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夏の日のepilogue

作者: 篠塚 優人

 人間、予想だにしない人間から予想だにしない言葉をぶつけられると、絶大な衝撃を受けるものである。


 ――アナタは今、幸せを感じていますか?


 私の場合は、これだった。もし仮に日常会話で出てきたら少しばかり発言者の心情を疑ってしまうようなフレーズ。まず真っ先に「余計なお世話だ」といってしまいそうな言葉。そんな言葉が、まさか手相占いを偽って判子を押し売りしてくる人(あれは職業名は何になるのだろう?)から投げつけられるとは。さすがに予想は出来ない。

 思わずぐっと押し黙ってしまうと、手相占いを模した判子売りは一気にまくし立ててきた。


「今そこで黙ってしまうということはすなわち、貴方が今幸せを感じていないということなんです。でもそうそう簡単に日常生活のなかで幸せを生み出していくことなんて出来やしません。そこで、貴方の手相にぴったりのこの判子をお買い求めいただければ、すぐに幸せを感じられるようになります。今なら1万円ちょうどですよ。あ、ついでにこちらはどうです? 私も参加しているグループなんですけども、一日一回お題目を唱えるだけで救いを得られるんです。今ちょうど近くの道場でセミナーをやってますからぜひ一度、ってちょっとぉ!!?」


 いい感じに宗教勧誘にまで突っ走ったところで、猛ダッシュ。背後から、カモが逃げたと言わんばかりの叫びが聞こえてくるが、気にせずにターミナルのコンコースへ飛び込み、改札をワンタッチで駆け抜けてる。次の急行はどのホームからだ? と電光掲示板を確認したところで、ようやく私は一息ついた。

 荒くなった息を整えてから急行に乗り込み、運よく一つだけ空いていた席に身体をねじ込む。身体のほうは疲れを訴えてくることはなかったが、心のほうは未だ浮つきっぱなしである。


 ――アナタは今、幸せを感じていますか?


 電車が発車した辺りで、再度リピート。街中に潜む押し売り&宗教勧誘が発した何気ない一言のはずなのに、こんなにも私の心の中に深く刺さってしまっている。ブレーキのたびにがっくんがっくんと揺れるちょっぴり不愉快なリズムに揺られながら、帰宅までの約1時間、このフレーズのもたらした衝撃について考えようとしたが、あいにくと代々木上原につくまでのわずか数分で私の思考回路は眠ることだけを考えていた。そして、下北につくまでに、完璧に眠り込んでいた。


 目が覚めたのは、多摩川を越す越さないどころか、相模川を渡っている最中だった。後5分目覚めるのが遅ければ見事寝過ごしコースなのだが、危ないところである。首をほぐしているうちに降車駅に到着、やけに鼻腔を擽るそば汁の匂いをどうにかやりすごし、改札を抜ける。

 県央の中心都市として栄えたこの街は、今でも駅周辺は商店街なんかが発展しているものの、都心や横浜へ出やすい場所ということもあって、大きな店などは撤退してしまい、やたらと『産業の空洞化』が叫ばれている。まあ、大抵の用事はまだ駅前で済んでしまうので、私には関係のないことだ。


 駅前のスクランブル交差点を抜け、少し離れたバスターミナルから60系統のバスに乗る。やや混雑した駅前通をぬけ、2つの目の鮎津橋から大山の裾野に夕日が沈んでいくのを眺めていると、不意に携帯が音を立てて震え始めた。ジーンズのポケットから取り出してパカっとあけてみると、メール着信が1通。送信元は見慣れた名前。はあ、とため息をつき、このままメールの中身を見ずにしておこうかと思い悩むが、見ておいて悩むより見ないで不意打ちを食らう方が大抵ひどい結果になるので、仕方なしに見ることにする。


件名:絶対

本文:今夜22時音大前集合


 ……非常に完結明瞭で、果たして何をするのかというかなぜ行かなきゃいけないのかとか、いろいろと人を呼び出すにしては要素が足りなすぎるメールだった。新宿まで行って来て適度に疲れている、ということもあってあんまり行きたくないのだが、こちら側がどう考えていようと最終的には連れて行かれるのが目に見えているので、仕方なく


