悟りの惑星
くたばれよ、戦争。
だから僕は、授業をサボった。いつものように図書室へ逃げ込んで、全宇宙に存在している英雄の数に落胆する。
「…………」
図書館は天井まで高さ五十メートル。全面積は五ヘクタールほどの小規模な建物かもしれないが、英雄譚の蔵書量は、地球圏で世界一だ。
「…………」
ここ最近、英雄譚というものが増えており、ひと際目立つ。
輪廻転生の規律の元、生物が死亡をすれば、時空を越え、ふたたび生物へ戻ってしまう。これは魂の業、英雄のさだめとでもいうのだろうか。生前の記憶も、培ってきた知識も、血を血で洗い続けた戦闘経験もきれいさっぱり消去しているにも関わらず、英雄であった者は転生先でも、英雄となる傾向が高い。
(もちろん、知的生命体で循環している輪廻機構に限っての話だが)
『かの有名な、アーサー王の魂が、大昔の月面開拓時代の大王だった』
――女王の死亡時、輪廻機構へ表示される転生履歴が何者かにハックされた。全宇宙に公表された時の世間の反応といえば、それはもう、天地がひっくり返るほどの熱狂ぶりだった。
魂における肉体の選別は、輪廻機構が厳選なる抽選、ランダムで付与されるものであり、魂を持つ者……すなわち生きている者に関して、品格が決まっているのは、悲しい。一般市民の、しかも農民あたりの履歴を重ねているごく平凡な魂からすると、英雄の功績がある魂は、羨ましい存在でしかない。
英雄が大好きな理系市民の一部は、神が作ったと噂されている、自然の摂理。輪廻機関をハッキングする趣味を持ってしまった。
そうして様々な英雄が、実は過去のあの英雄だったと公表され、世間はさらに熱狂した。
しかし過去に英雄であった魂にも関わらず、ふたたび英雄として称えられた魂は、その七割しかいなかった。無意識の英雄思想を持ち、更には二世代以上に渡った者を『a seventh part hero』を短縮し、SPHという。
英雄の七割は、無意識に英雄と賞される人生を、再び歩もうとする。
して、また死に、七割ほどの割合で英雄と謡われる人生を、また歩もうとする。
して、また死に、七割ほどの割合で英雄と語り継がれる神々しい人生をまた歩もうとする。
死に果て、こりなく生まれ変わり、栄光を得ている現状。何度も何度も七割に残ろうとしている尊き魂。――これは時代を越え、歴史を紡ぎ続けている聖なる事実だ。
僕の中で英雄とは、限られている。
賞される魂は、かならず人の心を突き動かす。それは世間にも、はたまた未知なる危険生命体の侵略に対しても、だ。信念を曲げないと、自身の人生を挑戦し、歩み続けている。きっと未来も、過去も、現在も、異世界を越えても。――真の英雄とは、永遠に英雄だけの人生を繰り返している者だけを差す。
僕は思うのだ。
『一体何故、何の為に、英雄は英雄で在り続けるのか』
英雄と賞される人生しか歩んでいない、真の英雄の魂がいるはずだ。
僕は、恋い焦がれているのだ。崇高すべき究極の魂が、きっとどこかにいる。必ず存在すると信じている。蛇足となるが、最高で、最強の、高貴な英雄の魂というものは、正義の味方なのだと憧れているのだ。
僕は、故郷である地球圏の歴史が大好きな、磁界波動思念体の高校生である。
英雄はかっこいいのだ。僕もそういう存在になりたいのだ!
