三章『刑部、毘沙門天代理と語らうこと』
毘沙門天。
元はインド、ヒンドゥー教のクベーラ神と言われ、その神が仏教に取り入れられる過程で現在の毘沙門天と言う字をあてられたのだとか。
さて、この毘沙門天と言われれば真っ先に思い浮かべるのは、宝塔と槍を持った多聞天像ではないでしょうか。
もともとは財宝を司る神であったクベーラ神ですが、その伝承が東アジアに伝わる過程で四天王の一角とされ、武神、守護神の印象が根付いたともいわれます。
わが国では長尾景虎、後の上杉謙信が深く信奉していたこともよく知られています。
さて、このたび語り出だしますは幻想郷は妙蓮寺に本尊として有らせられます、毘沙門天代理の虎妖怪に付いてでございます。
◆ ◆ ◆
さて、幻想郷も春と為ればそこかしこに桜が咲き、和の情緒を心に感じ入ることも出来ましょう。
しかしながら、桜の花と言う物、決して美しいばかりでは終わらないのがその真実と言う物でございまして、散った花びらを其の侭にしておりますと、瞬く間に朽ち、風情の無い黄土色に変わってしまうのです。
桜並木の景観を保つためには、こまめな掃き掃除が何よりも大切。
そういったわけで、今日この日は妙蓮寺の住人一堂に会しての大掃除と洒落込むことになったので御座います。
「天気のいい日だな、こういう日は昼寝でもするのが最も落ち着くと言うのに」
愚痴を漏らしたところで、わが身は居候。
そうそう簡単に家主には逆らえないので御座います。
さて、桜と言えばまず頭に浮かびますは、梶井基次郎の「桜の樹の下には」ではないでしょうか。
この話を聞いたことが無くても、その内容くらいは何かしら耳にしたことが有るのではないでしょうか。
『桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる! これは信じていいことなんだよ』
その通りであったならば、この幻想郷にはどれほどの骸が眠っていると言うのでしょうか。
しかしながら、その様な情緒あふれる思考に割く時間をさ行に回す方が効率が良いと言うのもまた事実。
こういっては身も蓋もないかもしれませんが、取りあえず手を動かせば掃除などはいずれ終ってしまう物でございます。
さて、隠神刑部もせっせと竹箒を手に散った花弁をかき集めると、それを陽火でもって焼き払い、灰にしたのち天へと飛ばすと言った方法で処理をしておりました。
狸火(地域によっては狐火)とも呼ばれる怪異で御座いますが、此処では断固として狸火であると言い張っておきましょう。
隠神刑部、どうしても狐ばかりは好きになれないものでございますれば。
「まぁ、こんな所じゃろうて」
さて、そんなこんなで、徐々に掃除も終わり始めた酉の刻ごろのことでした。
刑部狸は妙なものを見つけます。
それは、小さな仏閣を模したような形をした、彼の小さな掌に少し余るばかりの大きさの代物でした。
しかし、そんなことよりも妙だったのはその物体が神気を持っていたと言う事に他なりません。
さてはて、これはいったいどういう事か。
そして、その形に見覚えがありすぎる彼としてはあきれ返らざるを得ません。
それは、何処から眺めても宝塔に他ならないのです。
さて、宝塔とはもともと円筒形の塔身を持つ一重塔の呼称でありますが、この妙蓮寺においては其れとはまた違った意味を持ちます。
毘沙門天は良く左手に宝塔を持った姿で描かれることが御座います。
毘沙門天としては己の力を示すために必要な神具と言えるのでしょう。
されど、この寺に在らせられます毘沙門天代理の寅丸星と言う少女、少々間の抜けたところが御座いますれば、よくよく物をば失くすので御座います。
そんなこんなで、補佐をしているナズーリンと言う鼠妖怪、そろそろ胃に穴が開くのではと刑部狸といたしましても少々楽しみに……もとい、心配しておりましたところに、この度の失せ物が判明したわけで。
「見つけたからには、持っておくのも不条理よな。さて、届けに参ろうか」
仏法に厚い狸といたしましては、仏法の守護たる毘沙門天の代理がこのありさまだと言う事に多少以上の不安を覚えながらも、失せ物をば届けんと境内を抜け本堂へと足を踏み入れるのでした。
◆ ◆ ◆
さて、一方所は変わりまして、こちらは本堂に御座います件の寅丸星の私室。
彼女は非常にあわただしく、タンスや押し入れの中身をひっくり返し、焦った様子で何かを探しておりました。
