プロローグ
昔、昔。一人の若者が居ました。
その若者は摩訶不思議な力を使い、人々にその力の使い方を教えました。
魔法と名付けられたその力は、やがて万人が利用できるほどに広まりました。
それから数百年して、一人の若者が現れました。
その若者はいままで、その世界になかった技術を持ち込みました。
若者は魔法を使わなくても動く数々の物の造り方を人々に教えました。
若者はその技術のことを科学と呼びました。
やがて、人々は若者が持ち込んだ科学とそれまで培ってきた魔法を使って新しい文明を築き上げたのです。
おそらく、また数百年と時が経てば世界には新しい技術が持ち込まれることでしょう……
――――帝国図書館 帝国古事記より抜粋
*
愛知県の東部。
三河地方と呼ばれている地域にも例外なく夏の暑さが襲いかかっていた。
「あぢぃー」
田んぼを突き抜けるように整備されている道路を一人の青年が歩いていた。
遠くの方には駅の周辺のマンション群が見えるのだが、手前にあるのは田んぼと梨畑、農家と田んぼの中でひときわ存在感を放つ小学校ぐらいだ。
黒い髪に小麦色に焼けた肌、身長体重ともにとびぬけた特徴はなく、成績も体力もいたって平均的、白いシャツにハーフパンツと言った格好で歩いているのは、このあたりの高校に通う鳥越飛翔だ。
彼は、いたってのんびりとした歩調で歩きながら近くのコンビニで買ったアイスの袋を開けた。
北海道ぐらいに行けば涼しいんだろうな……
そんなことを考えながら歩いていると、突然頭痛がして、視界がぼやけ始める。
熱中症にでもなったかと思い周りに木陰を探すがここは田んぼのど真ん中。
そんなものが都合よく見つかるわけもなく、飛翔の意識は一気に刈り取られた。
*
大陸の大部分を支配する帝国の北西部に位置するグラース地方。
ほぼ一年を通して雪に覆われるこの地域に短い夏が訪れていた。
そんなグラース地方の中心部にあるグラース城。
ここは、かつてこの地がグラース王国と呼ばれていたときに建てられた城で今もかつてこの地を支配していたグラース家の人間が住んでいる。
そんなグラース城の地下に設置された大図書館。
そこには、日の目を見ることの少ない数多くの書物がひっそりとおさめられている。
そんな大図書館の端で一人の少女が分厚い魔導書を片手に何やらぶつぶつとつぶやいていた。
「と、こんなところかしら……」
長い詠唱を終えて近くに置いてあった椅子に力なく座る。
この図書館にこもってすでに3日目。体力も魔力も限界に来ていた。
しかし、そこまでして彼女が行った魔法はこの世界を……というのは規模が大きすぎるが、このグラースを間違いなく良い方向へ向かわせてくれるものだ。
多くのものは、信じていないが少なくともこの少女だけはそう信じている。
少女がそこまでの疲れが出てきたのか、そのまま深い眠りについてしまった。
*
飛翔が目を覚ますと見知らぬ場所にいた。
いくつか設置されている書棚は、三階建てのビルがすっぽりと入りそうなぐらい高い天井とほぼ同じ高さで、備え付けであろう本棚が倒れることはないだろうが、大きな地震でも起きて書棚の本が落ちるようなことがあれば、あっという間に本の山に埋もれていしまうだろう。
そんなのんきなことを考えながら体を起こすと、ちょうど正面に置かれたイスで見た目だけでいえば小学校高学年ぐらいであろう少女が眠りこけていた。
髪が金髪ということもあるからなのか、その姿はまるで劇で出番を待っている人形のようだ。
その手には裏表紙にいわゆる魔法陣のような文様が書かれた分厚い本を抱えられていて、自身の足元にも似たような魔法陣が描かれていた。
「おいおいなんだ? 新手の宗教か?」
おそらく、倒れていたところを助けられたのだろうが、とんでもない人に助けられた気がしてならない。
ともかくだ。助けてくれたことはありがたいが、一刻も早くここから脱出した方がいい。
そう判断した飛翔は少女を起こさぬようにこそこそとその場から立ち去ろうとする。
幸いにも少女は眠りこけていて、こちらの動きに気づく様子はない。今のうちからこの図書館らしき場所からに脱出も容易だろう。
しかし、その希望はあまりにもあっさりと砕かれた。
「どこに行く気?」
あまりにも冷たい声だったので、それが少女が発したものだと理解するのに多少の時間を要した。
「えっとだな……」
「ったく、せっかくこんなに魔力を使ったというのにさ……どういうつもり?」
「どういうつもりっていうか? どういうこと?」
なぜ、目の前の少女が不機嫌なのかということも含めてまったく状況が理解できないし、魔力がどうとかいう話をされたところでいまいちピンとくるものがない。
「……足元の魔法陣、私の手元の魔導書。これで大体察してくれないの?」
「いや、無理」
飛翔の答えに少女は、深いため息をつく。
「何? 一から状況説明が必要?」
「出来れば」
これまためんどくさいといわんばかりに少女がため息をついた。
しかし、いきなり見知らぬところに連れてきておいてこれはないだろうと思う。
察しろと言われても限度があるということを目の前の少女は理解していないのだろうか?