身体が存在しないということは、便利なもので。英雄の数の多さに嫌気がさした僕は、五十メートル程先に魂の意志波動があると知覚したので、それに寄る。ぱもん、と身体が消える。つまるところ僕は、磁界テレポートをした。
「…………」
ぐだりと、机に寝そべり睡眠を取っている司書の脳に直接質問する。「新しく入った無毛猿の英雄譚はないのか?」と。
実の所、彼女は頭を抱え、しくしくと泣いていたのだが、僕の磁場に気がついた途端に鼻をすすり、真剣な顔つきへ変えた。そうして、頬が裂けるくらいに、満点の笑顔を作った。
「無毛猿が滅亡してしまった戦乱の時代に――君は、無毛猿の英雄しか知らないのかい? 浅はかだな。魂とは、猿のみに移り変わっているものではない。といっても、永久に人生を繰り返そうとしている只の意識の塊でも、人格でもないのだよ。そう、魂とは身体をすでに在るものとして磨く行為、明日を歩む文化の流れに沿わせている尊い存在なのだよ。そうだな、私は君に――。身体が肉ではない『殺戮機械の英雄譚』を、親切に教えてあげよう」
彼女は、一冊の本を机に置いて、けむくじゃらな大きな耳をぴこんと立てた。目は真っ赤なままだった。
「私は、地球諸国に徴兵されたのだ。そろそろ発たねばならない。学生である君に、この本を読み終わるまで、ここを頼んでもいいかい?」
細く長い、真っ黒なしっぽをふらふらさせて、ぎゅっとしてあげたいくらいのあどけない顔つきで言った。
「……ええと」
「む。この本の書評を言わなければならないか? して君は、自分で本を探す能力のない、弱い知識の一般市民なのだな。そうだな、その本を読み終わると……戦場で死にたくはないと臆病で偏屈だった私に、英雄のくだらなさを、戦争のくだらなさを教えてくれた。未成熟の子供が憧れるフィクション作品のように突拍子で、夢が溢れに溢れた本であった。異星人の虐殺描写を好んでいた私に、それを客観的に悪いモノだと、心にずうずうしく現われ、切り裂かんとする説法のように教えてくれたのだ。いえばスピリチュアルとでもいうのか。特色として、まるで感情の波紋を水面へひいて、それをぼうっと眺めているように気持ち良くつややかなのだけれども、厳ついテイストが棘となり、胸の奥底まで突き刺さる。ありありとした人物の心が息づき、それらを読み切った後の読了感は、本物、と、形容しても良いのではないかと思ったな。読み終わった君は、きっと未来の自分自身の為に、健全に授業へ出ることだろう。ふふっ。そのくらい大げさに書評を言わないと、君は本を読めない人間なのか? あっはっは! 真の理へと歩まない君は、賢い! まあいい。ここに適当に置いておこう。読まなくても結構だ。英雄とは、名を持つものだが、『殺戮機械』と、名の無き理由はそこにある。英雄という存在は誰にも測れぬ大きいものだ。そういった理由で英雄譚というものは宇宙上に、無限に存在する。明白にその名を明かさないことで、儚さを出しているのであろう。図書館のすみっこに存在し、誰も読んではいなかったこの本そのものだ。しかし、この話は実話なのだ。近代の異世界神話を、我々の英知が生み出した全長百メートルの月面望遠機械から、丁寧に覗き、書き残したものらしいからな」
「…………」
「む? どうした。先ほどは生意気に、この私に教えろ、と言ってきたではないか。君は借りてきた猫のように静かになるのだな。言葉の多さに圧倒されたのか? ふっ。猫型の生命体なのだという私の身体的事実を、渾身のギャグとしたつもりだったが、面白くなかったか。むむむ? もしや、話が長いのは苦手かな。だったら、わざと話を長くしてしまうぞ。私は、ひねくれものだからな。――ああ、図書館司書の、仕事の心配をしてくれているのかな。司書なんて仕事はないさ。めったに人はこないのだ。それに、君は若く不安かもしれないが、此処を門番のように大事に思い、心配する必要もない。もとより、図書館に司書はいらないものだ。図書館には本が在りさえすればいい。悩み、知りたいとする者が、知識を盗みにきたかの如く、ただで読ませてくれる場所だからこそ、意味を成すものだろう。知性が足りないと気がつかぬ下衆な輩には、決して気がつかない儚く遠い、宇宙でもっとも大事な場所――、心の聖域なのだよ。図書館というものは!」