件名:Re:絶対

本文:うっさい


とだけ送り返しておいた。これで、うたた寝しているところに乗り込んできて「とっとと起きろ!」などと身体を揺さぶられることもあるまい。本来なら必要のない一安心のため息を吐いてから車体の揺れに身をゆだねていたら、寝入る暇もなく降りるバス停に着いてしまった。

 バス停のある大通りから一本入ってしまえばもう田舎だ。人通りも車通りも少なく、ポツポツと電灯が灯りを点し始めている程度だ。コンビニという今じゃ全国各地当たり前のように存在するモノすら、自転車でないと少ししんどいキョリにある。その分、空気は都心部などとは比べ物にならないが、どちらが生活環境として優れているかは人によって判断の分かれるところである。

 一回二回と角を曲がり植樹園の中を突っ切る私道を進めば、目の前に私の家が見える。ベランダの方からは明かりが見えるので、誰かしらは家にいるのだろう。というかいないと困る。晩御飯を食べそびれる可能性が高くなるし。


「ただいま」


 普通に帰宅の挨拶。奥の方からおかえりという返し声と、ご飯はあと30分後という通達事項が聞こえてくる。わかったーとだけ叫んでおいて、階段を登る。登りきってすぐ左手が私の部屋。東と南に窓があるせいで、朝の日差しが差し込んでくる目覚し要らずの設計。どちらかといえばありがたくない。

 部屋に入って、その辺にかばんを放り投げてベッドの上に飛び乗る。マットレスが少しだけきしみながら私の身体を受け止めてくれる。


 ――アナタは今、幸せを感じていますか?


 寝転がってはふうと幸せのため息を吐いたところで、意に反して先ほどの衝撃的なフレーズがリフレインする。今、ベッドの上にいて確かに幸せを感じたはずなのに、何故か素直に「感じているよ馬鹿やろう」ということが出来ない。

 手を伸ばして携帯を手にとり、一通だけメールが来てたことを確認するも、中身も見ずに放り投げる。どうせ誰からメールが来て、どんな文が書かれてるかわかりきったことだ。やれやれ、と今度は本物のため息をついて初めて、私は悟ったのだ。




 ――私は今、幸せを感じられていないのかもしれない。






 夕食はビーフストロガノフがメインだった。仰々しい名前の癖に割りと簡単に出来るらしく、我が家では月一で出てくる。まあ好きな方なので私は一向に構わないのだけれども。母さん、おじいちゃん、おばあちゃんと共に、適当に近頃の政治情勢をメインに話しながら、牛肉を胃に収めていく。本来ならここに父さんと馬鹿弟もいるのだが、前者は京都まで出張中、後者はサークルの旅行で何故か尾道まで遠路はるばる出かけていった。何でも、なんちゃらというアニメ(名前は忘れた)の舞台になったところらしく、「聖地巡礼だー」などと意気込んで出て行ったのだ。まあ、触らぬ神に何とやら、である。一回軽く触れてみたら2時間くらいマシンガントークが飛んできたことは、絶対に忘れない。


 食べ終わって一息ついたら、まだ20時だった。指定された時間まで後2時間もある。待ち合わせ場所の音大前(といっても、この間相模原の方に移ってしまい、いまや校舎とバス停名だけが残っているのだが)までは自転車で5分とかからない。つまり、あと余裕時間5分込みで1時間50分は暇なのだ。一瞬、一度シャワーだけでも浴びようかと思ったが、何だか妙にむかつきを覚えたので、浴びないことにする。

 夕食前と同じようにベッドの上でうつらうつらとしていたら、机の上に置いていた携帯が震えだす。


件名:おい、こら

本文:さっきのメール見てないだろ?ちゃんと見とけ。


 なんだかとってもえらそうなメールが届いていた。なのでえらそうに返す。


件名:Re:おい、こら

本文:見てないよ馬鹿


 これはえらそう、というよりもキレてるだけじゃなかろうかと、送ってから反省。そして数秒後に、まあいつものことかと開き直るのが常である。携帯なんていう、現代社会の束縛ツールに捕まって以来、ずっとこんなものだった。

 ただ、珍しく見てくれなんて催促してくるメールだったので、渋々一個前のメールを見る。


件名:今日やること

本文:幸せ探し


 ……なんだこれは、と私は思わず頭を抱えてしまった。嫌がらせにも程があるし、偶然にしては聊か出来すぎている、なんていえるレベルを超えている。


 ――アナタは今、幸せを感じていますか?