今、起きている現象が自分の理解をはるかに超えている時点で理解するのなど到底無理に決まっている。
「何か、不快なことを考えられている気がするけれどまぁいいわ。ちゃんと、状況説明してあげる。まず、ここは帝国領グラース。短い夏をのぞいて年がら年中雪に覆われている国……いえ、地域ね。そして、私はかつてこの地を支配していたグラース王族の生き残り。これだけ説明すれば理解してくれた?」
「全然」
「じゃあ、どうすれば納得してくれるのよ!」
「もっと根本的なところから説明してくれ。なんで、俺はここにいる?」
目の前の少女があからさまに嫌そうな顔をする。
そんなに説明したくないのか……こいつは。
おろらくここに鏡があるなら、彼女同様にこれ以上ないぐはいめんどくさそうな表情を浮かべているのだろう。
彼女は、ガシガシと頭をかいて“あーもう”なんて言っている。
「なんなのよあなた!」
「いや、こっちが言いてえよ!」
本当にもうわけがわからない。
彼女は常識なんてものは持ち合わせていないのだろうか?
そもそも、グラースなんて地名は聞いたことがないし、帝国と言われたところでどこにあるのか全くピンとこない。
「……あぁそういうことか」
飛翔の容姿を観察した少女が勝手に納得する。
「何を勝手に……」
「ここは、さっきも言ったけれど帝国領グラース。あなたから言えば、ここは異世界で私は、偶然にもあなたを召喚してしまった女の子。これで分かった?」
「えーとうん。ちょっと、状況を整理させて」
今までの説明を兼ね合わせると、要は異世界へ召喚されてしまったと……しかも、事故で。そういうことだろうか?
と、すると大切なことは一つだ。
「だったら、元の世界に反してくれ!」
「それは無理。だって、あなたがどこから来たのか私にはわからないもの」
今度は少女の方がきっぱりという。
「いや、わからないって」
「まぁこっちとしても事故原因は探すけれど、もしかしたらあなたが私が求めていたものっていう可能性も捨てきれないわ。だから、どちらにしてもしばらくこの世界で暮らしてもらうほかないわ。一応、仕事に関しては住み込みの仕事を紹介するから安心しなさい」
「いや、勝手に話を進めるなよ!」
「だったら、仕事もせずに放浪でもする? 言っておくけれど、そんなことができるほど世の中は甘くないわよ」
少女の言っていることに対して途端に反論できなくなる。
確かにこのまま放り出されたら、どうしようもないというのは一理ある。
そう考えたとたんに一気に飛翔は絶望のふちに立っているのだと悟った。
そんな飛翔に対してアイラはやわらかい笑みを浮かべる
「だからさ、ここで働かない? この私、アイラ・グラースの執事として……」
そういう少女改めアイラは堂々とした様子でこちらに手を差し伸べる。
後から考えれば、このとき先のことを考えて希望の光を必死に模索していたということの影響が大きいのかもしれないが、その時確かに目の前の小さな少女が大きな存在に思えてならなかった。
気が付けば、飛翔は片膝をついてその小さな手を取っていた。
「よろしくお願いいたします。アイラお嬢様」
「えぇ。よろしく。異世界出身の執事さん」
これが鳥越飛翔とアイラ・グラースの出会いである。
この出会いが今後、二人にいや……グラースにどのような影響を与えるのかはいまだ誰も知らないことだ。