本当に、この猫が泣いていたのか、信じられなかった。
「よくしゃべる猫だなあ……」
「む。失礼なやつだな。君は、磁界思念体で、私の脳に直接話してくるが、これは結構、頭が痛くなるものなのだぞ。むりやりヒゲをひっぱられるくらいに」
「ひげを引っ張られる痛みが、想像できない」
「むぅ、そうだな。君の存在は磁場そのものであるから、身体はない。だからこそ、痛さという概念はないか。ゆえに、私には分からないものなのだろうな。男と女の気持ちのすれ違いのような、とても繊細で小さい溝であろう。例えるならば、天の川の彦星と織姫かな? しかし繊細で小さいといっても、下手をすれば、銀河戦争に関わるくらいの想像も出来ぬ醜く巨大なモノなのだがな。まさしく英雄の存在のようだ」
「いいや、痛みはある。磁界思念体同士で、意志を強く放つ同種が近くに現れると痛い」
「むぅ。それはいわゆる、意志のぶつかりあい。口喧嘩とでもいうのかな。それこそ、ただの口論であるから、私にはそれがどのくらいの痛みなのか、想像できないな」
「……ああ、それもそうだ。言うならば、心が痛いんだ」
「むぅ? なるほど。なるほど。その見解はなかった。その、心が痛い、とは。どう痛いのだね?」
「なんといえばいいか、わからない」
「それは、人へ的確に伝えるべき語彙が不足している、ということではなく?」
「違う。全くもって違う。言葉の存在が無い、という事だ。それは、ちくちくと針のように刺す痛みもある。凍てついた金属片が斬りにかかって恐ろしく鋭い痛みもある。逃げ出したいくらいに、何が何だか分からない劣情の悩みに、心はちっとも痛く無いはずなのに、文鎮が半紙を圧しつけているだけのようなのだけれど、跡形も残らないほど焼却されたと、虚無感に陥る痛みもある」
「ふむ。決して語彙が無いと言う事ではないのだな。感覚で言葉を紡ぎ、気持ちの真理を悟る。そうして的確に訴える者か。まるで学びを知らぬ、天才肌の芸術家のようだね。ふうむ。私からすると、精神で言葉を懸命に変換し、摩耗し続けている馬鹿な存在としか理解できないよ。そのまま素直に言葉を紡いでいると、言語知識の蓄えがなくなり、餓死するであろう……と、身勝手に推測してしまう。だから私は君を、稚拙で尊い存在と思うのだろうよ。――それに私は君が今、言った心の痛みのすべてを、まとめることができる言葉を知っているよ」
猫は無機質で、無表情で。何も僕のことは知らないはずなのに、遥か高い所から見下すよう言い放ったのだ。猫は、それをきっと“青春”というのだろうと嫌気が差した。
言うまでもないが、磁界思念体と肉質生命体は種族が全く違う。僕たちが手と手を取り合い、気持ちを分かち合うことはゼロに等しい。猫は、僕が「これを青春とでもいいたいのか」と答えることを知っていたのか、首を横に振り、僕を黙らせた。ふたたび、頬が裂けると思わせるくらいに笑い、肩を。僕に存在しないはずである肩の部位を、身体を与えてくれたのかと、僕本人ですら錯覚させてしまうほどに見定めて、優しく叩いたのだ。
「私は誰よりも頭が良い。それに負けず嫌いなのだ。天才肌の若者の背丈に合わせ、私が理解している事を、君のように感覚で答えることができるかはわからない。が、努力はしよう。君は、知という名の正義に、飢えているのだよ。本物の自分は、一体何なのか。君は、自分にとって大事な『何か』を知りたいのであろう。君と出会う前、貶せる相手がいなくて、わんわんと犬の鳴き声のような擬音を使いつつ泣いていた猫の私のようにね。今の私は、気分が良いのだ。平凡な君と仮定した上で、馬鹿にしてやろう。愚かだよ、貴様は。人知れず、死の為に生きている人生を勝手に歩め。間違いではないのだから、どうかそのままで居るが良い。身体を持っていない、念だけの存在である君は、その存在そのものが、幸せでしかないのさ。学校を卒業し、戦争兵器のAIに組み込まれるだけの思考体で在れ。私はね、レールに敷かれ、将来性のある君のような人物を、尊く思っているのだよ。妬ましい羨ましい、この本の主人公である、糞野郎、のようだとね」