 既に何度目かの登場となった例のフレーズ。どうやら今日の私のキャッチフレーズのようだ。

 ああもうと頭をふってると、再度携帯が震えだす。ご丁寧なことに、内容は先ほど私が見ていないといったメールの再送だった。

 思わず、どうせこの後会うにも関わらず、馬鹿野郎に電話をかけてしまう。


「あんた馬鹿?」

『お前な……こちらがもしもしって言う前からそれか』


 電話の向こうからは呆れた声が帰ってくる。時折ダンプの通る音がするので、おそらく大通り沿いのコンビニにでもいるのだろう。


「いきなり幸せ探しをしようなんて言い出す人間が正気だなんて思えない」

『こんにゃろ、言い切りやがって……』

「もしかしてアレ? 新宿西口の手相占い師に捕まって口説かれたクチ?」

『んなわけあるか。あんな判子の押し売りになんで口説かれなきゃなんないんだよ』


 まあそりゃそうだ。というか。


「よく考えたらこの後どうせ会うんだから、電話代かけてまで馬鹿馬鹿言う必要なかったか。じゃ」

『って待てやコ』


 自分の携帯料金が掛かっていたことに馬鹿らしくなり、途中で電話を切る。どうせ1時間45分後に会うんだから、愚痴とか愚痴とか愚痴とかはその時でいいのだ。机の上に再度携帯を放り投げて寝ようとしたところで、投げる寸前でソイツが自己主張を始める。


「何? これから寝ようとしてたんだけど」

『電話いきなり切っといてんな言い分あるかっ! せめて待てやコラぐらい最後まで言わせろよ!』

「そんな古い時代の不良みたいなセリフは別に聞きたくないし。っていうか人の都合も聞かずに呼び出しておいてソレ? 何なら行かなくてもいいんだけど」

『ホントゴメンナサイデシタ……』


 電話口からしょげた声が聞こえてきたので、少しだけ自分の口ぶりについて反省する。そして反省したこと自体を反省。どうせいつものことじゃないか、こいつが甘ったるい声で謝ってくるのは。そしてその度に私は騙されているのだから、やはり反省したこと自体を反省しなきゃならないだろう。


『って、今回俺全く非がないのになんで謝ってんだろ……』


 電話の向こうの人物はというと、どうやら別方向に反省しているようだった。こちらには多分関係ないので放っておくことにする。


『まあ22時に音大前な』

「……わかった」


 しばらくぶつぶつと小声で何か(おそらく私への恨み辛み)を呟いた後、気を取り直したようにこの後の予定を再度告げてきた。さすがに何度も混ぜ返すのは面倒だし、どうせ行くには行くので素直に肯いておくと、電話の主は満足したのかそのまま会話を終了した。

 携帯の背面ディスプレイに表示された時刻は20時18分。余裕時間5分を見積もると、1時間37分後の時間が残されている。目覚ましを念のためにセットしておいてから、今度こそ机の上に携帯を放り投げることに成功し、私はベッドに身を委ねた。

 頭の中を、いろんなことがぐるぐる回りだす。どうやら新宿まで暇つぶしに行ったことが身体を適度に蝕んでいるらしい。心地よい、とはいえない疲労が溜まっていることを感じ始めていた。だけどまあ、無理やりとはいえ約束してしまった以上、それをすっぽかすのは私の流儀に反する。眠って少しでも疲労を取ろうじゃあないか。

 仰向け状態から、寝返りを一つ。横向きの体制に移ると、カラーボックスの上においてある一つの写真立てが目に入る。だが、中に挟んでるのは写真じゃない。二枚の、約束事を書いた紙切れ。


 大丈夫、今日もきっと守れる。


 意識を手放す寸前、また例の、今日一日付きまとって離れないフレーズが私に何かを訴えてきたが、無視してそのまま落ちることにした。






 呼び出し主とは、まあいわゆる一つの幼馴染、みたいなものであった。といっても、幼馴染なんてものはいっぱいいる。幸いにも新宿まで1時間圏(バスをいれたら1時間半以上なのだが、まあ気にしないでおこう)ということもあり、高校から先進学するにしろ就職するにしろあまり実家を出る必要がない地域、ということもあり、小中と同じだったメンバーはまだまだ多くこの辺りに住み続けているのだ。だから幼馴染、という言葉だけならあんまりうまく説明できない。まあいわゆる一つの腐れ縁、の方がぴったりくる。それもこれも親同士が非常に仲が良かったせいだ。