「うぅ、ない、ない、宝塔はどこぉおっ!?」
まぁ探しているものは言わずもがな、恐れ多くも毘沙門天様より下賜された宝塔に違い御座いません。
何故に彼女が必死で探しているかと申しますれば、先日ナズーリンに言われた一言が原因であったりします。
「ご主人、仏の顔も三度までと言いますが、いったい何度私の神経を逆なですれば気が済むんですか!! 良いですか、次に宝塔をなくしたら聖に言いつけて二人掛かりでお説教しますからね」
と、まるで母親か何かのようにそんな発言をしていたので御座います。
そのような事態は想像したくもなかったのでしょう。
彼女は必至で血眼になった眼を更に皿のようにして宝塔探しに打ち込んでいたのです。
実のところ、彼女の「財宝が集まる程度の能力」で宝塔を引き寄せられるのでは? と言う発言は野暮と言う物でしょう。
さて、そんなときに廊下を歩いて来る小柄な人物の足音が自室の目の前で止まったものですから、彼女としては心臓が飛び出そうになったのです。
頭の中では半ばあきらめながら「あぁ、これで今夜は子の刻過ぎまでお説教かな」などと頭の中で考えていたところ、来訪者の声が聞こえてきました。
「毘沙門天様、所用にて立ち入っても宜しいでしょうか?」
聞こえてきた声は聴きなれたナズーリンの者ではなく、最近子の妙蓮寺にやってきた刑部狸の者だったので、彼女としては一安心。
箪笥の中身を押し込み、押し入れを閉め、威儀を正して正座をするとふすまの向こうへと呼びかけました。
「どうぞ」
一泊の間をおいて襖が開き、刑部狸が拝礼して現れます。
「この度は如何しても申し上げたき儀が御座いまして、こうして謁見に参りました」
刑部狸が告げますと、彼女は威厳を湛えて答えます。
「なるほど、面を上げて下さい。その言いたいことと言うのは?」
その言に、刑部狸は手に持っていたものを目の前の人物に差出すとニコリと微笑みを浮かべる。
その微笑みが怒った時のナズーリンが浮かべるそれとそっくりで、彼女は額に冷や汗が流れることを禁じ得ません。
「毘沙門天代理寅丸星様に尋ね奉る。これはいったい如何なる事ですかな?」
「あ、いえ、それは、その……」
「まさか、毘沙門天様の宝塔を庭に落としたとは言いますまいな?」
「う、い、いえ、そんなことも有ったような…なかったような……」
もはや、威厳も何もあったものではございません。
そこには笑顔を浮かべながら問い詰める少年と、その問答を受けて冷や汗を流す女性と言う何とも滑稽極まりない状況が出来上がっておりました。
「此度のこのことはワラと貴方様との間で内密といたしましょう。流石にこんな事が知られれば信仰が離れてしまいます」
「うぐっ……」
「まぁ、今回ばかりはうっかりでしょう、今後はこのようなことが無いようになさってください」
「はい……」
と、そんなやり取りが御座いまして、宝塔は何とか主人の手元へと。
ナズーリンにもそのことが知られずに済んで、彼女は大層ホッとしたとかしなかったとか。
後日、彼女が宝塔をなくすことは周知の事実であると理解した刑部狸によってそのことがナズーリンの耳に届き、ナズーリンと聖の二人から説教を受けた寅丸星でした。
しかし、こればかりは当人の癖なのか、掌に縛りつけても散歩の途中で器用に取り落すことが判明し、こればかりはどうしようもないと妙蓮寺一同がそろって匙を投げるのですが、それはまた別のお話。
「ナズーリン、怒らないで聞いてくださいね……その、ほ」
「また宝塔をなくしたんですか? まったく、仕方がないご主人ですね」
まず最初に、ナズーリンファンの方申し訳ございません。同志ナズーリンの活躍はまたの機会になりそうです。
賢将と古狸のコンビはなかなか面白そうだとは思うのですが……。
さて、今回は毘沙門天代理こと寅丸星にスポットを当ててみました。
恐らくは二次設定なのでしょうが、彼女と言えば失せ物という概念が染みついていたため、このようなキャラになってしまいました。
私の中で彼女は「普段は威厳溢れる毘沙門天代理」ですが「ここぞと言う時に失敗する」と言う少々残念なキャラになってしまっています。
さて、取りあえずこのまましばらくは妙蓮寺における日常風景などを流しつつ、その後は彼が幻想郷を走り回ることになると思います。
拙作ですが、これからもお付き合いいただければ幸いです。