僕がこの図書館に来たことが、必然だったかのように、見透かしているように……人の全ての闇と形容してもいいほどの黒すぎる猫は、誰もが心にひっかかる言いぐさ、本の真実を知らしめるために言葉を選び扱ったようだった。そうして頬が裂けるくらいに笑って、みたび言い放ったのだ。
「ふふっ。『運命に向かって成功を保証せよと要求する者は、英雄的行為の意義を捨てる者である』――今の私は、私の魂に誓おう。この言葉は、私にしかわからぬのだ。誰にも理解されようなどと決して思わない。この言葉に隠された闇のように高貴で、それをくつがえす純白な理想論だけは身を挺してでも、大事すべきなのだ。私はそれを成すべく、戦場へと赴くべきなのだ」
黒猫は、直立し右手をピンと張った。それは、一旦胸の位置で水平に構えてから、掌を下に向けた状態で腕を斜め上に突き出す。酷く変わった……いいや、違う。
黒猫は、自身のエゴを始動してしまっている魂に狂っているようだったが、これは間違いなく高貴なものと変わりなかった。エゴとわかりつつ、それが私の生きる道なのだと諦めにも近い失念を、許容させたのだ。これは真っ当な希望で燃えあがらせたといわんばかりの、まったく不自然で、それでも清く美しく、僕が今まで直視した知的生命体の中で抜群の、まるで英雄として賞されるであろう独立した敬礼を行っていた。
これを尊く思わない者がこの世に存在するのだろうか。僕に限って、軽蔑できるはずがなかった。
猫は逝ったのだ。かかかかと笑い続け、戦場へ逝ったのだ。
この本を読んでやると、心しか存在しない僕は、心に決めた。黒猫は、ぽたり、と、出口へ真っ直ぐ続いている赤い絨毯をささやかに黒くしていた。僕は、涙が染みこんだ彼女の痛みを知ってしまったのだ。
身体の磁場意識で、精いっぱい英雄譚を包み込んだ。
素っ裸で恥ずかしいが、傷口から血液が滲み、皮膚を薄く隠してくれる冒険心のゆとりのよう。
そういった、太陽が水平線で眠りにつこうとする、最高級の落ち着きに身を没した。
磁場意識は母胎と化したブルーの小説言語に包まれる。
これから一人称で、物語は紡ぎ始める。僕が主人公にすり替わった、僕の物語となる。
途中で思い悩む、主人公の思考も、物語の結末も、レールと化している。
それは自らの身丈を知ってしまい悟っている、この惑星そのものだ。
孵化を望む卵のようにじっくりと想い、親鳥の気分で眺めていれば良いだけだ。
――この宇宙に在世するランスロットの魂へ捧げる。
手書きの前書きが。その後の文量の重みが。まとめて意識に、どっと流れ込んできた。息を呑み、そのまま次のページに進める決心をする。前世は名のある英雄だったであろう黒猫が鼻につく発言をし、僕を馬鹿にした。いや、この場合、肉体を持たぬ僕を素直に称えたのかもしれない。羨ましい、と。それはこの物語――、
――殺戮機械が、英雄と謡われた物語のようだ、と。
これは図書館に埋もれて、有名な英雄たちの背中に隠れた英雄譚なのだ。作家の銘は書かれていなかったが、そのまま本に身をゆだねた。
――ありがとう。
ああ。ああ。ああ。そうか。本を手に取ってくれてありがとう、と……僕は前書きの筆跡から、涙まじりの作者の声が聞こえて打ちのめされた。この作者の、世間に知れ渡っている真名を示すのであれば――。英雄ランスロットと出会った、彼を愛し続けた恋人、エレインの魂なのだろう。
アストラットのエレイン姫の魂の声で、意識がぼやける。フルートの高音部の音色が弱々しく流れて、溢れんばかりの真心が磁場意識につきぬけた。
殺戮機械の魂の真名は、英雄ランスロットだ。主人公となった僕に、エレイン姫の魂であった小説作家の、血ともいえる心魂の滲んだ筆跡を通じて、ランスロットの魂が永遠に廻っているのだと伝えたかったのだろう。
気持ちは痛いほどにわかる。英雄とは、世に残された魂の来世の先でも、無意識に惹かれ、恋焦がしてしまう存在なのだから。磁場意識の中で、エレイン姫の切ない愛の叫びと共に、殺戮機械の身体が築かれた。