 小中高と同じだったこともあり、今でもしょっちゅうあっては遊んでいる。というか私が一方的に呼ばれることの方が多い上に、遊んでいる、というよりも今回のように妙なことをしていることが多い。


 そして、大抵私の方が早く集合場所に着くのだ。呼び出された側だというのに。


「遅い」

「まじめにゴメンナサイ」


 一回逆切れ(大体集合時間の5分前きっちりに来る方が悪い云々)してきてそれを言葉と力と両方でねじ伏せて以来、謝ってくるのが常だ。というか5分前行動を心がければいいだけだと思うのだが、それを絶対にしようとしない。しかもしない理由が「親が5分前行動にうるさいから、その反発」なんていうお前は中学生かというツッコミ待ちのようなものだから手に負えない。あんまり人のことは言えないのだが。


「で、今日は一体何なの? 幸せ探しとかいう実態のないものにかこつけて、音大の中を肝試し、とか言わないよね?」

「一瞬考えたんだけどな。廃校になってすぐだからまだセキュリティしっかりしてて、中入るのは無理だった」

「それ、考えただけじゃなくて実際に行動に移してるでしょ……」

「そうとも言う」


 不法侵入という立派な犯罪の片翼を担わされそうだった、ということでポカリとこいつの頭を叩いておく。叩きでもしなきゃ、こいつは本当の意味での反省などしやしない。


「……それで、本当に何する気?」


 オープニングトークの時点でやれやれ感を強く感じていた私の口調は、少しばかり疲れたモノだった。

 対して。


「なあ、優希。幸せって、どこにあると思う?」


 しばらくぶりにみた真面目な表情で、まるで判子の押し売りが言うようなセリフをくっちゃべっていた。


「……何、あんたまで私に判子の押し売りか宗教勧誘をする気? 今日はもう食傷気味なんですけど」

「阿呆。いくら俺でも、さすがに優希に判子の押し売りしたりだとか宗教勧誘したりだとかはしねえ。わかってるだろうに」

「そりゃあよーくわかってはいますけど。だけど今回ばっかりはタイミングとかいろんなこともあって、そう思いたくなったのよ」

「ならいいけどさ。で、本題に戻るぞ。幸せってさ、どこにあると思う?」


 どうやら本気と書いてマジ、というやつらしい。仕方なく私は、期末考査並みに頭を回し始める。この問題には今日散々悩まされてきたところだ。どうせならとことんやってやろうじゃないか。

 ……と思いはしたのだが。


「ちょっと本筋外れるけど、この話、ここでやる必要わるわけ?」


 私たちが今、音大の廃校舎前にいることを思い出した。何もこんな蚊に刺されそうな上に不審者扱いもされかねない場所にいてまでやることではないはずだった。


「いや、特には。ここは単なる集合場所だから。着いたらすぐに移動しようと思ってたんだが、忘れてた」

「……馬鹿じゃない?」

「今回ばっかりは俺もそう思う」


 到着早々別の話をした私にも多少非があるような気がしなくもないが、勝手に落ち込んでるのでポンポンと肩を二回叩いてから自分の自転車にまたがる。ふともう一つの自転車の前かごを見てみると、少し大きめのコンビニ袋が突っ込んであった。


「ほら、落ち込んでないでとっととその目的地に連れて行きなさい」

「へえへえ。少し落ち込む暇くらいくれたっていいだろうに……」


 電話越しと同じく、小声で愚痴々々言いながらもお気に入りらしい普通のシティサイクルにまたがり、何も言わずにこぎ始める。何か言ってからにしてくれと思いはしたが、さすがにこれ以上追撃すると自分の人格に問題があるような気がするので、黙ってついていくことにする。


 音大の裏、少し東に進んだところには相模川が構えている。その河川敷に私たちは自転車を乗り入れていた。本当は自然環境の保護的にはよろしくないのだろうが、まあここは目をつぶってもらうことにする。適度に開けたところで自転車を止めると、あいつはおもむろにコンビニ袋の中から、この時期の風物詩ともいえるものを取り出した。


