣で勝てぬと分かったのならば、全力で魔法を使え。かかってこい」
「……ひとつ、聞かせてくれ。貴様の夢とは、何だ」
「愛した仲間と、星を眺めること」
「…………必ず、叶うさ」
父親は、自分の子供を撫でるかのように、私に微笑んだ。
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「tick」
私は知覚映像を止めた。
『声というものは、話したいときに勝手に出るものだ。無理に考えて話す必要はない』
蛾人間の言っていた通りだった。私は父親の言葉しか聴こえず、自身の声は聴こえなかった。私は決闘に脳回路を集中していたのにも関わらず、心から言葉を引き出し、会話をしていたのだ。
頭に雪が積もっていたので、払った。
死体は生き返る気配がない。