「ねえ、ちょっと、何それ」

「何それ、ってどう見たって花火だろうが」


 んなことはわかっている。どう見たって、1袋780円くらいの手持ち花火と1680円くらいの打ち上げセットなことはわかっているのだ。問題は。


「これが幸せ探しとどう関係あるわけ?」


 この一点につきる。花火をやりたいんだったら花火をやりたいと素直に言ったらいいのだ。わざわざ幸せ探しなどという胡散臭いものにかこつける必要はない。


「優希は何でも意味を求めすぎなんだよ。意味がないわけじゃあないんだけど、まあ見ててみ」


 そういって、懐中電灯を自転車に固定して着けた後、平らな場所に16連発などと書かれた筒をセットしていく。


「火、つける?」

「言いだしっぺがやりなさい。どうせやりたいんでしょ?」

「そりゃありがたいことで」


 あまり汚れてなさそうなコンクリートのブロックを見つけ、そこに腰掛ける。とりあえずはやりたいようにやらせることにする。火付け役を受けたあいつは、嬉々として導火線にライターで火をつけていく。その度に、小気味良い音を立てた火花が飛び散り、辺りを赤や黄色、青色に染めていった。

 何がやりたいんだろうか。それが全くわからない。

 わからないんだけども、私は安物の花火に確かに見とれていた。






 15分ぐらいたっただろうか。あいつは全ての打ち上げ系に火をつけ終えたようで、辺りは何事もなかったかのように、川のせせらぎだけが音を奏でる状態となっていた。

 周囲で唯一となっていた懐中電灯が照らす灯りの中で、あいつはぼーっと立ち、夜空を見上げていた。近場や西側に工場地帯がないおかげで、夏空でも綺麗に星空が見える。あいつの頭上、北の空の中心には北極星。一際輝いて見える。反対側には夏の大三角形。どれがどの星だったかはすっかり忘れた。


「優希」


 声をかけられ振り返る。その手には、全部打ち終えたと思っていた打ち上げ花火を一本持っていた。


「これにさ、火つけてくれ」

「……自分でつければいいじゃない」

「いいや、優希がつけなきゃ意味がないんだ」


 ……本当に、こいつのやることはよくわからない。昔っからではあったのだが、今回のは意味のなさという点では格別だ。

 仕方ないなあと胸の奥から呟きながら、花火とライターを受け取って場所を交代する。電灯に照らして花火を見てみると、筒の蓋部分が何だが雑に作られている。


「これさ、一回開けてない?」

「ノープロブレムでございます」

「開けたこと自体は認めるんだ……」


 火をつけることに不安を覚える。この花火には何らかの手が加わっているのだ。着火した瞬間に暴発したりしないだろうか……


「大丈夫。何回か同じように手を加えて試してるけど、人に危害を与えるような失敗は一切してない。ついでに言うと、火薬を加えたりとかもしてないし、導火線を短くしたりもしてない」


 じっと花火を見つめていた私に飛んでくる声。テストを繰り返してまで私にこの花火を打ち上げさせたいのか。

 ……腹をくくり、地べたに花火を固定する。すぐに逃げれるようにへっぴり腰気味になりながら、着火。すばやくあいつのとこまで戻り、振り返る。




 オレンジ色した火の玉が、風を切って空へと駆け上がり、弾けた。


 別になんてことない、ただの一発入魂型の花火だった。


「これが一体なんだっ、て……?」


 少しばかり、何かすごいことが起きるのではないかと期待してた私は、期待外れに終わったやるせなさをぶつけようとしたのだが、その肝心のぶつけ先は、呆け返ったまま、花火が消えていった空間を見つめ続けていた。

 そして、涙を流していた。


「ちょ、ちょっと、ヒロ!?」


 もう何年も見ていない腐れ縁の涙に同様し、私はやはり久方ぶりにその呼び方を使ってしまう。

 もう、わけがわからない。今日はわけがわからないことばかりだ。何が幸せ感じてますかだ、何が幸せ探しだ。挙句の果てにこいつが泣くわで、もう本当に、わけがわからない。


 本気で混乱し、この後どうすればいいのかと悩んでいる私の目の前に、不意に一枚の紙切れがふわふわと下りてきた。ボロボロで所々に穴が開いていた紙切れを、ネコの習性が乗り移ったかのように掴み取る。

 紙は少しだけ熱かった。掴み取った後に指先で持ち直し、懐中電灯に照らしてみる。ボロボロなだけでなく、焦げたように全体が黒ずんでいる中で、うっすらと、何かの文字が書かれている。穴や黒ずみのせいで全文を解読するのは不可能の状態だった。


 だけど残念、かはどうかは微妙なところだが、私にはこの紙切れに何が書かれていたのかわかってしまった。こいつがしたことまでも。


「ヒロ、これ……どういうこと?」


 目の前に紙切れを突きつけてやる。だが、呆けたままで反応らしき反応を見せてくれない。なのでお構いナシに続けさせてもらう。


「これ……さっきの花火に詰めてあったでしょ。大事なものじゃなかったの、これ。私たちにとっては」


 私がこの紙切れに関してわからないわけがないのだ。先ほど眠る前に見た、その前に何回だって見ている、私の部屋のカラーボックスに鎮座している写真立ての中身の1枚と同じなのだから。一字一句諳んじることだって出来る。


「ねえヒロ、聞いてるの!? これは、この約束事」

「……これが、俺たちの幸せ探し、なんだ」


 私を遮るこいつの声。夜空に消えていきそうな細い声の癖に、例のフレーズが楔として私の中に突き立つ。


 ――俺、たち……?


 その言葉は、私のことまでも含んでいた。


「俺たち、の幸せ探し……それ、どういうこと?」

「言葉通りさ。俺たちの幸せは、その紙切れ、子供の頃のくっだらない約束事を破り捨てた先にある。いや、違うか……少なくとも、アレがある限りは、幸せなんてないんだよ」

「なんで、そんな……」


 そんなことを、今になっていうのだろう。


「今更、って思ってるだろ?」


 私の心中を読んだかのような、追加の言葉。


「ホント今更だと、俺も思う。つか、全部俺が悪い。俺がガキの反骨心出して妙なこと考えたのが悪いんだ」

「何それ。ホント今更だし、まあ一応守ってはきたけど、あと、幸せ探しとどうして繋がるのか、ホントわかんない」

「じゃあ聞くぞ。幸せってさ、どこにあると思う?」

「それは……」


 もう今日何回も聞いた気がする言葉。幸せの在り処。

 混乱する頭で必死に考える。今回はもう、小気味良い音を立てて駆け抜けていく電車の中じゃあない。逃げ道も何もない。


 お金があるところ?

 平和な世界?


「俺さ、思うんだ。ありがちな解答なんだけど、幸せのある場所は……家族とか、恋人とか、そういう自分の大好きな人のそばなんじゃないか、って」


 ……言われたとおりのありがちな解答。模範解答とでも言うべき解答を前に、私はしばし固まってしまう。くさすぎた、というのもあるし、何が言いたいのかがわからない。まさか、今になって、私が好きだとか言い出すんだろうか。人のことはいえないが、自分勝手じゃないか


「……で、何回も言ってる気がするけど、ソレが、『私とあんたは好き合わない』なんていうくっだらない約束事を破棄する理由なわけ? 少なくともそれがあろうとなかろうと、私の幸せに関係ないと思うんだけど」

「いやだってさ、俺が見てきた限り、優希は誰かと付き合ったりしたか? 恋人とかいたか? いないだろ?」

「まあそうだけど……」

「……あの約束がさ、中途半端に足かせになってやいなかったか? あれがあるせいで、もしかして恋愛関係とかに躊躇ってなかったか?」


 ……あ、わかった。ようやく何言ってるのか繋がった。ああなるほど。


「もしそうだったらさ、俺」

「ようやくわかった。昔からわかってたけどヒロ、あんた、ホント馬鹿でしょ?」


 そして合点がいった私は、何か言いかけたのを遮って腐れ縁のこいつを罵るのだった。






「え、優希……いくらなんでもここでそれはないだろ。俺はさ、お前の足かせ作ってるんじゃないかとだな、そ」

「いやだから、それが馬鹿なんだって。うん。勝手な勘違いだし。ばーかばーか」


 あまりにもステキな勘違いをしてくれたおかげで、今日悩んだこととか色んなものが馬鹿らしくなってきた。ああもう笑いたい。笑ってやる。


「なんで笑うんだよ。なんか俺、間違えた?」

「間違いばっかり。ほとんど全部間違いじゃないかな。あ……1個は正解だと思うけど。幸せのある場所関係のは。うん、あれはあってると思う。そっか、そうだそうだ」

「あの、1人で肯かれても全くわからないんだが」


 攻守? みたいなものは完全に逆転していた。私は全部1本につながり、こいつは混沌の海で溺れてる状態。まあ仕方ないから助けてあげようじゃないか。

 うちにある、もう1枚の紙切れ――こいつの知らない、私が私自身に課した約束事を、直接口にするのは恥ずかしいので頭の中で諳んじながら、正解への道しるべをあげることにする。


「まず、あの約束。あれ、途中から私にはどうでもよかったの。だから足かせになんてなるわけがないし。どうせいつか自分がやらかしたことを、ほら今回みたいに反省するだろうって。まあ今回の場合はややこしいやり方するからこっちも戸惑ったけど」

「え、あ、うん」

「あと、恋人作らなかったとかいうのは大きなお節介。必要ない……わけじゃないけど、まあ少なくともアレが足かせになってて、とかいう理由じゃない。勘違いも甚だしいというかなんというか。昔っからそうだからもう慣れたけど、今回のはまた飛びっきりの勘違いね」

「ぐあ……」


 おーへこんでるへこんでる。自分が色々と考えてやったことが裏目に出てるんだから当然といえば当然である。自業自得、は少し違うか。

 さて、これからどうしようか。もうこっちからさらに言っちゃってもいい気がするけど、それは何かむかつく。行動を起こしたのはこいつなんだし、最後はこいつに任せておきたい……んだけど、不安が残るのはどうしたものか。まあどうにかなるか。


「ここまでいってあえて聞くけど、さっき何言いかけてた?」

「え、何これ。この流れでさっきの言葉の続きを俺に言え、と」

「そういうこと」

「……思いっきりさ、言いかけてたことわかってるだろ」

「さあ? 私には何にもわかりません。あ、言おうとしてたこと一字一句そのままで言ってね。笑い飛ばしてあげるから」


 やっぱりわかってんじゃんと恨み言が聞こえるが、笑顔でスルー。これくらいの辱めは与えてやらないと、ここまで時間かかった分の恨みが晴らせないのだ。

 ああううとしばらくうなった後、こいつはこちらにきりっと引き締めた表情を向けて、こう言ったのだ。


「『もしそうだったらさ、俺に付き合わせてしまった罪を償わせてくれ。……恋人として』」


 そして予告通り私は大笑いする。

 ……思っていた以上に声になると笑えて仕方ないのだ、コレが。こいつも、そして自分も。


「そこまで笑うことじゃないだろ! こっちだってすんげー恥ずかしいんだ」

「いやわかってるけど、改めて聞くと、ホント、あ、腹筋つりそ」

「そこまで笑えるのかよ……」

「もうそりゃあ今更過ぎて」


 あ、また落ち込んだ。

 ……これくらいにしてやろう。足りてはいないけど、ある程度は気が晴れた。


「で、答えは?」

「答え?」

「こっちは相当恥ずかしく、いや自業自得なんだけどもそれは片隅においといて、優希に告白してるんだから、解答ほしいのは当たり前だろ」

「こくはくぅ? 自分の気持ちとか言わずに済ます気ですか。なんだか罪滅ぼしで付き合ってやるよって言われてる気がするんだけど」

「俺は、優希が、好きだああああ!」


 何も叫ばなくていいのに。ここが人気のない河川敷で本当によかった。知り合いに見つかったらなんて思うと恐ろしくて困る。直接言った勇気だけは買ってあげるけど。


「はあっ……さ、さあ、これでいいだろ。ていうかこれ以上はもうカンベンシテクダサイ」

「仕方ないなあ。じゃあ答えてあげましょう」


 こくり、とどちらからともなく息を呑む音が聞こえてくる。というか、こいつここまで来てもしかして今までの私のことを気付いてなかったりするんだろうか。普通、ここまで来たらわかるような気がするんだけど。

 ……直接言ってやるのは、待たされた分癪に障る。恥ずかしいし、はぐらかして答えてやろう。


「ねえ、ヒロ。私の幸せがある場所ってどこだと思う?」

「はあ?」


 私の唐突な質問に、ヒロは完璧に固まっていた。

 固めてやったことににやりと一つ笑みを浮かべてから、1歩2歩と歩みを進める。さすがに面と向かって言うのは恥ずかしいのだ。

 だから、あと1歩、進んだら振り返って、それから言ってやろう。




 ――昔も今も、ここが私の幸せのある場所なんです。っていうかもっと早く言ってよ馬鹿!

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